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第九百五十六話 五月二十日(二)

「処刑会場はどこだ?」

 シーラは、エスクの目を見据えながら尋ねた。ひたすらに黒い目がこちらを見つめている。皮肉げな表情に変化はなく、なにを考えているのか把握しづらいのは相変わらずだった。

「センティアの闘技場だということです。日時は五月二十七日。六日後ですな」

 センティアは、アバード南東部の都市だ。クルセルク戦争後、アバードがクルセルク西部を得たため、南東といえばゴードヴァンになってしまったのだが、シーラの認識としては、アバードの南東の都市はいまだにセンティアだった。

 ゴードヴァンがアバード領になったのもシーラたちの活躍によるところが大きいのだが、戦後、王都に帰還することもできないままタウラルに籠もっていた彼女には、ゴードヴァンがアバードの領地となったという認識が薄いのだ。ランシードも同様だ。未だにアバードの北東といえばタウラルであり、ランシードは意識の外にある。

 ゴードヴァンもランシードも、シーラ率いるアバード軍がクルセルク戦争で奮迅の活躍をしたからこそアバードの領地になったのだが。

「六日後……」

 エスクの言葉を反芻するようにつぶやく。

 ラーンハイルやその親族の処刑を止めるには、六日以内にセンティアに入らなければならないということだ。シーゼルからセンティアまで、最短で四日はかかる。残された時間はあまりに少ない。すぐにでも行動に移さなければ間に合わない。

「とはいえ、なにもセンティアまで行く必要はありませんよ」

 エスクの発言に、シーラは怪訝な顔になった。

「ん?」

「ドーリンが入手した情報によれば、陛下はまだ王都におられたのです。おそらく、これからセンティアに向けて出発するのでしょうな」

「その道中に接触しろというのか?」

「それが一番安全かと」

「馬鹿か」

 シーラは、“剣魔”の微笑に、ただ呆れ果てた。

「国王陛下がセンティアに向かわれるとあらば、軍が護衛につく。千人、二千人どころじゃない数の兵を相手にしろってのか?」

「それくらい、旦那なら平気でしょう?」

「はっ……ニーウェはそこまで強くねえよ」

 シーラは、セツナのことを偽名で呼ぶとともに、嘘をついた。セツナと黒き矛なら、千人、二千人程度の兵士など取るに足らない相手といっていい。しかし、だからといってセツナを戦わせようとも思わなかった。リセルグ王の護衛に動員されるのは、アバードの正規軍だが、アバード軍は必ずしも敵ではない。傷つける必要も、ましてや殺す必要などないのだ。

 アバード軍と戦うつもりは、微塵もない。

 それに王の護衛ともなれば、アバードの正規軍だけが動員されるわけもない。ベノアガルドの騎士団も同行するかもしれない。タウラル領伯の拘束に派遣するほど頼りきっているところを見る限り、そう考えて間違いなさそうだった。

 話によれば、ベノアガルドがアバードに派遣した騎士団員は三千名ほどであり、それらがすべて王の護衛に回るとなれば、話は大きく変わる。セツナと黒き矛を持ってしても、簡単には突破できないかもしれなくなるのだ。とはいえ、戦うつもりもないシーラには、そんなことはどうでもいいことだが。

 シーラの目的は、あくまで、見せしめのための一族郎党の公開処刑などという蛮行を止めさせることであり、それ以外にはなかった。

「嘘でしょう」

 エスクがなぜか、目を丸くした。

「なんで嘘をつく必要がある」

「それもそうなんですがね」

「シーラのいう通り、俺はそこまで強くはないよ」

 セツナが肩を竦めたのは、エスクの発言を買いかぶりだとでもいうかのようだった。

 エスクは目をぱちくりさせたあと、嘆息した。

「どうも、俺の目が旦那の力量を見誤っていたのかな」

「そういうことだ」

 セツナがあっさりと肯定すると、彼はなにかを諦めたように息を吐いた。

「わかりましたよ。じゃあ、いますぐセンティアに向かい、陛下の到着を待ち、到着次第、接触を図る――というのは、どうです?」

「どうだ?」

 男二人に聞かれて、シーラはじっくりと考えた。考えるまでもないことなのだが、考えられるときに考えなければならないという強迫観念があった。残された時間はあまりに少ない。いましかないのだ。いまならまだ、他の方法も提案できる。

 しかし、王宮に潜入することが困難であり、数日以内に国王自身が王宮から姿を消すとなると、王都から王宮に潜入する案は却下せざるを得ない。また、センティアへの移動中の国王に接触を図るという案も、却下している。ほかに方法があるかというと、なかった。

