第九百二十六話 想うということ(三)
マリク=マジク。
リョハンが誇る現代最高峰の武装召喚師のひとり。リョハンの戦女神ファリア=バルディッシュに仕える四大天侍のひとりであり、歴代最年少で四大天侍の座についた少年は、天才児として知られてもいる。実際、彼は天才としかいいようがなかった。わずか十五歳でリョハンでも一、二を争う武装召喚師にまで上り詰めたのだ。そして、彼と一、二を争っている人物こそ、戦女神であり、彼がいかに天才的なのかはその一事でわかるだろう。
クルセルク戦争でその天才性を遺憾なく発揮したことは記憶に新しい。
マリクが独自に編み出した術式は、同時に七つの召喚武装を異世界から召喚するというものであり、ほかの武装召喚師には真似のできない代物だった。エレメンタルセブンと呼ばれる七つの剣は、ひとつひとつが異なる召喚武装であり、異なる能力を秘め、それぞれ強大な力を持っていたのだ。そんなものを平然と操るのが、マリクの天才児たる所以なのだろう。
そして、彼の天才性は、クオール=イーゼンの召喚武装レイヴンズフェザーを容易く扱っていることからも窺える。彼は、クオール以上にレイヴンズフェザーの力を引き出しているに違いない。それがわかるから、ファリアは釈然としない物を覚えるのだ。
一見すると、可愛らしい少年なのだが、なにを考えているのかわからないところがあり、リョハンの偉大なる指導者であるファリアの祖母ですら、彼の扱いには細心の注意を払っているようだった。彼の機嫌を損ねるのは、リョハンの戦女神としても御免被りたいのだろう。
「マリク=マジク様、でしたね?」
不意に、レムがマリクに接近した。マリクは、レムを一瞥したものの、特に気構えることもなかった。ただ、疑問を浮かべる。事情を知らなければ、だれもが浮かべるような疑問だ。
「あれ? なんでジベルの死神がガンディアにいるのさ?」
「それはこちらの台詞にございます。リョハンの四大天侍が、なにゆえガンディアに?」
「龍府の領伯様に用事があるんだよ」
マリクの返答には、ファリアも驚いた。リョハンの四大天侍がセツナに用事があるとは思わなかったからだ。
「御主人様に?」
「まだやってたんだ。主従ごっこ」
「いまやわたくしの身も心も御主人様のものでございます。以前のようなごっこ遊びではございません」
冷ややかなまなざしを投げかけるマリクに対して、レムは満面の笑みで応えた。しかし、彼女のまなざしもまた、凍てついた刃のように鋭く、冷ややかだった。マリクに対して思うところがあるのかもしれない。マリクは、そんなレムの反応さえ、どうでもよさげだったのだが。
「よくわかんないけど、ま、なんでもいいか」
「そうでございます。わたくしのことなど、どうでもいいのでございます。マリク様の用事のほうが大切にございます」
「そりゃそうだ。で、領伯様はどこ? 渡すものがあるんだけど」
そういって、彼は、両腕で抱えていた布袋を通路の床に下ろした。中になにか箱のようなものでも入っているのか、袋は型崩れしなかった。
「それ、でございますか?」
「なんなの?」
レムとミリュウが興味津々に袋の中を覗こうとすると、マリクが手で制した。ファリアも中身を知りたかったが、マリクに機先を制された形になって、眉根を寄せた。もちろん、マリクの意向を無視して中身を覗くようなことをするつもりもないが。
「領伯様は?」
「いまは不在でございます」
「しばらくは戻ってこないと思うわ」
レムとミリュウが告げると、マリクは明らかに困惑したようだった。セツナがいると思ったからここにきたのだから、当然だろう。そして、龍府の領伯たるセツナがここにいないはずがなかった。いないとしても、居場所がわからないはずもない。通常、部下が隊長の居場所を把握していないわけがないのだ。
「どこにいるの?」
「残念ながら、口外するわけには参りませぬ」
「任務中ってことか。じゃあどれくらいで戻りそう?」
「さあ? 短くて一月くらいかしら?」
「そんなにかかるかなあ?」
ミリュウが胸の前で腕を汲んで首を傾げた。
「少なくとも、一日二日で帰ってこられるとも思えないし、かといって十日程度で終わるようなものとも思えないわよ」
だから、ファリアが不安を抱きもするのだ。
