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第九百五十二話 ジルヴェールの帰還(三)

「硬い表情だ」

 レオンガンド・レイ=ガンディアが、苦笑しながらいった。

「もっと楽にしていいのだがな」

 レオンガンドのつぶやきに対し、返すべき言葉も見当たらず、ジルヴェールは少しばかり茫然とした。レオンガンドのくだけた態度は、昔の彼を彷彿とさせた。しかし、昔のままではない。昔――つまり、ジルヴェールが王宮を去る直前までの彼は、“うつけ”の仮面を纏い、暗愚の衣装を身に着けていたのだ。もっと自由で気儘に振舞っていた。いまは、くだけてこそいれ、王者としての立ち位置を見失うようなものではなかった。一挙手一投足に威厳を感じる。大国の主となったことで風格を得たのかもしれないし、それこそレオンガンドという人物の持つ本質だったのかもしれない。敵味方を騙し通すための仮の姿では発揮しようのなかった本質。だとすれば、自分はいったいなにを見てきたのだろう、なにを考えて、彼の側にいたのだろう――ジルヴェールは、己の愚かさを嘆くよりほかない。

 場所は、謁見の間ではない。

 謁見の間での会見が終わった後、ジルヴェールは、一度、王宮から出ている。王宮区画にあるケルンノール家の屋敷に赴き、執事や使用人、またジゼルコートの部下たちに挨拶をしてから、着替え、再び登殿したのだ。

 再度王宮に登殿した彼を待っていたのは、レオンガンドの側近のひとり、スレイン=ストールだった。レオンガンドの四友の中で一番年若い彼は、ジルヴェールもよく知る人物であり、レオンガンドの幼少期からの友人といってもよかった。遊び友達のひとりでもあったのだ。

「久しぶりですね。お元気そうでなによりです」

 スレインの屈託のない言動が、ジルヴェールの心を多少軽いものにしてくれたのはいうまでもない。

 彼の案内に従って進んだ先が、いまいる部屋だった。

 レオンガンドの私室であり、室内にはレオンガンドだけが待っていた。彼は、威厳に満ちた華々しい装束ではなく、簡素な(それでも高級品なのは間違いない)衣服を身につけており、椅子に座ってくつろいでいた。

 スレインも同席するのかとおもいきや、彼はジルヴェールをレオンガンドの私室に案内するためだけに登殿を待っていたらしく、彼はレオンガンドと言葉を交わすと、あっさりと私室を辞していった。困ったのは、取り残されたジルヴェールだ。政務に携わるのは、明日以降のことである。王宮に再度登殿したのは、王宮に着任したということを挨拶して回る必要があると踏んだからであり、レオンガンドとふたりきりで言葉を交わすためではなかった。もちろん、レオンガンドと話し合えるというのは、願ってもないことだ。しかもふたりきりということは、余人が介在してくることがないということであり、腹を割って話し合えるということだ。

 しかし、ジルヴェールは困った。

 単純に心の準備ができていないのだ。

「まあ、ともかく、こちらにきて、座り給え」

「はっ」

 レオンガンドが対面の椅子を指し示しただけで、ジルヴェールはいつにない緊張を覚えた。数年ぶりの再会。数年ぶりのふたりきりの空間は、あのころからは想像もつかないほどの緊迫感に満ちており、ジルヴェールの想像を遥かに越えたものとなった。

 いや、緊張することはわかっていた。しかし、ここまでのものとは思ってもいなかったのだ、まさか、レオンガンドがここまで成長しているとは想像だにしていなかった。

 無論、ジゼルコートから聞いてはいた。

 レオンガンドは、この一年で大きく成長した、と。

 ジゼルコートがジルヴェールの前でレオンガンドを賞賛するなど、普通、ありえないことだ。しかし、ジゼルコートは手放しでレオンガンドの成長ぶりを褒め称え、レオンガンドが成長したからこそ、ガンディアが大国化したのは間違いないともいっていた。