 処刑の日程が決まっているのだ。

 行動に移す以外に道はなかった。

「……それしかないな」

 シーラがエスクの提案を認めると、彼は意外なことをいってきた。

「潜伏場所は任せて下さい。センティアにもいるんですよ、うちの残党」

「そうなのか?」

「タウラルにも、ヴァルターにもね」

「王都にだけいなかった、ということか」

「エンドウィッジの敗残兵を王都が受け入れてくれるとでも?」

 彼は殊更に冷ややかなまなざしをしてきた。彼が言外にいっているのは、王都への帰還が許されなかったということだろう。シドニア傭兵団は、団長が騎士の称号を与えられたこともあって、王都を拠点として活動していたのだ。戦いが終われば、拠点のある王都に戻ろうとするのは必定だ。しかし、シーラ派に与し、エンドウィッジの戦いに参加した傭兵団には、王都での居場所などなかったということだ。

 彼が恨みがましくいうのもわかるし、また、王都が彼らを受け入れないのもまた、当然に思えた。拘束されなかっただけありがたいと思うしかないのが、エスクたちの立場なのだ。

「それもそうか……」

「ま、ここ以外の連中は少数で、しかも傭兵から足を洗ったものも少なくはないんですがね。センティアの奴は、俺が行けば、場所くらいは貸してくれるでしょう」

「場所だけで十分だ」

 セツナの一言に、シーラもうなずいて同意を示した。

 シーラたちは、その日のうちにシーゼルを発った。もちろん、ふたりと一匹だけではない。エスクたちも同道した。センティアにいるというシドニア傭兵団の生き残りに話を通すには、エスクの存在が必要不可欠なのはわかるのだが、なぜかエスクだけではなく、レミル=フォークレイ、ドーリン=ノーグも同行し、彼らの部下たちもついてきてしまった。

 シーゼルを出るときには五十人前後の大所帯になってしまったのだが、これにはセツナも途方に暮れるしかなかったようだ。途方に暮れたいのは自分のほうだ、とシーラは思ったものの、言葉にはしなかった。エスクはともかく、レミルやドーリンの前では頭巾を取ることなどできないし、安心して休むこともできない。

 と思っていたのだが、エスクのはからいによって、シーラはセンティアへの道中、ゆっくりと休むことができた。

 先もいったようにシーゼルとセンティアは離れている。

 馬を飛ばして四日ほどかかる距離であり、徒歩で移動するなどありえない距離だ。当然、馬を用意しなければならなかったのだが、その馬を用意してくれたのもエスクたちシドニア傭兵団の面々だった。故に途方に暮れるのも筋違いといってもいいのかもしれない。

 それもただの馬ではなく、馬車だった。数台の馬車に五十人の傭兵が分譲することになったのだが、エスクは、シーラのことを考えてか、シーラとセツナふたりだけの馬車を用意してくれていた。傭兵たちへは新婚夫婦だからと言い訳したらしく、馬車に乗り込むシーラたちに投げかけられる言葉の下品さには、さすがのシーラも憤懣やる方なかった。

 もっとも、五十人もの傭兵たちが三台の荷馬車の荷台に牛々に詰め込まれるのを見ているのは滑稽でもあり、可哀想でもあり、その憤懣も消し飛んだ。

 馬車が動き出したのは、日が傾き始めた頃合いであり、夜中まで走ったとしても、大した距離は稼げないだろう。夜になれば、皇魔や野盗の襲来を警戒しなければならない。都市の城壁の外には、危険が多い。特に皇魔の存在は危険極まるものであり、歴戦の猛者の集まりであるシドニア傭兵団でもってしても、場合によっては壊滅することだってありうる。野盗ならばまだ可愛いものだ。

「もういいぞ」

「ふう……」

 セツナが、服の中を覗き込んでつぶやくと、小飛龍が彼の首元から頭を飛び出させた。馬車にはセツナとシーラしかいない。しかも密閉空間であり、ラグナが顔を出したところでだれにも見えないし、多少声を出したところで、御者台にまで届く心配もない。

「息苦しくて死ぬかと思うたぞ」

「死んでもどうせ転生するんだろ」

 セツナがあきれたのは、普段万物の霊長として君臨しているかのように振る舞うドラゴンとも思えないような有様だからだろう。が、シーラはそういうラグナだから可愛らしいのだと思っている。セツナもおそらくその点では同じだろう。

「うむ。しかし、あのときのようにすぐにとはいかぬ。あのときはおぬしが発した力を上手く利用することができた故、瞬時に転生することができたのじゃ」

 それについては、あのときも言及していた記憶がある。セツナが引き起こした破壊の力を吸収し、それによって新たな肉体を得たとか、そのようなことをいっていたはずだ。記憶が曖昧なのは、ラグナの出現が衝撃的すぎたからに他ならない。

