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第九百十七話 ジルヴェール(一)

「アバードが騒がしいらしい」

 ジゼルコート・ラーズ=ケルンノールの一言に、彼は、構えていた剣を翻した。銀光が視界を流れ、腰に帯びた鞘に収まる。剣術の訓練の最中だったが、声をかけてきた相手が相手だ。剣を鞘に収めるのは当然のことだった。木剣ならまだしも、真剣である。抜身の刃を領伯に向けるわけにはいかなかった。不敬極まる行為だ。実父とはいえ、許されることではない。

「あの国が騒がしいのは、いまに始まったことじゃないでしょう」

 ジルヴェール=ケルンノールは、訓練用の兜を脱ぐと髪を束ねていた紐を解いた。多少、汗をかいている。長い髪から雫がこぼれた。

 訓練室は、広い。あらゆる戦闘訓練を行うには、並大抵の広さでは足りないからだ。剣術、槍術、弓術、果ては馬術の簡単な訓練まで、この室内で行うことができた。もっとも、本格的な騎兵の訓練は、屋外で行うべきだった。ケルンノールには騎兵の訓練に相応しい大地がある。そして、馬術こそ、ケルンノール出身者の得意とするものだ。ケルンノールはガンディアが誇る馬の産地だ。自然、馬術が盛んになり、騎兵術が考案されるまでになった。それも、ジゼルコートがケルンノールの領伯となってからのことではあったが。

 広い訓練室には、ジルヴェールとジゼルコートしかいなかった。ジルヴェールは、彼にしてはめずらしく一人で訓練を行っていたのだ。ひとりきりで真剣を振り抜く。ただそれだけのことが、いまの彼には必要不可欠な訓練だった。ただひとりでの訓練は、だれの邪魔も入らない。神経を研ぎ澄まし、意識を集中するにはちょうどよかったのだ。

 それが、父によって邪魔されてしまった。

 多少、不愉快に思わないではない。

「シーラ姫が処刑されたそうだ」

「まさか」

 ジルヴェールは、ジゼルコートらしくない冗談に苦笑を浮かべた。父は冗談が得意ではないにせよ、ひとが不快になるような冗談を口にするひとではなかった。下手なりに、状況を見極めた冗談をいうのが、ジゼルコートの社交術だ。

 ジルヴェールがジゼルコートを振り返ると、父は笑ってもいなかった。息子にだけ見せる冷然たる表情のまま、なにひとつ変化しない。

「わたしもまさかとは思ったがな」

「本当なのですか?」

 問いかけながら、信じられない気持ちでいっぱいになった。シーラ姫――シーラ・レーウェ=アバードといえば、アバードの王女であり、獣姫の異名を持ち、クルセルク戦争での活躍もあって、いまやガンディアでも知らぬものはいないほどに名が知れている。一時期、セツナ伯と恋仲にあるのではないかという情報が飛び込んできたことがあったが、それは根も葉もない噂だったようだ。

「王都から届いた情報によるとな。去る四月二十七日、王都バンドールで処刑されたそうだ」

「なにゆえです? シーラ王女殿下といえば、アバードになくてはならないお方だったのでは?」

「うむ。そのとおりだ。アバードにとっては必要不可欠なお方だったはずだ。獣姫などという二つ名で呼ばれることも多かったが、王女殿下がアバードをひとりで盛り立ていたのは、紛れも無い事実だ」

 クルセルク戦争での活躍も記憶に新しい。

 シーラ姫がアバードの代表として、連合軍の結成に尽力したことは、よく知られた話だ。ガンディアのレオンガンド王とジベルのハーマイン将軍、そしてアバードのシーラ姫が協力したからこそ、反クルセルク連合軍は成立したのであり、ガンディア一国が気炎を吐いただけでは、纏まるものも纏まらなかったに違いない。つまるところ、シーラ姫は、政治的にも軍事的にもクルセルク戦争で大活躍したといっても過言ではなく、アバードにとってなくてはならない人材というのは、そういう面も多いにあった。ジゼルコートもよくいっていたものだ。シーラ姫があるかぎり、アバードは安泰だろう、と。

