第九百四十八話 不穏
龍府は、大陸の都市の例に漏れず、四方を堅牢な城壁に囲われている。
四方の城壁にはそれぞれ門があり、ときには龍府の内外を隔て、ときには龍府の内外を通じさせた。四門と呼ばれる。北方黒門、西方白門、南方朱門、東方青門の四門である。もっとも、黒門や白門というより、北門や西門のほうがわかりやすいため、そう呼ばれることのほうが多い。龍府の住人ですらそう呼んでいるのだから、外部からきた人間が本来の名称で呼ばないのは当然といってもいい。
それら四門は、観光都市龍府の名に恥じない壮麗さで知られている。
ミリュウがレムとともに向かった南方朱門もまた、華美壮麗な門だった。龍府内部の建造物の例に漏れず龍を象徴する意匠が各所に散りばめられた巨大な門は、朱門の名の通り朱色に染め上げられており、陽の光を浴びてあざやかに輝いているようだった。南からくる観光客は、まずこの門に度肝を抜かれるらしい。
「いつ見ても派手よね」
ミリュウは、朱門のあざやかさに毎度のことながら呆れる思いがした。何百年も前から変わらない色というわけではない。何度も何度も、それこそ気が遠くなるほど何度も塗り直され、いまの色彩が保たれている。朱門だけではない。龍府の建物のほとんどがそうだ。数百年に渡る長い歴史を誇る古都の建造物は、その色彩を失わないよう、何度も塗り直され、あるいは改装、改築を繰り返して数百年の時を越えてきたのだ。でなければ何百年も美しい景観を保つことなどできまい。
「まるでミリュウ様のようでございますね」
「だれが派手で色っぽくてだれもが見とれるほどの美人だって?」
「なにもそこまでは申し上げておりませんが」
「奇遇ね、あたしもそこまでいわれた記憶がないわ」
ミリュウは言い返してから、多少、勝ち誇った。レムを言い負かせることができたのは、これが初めてかもしれなかった。
朱門の下、人通りは皆無といっていい。龍府は、観光都市として扱われ、大々的に喧伝されている。国内のみならず近隣の国々からも観光目当てで訪れる人々がいるほどだ。しかし、毎日毎時、門の内外を出入りする人間がいるわけではない。そもそも、城壁の外には皇魔をはじめとする脅威で溢れている。一般人が気軽に出歩けるような状況とは言いがたいのだ。無論、ガンディアも観光都市と銘打つ以上、龍府の周辺に存在する皇魔の巣は徹底的に潰すようにしているものの、皇魔の巣が存在するのはなにも龍府の周囲だけではない。ガンディア国内にも数多にあれば、国外にも無数に存在するといわれている。それらを根絶することができなければ、非力な一般人が城壁の外を闊歩することなどできないのだ。
では、観光客はどうやってこの龍府を訪れているかというと、簡単な話だ。屈強な戦士を雇い、龍府までの護衛をしてもらうのだ。龍府観光に訪れる人間というのは、基本的に裕福な人間といっていい。その有り余った金を用いれば、護衛を雇うことくらい造作もない。護衛は、皇魔対策のみならず、野盗に対する牽制にもなった。
また、個人で龍府に訪れるものも少ない。たとえ裕福でなくとも、金を出し合って護衛を雇うということも不可能ではなかったし、そういった観光客も少なくはなかった。
エリナがどのようにしてこの龍府を訪れるのかは知らないが、いずれにしても、彼女とその家族だけでここまで来るということはないだろう。
「ミリュウ様」
「なによ」
レムの改めた口調に、ミリュウは横目に彼女を見た。朱門の真下の壁際にふたりは立っている。門の影の中、通り抜ける風が少しばかり肌寒い。
レムを横目に見た際、朱門の門兵がこちらの様子を窺っているのがわかった。しかし、レムとミリュウのふたりを見ているというよりは、彼女たちの隣の二人組を警戒しているようだった。
「ここのところ、機嫌が良さそうにございますね」
「そう?」
「はい。わたくしにはそう見えます」
「そういうあんただって、同じようなものじゃない」
ミリュウは、否定はせず、胸の前で腕を組んだ。手持ち無沙汰なときについつい取ってしまう姿勢であり、特に意味はない。
レムも、特に否定はしてこなかった。
「……そうかもしれませんね」
「まったく、人の気も知らないと思ったらさ、案外周りの人のことまで考えていたりするから、よくわかんないのよねー」
ミリュウは、大袈裟にいってから、胸の前で組んだ腕を見下ろした。右手首に装着した銀の腕輪が目に留まる。北の大地の技術によって作られたという精巧な銀細工の腕輪は、セツナからミリュウへの贈り物であり、遅い誕生日の贈り物といってもよかった。特別なにかが彫られているわけでもなければ、凝った作りになっているわけでもない。一見ただの銀の腕輪なのだが、ミリュウにはそれで十分だった。なにもいらないと思った。そこにセツナの気持ちさえあれば十分だったし、ほかに必要なものなどない。むしろ、なんの変哲もない銀の腕輪だからこそいいのではないか、と思わないでもなかった。
