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第九百三十八話 シドニアの傭兵(六)

「おうてめえら、店の中はきっちり片付けとけよ! 俺はこの客人と大事な話があるんでな!」

 エスク=ソーマが既に店内の片付けを始めていた男どもに向かって大声を上げたのは、彼とセツナの戦闘が終わり、店内に漂っていた緊張が消え去ってからのことだった。

 女がいなくなったことで自由の身となったシーラは、服の中のラグナが目立たないよう、お腹を抱えるようにしてセツナの側に赴き、彼の背後に身を隠すようにして、状況を見守っている。セツナの外套の背中辺りがぼろぼろで、使いものにならないとまではいかないにせよ、見た目にも決して良くない状態になっていた。さすがに着替えまでは用意していないものの、外套くらいならすぐにでも買い換えられるだろう。路銀だけは有り余るほど用意してある。もちろん、セツナの懐に、だが。

「団長代理、いくらなんでもそれは酷くないですかねえ」

 不満の声を上げたのは、ドーリン=ノーグだ。部下と一緒に机や椅子を運んでいた彼だが、エスクが発言したことで、ここぞとばかりに不服をぶつけたようだった。

「元々てめえらが人様の店で暴れたのが悪いんだろ」

「こんなふうになったのはだれのせいなんだ、といいたい」

「おう? 俺のせいだってのか?」

「十中八九そうでしょうが」

 ドーリンの言にうなずきたくなったものの、シーラは黙っていた。目の前のセツナも沈黙している。至極どうでも良さそうな態度は、彼にとってこの状況が喜ばしくないものだからに違いない。彼にとって、ということは、すなわち、シーラにとっても芳しいものではないということに相違なかった。実際、正体を隠し通さなければならないシーラにとって、少しでも目立つのは避けたいところだった。騒ぎを起こしたくはなかったし、渦中の人物になるなど以ての外だ。しかし、こうなってしまった以上、成り行きに身を任せるほかはない。ここで店の外に飛び出し、姿をくらませようとすれば、それこそ大騒ぎに発展するだろう。そんな気がした。

「そうだったか?」

「俺に聞くなよ」

 エスクの問いに即答して、セツナはため息を浮かべた。エスクは、傭兵たちを見回すと、彼らを指揮する女に声をかけた。

「レミル?」

 レミルと呼ばれた女は、エスクの呼び声を聞くなり、全身に緊張を走らせた。振り向き、姿勢を正し、敬礼さえ忘れない。エスクに対する反応の良さは、ほかの傭兵たちとは比較にならなかった。

「ドーリン隊長以下、十二番隊士が原因かと思われます」

「ほらな」

「ほらな、って」

「レミルがいってんだ、まず間違いねえ。そうだろ?」

「いやだから、俺に同意を求めるなよ」

 セツナが困り果てたようにつぶやいた。シーラは、セツナの耳元に顔を近づけると、小声でいった。

「なんていうか……我が道を行く感じの男だな」

「ああ。取り付く島もなさそうだ」

「乗りの悪い兄ちゃんは置いておいて、だ。てめえらはレミルの言うとおり、店を元通りにしておけよ。まったく、俺が大枚はたいて手に入れたねぐらをめちゃくちゃにするなんざ、ひでえ部下もいるもんだぜ」

 エスクは、大袈裟な身振り手振りでため息を浮かべた。ドーリンたちが唖然とするのも構わず、だ。シーラの思った通り、エスクは我が道を行く男らしい。そして、セツナのいったように取り付く島もなさそうなのは、ドーリンたちが反論を諦めきっている様子からも窺える。それこそ彼らの日常ではあるのだろうし、なれたことではあるのだろうが。

 シーラにはいまいち納得のいかない話ではあった。

(店を壊したのはあんたじゃないのか)

