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第九百二十五話 想うということ(二)

 眼下、天輪宮の中庭が広がっている。

 飛龍殿と泰霊殿の間に設けられた中庭では、現在、エンジュール領伯近衛・黒勇隊の訓練が行われていた。黒勇隊は、エンジュールの司政官ゴードン=フェネックがセツナのために組織した部隊であり、人選もゴードンの意向が大きく働いている。ゴードンは、司政官としての仕事を見る限り、元々文官向きの人物なのは疑いようがないものの、ザルワーン戦争ではガンディア軍を相手に戦い抜いたザルワーンの将校でもあった。しかも、ロンギ川会戦では、ザルワーン側にあってガンディア軍に対してもっとも損害を与えたといい、そのことが彼の武官としての自負に繋がっているらしい。

 ひとが良さそうで気の弱そうな顔つきからは考えられないような声の張り方で、黒勇隊の面々を叱咤していた。

 黒勇隊は、実戦経験の少ない部隊だ。その実戦経験の少なさを補うには、訓練を重ねるしかない。無論、実戦と訓練は違う。訓練を何百回積み重ねようとも、一度の実戦に勝る経験を得ることはできないのだ。だからといって、訓練を疎かにするのも間違っている。

 ふと、そんなことを考えたのは、数多の死線を潜り抜けてきた英雄が大の訓練好きということを思い出してしまったからかもしれない。

 セツナのことだ。

「セツナだもの。シーラが困窮しているのを見れば、手を差し伸べるだろうことはわかっていたわ」

 ファリアは、連絡通路の欄干に上体を預けるようにしながら、つぶやいた。吐き出す息は、すべてため息のように浮かんでは消える。嘆息せざるを得ない。自分にも、彼にも、この状況にも、ため息しか出なかった。

 シーラに絶望的な現実が突きつけられたのは、昨日のことだ。彼女を生かすためにすべてをなげうったタウラルの領伯ラーンハイルの処刑だけならば、シーラもそこまで衝撃を受けなかったかもしれない。いや、そもそも、ラーンハイルひとりが処刑されるのであれば、ロズ=メランも命からがらシーラを探しだそうとはしなかっただろう。ラーンハイルの死は、織り込み済みだったはずだ。

 ラーンハイルは、アバードの北東部の地域タウラルの領伯だ。タウラルは、クルセルク戦争後のアバードにおけるシーラ派の一大拠点となっていた、という。シーラ派と王宮の対立がアバードを内乱状態にしたのは、周知の事実であり、そのひとつの原因はタウラルにあるといっていい。タウラルがシーラ派の受け皿となってしまったことが、王宮とシーラ派に軋轢を生み、対立へと繋がってしまった。結果、内戦が起きた。反逆者シーラは処刑されたが、反逆者に拠点を提供した領伯を放置しておくことなどできるはずもない。

 ラーンハイルが反逆者に加担した罪で裁かれるのは、既定路線といってもよかったし、シーラ自身、覚悟していたのは間違いない。それでも、ラーンハイル自身の望みを叶えるため、彼女はタウラルを抜け出し、アバードを捨てた。

 シーラが生き抜くことこそ、ラーンハイルの願いだった。自分の身になにが起きようと、シーラにだけは生き延びてほしいという彼の願いは、叶いかけていた。

 あのままなにごとも起きなければ、シーラはセツナの家臣として人生を全うしただろう。ラーンハイルひとりが処刑される運びとなり、そのことがシーラに伝わったとしても、彼女は動かなかったはずだ。ラーンハイルが死を賜ることくらいわかっていたはずなのだ。

 それなのに、シーラはアバードに戻らざるを得なかった。

 ラーンハイルだけでなく、数多くの人間が処刑されるという報を聞けば、彼女としても居てもたってもいられなくなるのは、当然なのかもしれない。シーラは、ラーンハイルの死を覚悟していた。それまでも数多くのものが、彼女のために命をなげうち、死んでいった。彼女はそういった数多の死を乗り越えて、龍府に辿り着いたのだ。いまさらラーンハイルとその一族郎党が処刑されるからといって大騒ぎすることもない、などとはいえないのだ。

 彼女はきっと、思い詰めていたのだ。ずっと、考え続けていたに違いない。自国のこと。自国の民のこと。自分のために死んでいった者たちのこと。自分のこと。そういった考えが、今回の報告で一気に弾けた。弾けてしまえば、止めようがない。止まりようがない。

 そしてセツナだ。

 セツナは、手を差し伸べることを躊躇いもしなかっただろう。そういう少年だった。

 ファリアも、セツナに救われている。セツナがいなければ、使命も居場所も失ったファリアは、途方に暮れて迷走を続けていたかもしれない。たとえガンディアが受け皿となってくれたとしても、彼女の心は混迷を極めたに違いない。そういった状況から抜けだすことができたのは、セツナがいてくれたからだ。セツナが手を差し伸べてくれたから、その手を掴んだから、ファリアは自分でいることができるのだ。

「うん。セツナだもんね」

 ミリュウがどこか嬉しそうに同調してきた。彼女にも実感としてわかるのだ。彼女もまた、セツナに手を差し伸べられている。セツナは、すべてを喪失した彼女の居場所となったのだ。彼女がセツナに依存し、セツナだけを見ているのは、そういうところも多分にある。

