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第九百二十七話 国境を越えて(四)

 シーラたちが森を抜けたのは、翌日の昼過ぎのことだ。

 グレスベルの集団を撃退したあと、戦闘の痕跡を消す努力をしている。グレスベルの死体を土の中に埋め、血の痕にも土を盛った。それだけのことだが、人間と皇魔が戦ったという形跡はほとんど消え去った。そこまでしなければならないのかどうかは疑問の残るところではあったが、用心に越したことはない。街道から外れた森の中とはいえ、巡回中の兵が立ち入らないとは限らないのだ。皇魔と人間の戦闘があり、人間が勝ったということが読み取られれば、ちょっとした騒ぎになる可能性も皆無ではなかった。

 シーラたちは、これからアバードに潜入しようというのだ。常に細心の注意を払い、あらゆる事態を想定して動く必要がある。わずかな痕跡すら残したくはなかった。

 皇魔との戦闘もできるだけ避けなければならない。グレスベルはまだいい。小型で、指揮官を倒せば弱体化できるという前提があった。しかも、魔王軍による組織化の影響が残ってもいた。だが、レスベルやベスベルといった中型皇魔、ギャブレイトのような大型皇魔となると話は別だ。召喚武装に頼らなければならなくなるだろう。

 ハートオブビーストとカオスブリンガーの力を合わせれば、皇魔を撃退するのは、なにも難しいことではない。問題は、そこではないのだ。召喚武装を用いることによる弊害は、間違いなく存在する。

「これからは皇魔の接近も知らせろよな」

「わかっておる。任せよ」

「本当にわかってるのかよ……」

 グレスベルとの戦闘後、セツナはラグナにそういったが、ラグナにはことの重大性が伝わっているのかどうか。ラグナは、あんな小さな姿をしていてもドラゴンなのだ。皇魔など取るに足らない存在と見ていたし、実際、ラグナが本気を出せば、皇魔の群れですら一蹴できるに違いなかった。もっとも、その本気をだすだけの力は、転生のために失ってしまったということではあるが。

 そんな彼からしてみれば、皇魔如きに警戒するなど馬鹿馬鹿しいにもほどがある、ということはわからないではなかった。わかったからといって、なにがどうということもないのだが。

 森を抜ければ、平野が広がっている。見渡すかぎりの緑野は、春の日差しの中で爽やかな風に吹かれていた。シーラの胸中に渦巻く悲壮感をあざ笑うような穏やかさだった。草花のひとつひとつが風に揺られ、平穏を満喫している。聳える木々も、屯する動物たちも、安穏たる日々を謳歌しているのだ。

 平原の中をただひたすら突っ切っていった。疲れれば木陰に休息を求め、休憩はそのままわずかばかりの睡眠時間となった。睡眠といっても、仮眠に近い。眠るのはわずかばかりの短時間であり、それも交代制だった。シーラとセツナ、ラグナのふたりと一匹のうち、いずれかが周囲の警戒をしていなければならなかった。

 そんな風にして森を抜け、平原を越えた。

 ようやくガンディアとアバードの国境に辿り着いたのは、龍府を発って二日以上が経過した十三日の夜明け前のことだった。徒歩なのだ。ずっと走り続けてきたとはいえ、人間の足では出せる速度にも限界がある。その上、常に全速力を出し続けることなど不可能に近く、そんなことをすれば、いくらシーラであってもすぐに限界がきただろう。そして、全力でなくとも、一日中走り続けることなど不可能だ。

 自然、速度は落ちる。

 馬でも用意していれば、もっと早く国境に至ることはできただろうし、目的地まで辿り着くこともできるのは間違いなかった。が、馬を使うということは、発見される可能性が高くなるということである。人を乗せた馬が二頭、全速力で移動していれば、嫌でも目立つ。特に現在のアバードは国境の警備に力を入れているというのだ。発見され、無用な警戒をされるのは、不本意極まりない。

 その点、徒歩ならば、物陰に隠れながら移動しやすく、発見されにくいという利点があった。速度は遅いし、疲労も溜まるが、見つからないに越したことはなかった。

「これでも想定よりは早かったんだぜ?」

「そうなのか?」

「人の子にしては上出来じゃの」

「おまえはなんなんだよ」

「わしはドラゴンじゃ」

「んなこたあ、わかってる」

 セツナが呆れて首を横に振ると、ラグナは彼の頭の上でなぜか勝ち誇った。ラグナの言動は逐一よくわからない。

 平原から再び森へ至る。もちろん、五龍湖のある森ではない。アバード領土南部とザルワーン北端に跨るその森は、ガンディアとアバードの国境線としても機能していた。かつてはザルワーンとの国境線であり、森の中で小競り合いを繰り広げたこと数えきれなかった。交戦地点の木々や地面には、アバード兵、ザルワーン兵の血が染み込んでいるに違いない。何百年に渡って、アバードとザルワーンは国土を争い続けていた。アバードが勝利することもあれば、ザルワーンが勝利することもあった。そのたびに森の主は変わり、森の呼び名も変わった。