 正確にいえば、エスクとセツナだ。ふたりの激しい攻防が、店内に破壊の爪痕を残した。それこそ、徒手空拳の戦いとは思えないような爪痕であり、ふたりの体が頑強だということがよくわかる。鎧を着込んでいたエスクはともかく、外套の下には軽装の鎧さえ身に着けていないセツナの体は、きっとあざだらけに違いない。それでも苦痛の表情さえ見せないのは、ここが敵地であることに変わりはないからだ。油断はできない。

「……あんたがいうのか」

「あ?」

「いや、なんでもない」

「ここは俺の店だぜ。店長も店員も、俺が雇ってる。傭兵がひとを雇うというのも変な話だがな」

「傭兵が店を構えるというのも、な」

 セツナの疑問は、もっともではあった。

 傭兵とは、通常、一処に拠点を持つものではない。戦場から戦場へと渡り歩いて日銭を稼ぐのが傭兵の生き方であり、そのため、今日の味方は明日の敵であり、今日の敵は明日の味方だといって憚らないのが、傭兵という生き物だった。同じ戦場で裏切るような真似こそしないが(そんなことをすれば、雇ってもらえなくなる)、つい先日までの雇用主と敵対することなど日常茶飯だった。

 しかし、シドニア傭兵団は、アバードと長期的な契約を交している。ガンディアにおける《蒼き風》のようなものであり、ガンディアにおける《蒼き風》以上にアバードの重要戦力として扱われていた。その証明として、団長ラングリードへの騎士号の叙勲がある。ラングリード・ザン=シドニアは、騎士号を叙勲された際、アバード王家への恒久の忠誠を誓った。一介の傭兵が騎士の称号を叙勲されたのだ。彼が感激し、そのように公言したのも無理からぬことだったのかもしれない。

 しかし、ラングリードは結果的には、その発言を撤回するような行動を取っている。ラングリードは、シーラ派に与し、王宮と対立する道を選んだからだ。王家への忠誠を全うするならば、シーラ派ではなく、王宮につくべきだった。だが、彼はシーラ派に属し、エンドウィッジに赴き、戦死した。

 エスクもエンドウィッジの戦いに参加したはずだが、彼の話を聞く限り、生き延びてしまったのだろう。王宮としても、優秀な傭兵を処刑することはできなかったのかもしれない。あるいは、政治的無能者であるエスク以下の団員たちならば、処刑するまでもないと判断したのか。

(後者だろうな)

 たとえば、ラングリードならば、シーラ王女とともに処刑されただろう。ラングリードは政治に関与する資格を持っている。発言力があり、ある程度の権勢がある。シドニア傭兵団は、アバード軍の第二の主力といっても過言ではない戦力だ。クルセルク戦争の折には、シドニア傭兵団が王都の守りを務めていた。彼らがいたからこそ、シーラは多数の兵を引き連れ、連合軍に参加することができたのだ。

 しかし、傭兵騎士ラングリードが戦死したとあらば、シドニア傭兵団は政治的に無能にならざるを得ない。たとえエスクのような剣士がつぎの団長になったとしても、ラングリードと同じだけの発言力を発揮できるかというと、疑問の残るところだ。シドニア傭兵団の団員数も激減し、戦力としても不足している。そして、ラングリードが政治力を持っていたのは、彼の人格や政治的手腕の高さによるところが大きい。荒くれ者揃いの傭兵団には、彼の後継者など生まれようがなかったのだ。

 だから、王宮はエスクを生かし、彼の部下も生かしたのではないか。好き放題させているのも、その戦力そのものは期待できるからではないか。

 シーラの見たところ、エスクたちの実力そのものは衰えてはいない。エンドウィッジの戦いから一月も経過していないが、日々の鍛錬を怠っていれば、そのわずかな期間でも力は落ちるものだ。ひとは、日々鍛錬を積み重ねなければ、すぐにでも衰えてしまう。それこそあっという間に、だ。