 故に覚悟はしていたはずだった。

 あの頃とは違うのだと、わかっていたはずだった。

 だが、現実は、想像の遥か上をいっていた。

 緊張の中、ジルヴェールはレオンガンドの対面の席に座った。

「そうかしこまらずともよい――いや、違うな」

「はい?」

「かしこまるな……か。どうも、昔の自分を思い出せない」

 レオンガンドは、ジルヴェールには考えもしないことをいってきた。

「昔のわたしは、どうだったのかな。ジルヴェール、君が見限るまでのレオンガンド・レウス=ガンディアとは、どのような人物だった?」

 レオンガンドの質問は、研ぎ澄まされた刃のような鋭さを持っていた。質問に含まれた言葉が鋭利なのだ。ジルヴェールはひやりとした。返答を間違えれば、首が飛ぶかもしれない。そのような緊張感が、ジルヴェールの中にある。

 もちろん、レオンガンドが受け答えの失敗で処刑するような暴君ではないことくらいはわかっているのだが。

「見限るまでの陛下……ですか」

「当時は殿下だったな。王子殿下。暗愚様。うつけの君……などとも呼ばれたか」

 彼は自嘲気味につぶやいた。暗愚様、うつけの君、などというのは、もちろん陰口以外のなにものでもない。レオンガンドの面前で吐かれる言葉ではないものの、王宮内のそこかしこで聞かれた言葉でもある。ジルヴェールの価値観を揺るがしていった言葉たちでもある。

「陛下……」

「いや、いいのさ。それでよかったんだ。わたし――いや、当時の俺は、“うつけ”でなければならなかった。病に倒れた英雄の子に、わずかでも英雄の片鱗があってみろ。たちどころに攻め滅ぼされていただろうさ」

(やはり、そういうことか……)

 この一年足らずで辿り着いた結論に間違いがなかったことに、ジルヴェールは内心安堵した。レオンガンドは、バルサー要塞の戦い以降、ひとが変わったのではない。目覚めたのではない。なにも変わってなどいないのだ。それまで、“うつけ”の仮面を被っていただけなのだ。暗愚の装束を纏っていただけなのだ。

“うつけ”の仮面を外し、暗愚の装束を脱ぎ捨てただけだ。

 ただ、それだけのことだ。

「が、そのために多くのものを失ったのもまた、事実」

 彼がいっているのは、バラン=ディアランやクリストク=スレイクスといった有能な将が、ガンディアの将来を背負うべきレオンガンドの悪評に苛まされ、国の将来に絶望した結果、国を捨て去ったことだろう。他にも数多の将兵がガンディアを去ったが、中でもこの二将は、当時のガンディアにはなくてはならない人材といっても過言ではなかった。ふたり(とナーレス)が国を捨てたことで、ガンディアは、レオンガンドの代で終わるだろうと多くのものに確信させた。

 もっとも、そういった評価がガンディアを存続させ、現在の大国化へと繋がるのだから、運命というのはよくわからない。

「まさか君まで俺の元を去るとは思わなかったがな」

 彼は少しばかり皮肉げに口を歪めた。

「そのことは、なんといって謝ればよいものかと……」

「や、謝るようなことではないよ。それだけ、俺の“うつけ”ぶりが完璧だったということだろう? 遊び友達であり、俺の半身でもあった君が世評に左右されるほどなのだ。それだけの悪評をつくり上げることができたのは、俺が、暗愚を演じ切れたからだ。違うか?」

「……その通りですよ」

 ジルヴェールは、肯定した。当時のレオンガンドは世評通りの暗愚だった。王女リノンクレアを女王にするべきだという意見もわからなくはないほどに、レオンガンドの“うつけ”ぶりは凄まじかった。当時のガンディアは、まさに国難の真っ只中にあったのだ。それにも関わらず遊び回る王子を暗愚といわずなんと呼ぶのか。

