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第九百二十二話 国境を越えて(二)

 十一日の朝日が昇り始めた頃、セツナたちは北部征竜野を踏破し、北の森に辿り着いている。

 街道から大きく外れてはいたものの、方角さえ見失わなければ、アバード領内に辿り着くことは明白だ。もっとも、あまりに街道から離れることを意識し過ぎると、道を見失い、方角さえも見失いかねない。ある程度の距離を保ちつつ、北進するのが最良だろうという結論に落ち着いている。

 森。

 龍府を中心とする征竜野、その外周を覆うように横たわる森は、ただ、森と呼ばれていたという。龍が征した野であるからこその征竜野とは異なり、森にはなにもなかった。故に、森には名さえつけられぬまま、五百年が経過した。もちろん、ただの森では不便極まりないこともあり、ライバーンの森や、ヴリディアの森など、五方防護陣の砦に対応した名称で呼ばれていた時期もあるらしい。そして、いまもまた、同じような理由で水龍湖の森や、天龍湖の森などと呼ばれているようだ。

 シーラたちがラグナと激闘を演じたのは水龍湖の森であり、いまシーラたちが休んでいる場所から東に向かえば、見えてくるはずだった。ラグナとセツナの死闘によって徹底的に破壊された森と湖の惨状が、眼に飛び込んでくるのだ。

 ラグナシア=エルム・ドラースという仰々しい名前に相応しい、圧倒的な力を見せつけたドラゴンと、そのドラゴンさえも倒したセツナとカオスブリンガー。両者の力の激突は、水龍湖周辺の地形を激変させ、観光資源としての水龍湖を終わらせたかに思えた。が、龍府は、セツナとラグナの戦いさえも、観光資源に利用することにしたらしい。水龍湖近辺に刻まれた破壊の爪痕を保全する方法を模索中だという。

 その話を聞いたときには、さすがのセツナも苦笑したものだ。

 ふたりはいま、龍府北部の森の中でも天龍湖よりの木陰に身を潜めている。龍府を発って数時間あまり、走り続けてきたのだ。いかに日々鍛錬をかかさないとはいえ、全力疾走を何時間も続けられるはずもない。シーラもセツナもただの人間だ。超人ではないし、体力が無尽蔵にあるわけではない。それに、ふたりの目的は、一瞬でも早くアバードに辿り着くことではない。アバードに辿り着いてからが本番なのだ。本番前に力尽きるなど、笑い話にもならない。

「ある程度距離は稼げたかな」

「まあ、上出来だろ」

 シーラは大きな木の根本に腰を下ろしたまま、腰に下げていた布袋を紐解いた。龍府を発つ前、レムが手渡してくれたものだ。中には、携行食が入っている。それと、水筒も手渡されていた。彼女がいつの間に用意したのかはわからないが、その手際の良さには感心するしかなかったし、そんな準備さえしていなかった自分たちの迂闊さを呪ったものだった。なにもかも突発的なことだったから仕方がない、などとはいえまい。

 彼女たちが自主的に用意したものといえば旅装であり、武器であり、ハートオブビーストを包み隠すための布袋程度だ。

 それと、路銀。

 金はすぐに用意出来た。さすがはガンディアの英雄といったところだろう。セツナはこれまでの多大な褒賞金をほとんど手付かずで残しており、その一部を自室に保管していたのだ。セツナには使い道がないらしい。趣味といえば自分を鍛えることであるのが彼だ。お洒落のために衣服を買ったり、装身具を購入するようなこともなければ、武装召喚師である彼には武器防具を取り寄せる必要もない。自然、貯蓄ばかり増えていく。

『ようやく使い所ができたってわけだ』

 セツナの苦笑には、シーラも笑うしかなかった。

 携行食を口にして、水筒で喉を潤す。空腹だったわけではないものの、体力を消耗しているのは間違いなかった。疲労を回復するためには、栄養分の補給は重要だ。携行食は、ガンディア軍特製の兵糧であり、一口で栄養価をたっぷり得ることができるらしい。菓子を食べているような気になって、空腹を紛らわせることもできそうにはなさそうだったが。

「これで上出来とはな」

 休憩中ということもあって、ラグナはセツナの頭の上に乗っかっていた。頭上からセツナの目の前まで首を突き出し、彼が差し出した携行食を少しばかり口にして、宝石のような目を瞬かせたりもした。しかし、いまはセツナの頭の上でふんぞり返っている。しかし、尊大な態度も、愛嬌のある姿形の前では不快感を抱かせるには至らない。むしろ、可愛らしく見えてしまうのだから困りものだった。

「なんだよ」

「人の子の足ならば、致し方無いかの」

「てめえの足じゃ森に辿り着くこともできねえだろうが」

「なにをいうかと思えば……わしは飛べるぞ?」

「ああ、そうだったな」

 セツナが少しばかり口惜しそうにつぶやくと、ラグナは彼の視界をこれみよがしに飛んでみせた。小さな飛龍は、その名のままに自由自在に虚空を飛び回った。緑柱玉のような鱗が淡く輝いていて、光の軌跡を森の影に浮かばせた。旅装の少年に戯れる宝石のような小飛龍。不思議な光景だった。神秘的で、思わず息を呑む。

