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第九百十九話 ジルヴェール(三)

「陛下は、シーラ姫が反乱を起こすような方だと思われましたか?」

「……そんな物騒なことを考えているようには見えなかったよ。少なくとも、クルセルクの戦場ではね」

 ナージュの問いに、レオンガンドははっきりと告げた。

 五月十一日。

 龍府からアバードの公表した情報が届いて、三日ほどが経過している。

 王都ガンディオンは、ガンディア領土の中でも南方に位置している。情報のやり取りに時間がかかるのは仕方のない事であり、不便極まりないことこの上ないというのもまた、諦めざるをえないことだ。ナーレスが龍府に遷都するべきではないか、といってくるのもわからないではないし、実際、そうしたほうがいろいろな面でいいことも知っている。

 北に向かって国土を拡大するというのなら、なおさらだ。

 しかしながら、北進だけがガンディアの道ではない。東にも西にも、南にも、道を作ることはできる。無論、同盟国や友好国の領土を攻めるわけではない。同盟国、友好国の領土ならば、安心して通過することができる、ということだ。その方法が成功した場合、領地は飛び地になるが、大きな問題にはならないだろう。領地の運営に関しては、司政官に一任することが多い。領伯の領地さえも司政官に任せているのだ。国王みずから手腕を振るう必要さえない。レオンガンドの仕事といえば、ガンディア全体の指針を出すことであり、細々としたことは、四人の腹心や参謀局、大将軍以下の軍部の連中がやってくれるものなのだ。

 たとえ遠隔地に領土を持ったとしても、その点は変わらない。

 情報の交換にしても、そうだ。

 遠距離間の情報のやり取りは、主に空を使う。つまり、鳥だ。鳥の飛翔能力と帰巣本能を利用した伝書鳥は、ガンディアのみならず、小国家群の主な通信手段として利用されている。ガンディアのように南北に広い領土を持つ国には必須の通信手段といってもいい。

 龍府から、アバードが王女シーラ・レーウェ=アバードを反逆者として処刑したと公表したという報告が届いたのが、五月八日のことだ。獣姫の名で知られる勇壮な姫君の処刑は、すぐさま王都中に知れ渡り、王都市民の同情を買った。リノンクレアという王女の活躍に狂喜していたガンディア国民には、シーラのような勇猛な王女は敬愛するべき対象だったのだ。シーラの太陽のような人柄も、国民にとっては好意の対象となった。また、シーラは、ガンディアの英雄セツナと連れ立って王都を歩き回っていたという話もあり、そこから、シーラがセツナの元に輿入れするのではないか、と噂されたこともあったほどだという。根も葉もない噂話だが、そういった話が取り沙汰されるくらいアバードの王女がガンディア国民に受け入れられていた証左といっていい。

 その上、彼女はガンディアとアバードの友好に尽力していた。両国間の関係がよりよいものになるように力を尽くし、方方に働きかけていた。彼女がいなければ、ガンディアとアバードがクルセルク戦争の末期から戦後にかけて、友好関係を強くするようなことはなかったのではないか。そう思えるほど、シーラの行動力は凄まじく、力強かった。

「それに、そんなことを考えていたのなら、ガンディアとアバードの紐帯を強くしようなどとは、しなかったはずだ」

「きっと……なにかの間違いでございましょう」

「間違いで処刑されてはたまらないが……しかし、そうとしかいえないな」

「はい……」

 寝台の上のナージュが、悲しそうに目を伏せた。ナージュの表情こそ、シーラの死を悼み、悲しみに暮れているものの、全体的には健康そのものだった。お腹の中の子供も、日々、成長を続けているらしい。

(そう。そんなことは、ありえない)

 レオンガンドは、ナージュの細い手を握りながら、胸中でつぶやいた。五月八日、シーラ処刑の報せが届いたことには触れた。その翌日、ナーレスからレオンガンド宛ての書簡が届いている。軍師印の封がなされた書簡は、レオンガンドだけが内容を知ることができた。そして驚くべきことに、その書簡には、シーラが生きていて、セツナの保護下にあることが記されていた。

 シーラが生きているという可能性について考えていないわけではなかったものの、処刑の報せを聞いた翌日に覆されるとは思ってもみなかったし、なにより、その処刑された本人がセツナの保護下に入るとは想像しようもなかった。

 アバードの内紛以来、レオンガンドの想像力では及びもつかないことばかり起きている。

 無論、シーラの生存について、レオンガンドはだれにも口外していなかった。ナージュにさえ、話していない。話せば、どこかに漏れるかもしれない。ナージュは、決して口が軽いわけではないし、信用していないはずもない。ナージュとは、様々なことを話し合ってもいる。しかし、黙っているからといって情報がもれないとは限らないのだ。ナージュはレオンガンドの妻であり、王妃である。彼女と言葉を交わすものは数多おり、その中には彼女の表情から情報を読み取ろうとするものもいるに違いない。些細な表情の変化が、シーラの生存を匂わせることだって、ありうる。

