表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
921/3726

第九百二十話 ジルヴェール(四)

 ガンディアは、クルセルク戦争以来、内政に力を注いでいる。

 クルセルク戦争では、これまでの戦争とは桁違いの血を流した。血を流さなければならなかった。そうしなければ、勝てる見込みがなかったからだ。いや、大量出血の末、滅亡するという公算も少なくはなかった。たとえ連合軍の力を結集したとしても、勝てるかどうか、不明な部分も大きかったのだ。

 それでも起こさざるを得なかったのが、クルセルク戦争だった。

 ガンディアが連合軍の盟主として戦争を引き起こさずとも、クルセルクはガンディア領土に攻め寄せてきたのだ。それは、クルセルクの宣戦布告からも明らかだった。クルセルクの魔王ユベルことエレンは、ガンディア王家への復讐を果たすため、ガンディアを攻め滅ぼすつもりでいたのだ。

 連合軍を結成し、応戦しなければ、瞬く間に皇魔の濁流に飲み込まれ、ザルワーンはおろか、ログナー、ガンディア本土も徹底的に蹂躙され、ガンディアはこの地上から消滅していたかもしれない。もちろん、抵抗しただろうし、《獅子の尾》を始めとする戦力が勇奮したことは疑いようがない。だが、物量差は圧倒的だった。

 開戦当初ですら六万というのが、魔王軍の動員兵力だった。ガンディアが動員しうる兵力が二万ほどであり、その戦力差の凄まじさは一目瞭然としか言いようがない。しかも相手は皇魔だ。皇魔と人間の戦闘力というのは一体と一人であっても、一対一ではない。二対一、三対一といっても過言ではないのだ。そんな化物が数倍の物量で押し寄せてくれば、ガンディア軍など立ちどころに飲み込まれ、攻め滅ぼされたのは疑いようがなかった。《獅子の尾》が奮起したところで、局地的な勝利を重ねたところで、大局は揺るがないものだ。

 さらに魔王軍は切り札を用意していたのだが、ガンディア一国が相手ならば、切り札を用いるまでもなかったことは想像に難くない。《獅子の尾》の奮起も虚しく、ガンディア全土は、皇魔によって蹂躙され、ガンディアの歴史は途絶えただろう。

 アバード、ジベル、イシカ、メレド、ルシオン、ベレルとの連合軍を結成して、ようやく対等な兵数を用意出来た。だが、それでもまだまだ足りない。数の上でようやく追いついたといっていい程度であり、質のうえでは、圧倒的に負けていた。敵は皇魔。こちらは人間なのだ。そこで《大陸召喚師協会》とリョハンに協力を仰いだ。

 おりよく、クオール=イーゼンがガンディアを訪れていた。クオール=イーゼンは、リョハンの統治機構である護山会議の使いとして、レオンガンドに面会を求めていた。

 護山会議は、セツナの領地であり療養先であるエンジュールで起きた事件について、レオンガンドに意見を求めたのだ。エンジュールで事件が起きたのは、その年の十月下旬のことだ。

 当時、セツナがエンジュールを訪れたのは、暗殺未遂事件の肉体的、精神的負傷を癒やすためであり、領地の住人への挨拶のためでもあった。そんなとき、エンジュールに魔人アズマリア=アルテマックスが現れ、ファリア・ベルファリア=アスラリアおよびクオール=イーゼンとの間に戦闘が起こったのだ。クオールは、アズマリア討伐の任務を遂行するために戦い、ファリアは父の復讐と母の悲願のために戦った、という。結果的にアズマリアに手傷一つ負わせられなかったということだが、その戦いによってファリアはリョハンでの立場を失った。

 クオールは、そのことを言いに来たのだ。

 護山会議としては、ファリアをリョハンに呼び戻したかったから、アズマリア討伐の任務を解いた。リョハンに戻り、女神の後継者として過ごしてほしい、というのが護山会議に望みだったのだ。だが、ファリアは聞き入れるどころか、護山会議の決定を無視して、アズマリアと交戦、結果、護山会議はファリアからリョハンにおけるあらゆる権限を奪うほかなかった。法は法。掟は掟。定められた法理が破られたのならば、女神の孫娘であり、次期女神出会ったとしても、厳正に対処する――それが、護山会議の決定だったのだ。