 物心付く前からレオンガンドの側にいたジルヴェールが本質を見失うほどなのだ。

 レオンガンドの演技力のほどがわかるというものだ。

「ですが、わたくしにはそれが許せない」

「ん?」

「わたくしは、陛下の、殿下の半身であったはず。殿下のためにすべてを投げ打つ人生を進むと決めたはず。人生を捧げたはずなのです。なのに、周囲の言葉に翻弄されてしまった。殿下のことはだれよりも見ているはずなのに」

「仕方がないさ。俺が“うつけ”として本領を発揮し始めたのは、互いに十代の半ば――多感な時期だった。本質を見誤るのは当然のことだよ。君に対しても暗愚に振る舞わなければならなかったのは、正直、心苦しかったがね」

「しかし……」

「いや、暗愚を演じるのは苦痛でしかなかった。それは俺ではないのだからな。俺ではないものがここにいて、愚かな振る舞いを行っている。では、俺はどこにいる? 俺はだれだ? 自問自答の日々が続いたよ。二十年。よく持ったものだ」

「二十年……」

 反芻するように発して、呆然とする。二十年。それはシウスクラウドが病に倒れ、逝去するまでの期間のことだろう。約二十年前、シウスクラウドは病に倒れた。原因もわからなければ、治し方もわからない病は、シウスクラウドを病床に閉じ込め続けた。英傑は一夜にして病人と成り果て、王都は火が消えたように静まり返った。それから二十年。

 レオンガンドは“うつけ”を演じ続けてきたというのか。

「考えられるか? 二十年だぞ。二十年」

「いえ……わたくしには、とても」

「うん。そうだろう。だれにもわからない。だれにも考えられない。それでいい。これは、俺だけの戦いだ。俺だけの苦しみだ。それでいいんだ」

 彼はひとり、自分を納得させるようにいった。その口ぶりは、ジルヴェールには痛々しく思えてならなかった。

 レオンガンドは、国王だ。

 ガンディアという大国の頂点に君臨し、数多の臣下を抱え、四友と呼ばれる側近を持つ彼の周囲には、数えきれないほどの人材がいる。しかし、彼の内心を理解するものはひとりとしていまい。心情を完全に把握し、分かり合えるものなど、どこにもいないのだ。彼は国王なのだ。国の頂点に君臨するただひとり。孤高であり、孤独。故に、なにもかもひとりで抱え込まなければならない。分かち合えるものではないのだ。

 分かち合うべき半身は、彼を見限り、屋敷に篭ってしまっていたのだから、当然といえば当然だろう。

 ジルヴェールは、己を呪った。

 だが、レオンガンドは、微笑み、こういうのだ。

「いまは、君が王宮に、俺の元に戻ってきてくれたことを祝おう」

 レオンガンドの微笑や言葉に嘘はない。

 だからこそ、ジルヴェールは衝撃を受けるのだ。ジルヴェールは、数年前、レオンガンドのあまりの愚かしさに王宮を去った人間だ。レオンガンドを見限り、あまつさえ国政に携わろうともしなかった人間だ。貴族の風上にも置けないような愚か者だ。ましてや、レオンガンドにとってしてみれば裏切り者以外のなにものでもない。そんな自分をどうしてそうも嬉しそうに受け入れてくれるのか。

 ジルヴェールは、目を伏せた。レオンガンドの目を見ていると、自分を見失いかねなかった。いま、己を見失うわけにはいかない。伝えるべきことは、伝える必要がある。

 例えば、ジルヴェールの現在の立場だ。

「陛下。わたくしは――」

 しかし、ジルヴェールは、最後まで言い切ることができなかった。レオンガンドが言い当ててきたからだ。

「ジゼルコート伯の代わり、か」

「……はい」

 肯定するしかない。

 実際、その通りのことを言おうとしただけのことだ。

 父にしてふたつの領地を持つ領伯ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブールの身代わりだった。王宮がレオンガンド主導になったことで、ジゼルコートは自分の役目が終わったと判断し、領地に戻ったのだが、その際、父は人質の如くジルヴェールを差し出すことにした。

