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第九百四十話 シーゼルにて

「すまん」

 セツナの謝罪は、あまりに唐突だった。

 シーラは、きょとんとした。予想だにしない発言であり、同時に、彼に謝られる理由も思いつかなかった。そちらを見ると、頭を下げてさえいる。頭の上に乗っているドラゴンが振り落とされまいと必死になっている様が視界に入ってくるが、いまはそちらよりも、少年の姿勢の方に集中する。

「なんで謝るんだ?」

 それは、シーラの正直な感想だった。

 セツナがシーラに対して謝ることなどなにひとつなかった。むしろ、こんな騒ぎに巻き込んでしまったシーラこそ、彼に謝っても謝りきれない状態にあるといってもいい。セツナは、長期休暇のまっただ中だったのだ。クルセルク戦争の疲れを癒やすための長期休暇。今月いっぱいは、休暇を満喫する予定だったはずだ。それなのに、シーラのわがままでこんなところまでやってきて、屈強な傭兵たちと格闘するはめになってしまった。それだけではない。今後のことも考えると、彼には迷惑をかけること請け合いだった。

 シーラは彼に歩み寄り、必死になって髪の毛を掴み、落下しまいとするワイバーンを両手で包み込んだ。シーラの体温を感じたからか、彼はセツナの髪から足の指を離すと、シーラの手の中でほっと息を吐いた。緑柱玉のような外皮が美しい小飛龍は、その動作のひとつひとつが愛らしい。尊大な態度ひとつとっても、愛嬌に満ちている。とても万物の霊長たるドラゴンとは思えないが、それは体が小さいからに違いなかった。そして、そんな小さな姿だからこそ、こうやって一緒に行動できるのだ。もし、彼が巨体のままセツナの下僕となっていれば、こうして一緒に行動することはなかっただろう。

 ただし、別の方法で使い道はあった。彼は飛龍だ。上空を移動すれば、国境を突破するのも難しいことではない。そんなことを考えたのは、ラグナが愛嬌いっぱいに翼を広げ、セツナの肩まで飛んでいったからだが。

「正体をバラしちまっただろ」

「なんだ、そんなことか」

「そんなことっていえるようなことじゃないだろ」

「いや、そんなことさ」

 シーラは、セツナの優しさに笑みさえ浮かべた。彼にはそんなつもりもないのだろうが、シーラはそう感じた。セツナが優しいことは百も承知だったし、だからこそ多くのひとが彼を慕い、彼の周囲に集っているということも理解している。そして、そんな彼だからこそ、シーラは彼を頼り、彼に縋ったのだ。

(いまも、縋り付いている)

 そんな自分の卑しさがたまらなく嫌になる。

 が、いまはそうするほかなかった。彼を頼り、彼に縋る以外の選択肢はなかった。考えられなかった、という意味で、だ。

「そりゃあ、正体を隠し通すことに越したことはなかったさ。けどな、ああなった以上、隠し通せるもんじゃない。別人だと言いはっても、エスクには通用しなかっただろうしな。セツナの判断は間違っちゃいなかったよ」

 あのときは、セツナの判断を恨みこそしたものの、冷静になって考えて見れば、ああするのが最適解だということは明らかだった。ほかに道などあろうはずもない。別人だといいはってあの場から逃げ出したところで、シーラであると認めるようなものだ。また、頭巾を被ったまま正体を偽ったところで、エスクはまったく信用しなかったに違いない。そして、シーラたちを怪しんだ彼がどのような行動に出たのか、想像するだに恐ろしい。シーラの生存を言い触らされたかもしれないし、王宮に報告された可能性だって少なくはない。そうなれば、それこそシーラたちの行動はご破算になる。王宮の警備が厳重になるだけではない。シーラを捜索するための部隊が編成されるだろうし、その追及は厳しいものとなるだろう。そうなっては、王宮に潜入し、国王に逢うという目的を果たすのは、困難極まりないものとなる。

 それに比べて、現状は、どうだ。

 シーラは、セツナの右肩でくつろぎ始めたドラゴンを見てから、室内を見回した。

 宿の一室。決して安い宿ではない。路銀は多く用意してあったし、安宿では疲れも取れないだろうということで、シーゼルの宿の中では中の上といったくらいの宿に部屋を取っている。二人部屋なのは、夫婦を演じている以上仕方のないことだ。新婚夫婦が別々の部屋に寝泊まりしていたらさすがに怪しまれるだろう。

 シーゼルへの進入を果たした直後に探し出したのがこの宿だった。そして、数時間あまりくつろいでいる。龍府を出てからというもの野宿の連続だった。当然のことだったし、覚悟も決めていたことではあったが、野営地で寝泊まりするのとは勝手が違い、心身への負担は想像以上に大きかった。絶えず監視を立てて置かなければならなかったし、いつ皇魔に出くわすのかもわからない。常に緊張感があった。街に着くまでの辛抱だと言い聞かせてようやく乗り越えてきたのだ。