 そのシーラ姫が処刑されるなど、通常、考えられることではなかった。

「なんでも、シーラ姫が内乱を企てたというのだが、どうにも信じがたい話でな」

「きな臭い話ですね」

 ジルヴェールは、ジゼルコートに同調を示した。アバードの王女のひととなりについて詳しく知っているわけではないにせよ、彼女が内乱を企てるような人物ではないのは、ジルヴェールにもわかることだ。もちろん、ジルヴェールは、シーラ・レーウェ=アバードという人物のすべてを知っていたわけではないし、王位継承権を捨てなければならなかったことを恨んでいたという可能性もないわけではない。しかし、ガンディアを訪れたシーラ姫に逢ったことのある人々の話を総合する限りでは、そういった暗さは微塵もない人物のようだった。人を見る目には定評のあるジゼルコートがそういっていたのだから、間違いはない。

 ジルヴェールは、父のそういうところは尊敬していたし、全幅の信頼をおいていた。

「ああ……まことに」

「王宮はどうするつもりなのでしょう?」

「ガンディアか?」

「ええ。アバードとは、連合軍結成以来、友好的な関係を続けた国。しかし、その友好を結んだのは、アバードが処刑した王女にほかなりません」

 レオンガンド王とナージュ王妃の婚儀の際、アバードが国の代表として寄越したのがシーラだった。ガンディアとアバードの国交を回復したのは、アバードの外務大臣の尽力によるところが大きいのだが、両国の間に友好関係が結ばれ、その紐帯が強くなったのはシーラが動いたからだ。シーラがガンディアとの関係の強化を訴え、それをアバードが認めた。その過程で連合軍が結成された、ということらしい。

 当時のアバードは、シーラを国の顔として認めていたということだ。国王の代理人を務めさせたのだから当然ではあるが。しかし、シーラが内乱の罪を問われ、反逆の咎で処刑されたというのであれば、彼女の意思によって積み上げられたアバードとガンディアの関係は、一度、見直しを迫られるかもしれなかった。少なくとも、ガンディアのアバードへの感情は、冷めざるを得ない。

 シーラは、ガンディア国内でも人気を得ていた。ガンディアという国では、リノンクレア王女以来、戦う女性への評価が高い。獣姫の異名を持つシーラがガンディア国民に人気を博するのも、無理からぬ事だった。そんな彼女がわけもなく処刑されたのだ。理由はある。それははっきりしている。だが、それが本当のことなのか、アバードの内情を知らないガンディアの人間にはわかるはずもないのだ。

 知っているのは、シーラという太陽のような人柄の王女のことであり、彼女が内乱を起こすような人物ではないという確信めいた情報だけだ。そして、国民にとっては、それがすべてだろう。

「王宮も陛下も、静観する構えを見せている。当然だ。現状、ガンディアがアバードの内政に干渉する道理はない。たしかに、シーラ王女殿下はガンディアとも関わりの深いお方ではあったが、反逆罪で処刑されたとあってはな」

 ジゼルコートが目を閉じて嘆息した。めずらしいこともあるものだと、ジルヴェールはその年輪の刻まれた顔を見つめた。ケルンノールとクレブールというふたつの領地を持つ領伯の尊顔をまっすぐ見つめることができるのは、家族だけの特権といえば、特権だった。その彫りの深く端正な顔立ちは、ガンディア王家の血筋を色濃く受け継いでいた。晩年のシウスクラウドの顔こそついぞ拝む機会はなかったものの、病に蝕まれ、弱りかけたシウスクラウドの顔はよく覚えていた。いまの父とよく似ている。無論、ジゼルコートが病に蝕まれているということではない。

