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第九百三十二話 シーゼル(三)


「腕っ節はさすがだな。さすがは武装召喚師だ。が、天下に名を轟かせるには、まだまだ足りねえんじゃねえか?」

 毛むくじゃらの男が自分の体をほぐしながら、セツナを見た。鈍い光を放つ目は、男が歴戦の猛者であることを示している。少なくとも、つい先程セツナに投げ倒された男とは比較にならない実力者なのは間違いなさそうだった。酒場の男たちをまとめ上げているだけのことはある、ということだろう。

 体格差は一目瞭然だった。体格の差は、つまり、力の差でもある。毛むくじゃらの男は、セツナの二倍から三倍の体積を誇っており、体をぶつけ合えばセツナが力負けするのは必然といえる。しかし、それは先の男にもいえることであり、力だけが勝負を決するものではないこともまた、先の戦いで証明されている。

 もちろん、毛むくじゃらの男が、先の男と同じように行く相手だとは思えないのだが。

 シーラは、セツナと相手の男を見比べながら、一抹の不安さえ抱かなかった。

「まあ、そうだな。それは認めるよ」

「へえ、案外自分がわかってるんじゃねえか」

「天下に名を轟かせる、なんて息巻いてるのは妻のほうだからな。俺の意向じゃない」

 シーラがどきりとしたのは、セツナが妻などと口にしたからに他ならない。夫婦を演じることを言い出したのはシーラなのだが、セツナが乗ってくるとなると、話は別だ。色々と、考えなくてはならない。

「ほう。けどまあ、そこまで惚れられるのも、悪いもんじゃねえよな?」

「……否定はしないさ」

 セツナが目を伏せて笑った。その笑い声の穏やかさに、彼が相手の男を戦士として認め始めていることが窺える。シーラも、毛むくじゃらの男から、別の何かを感じ取り始めていた。

「で、どうするつもりだ? やりあうのか?」

「部下をのされた手前、黙ってるわけにも行かねえって話だ。安心しな、あんたの奥さんには手出しはしねえ」

「信じられないな」

「だろうな」

 毛むくじゃらの男が自嘲気味に笑う。先に手を出したのは、男の方なのだ、信じろというほうがおかしい。しかし、毛むくじゃらの男のまなざしや声音は真に迫り、さっきまでの浮ついた空気が完全に消え去っており、別人のような空気感さえあった。

「だが、男が一度口にした言葉を曲げることはねえよ」

「そうかい」

「まだ信じてねえって顔だ」

「当たり前だろ」

 セツナは、呆れてものもいえないといった態度だった。セツナのそういった対応はめずらしく思えて、シーラは新たな魅力を発見した思いだった。

 毛むくじゃらの男は、どうしてもセツナの気を引きたかったのか、店内を見回して言い放った。

「……てめえら、そこの女には手を出すなよ? 俺の顔に泥を塗るような真似はするな」

「はっ」

「なにがおかしい?」

「とっくに泥まみれだろ。ひとの女に手を出そうとしやがって」

「……ちげえねえ」

 男は苦笑して、髭を撫でた。赤茶けた髭は、見事なまでに汚れている。セツナが泥まみれといったのは、風貌のことではないのだろうが。

「少し、酔いが覚めちまったんだよ。あんたのおかげでな」

「うん?」

「ずっと、酩酊しているのも悪くはなかったが、酔いが覚めたのなら、それもまた一興」

「なんの話だ?」

 セツナが怪訝な顔を擦るのも当然だった。話がまったく噛み合っていない。それどころか、勝手に話を進められているようだった。シーラは、男に危ういものを感じたが、それがどういった類の危うさなのかはわからなかった。

「なに、こっちの話さ。また、戦士としてやり直すのも悪かねえ――あんたの戦いぶりを見て、そう思った。ただそれだけのことさ」

「あんなもんで……ねえ」

「あんなもんなんていってくれるな。あれでも俺の大切な部下なんだよ」

 毛むくじゃらの男が、床の上に座り込んだ男を一瞥した。セツナに投げ倒された男は、毛むくじゃらの視線に対し、恐縮しきった態度を取っていた。強い上下関係があり、深い結び付きがあることがわかる。