 やっと、人心地がつける場所に巡り会えた。汗を流し、服を着替え、それから数時間、寝台で寝ている。二人部屋とはいえ、寝台は大きいのがひとつあるだけで、寝るときは少しばかり苦労した。セツナは床に寝るといって聞かなかったが、それでは疲れが取れるわけがないと説得して、寝台で寝かせたことを思い出す。緊張して中々寝付けなかったのは、シーラだけのようだが。

 情報収集に出かけたのは、それからのことだった。市内を歩き回り、辿り着いたのがあの酒場だった。《銅の揺り籠》という名の小さな酒場に入ったのは、客が数多く入っていたからだ。情報を集めるには、人の多い場所がいいに決まっている。もちろん、その客が全員シドニア傭兵団の傭兵たちとは知る由もかった。

 荒くれ者の傭兵たちに絡まれたのは、運の尽きだったのか、ついていたのか。

 どちらにせよ、ドーリン=ノーグとその一味との戦いが、エスク=ソーマと知り合うきっかけになったのは、間違いない。そして、エスク=ソーマと出会ったことは、シーラたちに大きな収穫をもたらした。

 シドニア傭兵団の団長代理を務めるエスク=ソーマは、シーラの正体を看破こそしたものの、セツナとの駆け引きによって、傘下に収めることに成功した。彼の内心はどうあれ、部下の命が惜しければ、セツナに従うよりほかはないのだ。もっとも、セツナが本当にソーマの部下を手に掛けるとは、シーラには思えなかった。戦場ならば鬼のように敵を屠る彼だが、戦場以外で、およそ無関係の人間を殺すことができるのだろうか。

「それに、エスクが情報の提供を約束してくれたのは、セツナがああやって俺の正体を明らかにしたからだろうしな」

 セツナがシーラの正体を明らかにしたから、シーラも、彼に状況を説明する機会が生まれた。

 そのためには、処刑されたはずの彼女がなぜ生きているのかを説明しなければならなかった。もちろん、すべてを明らかにしたわけではない。しかし、シーラが生きているということが明らかになっている以上、隠さなければならないことは少なかった。

 彼女が生きているのは、ラーンハイル・ラーズ=タウラルの意向によるところが大きい。いや、それだけといっても過言ではない。ラーンハイルがシーラの生を望まなければ、彼女は、エンドウィッジの戦いに参加せずとも、どこかでみずから命を絶っていたかもしれない。

 それほどまでに追い詰められていた。

 シーラは生まれてこの方、国のために生きてきた。アバードのためだけに。そのすべてを否定された以上、生きることに意味などあろうはずもなかった。

 それでも、生きている。

 生きなければならなかった。

 それが、ラーンハイル・ラーズ=タウラルの望みであり、彼女のために命を捨てたものたちの願いであるからだ。自分のためではなく、ラーンハイルやレナ、セレネ、侍女たちのために生きるのだ。自分のためには生きられなくとも、死んでいったものたちの願望を叶えるためというお題目があれば、生きることに執着できる。だからこそセツナに縋るという道を選んだのだが、それは伏せた。

 エンドウィッジの戦いで捕まり、王都で処刑されたのがレナ=タウラルだということを伝えると、彼は痛ましい顔をしたものだった。シドニア傭兵団の一員としてタウラル要塞に長らく滞在していた彼は、レナ=タウラルがどのような人物なのかもよく知っていたのだろう。レナは詩歌を愛する心根の穏やかな女性だった。そんな彼女がシーラに扮装し、戦場に出、処刑されたのだ。彼女とは無関係といってもいいエスクが痛ましい顔をするのも、当然といってもよかったのだろう。

 それからガンディア領内で隠れ住んでいた、ということまでは伝えた。しかし、セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドの庇護下で、領伯近衛・黒獣隊の隊長を務めることになった、などとまでは明かしてはいない。そんなことをいえば、勘のいい彼には、隣にいる黒髪の少年がセツナだということまで露見してしまうのではないかという恐れがあった。もっとも、ガンディア国内にラーンハイルの知人がいて、その知人に匿われていたというのも嘘ではないのだが。そして、嘘ではないからこそ、エスクが疑問を挟んでこなかったに違いなかった。これが一から十まで嘘であれば、彼に追及されただろう。その追及がシーラたちにとって痛手になるとは限らないが。

 ガンディアで隠れ住んでいたシーラがなぜアバード領内に舞い戻ってきたのかについては、彼は即座に察した。ラーンハイル・ラーズ=タウラルとその一族郎党の公開処刑については、一般に知らされていたらしく、彼の耳にも入っていたようだった。

『お気持ちは痛いほどわかりますがね』

 エスクの凍てついたような目が、網膜に焼き付いている。

『領伯様の望みがシーラ様の生存ならば、シーラ様がその願いを聞き入れたのならば、戻って来るべきではなかったのでは?』

 エスクの言葉の意味もよく理解できた。彼の言うことももっともだった。ラーンハイルやレナ、セレネといった彼女の生存に命をかけ、散っていったものたちのことを想うのならば、息を潜めているべきなのだ。息を潜め、すべてが終わるのを待つべきなのだ。わざわざアバード領内に舞い戻り、命を危険に晒す必要はない。せっかく生かされたのだ。様々な思惑によって、生かされているのだ。

