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第九百五十五話 五月二十日(二)

「ま、確かに旦那のいう通りだ。呼んだのは俺だ。しかし、呼ばれたからといってのこのこ出てくるなんざ、あんたらもつくづくひとがいいねえ」

 エスク=ソーマは、シーラとセツナを椅子に座るよう促しながら、そんなことをいってきた。言葉はともかく、口調は不愉快ではない。むしろ、自嘲しているかのような調子ですらあり、そこには一種の哀れみを禁じ得ない。金だけに縛られるはずの傭兵が脅迫に屈したとあれば、彼のような調子にもなるのかもしれない。

「ひとがいい悪いじゃない。いま、あんただけが頼りなんだよ」

 セツナは、言い返しながら、シーラを先に椅子に座らせてくれた。エスクの前ですら夫婦を演じるのは、そうしなければいざというとき、本性を表してしまうかもしれないからだろう。シーラも、彼に倣って夫婦の演技を続行することにした。セツナが着席すると、彼の手を握った。

 それは、シーラの心を落ち着かせる効果もあった。

「頼り? 俺を信頼するってのか?」

 エスクの怪訝な目は、セツナの言葉よりも、シーラの行動に向けられたもののようだが、シーラは黙殺した。夫婦を偽装していることを看破しているエスクには当然の反応だった。彼にしてみれば、ただいちゃついているようにしか見えないのだ。

「信頼するもなにもないだろう」

「ふむ……」

「そもそも、信じられないなら、とっくにあんたの首は胴体から離れているよ」

 セツナが告げると、エスクが冷ややかな笑みを浮かべた。いつの間にか、彼の席のすぐ後ろに闇人形が出現していた。セツナが黒仮面を召喚したのは宿を出る前のことだ。召喚し、懐に潜りこませていた。話が長引けば負担が増えるが、そうはならないだろう――セツナの言葉が、シーラの脳裏を過ぎった。

 彼はいま、仮面を身についてはいない。左手に持っているだけだ。いつの間にか取り出したのかはわからないが、ともかくそういうことだ。しかし、それが召喚武装でもある。必ずしも装着しなければならないわけではないのだ。体に触れてさえいればいい。触れてさえいれば、能力は発動する。

「それもそうか」

 エスクは、背後の闇人形を一瞥した。彼の背後に佇む闇人形は、いざとなればいつでも彼を殺せるという忠告であり、脅迫であろう。どこか少女を思わせる姿形は、シーラもよく知る誰かに似ているのだが、いまは思い出せなかった。

 それから室内を見回すと、小奇麗になったのが彼の容貌だけではないことがわかる。数日前に訪れたときは、雑然としていたものであり、散らかし放題といっても過言ではないような状態だった。惨状といってもいい。空になった酒瓶や読み捨てられた新聞などがそこかしこに放置されており、足の踏み場もないといった有様だった。それがいまはというと、この間の面影すらないほど綺麗サッパリ片付けられていた。ただ片付けられただけではない。床や壁が光沢を帯びるほどに磨き上げられており、徹底的に掃除したのだろうということが想像できた。傭兵たちを使ったのか、それとも、店員たちに命じたのかはわからないが。

「で、俺達を呼んだ理由は?」

 セツナは、問いかけながら闇人形を消滅させた。音もなく消える人形の様子に、エスクが口笛を吹いた。召喚武装の能力は、魔術や魔法のようであり、見るものを驚かせるにたるものだ。

「もちろん、旦那方の要望通り、王都の様子を調べてきたからですぜ」

「早いな」

「ま、うちのドーリンに任せりゃ、こんなもんですよ」

「ドーリンってあの大男か」

 ドーリン。ドーリン=ノーグは、シーゼル到着当日、酒場での情報収集を試みたとき、セツナに絡んできたならず者の一団の頭と認識した男だ。高名なシドニア傭兵団の部隊長を務めるだけあって、筋骨隆々の大男であり、その腕っ節には自身があったようだが、酒をたらふく飲んでいたこともあってか、召喚武装を用いないセツナに負けている。