 それでも、護山会議としては、ファリアを無視することはできなかった。

 クオールをガンディアに遣わせたのは、ガンディア王レオンガンドに、ファリアの庇護を頼むためでもあったのだ。レオンガンドは、一笑に付した。いわれるまでもなかった。いや、それ以前に、レオンガンドが庇護するまでもなかったのだ。

 セツナが、彼女の居場所となった。

 それは、クオールもわかっていたことのようだが、護山会議の決定には、彼も従わなければならない。

 しかし、レオンガンドとナーレスは、護山会議からの使いを奇貨と見た。ファリアを、次期戦女神を庇護する代わりに、戦力を要求したのだ。相手が人間ならば、そんな要求が通るはずもなかったが、クルセルクの主戦力は皇魔であり、連合軍の最大の敵は、その皇魔なのだ。人間だけが相手ならば、リョハンに協力要請などするはずもない。

 果たして、リョハンは協力を約束し、ザルワーンの戦場に戦女神と四大天侍というリョハンの最高戦力が降臨した。

 まさに絶対的な力の降臨は、連合軍に勝利を約束した。

 ガンディアがクルセルクに勝利することができたのは、そういった様々な外的要因が上手く働いたからであり、ガンディア一国だけでは拮抗することさえ不可能だったのは、疑いようのない事実だ。そして、そういった外的要因が効果的に作用した上で、さらに多大な犠牲を払わなければ、あれだけの勝利を得ることはできなかった。

 だが、勝利を得るために払った犠牲はあまりに大きく、その爪痕は、いまも癒えることなくガンディアという国に刻みつけられたままだ。

 何千という将兵が命を落としている。重軽傷者を含めると、さらに数多くの血が流れた。流し尽くしたといっていいほどに流れた血は、ザルワーン戦争の比ではない。それだけ魔王率いる皇魔の軍勢との戦いが苛烈であり、絶望的でさえあったという証拠なのだが、だからといって、それらの死を平然と受け入れられるものばかりではない。

「厭戦気分……か」

 レオンガンドは、座り慣れた椅子の座り心地の悪さに辟易しながら、腹心たちの報告に耳を傾けていた。厭戦気分が、ガンディア全土を覆っているという。大量に出血したことだけが原因というわけでもない。戦争に次ぐ戦争、出征に次ぐ出征が、兵や民の心を蝕んでいる。

 王都ガンディオン獅子王宮にある戦略会議室に、彼は腹心たちを集めていた。四友と呼ぶことも少なくない四人の側近――ゼフィル=マルディーン、バレット=ワイズムーン、スレイン=ストール、ケリウス=マグナートに、オーギュスト=サンシアン、エリウス=ログナーといういつもの顔ぶれである。オーギュストはクルセルク戦争の折には参謀局の副局長という役職にあったが、自分には不向きだということで戦後、辞任を申し出、レオンガンドによって許可されている。

 つまり参謀局は副局長の座が空席となっているのだが、特に問題もなさそうではあった。そもそも、参謀局は局長のナーレスとふたりの室長によって回っている組織だ。そこにオーギュストを絡めるのは、無理があった、ということだろう。さすがのオーギュスト=サンシアンも、戦術の話となるとほとんど口を挟むことができなかったらしい。

 以来、オーギュストはレオンガンドの側近衆に加わっている。

 エリウスが側近衆に加わったのは、王宮での事変以降のことだ。ガンディアのために父殺しの業を背負った彼ならば、側に置いても問題はないとレオンガンドは判断した。エリウスは聡明な男だ。家のため、国のために父殺しを行う覚悟もある。レオンガンドは、彼に自分を見、彼を側に置くことで成長を促し、行く行くはガンディア王家を支えていってもらうつもりでいた。それは、レオンガンドと同じ業を背負ったエリウスにしかできないことのように思えた。