 アバード王宮が、エンドウィッジで捕らえたシーラが偽物であることに気づかないはずがない。それでもシーラ・レーウェ=アバードとして処刑し、公表したのは、本物のシーラを生かそうという思惑が働いたからだ。でなければ、レナをシーラとして処刑する理由がない。偽物だと公表し、本物の創作を始めたはずだ。だが、アバード王宮はそうしなかった。それどころか、シーラの捜索すらしていないようなのだ。それらの行動にはなんらかの意図があり、思惑が働いているのは間違いない。

 だが、その本物のシーラがアバード国内にいることが判明してしまえば、どうなるか。すぐにでも捕獲し、殺さざるを得まい。反逆者シーラを生かしておく道理はない。

 むざむざ殺される可能性の中に飛び込むなど、正気の沙汰ではない。それこそ、レナたちの死を無駄にしかねない。

(そんなことはわかってるさ)

 わかりきっているといってもいい。百も承知だ。正体が明らかになれば捕まるだろうし、捕まれば殺される。殺されれば、彼女のために命を投げ打ったものたちの死は無意味なものと成り果てる。魂は浮かばれず、絶望の中に浮遊し続けるだろう。しかし、それでも、黙っていられる状況にはなかった。

(これ以上、俺のために死んでほしくないんだ)

 そういうと、エスクは薄く笑ったものだ。覚悟が足りない、とでもいうのだろうし、実際、それは自覚するところだ。シーラはこれまで、数多の死を見てきている。王家のため、国のために死んでいったものたちをその目に焼き付けてきている。何十人、何百人と、アバードという国のために散った。クルセルク戦争では、それこそ、数えきれないほどの将兵が死んでいる。だが、それらの死は、彼女のために、ではない。この国のためであり、王家という虚空に輝く概念のために死んでいったのだ。

 今回のこととは違うのだ。

 レナやセレネ、侍女たち、そしてエンドウィッジの戦いで散っていったものたちは、明らかにシーラのために死んでいった。そして、ラーンハイルと彼の一族郎党の公開処刑も、シーラに関わったがためのものなのは、疑いようがない。

 堪えられなかった。

 これ以上、自分のためにだれかが死ぬことは、許容できないのだ。

『そのために陛下に直訴を……ねえ。まあ、リセルグ陛下なら、シーラ様の言葉にも耳を傾けてくださるでしょうが』

 問題は、どうやってリセルグと対面するかだ。現在、リセルグは王宮にいるという。王宮は、王都バンドールの北側にある。つまり、王宮に忍び込むには、王都の堅牢な城壁と突破し、なおかつ王都の厳重な警備を攻略したうえで、王宮の防御を超えなければならないのだ。簡単な話ではなかったし、エスクも、そんなことをたったふたりでやろうとしていたことには呆れ果てたようだった。

 シーラは、手近にあった椅子に腰を下ろすと、セツナも座るように促した。セツナは不承不承といった様子で隣の椅子に座ると、自分の肩に手をかざした。ラグナがその手に飛び移り、さらに頭の上に移動する。やはり彼はセツナの頭の上がお気に入りらしい。そして、セツナもそのほうがしっくりくるらしい。よくわからないが、どうやら、そういうことのようだ。

「だといいんだが」

 セツナが自信なさげにいったのは、エスクを信頼していいかどうか、いまのところ不透明だからだろう。

 とはいえ、エスクは、いまのところシーラたちに協力的な態度を見せていた。王宮の内情を探るために団員を動かすと約束し、情報が集まり次第、セツナたちに知らせるといってくれていた。無償ではない。セツナは、エスクの働き次第では多額の報酬を支払うと約束し、前金として、路銀とは別に用意していた資金の一部を手渡している。エスクは、前金だけで半年は遊んでくらせそうだと喜び、同時にセツナを見る目を変えたようだった。一介の武装召喚師が用意できる金額ではない。が、それはシーラの同行者ということで納得してくれたようだった。死んだはずの王女を匿っていられるほどの人物が、ただの武装召喚師なはずもない。

 セツナの正体は当然、隠したままだ。明らかになれば、さすがのエスクといえど、アバード王宮に報告するに違いない。

「なに、いざとなったらセツナが全部やっつけてくれるんだろ?」

「気楽にいってくれるな」

「頼りにしていますわ、旦那様」

 シーラは、わざとらしく隣のセツナに寄りかかり、目を閉じた。多少、疲れが出ている。自分が戦ったわけではないというのに、だ。セツナのことを心配し続けたことが心労となって現れたのかもしれない。セツナが一流の戦士であり、酔っ払いに負けることはないと信じてはいても、心配はするものだ。

(無事でよかったよ)

 彼の肩に頭を預けながら、シーラは胸中でつぶやいた。

「期待には応えるけどさ」

 セツナの困ったような反応に、シーラは微笑を浮かべた。

 不意に聞こえた嘆息は、ラグナのものに違いない。

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