第九百十六話 シーラの決断(九)
「というわけよ」
ミリュウは、長時間話し続けて、とんでもなく疲労を覚えた。ぐったりと、その場にへたり込みたい気分だったが、さすがに気心の知れた人間ばかりではない空間では、そんなふうに振る舞えるわけもない。仕方なく椅子に寄りかかって、疲労の回復に努めようとする。と。
「というわけじゃないわよ。どういうことよ? どうしてセツナはわたしにはなにも教えてくれなかったの? なにも相談してくれなかったのよ?」
ファリアが、ミリュウに詰め寄るかのように声を上げてきた。いつもは冷静沈着な彼女が感情を露わにしているのは、セツナに頼ってもらえなかったということがそれだけ衝撃だったからなのかもしれない。
(案の定、怒ったわね)
ミリュウは、ファリアの表情を見つめながら、胸中でため息を付いた。想像よりは大人しい反応なのが救いといってもよかった。が、考えて見れば、当たり前のことかもしれない。《獅子の尾》の部外者が顔を揃えた場で、ファリアが取り乱すことなど有り得る話ではない。
「だれも巻き込みたくないからでしょ」
「だれも巻き込みたくないって、もう巻き込まれてるわよ」
ファリアは、憤然としていった。
(それもそうなんだけど)
ぐうの音も出ないとはまさにこのことだった。実際、だれもが巻き込まれている。巻き込まれざるを得ない。セツナが行動を起こしたのだ。セツナはガンディアの王宮召喚師で王立親衛隊長で、ガンディアで双璧をなす領伯のひとりであり、英雄だ。彼が動けば、多くの人間が巻き込まれるのは、必然といってもいい。
「これじゃあまるで、わたしが信用されていないみたいじゃない」
ファリアが悲しそうにつぶやいた一言が、彼女の本音なのだろう。彼女としては、セツナに頼られたいのだ。これまでがそうであったように、いつも頼ってほしいのだ。信じて、頼ってほしい。それだけが自分の存在価値だとでもいうかのように、彼女は考えている。そういうところがファリアにはあった。だから、セツナが相談してくれないだけで、不安を抱く。話してくれないだけで、自信を喪失する。自分の居場所を見失いそうになる。セツナが彼女を不要と思うことなどありえるはずがないのに、だ。
ミリュウは、そんなファリアが愛おしくて、たまらない。
「そんなわけないでしょ。ただ、ファリアに話せば、ファリアに相談すれば、却下されると思ったから、話そうにも話せなかったのよ」
「却下?」
「だって、ファリアなら、シーラのアバード行きだって反対するでしょ?」
「……確かに、そうかもね」
ファリアが、静かに認めた。ミリュウは、ほっと安堵すると、椅子に座り直した。ミリュウには、ファリアの考えもわからないではないのだ。セツナはもちろん、シーラもいまとなってはガンディアの人間だ。ガンディアの人間がアバードの内政に干渉するということは、どういうことか、少し考えればわかることだ。両国の関係が悪化するのは間違いない。これまで築き上げてきた友好関係は一瞬にして崩れ去り、最悪、敵対関係にまで発展することだってありうる。また、逃げ延びたシーラを匿っていたということでアバードがガンディアを糾弾する可能性も皆無ではない。
「まあ、ファリアさんの考え方もわかりますし、それもまた正しい判断ではあるんですよ。シーラさんの行動を手助けするということは、アバードへの内政干渉にほかならないんですから、ガンディアの人間としては避けるべきことです」
エイン=ラジャールが、ファリアの意を汲んだ発言をした。それがエインの本音かどうかはわからないが、少なくとも、ファリアの気持ちを落ち着かせる効果はあったようだ。ファリアはエインを一瞥してから、その隣で穏やかな表情をしている軍師を見やったようだ。軍師ナーレス=ラグナホルンは、広間に入ってきてから一言も発していない。
「それを軍師様は良しとしたのは、どういうことなんです?」
「……アバード一国の問題ならば、放置するべきだと進言申し上げたところですが」
ナーレスが重い口を開くと、広間は水を打ったように静まり返った。広間には、ミリュウたち《獅子の尾》以外には軍師を始めとする参謀局幹部たち、それにシーラの元侍女の集まりである黒獣隊の面々が顔を揃えている。その中でも、元侍女たちは、ミリュウの説明を聞いたからか、悄然としていた。シーラに相談さえされなかったことが衝撃だったのだろう。ファリアと同じだが、衝撃としては、彼女たちのほうが深いのかもしれない。問題は、彼女たちの祖国のことなのだ。祖国の問題に関わることさえできないというのは、悔しいものがあるに違いない。