「いっただろ。死に場所で死ねなかったんだ。酒に酔い、酔い潰れて、酩酊することしかできなくなった哀れな傭兵には、浴びるように酒を飲むことのできる場所が必要だったんだよ。だから、この店を買い取った」

「だからあんたの部下たちが集まってたのか」

「そういうことだ。ま、部下といっても、だれも俺を慕っちゃいねえがな」

「そう見える」

 セツナが同意すると、エスクは自嘲気味に笑った。笑いながら、セツナに背を向けて歩き出す。その仕種が、ついてこい、といっているように見えた。セツナがこちらを振り向いたので、シーラは小さくうなずいた。ここはついていく以外の選択肢はない。

 店内には二十人余りの屈強な男と、レミルと呼ばれた女傭兵がいる。が、突破するだけならば難しくはない。セツナの召喚武装さえ使えばいいのだ。黒の仮面の能力がどれほどのものなのかはわからないが、“死神”と同程度の働きをするのならば、傭兵集団を出し抜くくらいのことはできるだろう。だが、問題は、酒場を出た後だ。シーラたちの目的は王都の内情を知ることであり。シーゼルで暴れ回ることではない。

 エスクのような大物を敵に回して、まともに情報収集ができるとは思えなかった。それに、エスクならば、王宮の状況さえ把握しているかもしれない。なんといってもシドニア傭兵団の団長代理だ。

「なんつったって団長代理だ。仕方ねえのさ」

「代理でも、傭兵団の頂点には違いないんだろ?」

「ああ。けど、だれもそんなこと認めやしねえ。団長がいないから、仕方なく従っているだけさ。でなきゃシドニア傭兵団はばらばらになるし、シドニア傭兵団の勇名で食ってる連中にしてみれば、団を離れるなんざ考えられることでもねえからな」

「なるほど」

 セツナがひとり納得の声を上げた。すると、店の奥に続いているのであろう扉の前で、エスクが立ち止まって振り向いてきた。

「あん?」

「あんたは、そういう連中が食いっぱぐれないよう、仕方なく団長代理をやっているんだな」

「……つまり、そういうことだ」

 彼は肩をすくめて、皮肉げに笑った。シーラはセツナの観察眼に目を見張ったのだが、エスクも同じ気持だったのかもしれない。彼は進路に向き直り、扉を押し開いた。

「中々見どころのある兄ちゃんだ」

「……ニーウェだ」

「おう、ニーちゃん」

「いや、あのさ」

「俺のことはエスクと呼んでくれ。エスク様でも、エスクさんいいけどな」

「じゃあエスクで」

「はえよ。そこは少しは悩むところだろー」

「悩みようがない」

「つまらんやつだな、おい」

 エスクは前を向いたままだが、彼の表情はなんとなく想像できた。憮然とした顔をしているに違いない。シーラはエスクという男がなんとなくわかってきた気がした。決して悪い人間ではなさそうだ。良い人間とも言い切れないが、悪人でなければ問題はない。悪人であったとしても、だからどうしたという話ではあるのだが。

 扉の奥には、廊下が続いていた。天井から吊り下げられた魔晶灯の光は微弱なもので、頼りなく長い通路を照らしている。魔晶灯に使われている魔晶石の寿命が来ているのだろう。魔晶灯は、無限恒久に使用できるものではない。

 魔晶灯とは、人体に流れる生命力のようなものに感応して光を発する魔晶石を組み込んだ灯器だ。対となる魔晶石を利用することで、遠隔的に操作することもできる。高所に釣り上げられている魔晶灯の点灯や消灯は、そういう原理で行われている。魔晶石の原理そのものは解明されているわけではないが、魔晶石が半永久的に光を発し続けるわけではないということは、長年の研究で判明している。大きなものなら十年程度保つらしいが、一般に出回っている魔晶灯に組み込まれる大きさの魔晶石ならば、保って一年といったところだという。

