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第九百二十九話 国境を越えて(六)

 ウルクサールとも黒龍の森とも呼ばれていた一帯を突破したのは、おそらく十四日のことだ。

 おそらくというのも、正確な日時がわからないからだ。龍府を出発したのが、五月十日の深夜――いや、十一日の夜明け前といったほうが正しいのかもしれない。そこから何度も休憩を挟みながら、北を目指して走り続けた。馬を用いなかったために時間がかかり、疲労も蓄積したが、むしろそれによって目立たずに移動することができており、功を奏したといってもいい。馬を利用していれば、こうも上手く進展しなかったかもしれない。

 もっとも、馬を利用しなかったから手間取った、という可能性もないわけではない。ラグナの大声によって注意を引く方法を使えば、たとえ馬を使っていたとしても、国境の厳戒区域を突破することは難しくなかったかもしれないのだ。

(ま、気にしないこった)

 いまさらのことだったし、馬を使っていたからといって利点ばかりがあるわけではない。徒歩にも利点がないわけではないのだ。身を隠しやすいというのは、このような場合、何事にも代えがたい利点といっていい。

 厳戒区域を突破するために失った体力は、岩陰での休憩を長めに取ることで多少は回復していた。それから、夜陰に紛れて森を抜けた。森を抜けだすと、満天の星空がシーラたちを出迎えた。まばゆいばかりの星々と月の光は、ありがたくもあれば、迷惑でもあった。夜の闇を吹き払い、無明の大地を照らしてくれるのは実にありがたいのだが、降り注ぐ天の光は、平等だ。シーラたちの姿も照らし出していた。

 街道から大きく逸れていたとはいえ、国境付近での騒ぎの直後だ。アバードの軍や警備部隊が動き出している可能性もあった。皇魔とも思えないような怪物が国境付近に現れたとあれば、軍が出動してもおかしくはない。国境に移動中の軍と鉢合わせになれば、シーラたちにとって面白くない事態に発展するのは目に見えている。

 星明かりからも姿を隠しながら移動するのは至難の技だった。ウルクサールの北に横たわるのはだだっ広い平原なのだ。遮蔽物などないに等しく、頭上を覆う構造物などあるはずもない。街道からできるだけ遠ざかることだけしか、対策といえる対策はなかった。それでも、なにもしないよりはきっとましだったのだろう。

 シーラたちは、だれに発見されることもなく、アバード南西部の都市シーゼルに辿り着くことができた。

 十五日。

 シーゼルはアバード領南西部の都市だ。国境にほど近い場所に位置しており、国境を突破したなら、その日のうちに辿り着けるような位置関係にあった。しかし、シーラたちがシーゼルに辿り着いたのは国境突破からさらに一日が経過した十五日である。それは、シーラが慎重に慎重を期したからにほかならない。やっとの思いで国境を突破したのだ。アバード領内に入ってうすぐさま捕まり、正体が露呈するなど、あってはならない。すべてが水の泡だ。シーラが慎重になるのも当然だった。

 シーゼルを目前に控えた時も、慎重な行動を徹底した。

 シーゼルは、大陸の都市の通例通り、強固な城壁に四方を囲われている。都市は城壁の内部にあり、都市に至るには、城門を通過するしかない。城門は、シーゼルの北と南の二箇所にあり、どちらも門番の監視下にあるのは間違いなかった。

「どうするんだ?」

 セツナが囁き声で問いかけてきたのは、シーゼルの南門付近の物陰に隠れたあとのことだ。シーゼルの南東には雑木林があり、身を隠すにはうってつけの場所だった。問題があるとすれば、この雑木林が街道沿いにあるということであり、しかも、シーラたちが進んできた方角とは正反対の方角に位置していたということだ。雑木林に身を隠すためには、一度後退し、大きく迂回する必要があった。

 雑木林にさえ到達できれば、少しは安心できた。シーゼルの城壁は、当然ながら高い。城壁の上にも兵士が登っており、四方を警戒しているのは間違いない。特に南側への警戒の目が厳しくなっているのは、国境付近で大騒ぎを起こした以上、当然ではあった。もっとも、騒ぎの理由は、怪物の咆哮であって、シーラたちそのものではない。シーゼルの兵がシーラたちを見つけたからといって、国境付近の騒ぎと結びつけるはずもなかった。

