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第九十話 ランス・オブ・デザイア

 テウロス家のセインの孫ウェイン。

 ウェイン・ベルセイン=テウロスとは、そのような意味を持つ名前だった。

 ログナーで知らぬものはいない騎士の中の騎士セイン=テウロスを祖父として生を受けたことが、彼の人生を決定づけたといってもいいのだろう。人間の人生は、多くの場合、出自に縛られる。どの国のどの階級のどの家で生まれたのか。それによって、生き方というものがある程度決まっていくものだ。強制という考え方はない。それが当然だからだ。だれもが、己の生き方に疑問を持たない。貴族は貴族らしく生きることを当然と受け入れ、平民は平民らしく生きることを受け入れるしかない。もちろん、例外はある、階級への反発もあるだろう。しかし、そんなことはごくごく一部に過ぎない。

 ウェインの人生には関係がない――はずだった。


『ウェイン……何度言えばわかる』

 セイン=テウロスの言葉は、諦めに似ていた。何度となく耳にした声音。それこそ、嫌になるくらい何度も。

『おまえは戦士には向いていない』

 七十歳に差し掛かろうかという祖父との剣の訓練で、地べたに這いずらされるたびに聞かされた。土の味を噛み締めながら、祖父との力量差を思い知らされるのだ。これほど心が折られるようなことはない。

 いや、冷静に考えれば当たり前の話なのだ。

 セイン=テウロスは当時こそ前線から退き、気楽な隠居生活を満喫していたが、ログナーにおいては泣く子も黙るほど高名な騎士だったのだ。凄腕の剣士であり、ザルワーンの侵攻を幾度となく食い止めたことでも知られる。ログナー家の誇りであり、もちろんウェインにとっても自慢の祖父だった。

 そんな祖父が直々に剣の手ほどきをしてくれるのは、彼にとっては実に有り難いことであり、これ以上にないくらい恵まれた環境だといえた。剣聖と謳われたほどの人物から剣を学べるのだ。祖父にしてみれば、息抜き程度のものだったのかもしれないが。

 いつか必ず祖父を乗り越えてみせると息巻くウェインに立ちはだかるのは、現実だ。

 曰く、

『おまえには才能がない』

 曰く、

『おまえに剣は向いていない』

 曰く、

『おまえは騎士になれない』

 曰く、

『おまえに教えることはない』

 セインが辛辣な言葉を投げ付けてくるたび、彼の心は折れそうになった。が、それでも彼は立ち上がり、食らいつこうとした。必死になって、力の限り立ち向かっていったのだ。

 しかし、現実というものは無慈悲だ。

 ウェインには、剣の才能は愚か、槍をとっても、弓をとっても、凡才止まりだった。

 だから彼は、定められた道を外れた。


 掲げた槍を振り下ろすのに大げさな覚悟も、大きな力も必要なかった。流れに任せるような自然さで、彼は轟音を上げる漆黒の槍を反転させた。切っ先を対象に向ける。

 倒すべき敵は目の前にいた。目と鼻の先。極至近距離。忌むべき矛は封殺した。逃げ切れはしない。彼は死ぬ。セツナ=カミヤ。何者かは知らない。突如としてガンディア軍に現れた武装召喚師。バルサー平原での戦いにおける勝敗を決定づけたのは、彼の出現によるところが大きい。セツナ=カミヤという不確定要素がなければ、勝てなくとも、負ける戦ではなかったはずだ。

 あの戦で失われた兵士たちのことを想うと、いまでも胸が張り裂けそうになる。開戦早々炎に飲まれて落命した兵士たち。撤退するウェインたちの命を守るため、殿として散っていった兵士たち。失われたものはそれだけではない。ウェイン・ベルセイン=テウロスという人間の価値までも地に落ちた。騎士の称号は剥奪され、斥候任務を与えられるほどに落ちぶれた。無論それは、彼の身を危うんだ将軍による方便に過ぎない。それでも、彼の誇りは泥にまみれた。

 セツナ=カミヤの打倒。

 そうすることによってでしか拭いきれないほどの傷だった。だが、それもいま、終わる。この一撃ですべての決着がつく。

(そう、すべてが!)

 槍を叩きつけるように腕を振り下ろす。爆音を轟かせながら、槍は、軽装の鎧を纏った少年の体を抉る――はずだった。しかし、それは果たされなかった。ウェインは、槍の穂先が彼に触れる直前、その紅い瞳から光が失われるのを目撃した。次の瞬間、黒き矛が火を噴いたのも見た。いや、それはもはや爆発といっていい。網膜が赤一色で塗り潰され、爆炎が彼の全身を焼いた。衝撃波が体を吹き飛ばすのを認める。距離が離れる。が、追撃はなかった。

 舌打ちをするだけの余裕もあった。中空で受身を取り、着地の衝撃を和らげる。痛覚の麻痺は、有効に働いている。おかげで、ウェインは正常な感覚のまま、立ち直り、相手と対峙することができた。好機を無駄にしたのは痛いものの、それこそ黒き矛の能力を考えもせずに突貫した己の浅はかさだ。

