第九百十八話 ジルヴェール(二)
シウスクラウド・レイ=ガンディアが病に倒れたのは、二十年も前のことだ。
ジルヴェールとが六歳のころのことだったが、王宮のみならず、王都全体が大騒ぎになったことを彼は覚えていた。忘れようにも忘れられないだろう。天地を支える柱が音を立てて崩れ落ち、臣民ともに嘆き、悲しんだ。だれもが、シウスクラウドに英雄を見ていたからだ。
英雄が倒れた。
ガンディアに未来はない。
短絡的な結論に疑問を差し挟む余地はなかった、
それがただの病ならばよかった。一週間も経てば回復するような病なら、なんの問題もなかった。一ヶ月、一年かかってもいい。シウスクラウドが病を克服し、再び立ち上がってくれたのならば、ガンディアの臣民は立ちどころに力を取り戻しただろう。王家への忠誠心そのままに奮起し、シウスクラウドとともにガンディアの躍進に力を注いだだろう。
だが、現実はそうはならなかった。
シウスクラウドを蝕む病の正体は、わからなかった。ザルワーンの国主マーシアス=ヴリディアに毒を盛られたという声があり、それが真実のように語られるようになったのは、マーシアスはザルワーンを支配するためならばあらゆる手段を用いたことで知られていたからであり、狡猾で悪辣な暴君としてザルワーンに君臨していたからだ。
シウスクラウドは、そんな暴君から会食の誘いを受けた。ジゼルコートを始めとする周囲の人間は、シウスクラウドを引き止めた。マーシアスの誘いにのってザルワーンに乗り込むなど、死地に裸で赴くようなものだ、とだれもがいった。シウスクラウドは、笑って取り合わなかった。英雄と褒めそやされる男が、ひとびとの幻想の中の英雄であり続けるには、ほかに道はなかったのかもしれない。
シウスクラウドは、幼きレオンガンドを連れて、マーシアスの待つザルワーン首都・龍府に向かった。会食、会見の間、なんの問題も起きなかったという。シウスクラウドに暗殺者が襲いかかるようなこともなければ、マーシアスが軍を差し向けてくるようなことさえなかった。帰国後、シウスクラウドは勝ち誇ったものだ。
だが、しばらくして、シウスクラウドの身に異変が起こる。原因不明の病がシウスクラウドの人生を暗雲で包んだ。暗い影に覆われたのは、シウスクラウドの人生だけではない。ガンディアの将来もまた、暗黒の闇に囚われていった。
王位継承権を持つレオンガンドが暗愚ではないか、と囁かれ始めたのは、ちょうどそのころだった。
レオンガンドの遊び友達であるジルヴェールには、到底信じられない話だった。レオンガンドは、子供の頃から、貴族の子供の間で図抜けた聡明さを持っていた。時折、レオンガンドの頭の良さにだれもがついていけなくなることがあるほどだったし、ジルヴェールは、そんなレオンガンドだから将来の主君として接し、レオンガンドから笑われたりもしたのだ。
やがて、レオンガンドが“うつけ”という評判が真実味を帯びたものとして、王宮の内外で取り沙汰されるようになる。ガンディアの将来を切り開くべき英雄シウスクラウドが病に倒れたいま、臣民は、シウスクラウドの血を引くレオンガンドが、英雄の素質さえも受け継いでいることを期待していた。
期待は、無残にも裏切られた。
レオンガンドは、シウスクラウドが病と戦う傍らで遊び呆けていた。まるでシウスクラウドの置かれている状況に無関心であり、ガンディアのことなど微塵も考えていないようだった。子供だ。わからなくて当然、という声もあった。しかし、シウスクラウドは、いざというときのためにレオンガンドの育成を怠ってはいなかった。王としてどうあるべきかを説き、レオンガンドもよく聞いていた。しかし、シウスクラウドが病に倒れた途端、レオンガンドはまるで別人になってしまったかのようにその本性を表したのだ。
本性。
そう、本性だ。
困難に直面した時こそ、その人間の本性が現れ、本質が窺えるというものなのだ。
レオンガンドは、暗愚こそ本性であり、“うつけ”こそ、彼の本質だった。
英雄の素質をかけらも感じさせない振る舞いは、“うつけ”という以外にはなかった。
ジルヴェールは、長じるにつれ、レオンガンドのやり方についていけなくなっていった。ガンディアは国難のときにある。そんな状況下にありながら、仲間を連れて遊び回るレオンガンドを次期国王として見ることなど、ジルヴェールには不可能に近かった。
彼の父ジゼルコートが、影の王として王宮に君臨していることも大きい。
ジゼルコートは、病に倒れたシウスクラウドの代理人として、王宮にあった。王宮にあって、国王の代わりに国政に携わり、ガンディアが瓦解しないようその手腕を振るっていた。だれもがジゼルコートを褒めそやした。ジゼルコートがいる限り、ガンディアが崩壊の憂き目に遭うようなことはないだろう。むしろ、ジゼルコートが王位を継ぐべきではないか、という声さえ聞かれたが、ジゼルコートは一笑に付した。