「赤い髭のね。っても、シーゼルからバンドールまでなんて、馬で一日半から二日ほどの距離。褒めるほどのものでもねえっす」

「……それで、バンドールの様子はどうだって?」

「蟻の入る隙間もねえって話ですぜ」

 エスクの目が鈍く光った。

「王都に入るだけでも大騒動だったらしい。ドーリンの野郎、身ぐるみ剥がされた上で物騒なものを隠し持っていないか体中を調べられたっていってましたし、王都に入ってからもずっと監視の目が光っていたそうだ」

「なるほど……」

「王都の警備兵が女相手に容赦するわけもないし、王都に直行せず、シーゼルで情報収集に当たったのは正解だったてことさ」

「……そういうことだな」

「それで王都内部の様子だが、これもまた酷いものらしい」

「酷い?」

「ああ、どこもかしこも警備兵が立っているんだと。しかも、そういった監視の目は昼夜関係なく、真夜中だからって緩むこともないって話だ」

「なんとか王都へ潜入できたとして、行動することもままならないってことか」

「そういうこったな。それと、ドーリンの仕入れた話じゃ、シーラ姫の処刑以来、王都はずっとそんな感じだということだ」

「処刑以来……か」

 シーラは、エスクの言葉を反芻して、目を細めた。王宮は、偽物のシーラを本物のシーラとして処刑した。公表したということは、そういうことだ。レナ=タウラルとシーラの区別がつかないはずがない。レナ=タウラルだとわかっていたかはともかく、シーラではないことはわかっていたはずだ。わかった上で処刑し、公表し、それでシーラ派との戦いを終わらせたはずだ。そのつもりで公表したものだとばかり、シーラは思っていたのだが、処刑以来、王都に厳戒態勢が敷かれたとなると、その線は怪しいものとなる。

 別の意図があったのか、どうか。

「ま、俺たちゃ、エンドウィッジの敗戦からこっち、シーゼルに籠もってたから、王都の様子なんてこれっぽっちも知らなかったし、知ろうともしなかったがな」

 エスクは、他人事のように言ってきた。実際、彼にしてみれば他人事以外のなにものでもないだろう。シドニア傭兵団は、アバードと関わりの深い傭兵団であり、団長ラングリードが騎士の称号を叙勲されてからというもの、アバードの正規軍のような扱いを受けていた。しかし、傭兵たちが忠誠を誓っていたのはラングリードに対してであり、アバード王家に対してなどではないのだ。ラングリードが戦死したいまとなっては、アバードの王都がどういう状況にあるのかなど、興味の持ちようがないのだろう。

「王都に入る方法はないのか?」

「あるにはあるが、入ったとして、どうすんだって話だぜ?」

 エスクの表情は、いつものように軽薄だ。本当に信用できるのか、信用しても問題ないのか、不安がよぎる。しかし、彼に正体を明かさざるを得なかった以上、彼を信じるしかない。少なくとも、裏切ることはないと思うしかない。セツナの脅迫が効いていることを願うしかないのだ。それはいまのところ、効果的に働いているように思えるのだが、彼の表情からはセツナへの畏怖を感じ取ることは難しい。へりくだってはいるのだが、それがセツナを恐れているからなのか、従っているふりをしているからなのか、判別できないのだ。