 今度は、間違えない。

 ウェインは、爆煙が風に流れるのを見遣りながら、その向こう側に動く影を捕捉していた。敵は、こちらが生きていることを知っている。重傷を負わせることができたとも思ってはいまい。そうであったとしても止めを刺すまで油断はしないだろう。今回ばかりは、彼もその甘さを捨てているはずだ。

 そうでなくては、この戦闘の意味がなくなる。

「なんだ?」

 ふと、彼は違和感を覚えて、手を見下ろした。そして愕然とする。両腕の手首から先が失われていたのだ。血が流れ落ちていく、

 命が、滑り落ちていく。


『一歩』

 セインの言葉はいつだって簡潔だった。飾り気のない、歯に衣着せぬ物言いが、祖父を祖父たらしめているとは彼の父の弁だが。

『届かなかったな』

 いつものことだとでも言わんがばかりの祖父の態度に、ウェインは意気消沈し、剣を落とす。いつもの訓練。いつもの大敗。いつもの叱責。いつもの絶望。

『まだ諦めないのか?』

 セインの言葉は厳しい。いつだって峻烈で、たとえ相手が孫であろうと容赦しなかった。それは剣の訓練でも言える。もはや手ほどきなどではなかった。特訓、猛特訓といっていいほど激しい訓練だったのだ。

 ウェインは、祖父のその言葉を聞くたびに立ち上がり、気力を振り絞って挑みかかった。ウェインには自分を諦めることなど耐えられなかった。己の能力を見放すことなど、彼の誇りが許さなかった。ウェイン・ベルセイン=テウロスの名こそ、彼が彼である所以なのだから。

 テウロス家のセインの孫ウェインとして、胸を張って生きていくためには、そこで諦めるわけにはいかなかったのだ。

 彼はどうすればいいか考えた。テウロス家の人間として恥ずかしくない道を歩むためには、何をすればいいのか。祖父の言う通り、戦士としての才能がないのならば、別の技術で補えばいいのではないか。

 そこでウェインが目をつけたのが武装召喚術だった。当時、ログナー王家に使えていた武装召喚師に弟子入りし、武装召喚術の基礎から学んでいった。剣を学ぶよりも、術を学び、研究する方が彼の肌に合っていたのだろう。彼は物凄い速度で武装召喚術の知識を吸い込み、身につけていった。それこそ、今までの訓練が嘘のようにあっさりと。

 しかし、祖父との訓練が無駄だったわけではない。武装召喚術の制御には並外れた膂力が必要であり、武装召喚師を志すものは、それに耐えうる肉体を作ることから始めなければならなかったが、彼の体は出来上がっているも同然だったため、知識の吸収に時間を注ぐことができたのだ。

 結果、彼は武装召喚師として大成し、騎士号を叙された。

 その召喚武装の見た目から、青騎士の二つ名で呼ばれるまでになったウェインは、胸を張ってログナーの家名を語れるようになった。


 両手が焼けるように熱い。

 咄嗟の判断でウェインの攻撃から逃れたセツナだったが、両手に大きな火傷を負っていた。黒き矛に残る炎を吐き出させたはいいが、あまりに強力な炎はまるで爆発したかのように拡散し、柄を手放して飛び退いたセツナにも追い縋り、飲み込もうとするほどの勢いだった。

 焦げ付いた手を見るような愚は犯さない、注視すべきは前方。黒煙渦巻く視界の先にいるであろう敵から注意を逸らしてはならない。苦痛は歯を食いしばってやり過ごす以外にはなかった。

 濛々と立ち込める爆煙は、黒き矛の発した炎によるものだ。周囲の草花や地面さえも焼き払い、兵士たちの亡骸をも焼き焦がしていた。そのせいで鼻を衝くような異臭が漂い始めている。元よりむせ返るような死臭に満ちた地獄には違いなかったが、死肉の焦げる臭いは、さらに凄惨さを添えるものだった。炎は消え去ってはいない。まだそこら中で燻っている。

 咄嗟の判断とはいったものの、果たしてそれがセツナ自身の判断だったのかどうか、自分でもわからないでいた。無意識の反応。気がついたときには矛を手放し飛び退こうとしていた。直後に黒き矛から爆炎が噴出し、網膜を紅蓮に染め上げたのだ。

 無意識だとすれば出来過ぎだろうし、セツナには思いもよらない行動だった。矛をみずから手離すなど、考えられない。召喚武装は武装召喚師にとって生命線である。特にセツナのようなただの一般人は、黒き矛の補助なしに強敵と戦えるはずもない。命を晒しているようなものだ。

 今が、その状態だった。

 黒き矛は、燃え立つ煙の中にでも転がっているはずだ。いますぐにでも飛び込んで取り戻さなければ、セツナの命が危うい。黒き矛を手にしていたときでさえ窮地に陥るほどの相手だ。油断する余裕もない。