 ザルワーンは、黒龍の森と呼んだ。黒々とした森は、黒い龍が住むには打って付けといってよかったからだろう。アバードはウルクサールと呼んでいたが、それも、黒い森という程度の意味らしい。古代語であり、つまるところ、古い地名ということだ。いまはガンディア領側――つまり南部――が黒龍の森、アバード領側がウルクサールと呼ばれている。

 その森の中にアバードとガンディアの国境線が横たわり、両国の国境警備部隊の駐屯所がある。ガンディアはともかく、アバードの国境警備は厳重極まるものとなっているらしく、簡単には突破できないだろうというのが、ロズ=メランの見立てだった。ロズ=メランは、国境警備部隊の猛烈な追撃に殺されそうになりながら、なんとかガンディア領に入り込むことができたという。ガンディア領にさえ入ることができれば、アバードの国境警備部隊も手出しできない。もちろん、ガンディアの国境警備部隊に見つかれば、ただでは済まなかったのは間違いないのだが。彼は、ガンディアの国境警備部隊の警戒網には引っかからずに済んだという。

 両国の警備部隊は、国境線を隔てて睨み合う形で駐屯している。駐屯所は、小さな砦といっても過言ではない。簡素ながらも厚めの城壁で囲われているのは、皇魔の襲撃を予期してのものだ。敵国の攻撃よりも、皇魔の襲来のほうが余程恐ろしく、現実的だ。城壁もない場所に人間が屯していれば、皇魔の餌食になるのは火を見るより明らかだった。

「つまり、ガンディアの警備はおそるるに足らず、ということじゃな」

 ラグナがつぶやいたのは、森の中の丘に辿り着いてからのことだ。丘の上からは、ガンディア領である黒龍の森とアバード領であるウルクサールを分け隔てる小川を見下ろすことができた。そして、小川を挟んで、ふたつの拠点が睨み合っているのがわかる。黒龍の森側の拠点にはガンディアの国旗が翻り、ウルクサール側の拠点にはアバードの国旗が掲げられていた。遠目から見ても、アバードの国境防衛部隊には緊張感があるように思えた。対して、ガンディア側はというと、平穏そのものだ。両国の置かれている状況がまるで違うということの現れだろう。

 ガンディアは、クルセルクの激戦を終え、安定期に入った。外征の予定もなく、国王レオンガンドが王宮にとどまり、内政に力を入れはじめている。それに国境とはいえ、アバードはガンディアにとって友好国なのだ。アバードが攻め込んでくる可能性は、皆無に等しかった。警戒が緩くなるのは、必然といっても良い。

 対して、アバードは、シーラ派の結集以来、国内の情報が外部に漏れることを恐れた。内乱が起き始めているという情報が知れ渡れば、他国から攻め込まれる可能性がある。それこそ、付け入る隙となるからだ。アバードの国境警備が厳重なのは、当然としか言いようが無い。

「問題は、その先ってことだ」

「そういう風にいうと、まるでガンディアの国境警備部隊が腑抜けみたいに聞こえるぞ」

「そういっておる」

「おい」

「実際、そのとおりだろ? 手負いのアバード人を見逃すなんざ、国境警備部隊が聞いて呆れるぜ」

「……そりゃあ、そうかもしれないけどさあ」

 セツナは、自分の国のことだけに、馬鹿にされるのが我慢ならないのかもしれなかった。かといって、反論できるはずもない。ガンディアの国境警備が、アバードの国境警備に比べて手薄なのは疑いようのない事実なのだ。ロズ=メランは、ラーンハイル・ラーズ=タウラル配下の兵だ。特別な技能を持ち合わせているわけでもなければ、潜入工作を得意としているわけでもない。タウラル家一族郎党に降りかかった災難をシーラに知らせたいというただそれだけの想いで行動を起こし、タウラル領から龍府まで命からがら辿り着いたのだ。それこそ、ガンディアの国境警備に問題があることの証明ではないのか。もちろん、そのおかげで、シーラはロズ=メランから話を聞くことができたのであり、ばかにするよりも、むしろ感謝したいくらいだった。