「あのドーリンですら情報を仕入れるだけで手こずるような厳重な警備だ。旦那たちじゃあ身動きひとつ取れないかもな」

「……王都に入ることができたとしても、王宮に潜り込むのは不可能に近い……ということか」

「そういうこと」

「しかし、王宮に潜入できなければ、リセルグ陛下に直訴することなんて不可能だ」

 シーラは、セツナの手から自分の手を離すと、拳を作った。拳を握り、力を込める。やるせなさがある。

 エスクの視線は、冷ややかだ。

「といって王宮への潜入を強行すれば、捕まるだけだぜ?」

「くっ……」

「まあ、旦那の召喚武装を使えば、警備兵を薙ぎ倒していくことも不可能じゃなさそうだけどな」

「そんなことをしてみろ。ますます陛下への道が遠のくだけだ」

 シーラは、つとめて冷静に告げた。

 確かに、エスクのいう通りではある。セツナの召喚武装の能力を用いれば、王宮の警備を司る獣護兵団などおそるるに足りないだろう。シーラとハートオブビーストの力も合わせれば、王宮の警備など容易く突破できる。だが、突破した先に王はいまい。王宮で騒ぎがあれば、王はその身の安全のために別の場所に移送されるからだ。探しだしても無駄だ。移送先が判明したとしても、そのときにはさらに別の場所に移動しているのだから。

 追いかけ続けた結果、力尽きるのが目に見えている。そして、それほどの騒ぎを起こせば、王都中の戦力を相手にしなければならなくなるだろう。そこまでの騒ぎを起こすつもりはない。シーラの目的は、あくまでリセルグ王との対話であり、直訴だ。

「違えねえ」

 エスクは薄ら笑った。まるで挑発するような笑みは、シーラの神経を逆撫でにするのだが、彼女は唇を噛んで感情を抑えた。エスクは無関係の他人だ。シーラの心情など知ったことではないし、むしろ、こんな厄介事に巻き込んだシーラたちを憎んでいるとしてもおかしくはない。彼の言動が一々刺々しいのも、当然なのだ。むしろ、セツナのほうが不思議といえる。

 こうまで親身になってシーラのために行動してくれる赤の他人など、そういるものではない。

「……しかし、だとすれば、どうすればいい。どうすれば、陛下に逢える……?」

「困ったな……」

 セツナが頭を抱えるのも当然だった。彼は、アバードの内情に詳しくないのだ。この三人の中で、現在のアバードにもっとも詳しいのが落ちぶれた傭兵のエスクだというのだから不思議だった。同時に不愉快でもある。国の中心に近い位置にいた自分が、国の現状をなにも理解していないというのは、どうにも歯がゆく、腹立たしくもあるのだ。

「そんな旦那方に朗報が!」

「朗報?」

 シーラはセツナと顔を見合わせ、それからエスクに視線を戻した。

「ドーリンの活躍により、タウラル領伯および一族郎党の公開処刑の日程が明らかになったのですよ」

「それは朗報といえるのか?」

 眉根を寄せる。

「朗報以外の何物でもありませんぜ。なんてったって、日程が明らかになったということは、公開処刑が行われる場所が判明したということなのですからな」

「それのなにが朗報なんだ。俺は、公開処刑を止めるために……!」

「まあまあ、そういきり立たないでくださいな」

 エスクに大袈裟な身振りでなだめられて、シーラは憮然とした。いつの間にか浮かせていた腰を椅子に落ち着かせる。と、手にセツナの手が触れてきた。握り返す。それだけのことだが、シーラは少しばかり落ち着きを取り戻せた。

「考えても見てくださいよ。領伯様の処刑ですよ? アバードにおいても国王陛下、獣姫、王子殿下に次ぐ権勢を誇っていたラーンハイル伯の」

 どことなく楽しげな口調が気に食わなかったが、彼の怜悧なまなざしのおかげでシーラは冷静さを取り戻すことができていた。そして、冷静になれたこともあって、彼のいっていることが正確に理解できた。彼がなにをいおうとしているのかも、わかる。

「ラーンハイル伯ほどの大人物の処刑に、国王陛下が関わらないはずがありますまい。ましてや、リセルグ陛下はラーンハイル伯を兄のように慕っていたというではありませんか。しかも此度の処刑は、シーラ派への見せしめ。リセルグ陛下ならば、まず間違いなく処刑場に現れ、ラーンハイル伯の最期をお見届けになられるでしょうな」

 エスクは、センティアの処刑会場で、リセルグと会えといっているのだ。

 そのほうが王宮に潜入するよりも危険性は少ないかもしれない。


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