 が、迂闊には動けない。

 煙の向こう、ウェインがこちらの動向を窺っているはずだった。漆黒の槍は、未だ激しく金切り声を上げている。その死の絶叫にも似た音を聞きながら考えるのは、黒き矛のことだ。あれは、漆黒の槍に異常なまでの敵愾心を抱いている。いや、そんな生易しいものではない。憎悪と殺意、この世から消し去らなければならないという強迫観念にも似た激情。召喚武装は意思を持つ。その意思が、漆黒の槍の破壊を欲している。完全な破壊を。だからこそ、あの夜、セツナはルウファをも殺そうとしてしまった。あのとき、あの瞬間のセツナは、黒き矛と同化していた。黒き矛の意思がセツナの意志となり、ルウファと漆黒の槍を抹消するために全霊を傾けた。

(そうか)

 セツナは、理解した。いまの咄嗟の回避行動は、黒き矛が勝手にしたことだ。そう結論する。黒き矛にしてみれば、自分を扱うことのできるセツナを殺させるわけにはいかなかったのだ。しかも、相手はあの漆黒の槍だ。黒き矛が強引にでもセツナを救ったのもわからなくはない。

 口の端に笑みがこぼれた。黒き矛が一体なんなのか、いまでもよくわからないが、たったひとつだけはっきりしたことがある。

 あれには、セツナが必要だ。

(俺にあれが必要なように!)

 地を蹴る。もう迷ってはいられない。ウェインの様子が掴めない以上、黙して状況の変化を待っているなど愚の骨頂かもしれなかった。薄れゆく煙の中へ飛び込んだ瞬間、セツナの目は地面に突き立った黒き矛を捉えていた。咆哮が耳朶に突き刺さる。漆黒の槍の回転音さえ押し退けるような叫び声は、人間のものというより獣の雄叫びに近かった。矛を掴んで地面から抜き取るとともに視線は前方へ。

 煙が晴れていく。

「え……?」

 セツナが、驚いたのも無理はなかった。

 前方に立ち尽くす男の両腕はすっぱりと切り落とされており、切断面からは、真っ赤な血が止めどなく流れ落ちていた。ウェインは天を仰いでいる。まるで神にでも祈るように。血まみれの男が天を仰ぎながら血を流すという異様な光景に、息が止まる。

 ふと見下ろすと、セツナの足元にウェインの両腕と思しきものが転がっていた。爆炎に飲まれ、元型をわずかに留めているに過ぎない。セツナは、矛を見下ろした。切っ先が血塗られている。

 黒き矛が、切り落とした。

(どうやって?)

 セツナには理解できなかったが、間違いなく黒き矛の仕業だろう。爆炎を発したついでに切りつけたのか、切りつけるためにこそ炎を放ったのか。どちらにせよ、黒き矛が自律して敵を攻撃したことには驚かざるを得ない。が、驚いてばかりもいられなかった。

 爆音が轟いた。漆黒の槍が、穂先の回転速度を増していく。

(何処だ?)

 ウェインの手にはない。そもそも、彼は腕を切り離されている。

「まったく無様だな、俺は。力を求めた結果がこれか……」

 自嘲するウェインの背後から何かが伸びてくるのが見えた。悪魔の尻尾のようなもの。漆黒の槍の石突きから伸びていた帯が、彼の体に絡みついていく。黒き矛が震えている。それを許してはならない。それを見届けてはならない。それを阻止しなければならない――黒き矛の叫びを聞いたときには、セツナは、我知らずウェインに飛びかかっていた。ウェインの心臓目掛けて矛を突き出す。

 しかし。

「だがまだだ……まだ、俺は死ねない!」

 ウェインの叫び声とともに吹き荒れた暴風が、セツナの肉体を容易く吹き飛ばした。漆黒の槍が生み出す突風の渦が、セツナの全身に裂傷を刻んでいく。痛みを堪え、受身を取りながら、セツナはそれを凝視していた。悪魔の尻尾がウェインの全身を包み込み、両腕の切断面から異形の腕を構築していく光景を目撃したからだ。背後から現れた漆黒の槍が、その異形の手に収まっていく。いや、手だけではない。

 ウェインの全身が人ならざるものへと変わり果てようとしていた。

 肩も腕も首も胴も、胸も腹も腿も脚も――全身が漆黒の帯に巻き付かれ、覆われてしまっていた。辛うじてそれをウェインとして認識できるのは、わずかに覗く両目だけだった。貴公子然とした容貌もいまや拝めない。碧い瞳がただこちらを見据えている。超然とした瞳。射抜かれるような感覚。

 黒き矛がなぜ阻止しようとしたのか、わかったような気がした。

「悪くない気分だ」

 ウェインは、いつの間にか回転をやめた槍の切っ先をこちらに向けてきた。螺旋を描く漆黒の槍は、ただこちらを貫くために存在している。

「さあ、立て。おまえは俺と決着をつける義務がある」


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