 このまま、ずっと眺めていたいと想った。このまま、時間もなにも止まってしまえばいいのに、とさえ想ってしまった。

(馬鹿なことを)

 セツナがラグナの高笑いに引きつったような笑顔で応えるのを見つめながら、胸中で吐き捨てる。セツナが手を差し出すと、ラグナはその手のひらの上に着地した。セツナはラグナを頭の上に戻すと、こちらを見て肩を竦めてみせた。シーラはそんなセツナの表情がおかしくて、つい吹き出した。

 休憩は、二時間余り続いた。

 その間、シーラはほとんど口を開かなかったし、セツナも特になにもいってはこなかった。時折、ラグナが彼の頭の上から飛び立ったかと思えば、数分後には周囲に人影はないという報告をもたらしてくれた。セツナがなにも頼んではいないのに周囲の警戒をしてくれたということだ。セツナがラグナを褒めると、下僕弐号としては当然のことだ、と彼はいった。ラグナは、どういうわけか、セツナの下僕であることを誇りに思っているらしい。それはレム=マーロウも同じだった。奇妙なことのように思えるが、セツナのように他人のために自分の危険を顧みない人間を主と仰げば、自然、そういう感情を抱くものなのかもしれない。

 シーラも、いつかはそう思う日が来るのだろうか。シーラはいま、セツナの庇護下にあって、彼を主と仰ぐ立場にいる。龍府領伯近衛・黒獣隊長。それがいまのシーラの肩書だった。セツナがシーラのために用意してくれた立場であり、肩書であり、役職である。シーラは、セツナに感謝するしかなかったし、セツナの部下として精一杯働くつもりでいた。

 ただ、それもこれも、今回の旅が無事に終わったらの話だ。

 アバードの王都バンドールを目指す旅路。決して長く遠い道のりではない。龍府からバンドールまでの距離は、龍府からガンディオンに至るよりずっと短いし、国境さえ突破できればあとは大きな問題もないはずだ。もちろん、王都に辿り着くことが目的ではない。王都への到達は通過点に過ぎず、問題があるとすればそこから先のことだ。無事で済むかどうかもわからない。

「そろそろ行くか」

「もういいのか?」

「俺――いや、わたしはだいじょうぶだ」

「ん……?」

「口調も改めておかないと、バレるかもしれないだろ」

 シーラは、セツナの手を取って立ち上がらせながら告げた。格好も、好みではない女性物の衣服に身を包んでいる。もっとも、旅装だ。女物といっても長旅に適した衣服となれば、男性物と大差ないといっても過言ではなかったが。

 せめて王宮に辿り着くまでは正体を隠し通す必要があるのだ。シーラ・レーウェ=アバードは死んだのだ。王宮に反逆を企てた罪で処刑された。それが歴史的事実として残り続ける。そして、それを覆そうとも思わない。それはそれでいい。そのために多大な血が流れている。レナ=タウラルやセレネ=シドール、侍女たちは、シーラを歴史上から抹殺するために死んだのだ。その死を無駄にするわけにはいかなかった。王宮に辿り着くまでに正体が明らかになるということは、シーラが生きていたということが判明するということは、そういった数多くの死を無駄にするということにほかならない。

 だから、隠し通さなければならない。

 外套の頭巾を目深に被るのも、目立ちすぎる白髪を隠すためだった。白髪は、アバードにおいては王族の証といってもいい。特に若い白髪の女など、アバード王家に連なる人間くらいのものだ。そんな女がアバード国内で発見されれば、アバード中の噂となるだろう。そして、噂には尾鰭がつきものだ。白髪の女の噂となれば、シーラの生存に結びつく可能性もないとは言い切れない。シーラの生存は、いまや風前の灯といっていいであろうシーラ派を活気づかせるかもしれなかった。

 もっとも、問題はそこではない。

 問題は、白髪の女が発見されたことによる王宮の警戒の強化だ。アバード政府は、シーラが生きているということを知っている。知った上で、シーラの処刑を公表した。シーラ派の希望を断つためだ。

 王宮は、国内に白髪の女がいるとしれば、それがシーラであると断定するだろう。そして、国内にいるということは、なにかを企んでいると警戒する。リセルグ・レイ=アバードに近づくことは、より困難を極めることになるだろう。

「たしかにな」

「ふむ。たしかに正体を隠すのも大事かもしれぬが、この状況を打開するほうが先決じゃと思うぞ」

「あ?」

「皇魔がおぬしらを囲んでおる」

 ラグナの一言に、シーラはセツナと顔を見合わせた。セツナの頭の上の小龍を一瞥し、その小龍が宝石のような目を光らせていることを把握すると、すぐさま周囲に視線を走らせた。

 鬱蒼と生い茂る森の中、確かに、異形の気配が蠢いているように思えた。

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