 人質。

 間違いなかった。

 ジゼルコートは、疑念を抱かれている。

 ジゼルコートは、ベノアガルドの諜者を招き入れただけでなく、御前試合の観戦を許し、王宮主催の仮面舞踏会への参加も促している。疑われて当然であり、ジルヴェール自身、ジゼルコートの動きにはきな臭いものを感じずにはいられなかった。だが、ジゼルコートほどの人物がガンディアを裏切るとは思えないのもまた、事実なのだ。ジゼルコートほどこの国を憂い、この国のために身を砕いてきた人物をジルヴェールは知らなかった。

 きっと、なんらかの理由があるのだ。理由があって、ベノアガルドの諜者を招き入れたに違いない。それも、レオンガンドやナーレスたちにも話せないほどの理由なのであろう。だから、疑いを晴らせないのかもしれない。

 そこで、ジゼルコートはジルヴェールを王宮に差し出した。

 ジルヴェールは、ケルンノール家の次期当主だ。次期当主ならば人質として申し分ない。疑念を疑念のままで押しとどめることができる。疑念が疑惑に変わり、追及が始まれば、たとえなんら後ろめたいことがなかったとしても、ジゼルコートは身の破滅を迎えるかもしれない。そうならないように水際で食い止めておく必要がある。

 そのためのジルヴェールの王宮行きといってもよかった。

「だが、君は君だ」

 レオンガンドは、突如、椅子から立ち上がった。こちらを見下ろす目は、優しい。

「君は、君としてわたしに忠を尽くしてくれるのだろう?」

「はい。無論にございます」

 ジルヴェールは、即答して、立ち上がった。ジゼルコートの代わりに王宮で務めることになったときから決めていたことだ。いや、もっと以前から、決めていたことなのだ。それこそ、物心ついた時には、それがすべてだった。

 レオンガンドに忠を尽くすべし。

 それがジルヴェールの人生の始まりであり、終わりであるべきなのだ。

 それなのに、愚かな気の迷いが、彼を人生の目的から遠ざけてしまった。

 ようやく、本来のあるべき場所に戻ってきただけのことだ。

 レオンガンドは、ジルヴェールの返答に嬉しそうな笑みを湛えた。レオンガンドのそういった表情のひとつひとつが、ジルヴェールの心に染み渡るようだった。何年も前に見限った相手に見せる表情ではない。その程度の裏切り行為など、なんとも想っていない、とでもいうのだろう。

 それこそ、王者の風格といってもいいのかもしれない。

 器が違うのだ。

「ジルヴェール。子供の頃に語り合った夢を覚えているかな」

 レオンガンドは、語りながら、室内を歩いていく。向かう先には大きな窓があり、帳がかけらている。ジルヴェールも立ち上がって、レオンガンドの後に続いた。

「夢……でございますか」

「ああ、夢だ」

「もちろん、覚えています。ハルベルク殿下やリノンクレア様とともに語り合いました」

 幼き日、レオンガンドの周囲には、同年代の子供が大勢いた。レオンガンドの三つ離れた妹であるリノンクレアに、ジルヴェールとジルヴェールの弟ゼルバード、それにルシオンの王子ハルベルクなどだ。スレイン=ストールも混ざることがあった。王宮の中を走り回ったり、王家の森を探索したり、子供たちにとってしてみれば、広大極まる王宮区画は、ただそれだけで無限の可能性を秘めた遊び場だった。

 そんな遊び場で将来の夢を語り合うことは、少なくなかった。

「夢。子供の夢さ。明確な形もなく、漠然としたものだったが、いまわたしを突き動かすのは、その夢なのだよ」

 レオンガンドは、懐かしそうに目を細めながら、窓の帳を開いた。窓硝子の向こう側には青ざめた空が広がり、あざやかに輝く白い雲の群れが夏の兆しを覗かせている。

「ジルヴェール。夢の実現のため、わたしに力を貸してくれ」

「はっ」

 ジルヴェールは、こちらを一目見たレオンガンドの姿に、終生の主を見出した気がした。



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