その銀の腕輪を見ているだけで心が暖かくなったし、気持ちが安らいだ。セツナが自分のことも思ってくれているということがよくわかるからだ。ファリアだけを見ているわけではない。いや、そんなことはずっとわかっていたことだ。彼は、自分の周りにいるひとのことをよく見ている。それこそ、ミリュウ以上によく見ているし、理解しているのだ。
「本当にその通りでございます」
レムもまた、セツナから贈り物を貰っている。マリク=マジクの話によれば、彼がセツナから頼まれたのは三月半ばのことだ。レムがセツナによって再蘇生された後のことであり、主従の契りを結んでもいた。セツナが彼女のために贈り物を考えるのも当然といえた。マリアやエミル、ルウファ、ゲイン=リジュールの分まであるのだ。レムへの贈り物がないわけがなかった。
彼女がセツナからもらったのは、銀の首飾りだった。黒と白を基調とする衣服によく映えていた。
『首輪ならなお良かったのですが』
という彼女の発言には、だれもなにもいわなかったが。
ミリュウは、そんなことを考えながら、エリナたちの到着を待っていた。エリナは、母親のミレーユ=カローヌ、サリス=エリオンとともに龍府を訪れるという話だった。南方朱門で待っていればいいということだが、彼女たちがどういう経路を辿っているのかまではわからない。
エリナは家族ともども王都で暮らしている。元々、ガンディオン近郊のカランという街の生まれであり、そこに住んでいたというのだが、カランが大火に見舞われた後、保護者としてエリナ母娘を見守っていたサリス=エリオンの王都への転勤に伴い、王都に移住したという。ミリュウが王都にいる間、毎日のように修行――というよりは語学の訓練といったほうが正しいが――することができたのも、エリナが王都に住んでいたからだった。しかし、王都を一歩離れれば、修行に付き合ってあげることはできなくなる。セツナの領地となった龍府を訪れるのは良かったのだが、師匠の勤めを果たせなくなるのは、辛い話でもあった。
彼女を一人前の武装召喚師に育て上げることは、ミリュウの人生の目的のひとつとなっているからだ。
「ところで、なんであんたたちがここにいるわけ?」
ミリュウは、隣の二人組を睨みつけるようにして、見た。隻腕の仮面の男と喪服のような黒衣を纏った女が立っている。カイン=ヴィーヴルとウルだ。セツナの誕生日の夜に開かれた宴でも目撃した二人組は、王都に帰還するでもなく、龍府に滞在し続けている。《獅子の尾》同様、長期休暇中なのかもしれないし、任務中なのかもしれない。いずれにせよ、ただ立っているだけで物騒な二人組には、こんな場所にいてほしくないというのが、ミリュウの気持ちだった。
「愚問だな。俺達がどこにいようと俺達の勝手だ」
「そうでございます、ミリュウ様。わたくしたちは、ただ龍府観光を楽しんでいるだけですわ」
「この女の言うことは真に受けなくていい」
「あら、わたしがいつ嘘をついたのかしら?」
「存在そのものが嘘みたいなものだろう」
「あ・な・た、も、嘘みたいなものではございませんか」
「否定はせんさ」
ふたりのやり取りは相変わらずだった。仲がいいのか悪いのかわからないような冷ややかな言葉の応酬は、見ているこちらが冷や冷やしてしまう。
カイン=ヴィーヴルは軍属の武装召喚師だが、その仮面の下には、残忍な本性が隠されている。カラン大火を引き起こした張本人こそ、カイン=ヴィーヴルの正体であるランカイン=ビューネルなのだ。カランという小さな町を焼き尽くし、大量殺戮を行った男を平然と扱うレオンガンドには、恐ろしさを感じないではない。が、それもランカインが裏切らないという確証があればこそだろう。彼は、隣に断つ黒衣の魔女によって支配されているのだ。だからこそ、彼はガンディアに忠誠を誓い、ガンディアのために片腕を捧げたのだ。でなければ、末席とはいえ、五竜氏族に名を連ねていた家の男が、ガンディアなどという弱小国のために戦うわけもなかった。
「確かに勝手だけどさ」
ミリュウが嘆息したのは、エリナのことを想ったからだった。
エリナは、カインの正体を知らない。それどころか、ランカイン=ビューネルが処刑されたと信じている。多くの国民と同じように、ガンディア政府の発表を信じているのだ。それは、いい。世の中には知らなくていいこともあるし、真実を知ることがすなわち救いに繋がるわけではない。嘘で塗り固められた世界にいるほうが余程安定していられるかもしれない。
真実ほど鋭い刃はない。
知れば知るほど身を切られ、刻まれていく。
心がばらばらになってしまうことだってありうる。
特にエリナのような純粋な心の持ち主ほど、そういった真実に脆く、弱い。
「ミリュウ様は、カイン様が苦手なのでございますか?」
「んー……そういうことじゃないんだけどね」
ミリュウが言葉を濁した直後、門兵が動き出した。見ると、遠方から馬車の一団が近づいてきていた。おそらく、エリナたちだろう。馬車の数を見るに、エリナとその保護者たちだけで龍府を訪れたわけではないようだった。
それはそれで当然ではあるのだが。
妙な胸騒ぎを覚えたのは、荷馬車の数が想像よりも遥かに多かったからだ。