 そして問題はそこではない。

「さて、どうするか、だな」

 シーラは、木陰に身を潜めながら、シーゼルの南門を注視した。遠く、通常の視力ならば正確に把握するのは困難だ。しかし、シーラにはハートオブビーストがある。彼女は、布袋の中に手を突っ込み、ハートオブビーストの柄を握ることで、召喚武装の補助を得ていた。召喚武装と呼ばれる異世界の武器防具は、ただ強力な武器というだけが特徴ではなかった。手にしたものの五感を強化し、身体能力を引き上げるのだ。それは、召喚武装の副作用に過ぎず、本分ではない。本分ではないが、武装召喚師が凶悪な戦力足りうる理由のひとつだった。そして、こういう場合にも大いに利用できた。

 通常に比べて広がった視界にはシーゼルの南門付近の光景を鮮明に映し出されている。視力が飛躍的に向上しているのだ。

「わしならひとっ飛びじゃがな」

「だろうよ」

「確かに翼でもあれば楽に入れるんだが」

「ま、そんなことをすりゃ、警戒されるのは間違いないけどな」

「そうだな」

 シーラは、セツナがしっかりと考えていることに多少の驚きを覚えて、彼の顔を見た。彼は、真剣なまなざしでシーゼルを睨んでいる。もちろん、黒き矛を召喚しているわけではない。武装召喚術の発動は、爆発的な光を伴うものだ。そして、シーゼルの兵が、その光に注目しないわけがなかった。

 いくら黒き矛が強力極まりない武器であっても、潜入することが目的である任務では、その強力さを実感することはできないのだ。

「しかし、あの都市に入る必要はあるのか? おぬしの目的は、王都バンドールとやらへの潜入じゃろ?」

「ああ、それが最大の目的だ。王都に潜入し、王宮におられるであろうリセルグ陛下に会う。会って話し合うことさえできれば、陛下だってわかってくださるはずなんだ」

「そういえば、逢えてもいないんだったな……」

「うん……父上には、逢うことさえ許されなかったよ。王都に入ることさえ……な」

 クルセルク戦争の終結後、シーラは意気揚々と王都への凱旋を果たそうとした。だれもが歓喜の中で出迎えてくれるものだとばかり想っていた。彼女の負傷すら栄光に満ちたものであると賞賛してくれるに違いないと、想像していた。だれもが、獣姫の勇猛果敢さを褒めそやし、アバードの王女としての彼女を迎え入れてくれるはずだったのだ。

 だが、現実は違った。

 シーラが思い描いた未来は、なにもかも否定された。

「シーラ……」

「ああ、わかってる。いまは目の前のことに集中するべきだよな」

「……ああ」

 セツナの同意の言葉は、深く、静かだ。シーラの心情を思いやってくれているのがわかる。セツナは他人だ。シーラの感情など、想いなど、わかるわけがない。しかし、少しでもわかろうとしてくれているのだ。そういうセツナの優しさが、いまのシーラには染み入るようだった。だから、彼女は視線を逸らした。彼の真摯なまなざしは、目に痛いほど眩しい。

「……ラグナのいうように、王都に潜入することだけが目的なら、シーゼルに立ち寄る必要はない」

「じゃろ」

「が、王宮に国王陛下がおられるという確証がなければ、王都に潜入する意味もないんだ」

「なるほど。シーゼルで情報を集める必要があるというわけか」

「ふむふむ」

 納得顔のドラゴンをセツナの両手が包み込んだかと思うと、彼はそのまま自分の顔の前まで持っていった。きょとんとするラグナに、セツナがにやりと告げる。

「ラグナ、おまえの出番だ」

「なんじゃ?」

「聞き出してこい」

 セツナの一言にラグナが愕然とした。

「冗談じゃろ?」

「冗談、だよな?」

「当たり前だろ」

 セツナがひとりで吹き出すのを見て、シーラはラグナを顔を見合わせた。小ドラゴンも呆れ果てた顔をしている。

「……まったく、おぬしの冗談はよくわからぬ」

「笑いどころがねえぜ、ったく」

「むう……」

 なにやら納得がいかないといった様子のセツナはともかくとして、シーラはラグナに視線を向けた。いまでこそ愛嬌たっぷりの姿であるものの、その潜在的な力は、人間とは比べ物にならないほどのものであるはずだった。

