第九百四十七話 運用術(四)
「と、いうことで、俺の運用術は根本から否定されたわけですが」
「え? 根に持つんですか?」
「いやいや、そういうわけではなく」
エインの朗らかな笑顔が、むしろ不安を煽ってくるのだから、美少年というのもたちが悪い。やはり、セツナくらいがちょうどいいのだ。セツナの容貌は整っているとはいえ、美形とはいえない顔立ちだった。が、魅力がある。あの紅い目などは、見ているだけで意気を吸い込まれそうになることがあるほどだ。それが贔屓目なのはわかっているし、結局のところ大事なのは好悪の情であり、容姿などではないということもわかっている。
要するにセツナがどのような容貌であったとしても、好きになっただろうということだ。
「ファリアさんなりの運用術を考えておいてください」
「はい? なんでわたしが?」
ファリアは、唖然とせざるを得なかった。さすがにそういった言葉は想像もできなかった。
「そこはほら、その道の専門家に任せたほうが、いろいろと都合がいいじゃないですか」
「えーと……それはそうかもしれないけど、戦術とか戦略とか、無縁の世界で生きてきたんですよ?そんなわたしに武装召喚師の運用法が考えつくかしら」
「そこらへんはルウファさんと話し合って、ですね」
エインがお茶を濁すようにいった。要するに武装召喚師は専門外だから、専門家に丸投げしてしまえ、ということなのだろう。あるいは、専門家からの意見を募った上で、参謀局で戦術や運用術を練るという話なのかもしれない。そう考えれば、わからなくはない。
これまで武装召喚師も上手く活用してきたのがエインを始めとする参謀局の面々だが、今後増大するであろう武装召喚師を的確に運用するには、武装召喚師側の意見も重要だということに違いない。
「なるほど。ルウファに任せておけばいいわけね」
「え?」
「わたしは隊長補佐としての仕事があるし、そうよね、それが一番だわ」
「ルウファさん、不憫だなあ」
「不憫もなにも、ルウファが一番幸せを満喫してると思うけど」
「そうなんですか?」
「そうなのよ」
ファリアが断言すると、彼は気まずそうにお茶を啜った。湯気も立っていないところを見ると、随分話し込んでしまっていたらしい。
「そういえば……」
彼は、事務室内を見回しながら、ぽつりといった。
「セツナ様成分が不足してますしね」
ファリアはがっくりと肩を落とした。エインの意味深気な言動から想像していたものとまったく異なる類の台詞が耳に届いたからだ。確かにセツナはいないが、それはなにもこの事務室に限った話ではない。セツナは、ガンディアから消えたのだ。
「あなたまでそんなこというのね」
「はい?」
「いえ、こっちのことです」
ファリアは、藪蛇を恐れて話を一方的に打ち切った。セツナ成分とは一体なんなのか。昨日からそんなことを考えている自分がいることに、ファリアは憮然とする。なにもかもレムが悪いのだ。レムがそんなことをいうから、考えてしまう。考えざるを得ない。
セツナのことばかり、脳裏に浮かんでは消えた。
「ところで、ファリアさん」
「なんでしょう?」
「最近、心なしか元気になってません?」
「え? そうでしょうか?」
「なんだか、その眼鏡をかけはじめてからというもの、心持ち、弾んでいるように見受けられるのですが」
「そ、そんなことはない……と……思う……」
しどろもどろになりながら、ファリアは眼鏡の縁に手をかけた。無意識に外しそうになって、慌てて止める。指摘されたからといって眼鏡を外す必要はなかった。なくても困らないが、つけていて困るものでもない。むしろ、つけていたいと想っている。
彼の想いが込められている気がするからだ。
北の地から届けられた誕生日の贈り物。彼がファリアの預かり知らぬところでマリク=マジクに頼み込み、調達させ、届けさせた代物。もちろん、彼の手作りなどではないし、彼が選んだものでもない。しかし、そこに彼の思い遣りを感じないわけにはいかない。
愛を感じる。
それは思い過ごしかもしれない。ただの勘違いかもしれない。でも、それでも良かった。ただ、感じているだけなのだから、それでいいのだ。