十日前後で終わるようなことなら、なにもここまで不安を感じることはなかった。不満を抱くこともなかった。ざわめきを感じるようなことさえなかったはずだ。しかし、セツナとシーラがやろうとしているのは、王都への潜入であり、国王への接触である。すべてが上手く運んだとしても、一月くらいはかかるのではないか。
マリクは不服顔だ。
「えー、なにそれー。ひとがせっかく頼まれたものを持ってきたっていうのにさ」
「頼まれた? だれに?」
「領伯様に決まってるでしょ」
彼は、当然とでも言いたげだったが、ファリアにはいまいち理解できないことではあった。セツナとマリクの間にそのような繋がりがあるとは、とても信じられなかった。
「セツナに?」
「うん……少し遅れたのは確かだけどさ。仕方なかったんだよ、特注だったし」
マリクの発言は要領を得ない。何か隠し事をしているようでもあった。
「少し遅れた? 特注? 何の話よ?」
「……本当は領伯様本人が手渡すのが一番なんだろうけど、一ヶ月後なんて、あまりに時期外れだし、仕方ないかな」
彼は言い訳を並べるようにつぶやくと、布袋の口を閉じていた紐を解き始めた。そして、袋の中から木箱をいくつか取り出す。小さな木箱が七つほど。袋の形が崩れなかったのは、袋の中で積み重ねられていたからだろう。
マリクは、木箱のひとつを手に取ると、ファリアに向かって差し出してきた。
「はい、これは小ファリアにって」
「わたしに?」
ファリアは、マリクから木箱を受け取ったものの、疑問を感じるしかなかった。セツナからだということが、疑問に拍車をかける。セツナから贈り物を貰う理由など、思いつきもしない。
「本当は四日に届けたかったんだ。でも、リョハンに届いたのが翌々日の六日でさ。それから急いで支度して、飛んできたんだよ」
「四日……?」
マリクの言葉は、やはり要領を得ない。六日にリョハンを出発したということはわかる。そしてそれは、たった五日でリョハンからこの龍府までの距離を飛んできたということであり、レイヴンズフェザーの飛行能力と飛行速度の凄まじさを物語っている。が、そこは注目するべきことではない。レイヴンズフェザーの能力の高さなど、とっくに知っていることだ。
気にするべきは、マリクのため息混じりの反応だ。彼は肩をすくめ、やれやれと頭を振った。
「自分の誕生日も覚えていないのかい?」
「え――?」
反射的に疑問符を浮かべたものの、その瞬間には、彼の言いたいことが理解できてしまっていた。理解したことで、思考が停止する。頭の中が真っ白になるとはこのことであり、その一瞬にして、ファリアはなにがなんだかわからなくなってしまった。
「つまり、ファリアの誕生日の贈り物ってことだよ。セツナ伯からのね」
マリクに説明されるまでもなかった。
自分の誕生日に渡される予定だったということは、誕生日の贈り物以外考えられなかった。誕生日にまったく無関係なものを手渡すほど、セツナも空気の読めない男ではない。むしろ、鈍くはないのだ。他人の悪意に対しては鈍感でも、他人の好意に対しては人一倍敏感なようなのだ。好意には好意で返す彼を見ていれば、わかることだ。
しかし、マリクがそういって言葉にしてくれたことで、ファリアは自分を取り戻すことができたといってもよかった。言語化されたことで、真っ白な空白の中に色彩が入ったとでもいうべきか。硬直しかけていた思考回路が動き出し、同時に胸が高鳴りだす。心音が耳にまで聞こえる気がする。きっと気のせいではあるまい。心臓が激しく震え、体中の血液が熱を帯びた。
(セツナからの誕生日の贈り物……)
五月四日に開かれたファリアの誕生日会では、セツナはどこか居心地悪そうにしていたのだが、いまにして思えば、それは、ファリアへの贈り物が届いていないことからくるものだったのかもしれない。
(セツナからの……)
ただ、それだけのことで、ファリアは感極まってしまった。木箱の中身を確認する必要はない。思いだけで十分だった。どんなものでもよかった。たとえ簡単に手に入るような代物でも、感動は変わらない。
「ええーっ!? なんで!? なんでファリアだけそんな特別扱いなの!? わかるけど、わからないわ!?」
「ミリュウ様、衝撃のあまり支離滅裂さが増しているようにございます」