「アバードにベノアガルドが関与しているとなると、放っておくわけにも参りませんからね」
ベノアガルドの騎士団が援軍としてアバードに派遣されているという話は、ロズ=メランの口から伝えられたことだ。シーラの反応を見る限り、ロズ=メランは信頼の置ける人物のようだったし、彼が嘘を述べているとも思えない。アバードがベノアガルドと繋がりを持ち、ベノアガルドの騎士団がアバード領内に駐留しているというのも事実なのだろう。
「ベノアガルドが関与していると、どうなんです?」
「ベノアガルドは、このガンディアにも干渉してきております。いえ、ガンディアだけではありません。ベノアガルドはなにやら周辺諸国に手を出しているようなのです。それも領土拡大だけが目的ではない、というのが参謀局の出した結論でして、いまだにその真意がつかめないのが現状なのです。ベノアガルドの真意を知る上でも、アバードの内情を探るのは、無意味ではない、かと」
つまり、ナーレスは、セツナにアバードの内情を探るようお願いした、ということであり、セツナはそれを了承したということだ。もののついで、という風にでも頼んだのかもしれないし、あるいは、取引をかわしたのかもしれない。いずれにせよ、セツナは無条件でアバード行きを決めたわけではないと知ることができて、ミリュウは少なからず安堵した。やはり、セツナはなにも考えずに行動しているわけではなかったのだ。
「だからといって、セツナを行かせるのはどうかと思いますが」
ファリアが、ナーレスを睨んだ。いや、実際に睨んだわけではないのだが、彼女は相変わらず厳しい表情であり、睨みつけているようにしか見えなかったのだ。
「ですが、単騎であらゆる状況を打開できるとなれば、セツナ様以外にはおりますまい」
「……そういわれれば、反論のしようがないですね」
ルウファが肩を竦めて嘆息した。
「確かに……」
「セツナ様ならば、たとえどのような状況に陥ったとしても、御自身の力で乗り切ることができるでしょう。騎士団が剣を向けてきたとしても、アバードの軍と戦うことになったとしてもです。もちろん、そんな状況に発展するのは御免被りたいところですが」
ナーレスの説明には、ルウファのいうとおり、反論のしようがないといってよかった。彼の発言内容を実行できるのはセツナをおいてほかにはいない。セツナと黒き矛だけが、どのような苦境をも乗り越えることができると言い切れる。
もちろん、ファリアも、ルウファも、ミリュウも、武装召喚師としては一線級の実力を持っている。ファリアはオーロラストームの能力を開花させ、ルウファに至ってはわずかな時間ながらも圧倒的な力を発揮する手段を得た。ミリュウも、召喚武装の新たな使い方を見出しつつある。武装召喚師相手でも引けを取らない戦いはできるし、人間だろうが、皇魔だろうが、対等以上に戦える。
だが、黒き矛のセツナと同等の戦いができるか聞かれれば、沈黙せざるを得ない。ミリュウたちにはザルワーンの守護龍は倒せないし、クルセルクの巨鬼を撃破することなど、できるわけもない。それどころか、万魔不当と謳われた戦いぶりを見せることも敵わない。
セツナとカオスブリンガーだけがそれをなす。
「ガンディアは、クルセルク戦争によって大量の血を流しました。勝利こそしましたが、傷は深く、癒えるには、まだまだ時間がかかるでしょう。そんな状況下で戦が起こるようなことだけは、避けなければならない。そのことは、セツナ様にもわかっていただいておられましたよ」
ナーレスの言葉には、実感が込められていた。
「御主人様も、ただの鍛錬馬鹿ではないということです」
「それって褒めてるのか貶してるのかわからないわよ」
「もちろん、最大限の賛辞でございます」
「あなた、連れて行ってもらえなかったから怒ってるのね」
「はい」
「ファリアも同じじゃない」
「そんなわけないでしょ」
ファリアが椅子から立ち上がった。話し合いは、一先ず終わったということだ。
「一言いってくれたら、それだけでよかったのよ」
ファリアの小さな言葉は、本音ではあったのだろうが。
ミリュウは、今夜はファリアの愚痴を聞いてやろうと思ったのだった。