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第九百八話 シーラの決断(一)

 日が暮れようとしている。

 今日は、五月十日。いろいろと有ったセツナの誕生日から、五日が経過している。その五日間は、特になにがあるわけでもなかった。ただ、長期休暇を満喫していたのだ。龍府の領伯としての仕事に時間を追われるようなこともなければ、《獅子の尾》隊長らしく振る舞う必要もなかった。軍務から離れ、悠々自適な日々を送ることができていた。

 シーラ率いる黒獣隊が正式にセツナ配下の部隊として発足されたのも、その間のことだ。さすがに隊服や隊章の発行はまだだったが、そういった付属物よりも、正式に発足することのほうが大事だった。これで、シーラたちはセツナの配下として大手を振って生きていけるようになる。なんの問題もなかった。彼女たちもまた、喜んでいたものだ。

 泰霊殿一階中心の広間を出て、円を描く通路を走りぬけながら、セツナはそんなことを考えていた。自分が彼女にしたことは正しかったのか、どうか。彼女に手を差し伸べたことは、無駄だったのではないか。むしろ、なにもしないほうが、彼女のためには良かったのではないか。そんな考えばかりが脳裏を過る。

 彼女を配下として、黒獣隊長として迎え入れなければ、彼女はすぐにでもアバードに戻れたのではないか。

(それは……ないか)

 シーラは、王家の名を捨てざるを得なかった。それは、セツナの配下になったからではない。彼女は、アバード国外への逃亡を決めたときから、名を捨てなければならないということを覚悟していたし、実際に捨てていた。ただのシーラとして、龍府に隠れ住んでいたのだ。つまり、彼女はアバードの内情に関与する資格を捨てていたということだ。

 いや、そもそも、王女としてのシーラが処刑された以上、彼女がアバードに戻ったところで、なにができるわけもない。死んだはずの王女になんの権限があるというのか。

 様々な考えが頭をもたげてくる中、セツナは、長い白髪を視界の端に認めた。天輪宮に白髪の女中などいない。シーラだ。

 シーラは、泰霊殿の外に出ていた。泰霊殿の外、つまり天輪宮の中庭に出て、空を仰いでいた。沈みゆく夕日は、中庭の広い空からでもうかがい知ることはできない。天輪宮の高い殿舎と通路群が、空の見える範囲を限定してしまっているからだ。それでも、夕方なのはわかる。

 空が、紅く滲んでいた。

 シーラは、夕焼けの空の下で、ひとり立ち尽くしていた。天輪宮に四つある中庭のひとつ。石の像や石細工が乱立する空間は、どこか寂寥とした冷ややかさが漂っている。彼女がなぜこの中庭を選んだのかはわからない。たまたま偶然飛び込んだ先がここだったというだけかもしれないし、考え事をするには、この冷ややかさがよかったのかもしれない。

 彼女はこちらに背を向けていたが、セツナが中庭に出てきたことは気配や物音で察したのだろう。石像に視線を注いだまま、シーラが口を開いた。

「……なんでだよ」

 セツナは、シーラに近づきながらも、彼女の声に耳を傾けていた。距離を近づけながら、近づき過ぎないように注意を払う。あまりに近寄りすぎれば、彼女の反感を買うのではないか。そんなことを考えてしまう。

「なんで、こんなことになったんだ? 俺がいったい、なにをしたってんだ」

 シーラの独白が胸に迫る。

「俺は、アバードのために、ただそれだけのためだけに生きてきたんだ。国のため、民のため、王家のため――ただそれだけを胸に生きてきたんだ。それなのに、どうして? どうしてこんな目に合わなきゃなんねえんだ?」

 彼女はそういって天を仰いだが、しばらくして、頭を振った。自嘲気味に、笑う。

「違うな」

 そして、シーラはこちらを振り返った。夕焼けの下、彼女の白髪は紅く燃えているようだった。目は、影に隠れてよく見えない。

「俺のことは、どうだっていいんだ。いまさらさ。いまさら、悲劇の姫君を気取るつもりもねえ。俺はもう国を捨てたんだ。アバードを見限ったんだ。生きるんだよ、ただのシーラとして。それが、レナやセンセ、あいつらの死に報いる唯一の方法だから」