ジゼルコートは、シウスクラウドが病を克服し、再び玉座に臨む日が来ることを信じていたのだ。
(父は……亡き先王陛下とともに歩む未来を夢見ていた)
ジルヴェールは、脱衣所で稽古着を脱ぎながら、若き日のジゼルコートとシウスクラウドの仲の良さを思い出して、目を細めた。ジゼルコートはシウスクラウドに英雄を見、シウスクラウドはジゼルコートに全幅の信頼を寄せていた。臣民は、ふたりならば、ガンディアを強い国にするだろうと確信を持っていた。だれもが、ガンディアの将来に光を見たのだ。
だが、シウスクラウドが病に倒れ、後を継ぐべきレオンガンドが“うつけ”という烙印を押されたとき、ガンディアの将来は暗黒に閉ざされた。
ジゼルコートは、影の王に過ぎない。王ではなかった。王位継承権すら持ち得ない。王位継承権を持つのは、レオンガンドとリノンクレアだ。つまり、暗愚のレオンガンドか、勇ましくも王女の身であるリノンクレアだけが、次期国王候補だったのだ。
もっとも、ふたりの身になにかがあれば、ジゼルコートが王座に着き、その後をジルヴェールが継ぐということもあったかもしれないが、そんなありもしないことを仮定するほど、臣民も愚かではない。
レオンガンドは、長じるに連れて、その暗愚さが目に余るようになった。病床のシウスクラウドを省みるどころか、遊興に耽る彼を諌めるものの声にも耳を貸さず、王宮から姿を消すことも増えていったという。
そういう噂を耳にしては、ジルヴェールは、ガンディアの将来に不安を抱き、また、レオンガンドへの憎悪を募らせたものだ。十代も半ばを過ぎた頃のことだ。ジルヴェールは、レオンガンドの悪い部分ばかりが目につくようにったこともあり、王宮での暮らしに疲れ、ジゼルコートの領地となったケルンノールに篭もるようになった。ケルンノールの自然とともに日々を過ごしながら、自身を鍛えに鍛えた。将来、その鍛え上げた肉体が役に立つことがあると信じた。信じるしかなかった。レオンガンドが“うつけ”であったとしても王位を継承するのは彼だ。彼が国王として君臨した暁には、ジルヴェールもまた、王宮に呼ばれることもあるだろう。そのときには、日々の鍛錬が意味を成すはずだ。
そんな風に思うこともあれば、王都から流れて来る噂話に腹をたてることも少なくはなかった。
レオガンドの素行が目に余るものばかりだからだ。
やがて、ジルヴェールは、十八歳になった。レオンガンドも十八歳になり、ガンディアでいう成人を迎えた。つまり、年齢的には大人になったということだ。しかし、それでも一向に収まらないレオンガンドの行状を正すため、彼は軍装に身を包み、王宮に赴いたことがある。
戦装束に見を包んだジルヴェールの姿には、さしものレオンガンドも息を呑んだが、彼の言が受け入れられることはなかった。レオンガンドの遊興に耽るさまは、その日を境にますます派手になり、酷いものになっていったという。
その話を耳にしたとき、ジルヴェールの脳裏にはある考えが浮かんだ。
レオンガンドが意図的に遊興に耽り、国政さえ顧みぬ“うつけ”を演じているのではないか、ということだ。
本当にそんなことがありえるのだろうか。
そんなことをして、いったいなんの意味があるのか。
ガンディアの臣民に不安を与えるだけではないのか。
実際、ガンディアの将来に不安を抱いた数名の武将が、レオンガンドを見限り、国から去っていったという話もある。また、リノンクレア派を活気づかせる要因にもなっている。勇壮な王女こそ、王位を継承するべきだという運動は、国民の間にさえ広がっている。リノンクレア自身は興味さえ抱いていないが、女王擁立運動が加熱すれば、どうなるものかわかったものではない。
“うつけ”を演じるということは、そういった不利益を量産するということにほかならないのではないか。
なんの得もないのではないか。
ジルヴェールの疑問が解決したのは、ここ一年余りのことといってよかった。
(一年……一年か)
この一年で、ガンディアは大きく変わった。
レオンガンドの評価そのものが激変した。
“うつけ”はシウスクラウド以上の器を見せつけ、英雄の風格さえ漂わせ始めていた。
獅子王と呼ぶものもいる。
(獅子王レオンガンド・レイ=ガンディア)
悪くない響きだと思ったし、彼にこそ相応しいとも想っていた。
そんな彼と再会する日が、間近に迫っている。
ジゼルコートがわざわざケルンノールに姿を見せたのは、自分の代わりにジルヴェールを王宮に差し向けるためだったのだ。
数年ぶりの再会。
どんな顔をするべきだろうか。