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第九百五十七話 センティア(一)

 シーラたちがシーゼルを出発したのは、五月二十一日だ。

 エスク=ソーマが得た情報によってセンティア行きが決定すると、シドニア傭兵団の残党が総力を上げてセンティアへ向かうための準備を整えた。足としては四台の馬車が用意されており、五十人近い傭兵たちはそのうちふたつの馬車に分譲した。残りふたつの馬車のうち一台はシーラとセツナのみを乗せ、最後の一台はエスク=ソーマ、レミル=フォークレイ、ドーリン=ノーグといった傭兵団幹部の専用車両ということらしかった。

 まさに大移動であり、シーゼルに駐屯するアバード軍の監視の下、シーラたちを載せた馬車はシーゼルを出発している。しかし、アバード軍がなにも口出ししてこなかったところを見ると、エスクが軍に対してなんらかの働きかけをしたのは間違いないようだった。シーゼルの軍と傭兵団の残党は持ちつ持たれつの関係であったらしく、エスクが声をかけた以上なにもしてこないのは、理解できないではなかった。シーゼルの治安が良いのは、傭兵団が睨みを効かせていたおかげもあるという話もあった。本当のことかどうかはともかく、シーゼル駐屯軍がエスクたちを特別視しているのは疑いようがなかった。

 シーゼルを出れば、ただひたすら街道を東進すればよかった。森や丘を避け、緩やかな曲線を描く街道をまっすぐ進んでいく。道中、野盗に出くわすこともあるかもしれないし、皇魔に襲われる可能性も少なくはない。大陸において安全といえるのは、堅牢な城壁の内側だけといっていい。

 もっとも、その城壁の内側にいれば安全という神話は、クルセルク戦争ではなんの意味もなさなかったのだが。それは例外として頭の隅に追いやるしかない。クルセルクの皇魔たちは、魔王に使役されていため、常識が通用しなかっただけのことだ。

 日が落ち、夜になれば街道の脇に馬車を止めた。街道のど真ん中で停車するわけにもいかない。真夜中であろうと街道を利用するものがいるかもしれない。可能性は限りなく低いものの、ないとはいえないのだ。

 馬車の荷台に詰め込めるだけ詰め込まれていた傭兵たちは、そのときだけは馬車の外に出て、息を吸って開放感を味わったりしていた。そして、彼らは手慣れた動作で天幕を張り、夕食を作った。シーラもセツナも傭兵たちが作った料理を分けてもらい、空腹を満たした。戦争なれた傭兵たちの手料理は、決してまずいものではなかった。戦地で炊き出しを行うことなど日常茶飯事だったのかもしれない。酔い潰れ、酩酊状態でいることに慣れていたとは思えないような手際の良さと味わいには、シーラもセツナと顔を見合わせて驚いたものだった。

 シーラは、セツナとともに馬車の中で夜を過ごした。中々寝付けなかったものの、傭兵ばかりの天幕に投げ入れられるよりはましだし、なにより、ここ数日でセツナが側にいることになれていた。いや、いまとなっては、セツナがいなければならなくなっていた、といったほうが正しいのかもしれない。シーラは、いま、孤独だ。このアバードにおいて心から信頼できる相手など、セツナ以外にはおらず、故に彼女は夫婦としての演技以上にセツナに密着した。セツナにひっついている限り、彼の体温を感じていられる限り、シーラは安心することができたのだ。

 いまにして思えば、セツナがいなければ、シーラはどうなっていたのだろう。

 たったひとり、アバードに潜入しようとしたのだろうか。

(したんだろうな)

 シーラは、セツナにもたれかかったまま、レミル=フォークレイから支給された毛布を深く被った。毛布の中でセツナの腕にしがみついている。彼をこれほどまでに頼っているのは、自分の心が弱っているからだと彼女は認識していた。弱っている。弱り、いまにも消え入りそうだった。それでもなんとか生きているのは、やらなければならないことがあるからだ。

 止め無くてはならない。

 これ以上、自分のために犠牲を増やす必要はない。

 もうたくさんだ。

 もう十分、死んだ。

 彼女のために死にすぎるほどに死んだ。大切な人、大事な人、有象無象が死んでいった。彼女の権勢を利用しようとしたために死んだものもいるし、死ぬことで彼女を生かそうとしたものもいる。様々な思惑の中で、生と死が氾濫した。

 シドニア傭兵団に生き残りがいたことには、彼女はほっとしたものだった。全滅したわけではない。つまり、エンドウィッジの戦いを生き延びたものがほかにもいるかもしれない。大物は捕まり、処刑されたと聞くが、それら大物に率いられた将兵の中にはエンドウィッジの戦いを生き延び、追及の手を逃れたものもいるのかもしれないのだ。

 エンドウィッジの戦いは、シーラの本意ではない。

 その戦いにみずからの意思で参加したものがどうなろうと、知ったことではない。シーラ派自体、彼女の想いとは無関係のところで結成された派閥であり、彼女の想いを汲み取るどころか、むしろ踏み躙っていたのだ。シーラ派を標榜したものの多くは、彼女が王宮に返り咲いた暁には、自分たちの立場が改善されるだろうと踏んでいた。あるいは、栄達が望めるものと思っていた。だから、シーラを擁立していたのだ。