 皆、シーラが生き延びることだけを望んで、死んでいった。彼女はそのことをいっている。もし、シーラのために死んだものたちが、アバードの変革を望んでいたのならば、彼女はそのために全力を注いだだろう。が、実際に彼女に託されたのは、生き続けて欲しいという願いだ。皆、シーラの幸福を祈りながら、戦いに赴き、散った。あるいは、処刑された。シーラが苦しくないはずはない。絶望さえ感じただろう。それでも、生きなければならない。生きることこそが、皆の望みを叶えるということなのだ。だから、彼女は気丈に振る舞う。獰猛に笑い、狂暴に謳う。

『そうでもしなければやっていられないから』

 ミリュウの言葉が脳裏を過ぎったのは、セツナがシーラにそういうものを感じていたからだろう。彼女は、セツナの部下になって以来今日まで、苦しそうな表情や、弱気な顔を見せなかった。辛いということも口にしなければ、自分の弱さを一切見せることはなかった。常に気を張っていたのだろう。そうでもしなければ、すぐにでも壊れてしまうから。

 そうでもしなければ、やっていられないから。

「でも、さ。これ以上は耐えられないんだ。もう、無理なんだよ」

 シーラが近づいてくる。石畳を踏みつける足音が烈しい。

「俺のためにだれかが死ぬのは、もううんざりだ」

 それこそ、彼女の本心だったのだろう。

 彼女ひとりを生かすためだけに何人もの人間が死んでいる。それも、シーラに近しい人ばかりが死んでいったのだ。それが敵国との戦争や皇魔との戦いなら、まだ納得できたかもしれない。飲み下すことができたのかもしれない。しかし、実際は、自国の政府軍との戦いで死んでいったのであり、政府の意志によって処刑されたのだ。

 もちろん、彼女は王女だ。生まれながらの王族であり、自分のためにだれかが死ぬことなど当然だ。そういう教育を受けているはずであり、本来ならばそんなことで頭を悩ませ、心を苦しめる必要はない。しかし、シーラは、自分のためだけに近しい人が死んでいったことに対して超然としてはいられなかったのだ。

 だから思い悩み、苦しみ抜いてきたのだろう。

「もう、嫌なんだよ」

 彼女が足を止めた。セツナの目の前で、だ。表情がよく見えた。苦悩の痕跡が、疲れ果てた表情になって現れていた。その顔を見るだけでセツナには辛かった。彼女には太陽のような笑みが似合うのだ。苦痛の表情は、より辛いものに見えた。

「どうしたい?」

 問うと、彼女は少し考えてから口を開いた。

「……最初にいっておくが、これは俺個人の意思だ。ほかのだれも関係ねえことだ」

「ああ、わかってる」

 セツナがうなずくと、シーラは少し安心したような顔になった。すぐに厳しい表情に戻るのだが。

「俺は、ラーンハイルを助けたい。それが無理なら、せめてラーンハイルの家族を救いたいんだ。ラーンハイルはともかく、その一族郎党までも処刑するのは、いくら何でもやり過ぎだ。そうだろ?」

「ああ。俺もそう思う」

 もちろん、禍根を残さぬためには一族郎党を皆殺しにするというのは、理解できないことではない。しかし、ラーンハイルの一族郎党がアバードの将来に災いをなすとは考えにくいのもまた事実だった。ラーンハイルを処刑した後、タウラル領伯の任を解けば、タウラル領伯家はその瞬間から力を失い、禍根となることさえなくなるのではないか。だが、アバード政府はそう考えなかったようだ。

 見せしめ、もあるのかもしれないが。

「でも、どうやって助けるっていうんだ?」

「直訴するんだ」

「だれに?」

 とは聞いたものの、直訴し、それによって国を動かすとなれば、相手はひとりくらいしか思い浮かばない。

 彼女は、言いにくそうに口を開いた。

「父上……リセルグ陛下に」

 リセルグ陛下とは、リセルグ・レイ=アバードのことだ。その名の通りアバードの国王であり、彼女の実の父親である。確かに国王さえ動かすことができれば、領伯の一族郎党皆殺しの件はなんとかなるかもしれない。そもそも、アバードの内乱は、シーラがリセルグと逢えなかったことが原因のひとつともいえるのかもしれないのだ。シーラがリセルグに逢い、直接話し合っていれば、斯様なことにはならなかった可能性も高い。

 とはいえ、だ。

「それで、本当にどうにかなるとでも?」

「ああ、きっと」

 シーラは、力強くうなずいた。

 なにか確信があるのかもしれない。

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