 ロズ=メランがガンディアの国境警備部隊に捕まっていた場合、シーラが、タウラル家の一族郎党の身に降りかかった災難について知ることができたのは、ずっと先のことになっていただろう。そして、そのときには取り返しの付かないことになっていたに違いない。だから、いまなのだ。いまならばまだ、なんとかできるかもしれない。

 これ以上、自分のために死ぬ人間を増やしたくなかった。

「それで、どう突破するのじゃ?」

「さて、どうしたもんかな」

「考えてなかったのかよ?」

「一応、考えてはいたけどさ、現場を見ないことにはどうしようもねえだろ?」

「そりゃそうか」

「机上の空論ではいかぬからのう」

「そういうこと」

 シーラは丘の上に屈みこんだまま、両国の拠点を見比べた。やはり、ガンディア側の国境警備は緩いといっていい。最低限の警戒はしているのだが、アバード側への警戒意識は極めて薄かった。アバードから攻め寄せてくる可能性が少ないことと、アバードの国境警備の警戒が強いことが影響しているのかもしれない。アバードの国境警備が厳戒ということは、アバードの人間がガンディア領内に入り込んでくることもない、ということだ。そういう思い込みがロズ=メランの国境突破に繋がったのかもしれない。

「いくら緩いといっても、ガンディア側への警戒は強いな」

「だろ?」

「とはいっても、問題じゃねえ」

「えー」

「えー、じゃねえ。ガンディアの警戒網が、この丘にまでは届いていないのはわかるな?」

「ああ。届いてたら、とっくに見つかってるな」

 セツナが丘の上で中腰になりながらうなずいた。森の中の小高い丘の上、視界は良好だ。しかし、それはシーラたちが丘の上に陣取っているからであり、丘の下方からではシーラたちの姿を捉えることは簡単なことではないだろう。両国の拠点は、どちらも丘より下方にある。

 さらにいえば、丘は、国境線の目印である小川の南側、つまり黒龍の森側にある。小川の近くではあるものの、国境防衛部隊の駐屯所とは距離があり、余程目がよくない限りは、シーラたちを捕捉することは不可能に近い。もっとも、武装召喚師がひとりいれば解決する問題ではある。召喚武装を装備した人間が警戒に当たっていた場合、ただそれだけで見つかっていただろう。

 だが、そんなことはありえないことのように思えた。

 ガンディアが武装召喚師の登用に積極的になったとして、国境警備に回せるほどの人数を確保できるかどうかは怪しいものだ。それに、たとえ大量の武装召喚師と契約を結べたとして、強力な戦力を国境警備に回すのは考えにくかった。数百人単位の武装召喚師を雇用できるのなら話は別だが、ガンディア国内にそれだけの武装召喚師がいるはずもなかった。武装召喚術は《大陸召喚師協会》によって広く知れ渡るようになったものの、その使い手の数は多いとはいえない。クルセルク戦争にあれだけの数を投入できたのは、奇跡といってもよかったのだ。そして、クルセルク戦争での武装召喚師たちの活躍は、各国に武装召喚師の登用を競わせた。ガンディアだけではない。ジベル、ルシオン、ベレル、イシカ、メレド、それにアバードといった反クルセルク連合軍に参加した国々は、それぞれに武装召喚師の登用に乗り出しており、《協会》は嬉しい悲鳴を上げているという。つまり、武装召喚師の取り合いが発生している以上、ガンディア一国に集中することはありえず、であれば、国境警備ごときに武装召喚師を配置する余裕などあるはずもなかった。

「……ガンディアの警備は、この丘の西側から大きく迂回すればなんとかなりそうだな」

「そうか? それはあまりに甘く見過ぎじゃないのか?」

「セツナが期待し過ぎなんだよ」

 シーラが正直に告げると、セツナは憮然とした。彼が自国の国境警備部隊を贔屓したいのはわからないではないのだが。不意にセツナの頭の上に舞い降りたラグナが、追い打ちをかける。

「そうじゃな……一飛してみたところ、ガンディア側の警備は実に手薄じゃ」

 彼の一言にセツナががっくりと肩を落とした。

「で、アバードのほうは?」

「拠点周辺以外にも各所に兵を立たせておるな。おそらくおぬしの方法じゃと、アバードの警戒網に引っかかるぞ」

「……なら、この方法しかないな」

 シーラは、軽く嘆息すると、セツナとラグナを手招きした。


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