 シーラの生存は秘しておく必要があるのだ。

 少なくとも、アバードの情勢が落ち着くまでは、隠し通さなければならない。

 アバードがシーラ姫を処刑しなければならなかった理由などは、どうでもよかった。様々な事情が、そうせざるを得ない状況を作ったのだろう。ほかに方法がなかったのだ。しかし、アバードがシーラの処刑を公表したということは気になった。シーラ本人は生きていて、アバードを抜けだして、セツナの保護下にあるという。ナーレスの書簡によれば、偽物が処刑されたというのだが、アバードがそれを知らないはずがなかった。本物と偽物の区別がつかないはずもない。

 つまりは、シーラが死んだという事実が欲しかった、ということなのかもしれない。

 そしてそれは、シーラの生存が明らかになってはならないということに繋がる。シーラが生きていることが明らかになり、彼女がガンディアの領伯の元に匿われているということが発覚すれば、ガンディアとアバードの関係は一気にこじれるだろう。一触即発の危機に陥るかもしれない。

(しかし……)

 レオンガンドは、ナーレスの手紙の文面を思い出して、眉根を寄せた。ナーレスの手書きの文章というのは達筆というほかなく、文句のつけようもない。しかし、内容となると、話は別だ。考えさせられるようなことばかりが文字となっている。

『今後、どのような事態に発展いたしましても、陛下におかれましては、動じられることのなきようお願いいたします。陛下が道に迷うたときは、アレグリア=シーンにお尋ねください。アレグリアは臆病ですが、臆病者故、物事を隅から隅まで見渡し、よく考え、正しい道筋を示すでしょう。もちろん、エイン=ラジャールも重用して頂けると幸いです。彼は勇猛というよりは無謀なところがございますが、その勇気が知恵となっております。彼の知勇は、ガンディアの将来に欠かさないものとなりましょう。アレグリアとエインはふたりでひとりとお考えくださいますよう、なにとぞよろしくお願いいたします』

 レオンガンドは、はじめてその文面に目を通したとき、頭を抱えたくなったものだった。ナーレスが王宮にいるときから、何度となく聞かされてきたことでもあったからだ。ナーレスという稀代の軍師は、自分の死期を見定めた時から、後継者の選定と育成に力を注ぐようになった。幸運なことに後継者候補はすぐに見つかった。ザルワーン戦争の内容を確認したナーレスは、エイン=ラジャールとアレグリア=シーンにその片鱗を見たというのだ。それから、ナーレスはふたりを育成するために参謀局を設立、みずからが初代局長となってふたりの育成と、将来のための情報の蓄積を始めた。

 それ以来、レオンガンドはナーレスからエイン=ラジャールとアレグリア=シーンのことについて聞かされることが増えた。曰く、アレグリアは臆病故の智者である。曰く、エインは勇猛故の智者である。まったく異なる個性を持つふたりの後継者は、ナーレスの人生に彩りを添えたようだった。彼は、ふたりのことを語るとき、いつになく活き活きしていたからだ。

 彼は、エインとアレグリアを大切にしろ、とレオンガンドに何度となくいった。それこそ、頭が痛くなるくらい何度も、だ。それだけいわれれば、さすがのレオンガンドもふたりに注目せざるを得なくなる。ナーレスのいうことだ。信じておいて損はないだろうとも考えた。

 エイン=ラジャールとアレグリア=シーンのふたりは、クルセルク戦争でも活躍し、ガンディア参謀局の名を天下に轟かせた。

 確かに、あのふたりならば、ナーレスの後継者になれるのかもしれない。

 ふたりでひとり。

 それはつまり、どちらかひとりを重用するな、ということであり、それ自体、ナーレスから何度となく聞いていることではあるが。

 気になるのは、そこではない。

(どのような事態に発展しても……か)

 ナーレスにはなにもかも視えているかのような文面は、レオンガンドには理解し難いものではあった。

 レオンガンドは、ふと、ナージュの寝息が聞こえて、閉じていた瞼を開いた。話し疲れたのだろう。少し、長話をしすぎたのかもしれない。

 レオンガンドは、ナージュの健やかな寝顔に微笑みかけると、椅子から立ち上がり、後のことを侍女たちに任せて部屋を出た。ナージュは健康そのものだ。胎内の子もすくすくと成長している。順風満帆といっていい。

 ただひとつ、懸念材料があるとすれば、ナーレスの書簡の文面が遺言染みていたということだ。

(死ぬな)

 勝手な言い草だが、ナーレスにはまだまだ生きてもらわなければならなかった。なんとしてでも生き延びて、レオンガンドの行き先を照らしてもらわなければならない。

 ナーレスでなければ、だめなのだ。

 どれだけエイン=ラジャールとアレグリア=シーンが優秀で、軍師の後継者に相応しい能力、人格を有していたところで、ナーレスがレオンガンドとの間で長年培ってきた信頼には勝てない。彼らがレオンガンドにナーレスと同じだけの信頼を得るのは、簡単なことではない。ナーレス以上の功績が必要であり、ナーレス以上の期間が必要だった。

(あなたでなければならないのだ)

 ナーレス以外のだれが、このガンディアの舵を取るというのか。

 レオンガンドは、遠い龍府の地を想い、そこに飛んで行くことさえできない自分の立場を悔やんだ。

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