「さすがは御主人様でございます。お二方のお心を手玉に取るだなんて……」

 などという妄言を吐いたのは、どうしようもなくレム=マーロウなのだが。

「レム……あんたいつの間に」

 ミリュウの憮然とした言葉とともに背後を振り向くと、いつものように使用人染みた服装をした少女が満面の笑顔で立っていた。死神に似つかわしくない格好に表情だが、死神とは、案外このようなものなのかもしれないとも思わないではない。

「つい今しがた参上仕りまして候」

「なんていうか、あんた、いったいなんなのよ」

「セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド様の第一の下僕にございます」

「いやそれはわかってるけどさ……」

「わたくしも、御主人様の御主人様らしい行動によって救われた身。お二方のお気持ち、察するにあまりあります」

 そういったときの彼女の表情は、満面の笑顔ではなかった。穏やかな微笑であり、そのいつもの表情との違いが、彼女のセツナへの想いを如実に表しているようでもあった。レムも、セツナに救われている。しかも、彼女の場合、セツナがいなくては生きてはいられなくなってしまったのだ。そのことを呪うのではなく、喜んでさえいるようなのが不思議ではあるが、セツナとの触れ合いの中で彼を認めたのなら、ファリアとしてもなにもいうことはない。

「本当、罪作りなお方でございます」

 そして、彼女のその発言には全力で同意するしかなかった。

「まったく、人の気も知らないでさ。残された方は溜まったもんじゃないっての」

「本当よね。本当にそうよ。帰ってきたら、ただじゃ済まさないんだから」

「そうです、その意気でございます」

 レムがめずらしく強い口調でいってきた。

「御主人様がお戻りになられたら、その意気でご結婚を迫りましょう」

「そうよ、この意気で……って、はあ!?」

 ファリアは、レムの発した言葉の意味を理解して、素っ頓狂な声を上げた。中庭の黒勇隊士がこちらを見上げてきた気がするが、きっと気のせいだ。頭の中に生まれた混乱が、勘違いを生んでいるに違いない。結婚。考えたこともない、などといえば嘘になるのは間違いないが、自分とセツナがそんな間柄になるなどと想像するだけで頭の中が真っ白になるのもまた、当然の道理ではあった。

 好きなのは、疑いようもない事実だ。ファリアは自分自身のそういった感情に気づいているし、隠すつもりもない。正直に伝えることだってできるし、胸を張って好きといえるだろう。だから、嫉妬だってする。興味がなければ、好きでもなければ、嫉妬など抱くはずもないのだ。

「け、け、けけけ、結婚!? あたしとセツナが……結婚」

「なんであなたなのよ」

「え、でも、セツナと結婚するのはあたしの夢のひとつよ?」

「いや、だから、そういうことじゃなくて……」

 ファリアがしどろもどろになったのは、自分でもなにがいいたいのか、なにをいおうとしたのかがわからなくなっていたからだ。混乱がある。その混乱を生んだ元凶であるところのミリュウを睨みつけると、彼女は涼しい顔をしていた。

「なにもどなたかおひとりを選ぶ必要はございませんが?」

「そ、それもそうよね。あたしが第一夫人で……」

「あのね、なんでそうなるのよ」

「わたくしは末席で十分にございます」

 レムが乗り気なのは意外であるように思えたが、彼女の普段の言動を思い返せば、案外意外でもなんでもないのかもしれない。レムも、セツナへの好意を隠してはいない。ミリュウほど熱烈ではないにしても、だ。

「下僕じゃないの?」

「下僕兼側室というのも、悪くはないかと」

「悪いでしょ」

「本当にそうでしょうか?」

「あのねえ……」

 ミリュウは、取り付く島もないといったようなレムの反応に、困り果てたような顔をした。

「なんだ、まだ結婚する予定もないんだ?」

「当たり前でしょ。セツナとわたしは上官と部下に過ぎないわ」

「こりゃ大ファリア様の夢も当分叶いそうにないね」

「お祖母様には悪いけど……うん」

 大ファリアことファリア=バルディッシュが、昔から口癖のように曾孫の顔が見たいといっていたことを思い出して、彼女は憮然とした。昔からなのだ。それこそ、ファリアがリョハンにいるころからであり、祖母はそのためにリョハン中から結婚相手を見繕おうとしたりした。彼女の祖母はリョハン最大の権力者だ。祖母が一声発すれば、リョハン中の男の中から我こそはと名乗りを上げるものが現れるのは目に見えていた。ファリアが泣いて止めて事なきを得たが、もし祖母が暴挙に及んでいたら、いまごろこの場にはいなかったかもしれない。もちろん、即結婚ということはなかったにしても、リョハンを離れるということはできなかった可能性はある。

 その場合、セツナと出会うこともなかったのだが。

 そこまで考えてから、ファリアは、ふと、疑問を覚えた。

(大ファリア?)

 ミリュウにせよ、レムにせよ、ファリアの祖母のことを大ファリアなどと呼ぶことはない。そもそも、祖母の話題が出ること自体稀だったし、出たとして、彼女たちが祖母の願いを知っているはずもない。そして、声だ。よくよく考えてみると、ミリュウの声でもレムの声でもなかった。振り向く。

 少年がひとり、立っていた。背に漆黒の翼を生やした少年は、きょとんとした顔でこちらを見ていた。ファリアは、愕然とした。

「って、ええ!?」

「遅いよ。遅すぎるよ。いくらなんでも……」

 少年は、ファリアの反応にあきれたようだったが、彼女としては驚いて当然だった。

 リョハンにいるはずのマリク=マジクが話に割り込んでくるなど、想像できるはずもなかった。


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