「増しているってどういうことよ!? まるでいつも支離滅裂みたいじゃない!?」
「そう申し上げたつもりなのですが」
「レム! あんたねえ……いい加減にしないと――!」
「心配しなくても、ミリュウの分もあるよ」
怒り心頭なミリュウの叫び声を遮ったマリクの言葉は、ファリアにとっては想定の範囲内のものだった。がっかりすることもない。むしろ、そうあるべきだと考えている自分がいる。セツナならば、そうするだろう。そうしなければ、セツナではないとさえ言い切れた。だから、ファリアは木箱を抱きしめながら、安堵さえ覚えるのだ。
「え!? あたしにも!?」
「あと、こっちは君にだ」
「わたくしにも?」
「ジベルに飛んで行く手間が省けてよかったよ」
彼がレムにジベル云々を尋ねたのは、そのせいもあったようだ。確かにここからさらにジベルに飛ぶとなると、手間がかかったのは間違いない。もちろん、レイヴンズフェザーならひとっ飛びではあるのだが。
それから、マリクは木箱がいくつか入ったままの布袋をファリアに押し付けてきた。ファリアがしかたなく受け取ると、彼はため息まじりにいってきた。
「残りは、小ファリアたちから渡しておいてよ。だれ宛なのかは明記してあるから、迷うことはないだろうし……ぼくはもう帰らなきゃいけないからさ」
「ちょっと、待って」
「なに?」
「いつ?」
「なにが?」
「セツナからいつ頼まれたの?」
「もちろん、クルセールからリョハンに戻るときだよ」
彼はそういって苦笑を浮かべた。マリクとセツナが知り合ったのは、クルセルク戦争の真っ只中だ。誕生日の贈り物を購入してガンディアまで運んできてほしい、などということを頼めるとなると、戦争終結後以外にはない、ということだろう。セツナの性格的に考えて、戦争の最中にそんな約束を交わすはずもなかった。セツナは、いつだって目の前の戦いに精一杯なのだ。戦後のことなど考えている余裕はない。
だが、疑問は残る。
「でも、なんで?」
「なにがさ」
「なんで、あなたがそこまでしてくれるの? いくらガンディアの領伯かたの頼み事だからって、引き受ける必要はないでしょ?」
そもそも、セツナとマリクの仲が良かったという記憶さえなかった。マリクはセツナのことを嫌っているような素振りさえ見せていた。セツナはというと、マリクに対して尊敬の念を抱いてすらいるようであり、そういう意味でのふたりの噛み合わなさが、疑問を助長するのだ。
マリクは、あっさりと言い放ってきた。
「断る必要もないよ」
「それは……そうだけど」
「納得出来ないっていうんなら、ひとつ理由をつけてあげよう。そう、ぼくは逆流現象の中でセツナの記憶に触れたんだよ。ミリュウのようにね。その結果、セツナが、君たちのことを心の底から大切に想っているのを知ったんだよ。その想いに応えたいって、想っただけのことさ」
ファリアたちの視線に気づいたのか、彼は、少し気恥ずかしそうに笑った。
「ぼくは気まぐれだからね」
そういって視線をそらす彼の表情は、歳相応の少年そのものだったのだが。
「じゃあ、セツナ伯が戻ってきたらちゃんといってよ。マリク=マジクは約束を果たした、って」
「うん……わかったわ」
「それじゃあ、また、いつか」
「お祖母様にもよろしく伝えてね」
「わかってるよ。小ファリアが元気そうで良かった。きっと彼女も喜ぶ」
マリクが不意に見せた表情が、あまりにも普段の彼からはかけ離れたものだったこともあり、ファリアは茫然とした。悠久の時を感じさせるような、そんな表情。とても十五歳の少年が見せるようなまなざしではなかった。そして、彼女という言い方も気にかかる。
「マリク?」
「いや、こっちのこと。じゃあ、こんどこそ、行くよ」
彼はそう告げると、レイヴンズフェザーを大きく広げた。一対の漆黒の翼。濡れたような黒い羽のひとつひとつが淡く輝きだしたかと思うと、マリクの周囲の空間が歪んで見えた。そして、突風が駆け抜けたかと思うと、衝撃波がファリアの体を突き抜けていった。もちろん、大切に抱えた木箱や布袋を落とすことはなかったが、衝撃波が通路を激しく揺らしたことには辟易した。
気が付くと、マリクの姿は掻き消えていた。
彼は、余韻さえ残さなかったのだ。