「仕方がございますまい。あれだけの血が流れたのです」

「わたしとて同じようなものだよ」

 レオンガンドが告げると、ゼフィルは意外そうな顔をした。御前試合ではその司会進行振りが話題になり、御前試合後、そのことで少しばかり王宮での人気を得た彼も、いまではいつもの紳士に戻っている。手入れの行き届いた口髭に涼やかな目元こそ、ゼフィル=マルディーンのゼフィル=マルディーンたる所以なのだ。

「いささか、走り過ぎた」

「バルサー要塞の奪還以来、ほとんど休むことなく戦い続けてきたのです。ログナー、ザルワーン、ミオン、そしてクルセルク――」

「たった一年でこれだけの戦いを行うなど、通常、ありえぬことだぞ」

 レオンガンドは、苦笑交じりに告げた。実際には一年でさえない。一年に満たない期間では考えられないほどの戦いを起こし、そのたびに勝利を重ねてきている。戦いに次ぐ戦い。勝利に次ぐ勝利。ガンディアの領土は日に日に拡大し、国力も増大した。一年前のガンディアの領土は、現在、ひとつの地方と呼んでいいだけの代物だった。

「ええ……そうでございますね」

「まったく。どこのだれのおかげやら……」

 レオンガンドは、視線を側近たちの顔から虚空に移して、目を細めた。脳裏に浮かぶのは、彼に多大な勝利をもたらした少年の姿だ。その少年と出逢い、その少年が圧倒的な力を魅せつけたことが、すべての始まりといってよかった。

 もし、彼と出会わなければ、ガンディアはこれほどの速度で躍進することはなかっただろう。

「セツナ伯でございましょう」

「……そうだ。彼が、わたしの夢を後押ししてくれた。彼がいなければ、わたしは夢を追うことにさえ執着しなかったかもしれない」

「夢……」

「そう、夢だ」

 レオンガンドは、側近衆の顔を見回した。皆、レオンガンドの顔を臆面もなく見つめている。バレットの鋭いまなざしも、ゼフィルのどこか優しげな目線も、ケリウスの目も、スレインの目も、オーギュストのなにを考えているのかわからない視線も、エリウスの真剣な目つきも、レオンガンドには心地よい響きを持っていた。だから、側に置くのだ。なにも響かない人間など、側に置いておく意味が無い、と彼は考えている。

「大陸小国家群の統一こそ、我が夢。それも、不可能ではなくなったのは、セツナがいたからこそだ」

 レオンガンドは、卓上に広げられた地図に目を落とした。ワーグラーン大陸のうち、小国家群と呼ばれる領域に焦点を当てた地図を見れば、現在の小国家群の情勢が手に取るようにわかった。もちろん、完全なものとはいえない。ガンディア以外の国の領土については、情報でしか知らないからだ。北西端の国エトセアが領土を伸ばしているという話も、情報でしかわからない以上、反映のしようがない。しかし、ガンディアや周辺諸国の領土となると、話は別だ。

 ガンディアの国土は、一年前に比べて圧倒的に巨大化している。形そのものは歪だが、これだけ広い領土を持つ国は、小国家群のどこにも見当たらないだろう。もはやガンディアを弱小国家などと呼ぶものはいない。強国であり、大国。それこそがガンディアの代名詞となっている。

 それもこれも、セツナという力を得、彼が先頭に立って敵を倒してきてくれたからだ。

「小国家群の統一……三大勢力に対抗するためですな」

「ああ。そのためにも急ぐ必要はある。が、焦る必要はない。休むときは休み、つぎの戦に備えなければなるまい。いまがそのときだろう」

 ちょうど良い時期だった。クルセルクという最大最悪の敵国が潰えたいまこそ、内政に力を注ぎ、国力を高めるときなのだ。そして、それこそ、つぎの戦い、つぎの外征の際、大いなる力となるに違いない。厭戦気分も、そのときまでには薄れていることだろう。