 この通路の魔晶灯は、そろそろ買い換えなければならないということだ。

「それで、そっちの嬢ちゃんは?」

 突如として話を振られ、シーラはぎょっとした。身を強張らせたのは、むしろ良かったのかもしれない。素人らしい反応ではあった。

「妻のシーナだ」

 エスクの質問に答えたのはセツナだ。シーナという名前は、即興で考えたのだろう。シーラと一字違いだが、よくある名だ。なんの問題もない。シーラは、セツナの言葉に続いて、すぐさま口を開いた。

「よろしくお願いいたします」

「ああ、よろしく頼む。ニーちゃんと違って、礼儀正しいんだな、好感度うなぎのぼりだぜ」

「……俺だって、出会いが出会いなら、礼儀正しくもしたさ」

「はは、だろうな」

 エスクは、声を上げて笑うと、足を止めた。廊下の突き当りだった。エスクの先に扉がある。重そうな扉だったが、彼は軽々と開いた。室内は暗闇に包まれていたが、彼が壁に設置された魔晶石に触れることで、天井に設置された魔晶灯が発光し、室内の闇を一掃した。エスクに案内されるまま、室内に足を踏み入れる。

 広々とした空間は、一目見て雑然としていることがわかる。エスクの性格が反映されているといっても過言ではないように思えたが、この部屋がエスクのものなのかはわからない以上、判断は保留にしておくしかない。机を挟むように長椅子がふたつ置かれており、彼に示されるままそちらに腰を下ろす。落ち着けない空間ではあったが、そんなことをいっている場合でもない。

 エスクは、室内を歩き回りながら何かを物色していた。彼がいる辺りには、酒樽や酒瓶が積み上げられている。空っぽの酒瓶がそこかしこにあるところを見ると、日々、酒に溺れているという話は本当らしい。

「おー、あったあった。これだ、これ」

 エスクがなにやら嬉しそうな声を上げた。見ると、彼の手には酒瓶が握られており、彼がその酒を探して室内を物色していたことがわかる。この雑然とした散らかり具合では、探しものも見つけにくいのかもしれない。

 シーラはセツナに話しかけたい気分だったが、ぐっと堪えた。室内には、圧倒的な静寂が横たわっている。たとえセツナに小声で耳打ちしたとしても、エスクの耳には届くに違いなかった。エスクの耳が悪いなら話は別だが、別段、そのようには見受けられない。

 彼は酒瓶をシーラたちの手前の机に置くと、さらに室内を物色して、容器を三つ用意してみせた。容器そのものは清潔に見える。レミル辺りが洗っていたりするのかもしれないし、あるいはドーリン以下の団員たちがこき使われているのかもしれない。そして、彼が慕われていないのは、そういうところにあるのではないか、と勘ぐったりもした。

「色々、すまなかったな」

 エスクが、セツナの対面の席に腰を落ち着けながらいってきた。

「謝るくらいなら最初から突っかかってくんなっての」

「おう、本当にそのとおりだ。申し開きのしようがねえ」

「素直に認めるのはいいんだけどさ……」

 セツナのいうことは、もっともだ。素直に非を認めるところは、エスクの良い所だといえるだろう。しかし、彼の問題点は別のところにある。

「しかしまあ、あんたと戦えたのは良かったぜ?」

「なにがだよ」

「酔いが覚めた」

 彼は、そういいながら、酒瓶の蓋を開けた。濃厚な酒のにおいがシーラの鼻孔をくすぐる。シーラは、酒が嫌いではない。むしろ好んで飲む方だったし、侍女たちと一緒になってどんちゃん騒ぎをすることがよくあった。とくに戦いのあとなど、酒を飲んではしゃぎ回ることが当然だった。

「どうぜまた酔うんだろ?」

「そうだが、そうじゃねえんだよ」

「はあ?」

「いい、こっちの話だ」

 彼は、容器に濃度の強そうな酒を満たした。

「で、あんたらは一体何者だ?」

 エスクの目が、鈍い輝きを帯びた。


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