 老いた、ということだ。

「さすがの陛下も、同盟国ですらないアバードの内情にまで関知することはできませんか」

「皮肉のつもりか?」

 ジゼルコートが片目を開けて見つめてきた。その眼光は、ときに実の親子であることさえ忘れさせるほどに鋭い。つい、口元に手を当ててしまう。本心を隠す際のくせのようなものだ。隠したところで、ジゼルコートには見透かされるのがおちなのだが、それでも、隠したくなってしまう。ジルヴェールとジゼルコートの間には、微妙なものが横たわっていた。もはや埋めようのない溝はいびつな形状を指定て、見るからに不快極まる代物に成り果てているのだ。

「まさか。わたしが陛下に皮肉をいってどうなるというのです。わたしはガンディア王家に仕える身。陛下のお考えに疑義を差し挟むつもりもございません」

「それでは忠臣とはなれぬぞ?」

 主君の過ちを正してこその忠臣だというのだろうが。

 ジルヴェールは、父の視線から目を逸らすまいと必死になりながら、返答した。目を逸らせば、父に負けたことになるのではないか。そのような思い込みが、ジルヴェールの行動になって現れていた。当然、その想いは父に伝わるだろう。そして、ジゼルコートは内心で苦笑するに違いない。ジルヴェールの負けん気の強さは、昔からだった。昔から、だれにも負けない気概を持っていた。そのことがレオンガンドとジルヴェールの溝を深めることになったのだが、今になって思えば、それでよかったのだろう。

 溝が深まり、距離を置くことができたから、無駄な軋轢が生まれずに済んだのだ。もし、あのまま王宮での暮らしを続けていれば、ジルヴェールは“うつけ”のレオンガンドを切って捨て、自分こそ王位継承者に相応しいなどととち狂ったことを言い出していたかもしれない。

 そういう危うさが自分にあることをジルヴェールは理解していた。

 それこそ、ガンディア王家の血筋といっていい。ジルヴェールがジゼルコートから受け継いだものだ。当然、ジゼルコートの兄シウスクラウドの子であるレオンガンドもまた、受け継いでいるはずだ。

「さて。わたしは忠臣になどなるつもりもありませんよ」

「では、おまえはなにをなすというのだ? 陛下のもとで、なにをなそうと想っている?」

「陛下の夢を見届けるのが、わたしの役割に存じます」

「ほう」

「わたしにとって陛下は幼き日の友であり、若き日の宿敵であり、現在の主であります。将来、陛下がどのような道を辿り、どこへ行き着くのか。そのとき、わたしはどのような立場にあるのか。想像するだけで胸躍るというものです」

 ジルヴェールは、レオンガンドと同じ年に生まれた。同じ年、同じ月に生まれたことは、ガンディア王家の吉事だと持て囃されたものらしい。物心ついたときには、遊び友達として王宮を走り回っていて、彼はレオンガンドのことをレオンと呼び、レオンガンドは彼のことをジルと呼んだ。泥だらけになるまで王家の森を駆けずり回り、王宮のひとびとを困らせたこともあった。それは幸福な日々だった。やがて、リノンクレアが生まれた。レオンガンドの妹は、ジルヴェールにとっても妹のようなものだった。ジルヴェールにも弟が生まれた。ゼルバードと名付けられた弟は、レオンガンドにとっても弟のような存在だった。

 ふたりの父親が、仲のいい兄弟だった。

 シウスクラウド・レイ=ガンディアは、英傑の風格を持つ王であり、ガンディアの将来を明るく照らす存在として知られた。ジゼルコート=ガンディアは、そんな英傑を支える腹心に相応しい人物だった。ふたりは、兄弟で力を合わせ、ガンディアを盛り立てていくことを誓っていた。そして、その誓いは、子供たちにも受け継がれていくものだと思われていたし、子供たちもまた、当然そうあるべきだと考えていた。

 血を継承し、想いを継承し、そうやって、歴史は積み重ねられていく。

 あのときは、だれもがそう想っていた。

 シウスクラウドしかり、ジゼルコートしかり、レオンガンドしかり、ジルヴェールしかり。

 ガンディアは、シウスクラウドという英雄王の元、強国となり、大陸小国家群に覇を唱えるものだとばかり、想っていたのだ。


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