 もっとも、セツナは、そんなふたりの関係などどこ吹く風だったが。

「なんでもいいさ。来いよ。さっさと終わらせよう」

「よくはないが……まあ、やるか」

 セツナが拳を構えると、毛むくじゃらも拳を構えた。互いに得物はなかった。肉体こそが凶器となるほどに鍛え上げられた戦士同士。武器など不要といっていい。しかし、その場合、セツナのほうが不利なのは明らかだ。筋肉の質、量ともに毛むくじゃらのほうが上なのは、明らかだからだ。それでも不安ひとつ覚えないのは、セツナが、この場のだれよりも死線を潜り抜けてきたという事実があるからかもしれない。度重なる戦争は、彼を苦境に追い込み死闘を演じさせてきたという。そういう経験の多さこそ、セツナの強みだった。

 セツナが、拳を構えたまま、告げた。

「俺が勝ったら、いうことを聞いてもらうからな」

「ああ。その代わり、俺が勝ったら――」

「妻に手出しはさせん」

「わーってる。あんたには、俺の部下になってもらう」

 男がにやりと笑うと、セツナも笑みを返した。

「面白い冗談だ」

「ま、俺たちの頭領が許すかどうかはわかんねえけどよ」

「……なんだよ」

「あん?」

「あんたが一番偉いのかと思ったぜ」

「はっ、冗談いっちゃいけねえ」

 男が、獰猛な笑みを浮かべた。殺気が膨れ上がる。

「シドニア傭兵団は、俺のような奴が頭領になれるほど、ちゃちな組織じゃねえんだよ」

「そうかい」

 セツナは、毛むくじゃらの男の猛然たる突進を真上に飛んでかわした。

(シドニア……)

 シーラは、毛むくじゃらの発した言葉を反芻して、目を細めた。

 シドニア傭兵団といえば、シーラとしても縁深い傭兵集団だった。アバードを拠点に活動していた傭兵集団であり、そのアバードへの献身ぶりと貢献度から団長ラングリードに騎士号が叙勲されたということでも有名だった。ラングリード・ザン=シドニアは、叙勲以来、アバードへの忠誠を誓い、王家からの信頼も厚く、ことあるごとに王宮に呼ばれていたらしい。シーラがラングリードと知り合ったのは、そういうこともあるのだが、ラングリードがなぜ、シーラ派に傾倒したのかは、彼女にはわからずじまいだった。そもそも、シーラ派なる派閥が形成されること自体、シーラにとっては理解不能に近かったのだが。

 シーラ派を謳ってやまないラングリード・ザン=シドニア率いるシドニア傭兵団が、シーラの反乱に付き従い、エンドウィッジの戦いで散ったのはよく知られている。ラングリードの部隊は正規軍本陣に肉薄したといい、その華々しい散り際は、シーラ派の話が禁忌とされる現在のアバードでも語り草だという。

(つまり、こいつらはシドニア傭兵団の残党か)

 シーラは、毛むくじゃらの男とセツナの戦いを見つめながら、驚きを覚えざるを得なかった。てっきり壊滅し、解体されたものだとばかり想っていた。団長のラングリードが戦死したのは間違いなさそうなのだ。シドニア傭兵団は、団長ひとりで切り盛りされていたといっても過言ではない。シドニア傭兵団は荒くれ者揃いで知られており、知識人であるラングリードがいなければ、騎士号を賜るほどの評価を得ることができなかったという評判だった。

 実際、毛むくじゃら配下の男たちの無法者ぶりを見れば、かつての評判もあながち間違いではなかったということがわかる。

 ラングリードのような男がまとめ上げていたから、シドニア傭兵団は上手く回っていたのだ。

(そういうことだな)

 シーラは、毛むくじゃらの一党が酒場に入り浸り、他の客を笑い者にし、あまつさえ手を出そうとしたという一連の流れから、ラングリードの偉大さを理解した。ラングリードは確かに傭兵らしくはなかった。アバードの騎士となってからは、礼節に通じた知識人としての印象が強くなったほどだった。そのラングリードを失った結果が、この惨状なのだ。


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