「ファリアさんだけじゃなくて、皆さん元気ですよねー。セツナ様がいないのに」
エインが指摘する通りだった。
十一日、マリク=マジクによって贈り物が届けられてからというもの、《獅子の尾》の面々は、セツナの不在を思わせないほどの活力を取り戻していた。贈り物を届けられたのはファリアだけではないのだ。セツナがいかに仲間を大切に想っているかがわかるというものだった。
「セツナが不在だからといって悲観してても仕方がないでしょ」
「それもそうなんですけど」
そのときだった。
「説明しよう!」
「しましょう!」
「わ」
エインが驚いて声を上げるのも無理はなかった。ファリア自身、突然机の後ろから姿を表した二人組に度肝を抜かれる思いがしたものだった。お茶を口に含んでいたら、吹き出していたに違いない。運が良かったといっていいのかもしれないが、こんなことで幸運を使いたくもないと思ったりもする。それに、二人組の登場は幸運といえるのかどうか。
二人組とは、ルウファ・ゼノン=バルガザールとエミル=リジルのふたりであり、長期休暇を満喫中のふたりは、龍府観光に出歩いているはずだったのだが。
「それは、隊長から贈り物が届いたからなのだ!」
「なのです!」
「……なに、なんなの、ふたりして」
「本当、なんなんですか。それに贈り物ってなんです? 俺、もらってませんよ?」
「ふっふっふっ……それは残念でしたな。さすがの隊長も隊外の人にまで気が回らなかったのでしょう」
「仕方がないですよね、さすがに隊外の人まで考えだすと、膨大な数になりかねませんし」
「そうそう。俺だってもらえるとは思ってもなかったし」
「はい、わたしもです」
至極嬉しそうなふたりの様子には、さすがのエインも開いた口がふさがらないといった有様だったが、それはファリアとて同じだった。ここ数日のふたりの熱烈ぶりには、普段のふたりの様子を見慣れているはずの《獅子の尾》の面々ですら満腹感を覚えずにはいられなかったし、耐えられるものではなかった。
エインが妙に深刻そうな顔つきで尋ねてくる。
「……なんであのふたりはあんなに?」
「セツナからの贈り物が届いてから、あんなに」
「あんな、とは失礼だな、まったく」
「そうですよ! わたしたちはただ、セツナ様からの贈り物に感謝しているだけですよ!」
「見よ、この神々しい輝き!」
「これぞまさに神の光!」
といってふたりが掲げた手の薬指には、銀の指輪が輝いていた。二組一対の指輪は、ルウファとエミルのためだけに作られたものであり、シルフィードフェザーを象徴するような翼の意匠が可愛らしかった。ふたりは、その指輪を手に入れた瞬間から、このような姿に成り果ててしまったのだ。
「おお、美しい!」
「ああ、素晴らしい!」
ふたりして歓喜の声を上げる様を見遣るエインの表情は、形容しがたいものがあった。まるでこの世の終わりでも見ているかのようであり、またはこの世にあらざるものを発見したかのようでもある。
「……ファリアさんも大変ですね」
「わかってくれて嬉しいわ」
ファリアは、嘆息とともにお茶を啜った。冷めたお茶の微温さは、この奇妙な熱気に覆われかけた空間では冷ややかといっても過言ではないくらいの温度差があった。
「まるで世界中がふたりを祝福してくれているような感覚!」
「わたしたちだけ幸せを満喫してしまって申し訳ありません!」
熱気の元凶は、さらに室内の温度を上げていくかのようであり、そんなふたりの勢いについていく気にもなれず、ファリアは憮然と告げた。
「全然まったくこれっぽっちもそんなこと思ってないでしょ」
「やだなあ、そんなことあるわけないじゃないですか」
「わたしたちだって、セツナ様のことは心配してますよ」
「セツナのことは、ね」
『はい!』
「もう、いいわよ、それで」
適当に話を終わらせて、エインに視線を戻した。未来の軍師を目指す少年は、困ったような表情のまま菓子を手に取り、沈黙していた。
さすがの軍師候補も、ルウファとエミルの姿にはついていけないらしかった。