「つまり、あのとき、別の方法で斃していたら、あの場では転生しなかったってことか」

「そういうことじゃな」

「どっちがよかったのかね」

「わしがいるほうが良いに決まっておるじゃろ」

「そうか?」

「俺に振るなよ。ラグナ、セツナに聞いてるんだぜ」

 いいながら、シーラはセツナの対面の座席から、隣の座席に移動した。高級とはいえないが安物ともいえない馬車だ。窓がるのだが、帳がかかっており、外は見えないし、外から中も見えない。だから、シーラは安心して頭巾から顔を出すことができるのであり、ラグナを出すこともできるのだ。

 そして、そうである以上、夫婦を演じる必要はない。ないのだが、シーラはセツナの隣に座ると、つい彼の肩に頭を乗せてしまった。無意識の行動であり、そのことに気づくと、全身の血液が沸騰するような感覚を覚えた。かといって、すぐさま離れるのも、おかしな話だ。むしろ、演技を続けているという体でいるほうがいいのではないか。そうすれば、少なくともセツナにはわかるまい。

 シーラは内心の葛藤をさとられないように、セツナの肩に頭を載せたまま、ラグナとセツナのやり取りを聞いていた。

「そうじゃそうじゃ。わしはおぬしに聞いておる」

「俺に? うーん」

「悩むことか!」

「あんまり大声で叫ぶなよ。おまえの存在は隠さなきゃならねえんだからな」

「むう……しかしのう、いつまで隠れておらねばならんのじゃ?」

「ガンディアに帰るまでの辛抱だよ」

「それがいつなのかと聞いておるのじゃがな」

 ラグナが多少、不満そうにいった。正面切って不満をぶつけないのは、彼がセツナの下僕であるという意識が働いているからかもしれないし、ラグナがドラゴンだからかもしれない。彼には、ドラゴンとしての誇りがあり、自負がある。器の広さ、度量の大きさを示したがるのが彼なのだ。手のひらに乗る程度の大きさなのにもかかわらず、だ。そこがまた可愛らしいところでもある。

「すぐだよ」

 シーラは、ラグナの額を撫でた。薄っすらと閉じたまぶたの下で、彼の目はきらきらと輝いているように見えた。宝石のような目は、この世のものとも思えない美しさがあり、見ているだけで心を穏やかにする不思議な力があった。

「すぐに、なにもかも終わる。そうなったらさ。おまえも、セツナも、すぐに国に帰ることができるさ」

「すぐ?」

「わしを宥めるための気休めではあるまいな?」

「俺がそんなことをいうかよ。っていっても、センティアで父上に逢うことさえできれば、だがな」

「なるほどのう……わしはおぬしがチチウエとやらと逢えることをいのるしかないようじゃな」

 ラグナは、小難しそうな顔をした。普段、人の子となどと見下す存在の社会について必ずしも詳しくないのがラグナなのだ。ドラゴンの尺度から見れば、人間社会など詳しくなろうとも思えないものなのかもしれない。とはいいつつ、セツナの下僕になってみたり、レムと下僕壱号、下僕弐号などと言い合ったりと順応していたりもする。どこか支離滅裂に感じられるが、それがラグナという存在なのだろうと想ってしまえば、納得できなくもなかった。

 そもそも、彼はドラゴンなのだ。人間の尺度で計れる存在ではない。

「そういうことだ。だが、それさえ叶えば、すべて終わりだ」

「本当に上手くいくのか?」

「行くさ。俺を信じてくれ」

「ああ。信じてるさ」

 セツナは、なんの躊躇いもなくそういってきた。いまさっきの問いかけも、シーラの意図を訝っているわけでも、疑っているわけでもなく、ましてや不安からでたわけでもなさそうだった。

「信じてるから、ここにいるんだろ」

「うん」

 シーラは、再びセツナの肩に頭を乗せると、瞼を下ろした。彼の言葉のひとつひとつが胸に染み入るようだった。ただ単純に嬉しいというだけではない。彼が、赤の他人であるはずのシーラのことをここまで思いやり、信じてくれているということが伝わってくるから、嬉しいのだ。嬉しすぎて、目頭が熱くなる。慌てて目を閉じたのは、そのせいかもしれない。

 自分が泣きそうになっているという事実は、ラグナにもセツナにも悟られたくはなかった。理由を聞かれれば、答えようがないのだ。答えるとなれば、嘘にならざるをえない。セツナには嘘をつきたくなかった。ここまで親身になってくれたのだ。ここまで力を貸してくれたのだ。身の危険を顧みないだけではなく、外交問題になることもわかったうえで助力を惜しまない。

 セツナには感謝しかなかったし、報いたいとも思っていた。だが、それは不可能なのだ。

「ありがとう」

 少しばかり胸が痛むのは、きっと、彼と今生の別れになるからだ。


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