「しかし、ラグナが人間に化けることができるなら、その手も使えなくはないんだがな」

「ふむ……人間に化ける、か。できなくはないぞ」

「へえ、そんなことができるのか?」

「わしをだれじゃと思うておる。ラグナシア=エルム・ドラースと謳われたドラゴンの中のドラゴンじゃぞ。姿形を変えることくらい、造作もないわい」

 ラグナの発言が嘘ではないということは、なんとはなしに理解できた。それくらいのことをたやすくやってのけそうなくらいの力を持っていたのは間違いない。シーラたちの猛攻を物ともしなかっただけでなく、肉体的損傷を瞬く間に復元してしまうほどの回復力は、彼の力の凄まじさ故といってもいいのではないか。

「じゃがのう」

 ラグナが困り果てたように首を垂れた。さっきまでの威勢が消えて失せ、途端に愛らしい小動物に変化する。セツナがドラゴンを両手で包み込んだまま、あざ笑った。

「力がない、と」

「それもこれもおぬしのせいではないか!」

「俺のせいっていうんなら、それだっておまえのせいだろ。おまえが襲ってこなきゃ、ああいうことにはならなかたんだからな」

「むー……」

 ラグナが反論できないのは、当たり前だった。先に手を出したのはラグナであり、セツナは応戦しただけなのだ。シーラたちが参戦したのは、そのセツナを援護するためであり、これもまた、ラグナがセツナに襲いかからなければ起きなかった事象だ。しかし一方で、ラグナがセツナに襲いかかったりしなければ、ラグナがセツナの下僕に生まれ変わることはなかったのもまた、事実だ。そして、ラグナがセツナの下僕になったからこそくぐり抜けることのできた難関があったのも認めなくてはならない。ラグナがいなければ、もう少し強引な方法を遣わなければならなかっただろう。

「……なんにせよ、人間に化けて情報を聞き出すのはなし、ということだな」

「じゃあどうするんだ?」

「正面切って入るか?」

「怪しまれるだろ?」

 セツナの疑問はもっともだったが、シーラに考えがないわけではなかった。

「北へ回り込む」

「それで行けるのか?」

「さあな」

「さあなって……」

「少なくとも、南から行くよりは怪しまれないはずだ。シーゼルの南には国境しかないが、北には王都があり、ヴァルターがある」

 シーラは、セツナたちにアバードの地理を少しばかり説明した。シーゼルは、アバード領南西の都市だ。王都バンドールは、シーゼルの北東に位置しており、エンドウィッジの戦いにおいてアバード正規軍の拠点となった都市ヴァルターは、王都の北にある。シーゼルとバンドールの距離はそれほど離れておらず、王都の様子を窺うには打って付けの都市ともいえた。ヴァルターは遠い。が、シーラはその距離感こそ利用できると踏んだ。

「ヴァルターから龍府を目指していることにするんだ。龍府は観光都市だからな……アバードからも龍府に行こうとする人間は多いんだぜ?」

「けどよ、アバードの国境は」

「ああ。国境は封鎖されている。が、そんなことを知らない人間を装うのさ。ヴァルターは北の都市だ。南の事情なんて知らない人間が居ても不思議じゃない」

 もちろん、アバードの国境封鎖は、南側だけの話ではないのだが、この時期に至ってヴァルターから龍府を目指すものがそんなことを知っているはずもない。知っていれば、ヴァルターに籠もっているか、アバード国内の別の都市を巡っているはずだ。

「そういうことか」

「世間知らずの旅人には、警備兵だって優しくしてくれるさ」

 シーラは自信ありげに言い放ったものの、不安がないわけではなかった。


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