「ジゼルコート伯はケルンノールに戻られたとか」

 ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブールは、レオンガンドの外征中、王宮にあって国政に携わっていた。ジゼルコートは、かつて影の王と呼ばれていた実力者だ。その政治手腕は凄まじいといってよく、彼が、外征中のガンディアを支えてくれていたのは疑いようのない事実だった。無論、彼がいなかったとしても、立ちどころにガンディアの内情が悪化したわけではないにせよ、ジゼルコートがいることの恩恵は、計り知れないものがある。それは、側近衆も認めることではあるし、レオンガンドもジゼルコートの働きには感謝するしかなかった。

 それだけに、ジゼルコートが王宮に居座り続けるのではないか、という懸念もないではなかった。クルセルク戦争は長期に渡った。レオンガンドたちは、三ヶ月あまり、ガンディオンを空けている。その間、ガンディオンの中心にあり、ガンディア全体の内政を取り仕切ったのがジゼルコートだ。王が不在の三ヶ月間。ジゼルコートが再び影の王の座に君臨するには、十分すぎるほどの期間だ。彼が権勢を得、その権勢を維持し続けるのではないかという不安は、側近のみならず、外征中の将軍たちからも囁かれた。

 皆、ジゼルコートのひととなりは知っている。ジゼルコートがガンディアのために骨を折り続けてきた人物だということは、よくわかっている。レオンガンドが王位を継いだ途端、影の王の座を捨て去り、ケルンノールに篭もったほどだ。彼が権力に興味が無いのは、よく知られた話だった。だから、レオンガンドも安心して国政を任せられたのだ。

 しかし、人間というものは、変わるものだ。

 ガンディアの国土は、ジゼルコートが影の王として君臨していた時代とは比べ物にならないほどに拡大している。ジゼルコートが肥大した国土に直面し、心変わりしないとは限らない。

 しかし、そういった懸念は、杞憂のうちに消えた。

 ジゼルコートは、レオンガンドが内政に乗り出すと、あっさりとケルンノールに帰ってしまったのだ。権力になど興味はない、というジゼルコートの価値観が変わっていなかったことに安心を覚えたものだ。

「代わりにジルヴェールが来るらしいがな」

「ジルヴェール様といえば、陛下の遊び友達だったそうですな」

「ああ」

 ゼフィルの言葉にうなずいたとき、レオンガンドの頭の中には、自分の子供時代の光景が過ぎった。懐かしくも輝かしい日々の光景。ガンディアにはまだ英雄が健在であり、栄光に満ちた将来が約束されているとだれもが信じて疑わなかった日々。王宮内を駆け回ることだけが、当時のレオンガンドの仕事であり、ジルヴェールとともに王家の森や城壁内を走り回ったものだった。

 ジルヴェール=ケルンノール。その名の通り、ケルンノール領伯ジゼルコートの子である。レオンガンドと同じ年、同じ月に生まれた彼は、王家に連なるということもあって、レオンガンドの遊び相手に抜擢されたのだ。

「二十年前までは、仲良く遊んでいたよ」

 レオンガンドは、懐かしさのあまり目を閉じていた自分に気づいて、小さく苦笑した。瞼を開き、天上を仰ぐ。魔晶灯が冷徹に輝いている。その光を見つめていると、妙に落ち着くのだ。

 魔晶灯の冷ややかな光は、ひとに冷静さを促す力があるらしかった。

「父が病に倒れ、わたしが“うつけ”となってから、彼とは疎遠になっていたが……。そうか。ジルヴェールか」

 レオンガンドは、遠い目をしながら、同じ年、同じ月に生まれた従弟のことを思った。彼が来たら、王宮は少しばかり騒がしくなるかもしれない。少なくとも、安穏としてはいられないだろうことは、想像に難くない。

 ジルヴェールはジゼルコートの子だ。

 ジゼルコートがなにかを企んでいるのは、レオンガンドたちの目には、明白なのだ。影の王の座をあっさりと捨て去るジゼルコートのことだ。ガンディアに不利益をもたらすようなことは企んでいないと想いたいのだが、いまのところは、なんとも言い様がない。

 レオンガンドたちとしては、その動きを監視し、警戒することしかできなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