 野心と欲望が、シーラ派を作った。

 そんな連中が死のうと生きようと関係がなかった。

 だが、それでも、彼らの想いを踏み躙ったという後ろめたさが、シーラの心の奥底に疼いている。彼らを見捨てたのもまた、事実だからだ。見捨てなければならなかった。そうしなければ、アバードは泥沼の内乱状態に陥り、他国の介入さえも許しただろう。シーラが、積極的にシーラ派を率い、エンドウィッジの戦いに参加していれば、シーラ派が勝利した可能性は皆無ではないからだ。シーラにはハートオブビーストがあり、また、シーラ派の将兵にとって、シーラは勝利の象徴であるからだ。負けるはずがない。

 そして、シーラ派の勝利は、アバードの混乱を加速させたはずだ。内乱の悪化は、他国に付け入る隙を生む。シャルルム、ジュワインといった国々だけではない。ガンディアさえ、介入してくるかもしれなかった。

 あのとき、エンドウィッジの戦いでシーラ派が敗北するのは、アバードの政情を正常化する上で必要不可欠な要素であり、セイル派による統一こそ、アバードには望ましいことだったのだ。

(間違いじゃない。間違ってなんかいないさ)

 シーラを生かしたのは、ラーンハイル・ラーズ=タウラルの策によるものだった。ラーンハイルは実の娘レナをシーラに扮装させることで、シーラを生かした。レナはエンドウィッジの敗戦後、王都にて処刑された。シーラ・レーウェ=アバードとして、死んだ。獣姫シーラの死が公表されたことで、エンドウィッジの敗戦後、シーラの生存に一縷の望みを繋いでいたであろうシーラ派には完全な終わりが突きつけられたはずだ。

 ラーンハイルの思惑通りにことが進んだ。

 彼は、シーラ自身を生かすために、シーラ派を壊滅させたのだ。そのために実の娘と自分の命を差し出すことさえ厭わなかった。

 彼の想いは、ただひとつ。

 シーラが生き延び、人生を謳歌することだけだった。

 シーラが今日まで生きてこられたのも、ラーンハイルやレナ、セレネたちのそういう想いがあったからだ。なんとしても生き続けて欲しいという彼らの想いが、シーラを執着させた。生にしがみつかせた。泥水を啜ってでも生きる覚悟だった。

(ごめんな、ラーンハイル。おまえやレナの想いを汲んでやれなくて)

 センティアへの道中、シーラは、自分のために死んでいったものたちに謝ってばかりいた。

 覚悟を決めるとは、そういうことだ。

 

 シーラたち一行がセンティアに到着したのは、二十五日のことだ。

 センティアは、領伯および一族郎党の公開処刑を二日後に控えているにも関わらず落ち着いたものであり、物々しい雰囲気に包まれているということもなければ、警備が厳重になっているということもなかった。もっとも、公開処刑が行われるという闘技場の出入り口には人だかりができており、その人だかりを取り締まるための警備兵と合わせて数えきれないくらいの人出となっていたのだが。

 一行を載せた馬車は、騒然となっている闘技場前を通過し、宿場街に至り、止まった。

「難なく入れたが……エスクのおかげか」

 セツナの一言に、窓の外を覗くと、先頭の馬車から降り立ったエスクが、センティア駐屯軍の兵士たちとなにやら話し込んでいる様子が見えた。

「さすがはシドニア傭兵団随一の剣豪だな」

「シドニア傭兵団ってそんなに凄いのか?」

「まあな。クルセルク戦争には参加しなかったが、参加してたら、アバード軍の手柄はほとんどあいつらが持って行ったんじゃないかな」

「へえ……」

「それくらいには強いよ」

「強いのは知ってるさ。エスクは俺の師匠に肉薄するかもしれない」

 セツナの評価を聞きながら、シーラは窓の帳を下ろした。いくら人気がないとはいえ、油断してはならなかった。頭巾を目深に被る。馬車が止まったということは、この宿場街に宿を探すということだろう。それから、セツナの評価に対する感想を浮かべる。 

「“剣鬼”に匹敵するから“剣魔”って呼ばれてるってのは、本当だったんだな」

「“剣鬼”に“剣魔”か。どっちも怖い二つ名だな」

 セツナが苦笑したのは、ルクスもエスクもその怖い二つ名に相応しい人格の持ち主だったからかもしれない。不意にセツナの膝の上に乗っかっていた飛龍が翼を広げた。なにを主張しているのかと思いきや、彼は尊大なまなざしで告げてくるのだ。

「人の子如きが、鬼だの、魔だの……身の程を知らぬようじゃの」

 ドラゴンとしての自負がそのような言葉を吐かせるのだろうが。

 セツナはむしろ、そんなラグナを愛でるように両手で包み込んだ。

「その人の子に斃されたドラゴンがいるらしい」

「しかもそのドラゴンって人の子の下僕になったんだろ」

「ぐぬぬ」

「ぐぬぬじゃねえっての。俺がいいっていうまで隠れてろよ」

「むう……主の命令とあらば仕方あるまい」

 ラグナは少しばかり口惜しそうな表情をしたあと、セツナの手の中から飛び上がり、彼の首元から服の中に潜り込んだ。必ずしも服の中に潜り込む必要はないのだが、率先して服の中に入り込んでいるところを見ると、案外、セツナの服の中が気に入っているのかもしれない。

 しばらくして、馬車の扉が叩かれた。窓から外を見ると、エスクだった。

「うちの元団員の宿に泊まりますぜ」

 エスクの一言に、シーラとセツナはうなずいた。

 五月二十五日。

 公開処刑まで後二日。


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