第九百七話 流れ落ちるように(六)
「王宮は、シーラ様を反逆者として処刑した後、領伯様の領地――つまりタウラル方面に軍勢を派遣して参りました。王宮は、シーラ様とシーラ派を扇動した人物として領伯様の名を挙げており、領伯様を拘束し、裁可を下すことで、今回の騒動に決着をつけるつもりだったのでございましょう」
「王女シーラを処刑したのなら、それで終わりじゃねえのかよ。シーラ派も壊滅したんだろ? もうだれも、王宮に刃向かうことなんてありえねえだろ……」
シーラの声は、悲痛極まりなく、聞いていることしかできないセツナには、ただひたすらに苦しいものだった。彼女に声をかけてやることも、なにかをしてやることもできない。口を挟めば話の腰を折ることになりかねない。ただ、シーラたちの会話を聞いて、情報を自分なりに整理するしかないのだ。
それは、セツナだけの話ではない。セツナ以外の《獅子の尾》の面々も、軍師たちも、レムも、ラグナさえも沈黙を保っていた。
皆、シーラとロズ=メランの会話に耳をそばだてている。
「領伯様もそう仰られておられました。たとえ王宮が、エンドウィッジで捕縛したシーラ様が偽物であったと気づいたとしても、シーラ様として処刑したという事実があります。それは、これ以上シーラ派の騒動を追及するつもりはないと王宮が判断したからだ、と」
「じゃなきゃ、レナの死が無駄になっちまうじゃねえか……レナだけじゃねえ。セレネ先生も、サーラたちも、皆、無駄死になっちまう……」
レナ=タウラルは、シーラ=アバードに扮して、エンドウィッジの戦いに参加したという。レナ=タウラルは、その名の通り、ラーンハイル・ラーズ=タウラルの娘であり、シーラにとっては子供のころの遊び相手だった。半身といっていいほどに心を許し合った相手である彼女を失ったことは、シーラにとっても痛恨の極みだったに違いない。そんな彼女の死は、それによってアバードの内乱が終結することで意味をなすのだ。すべてを終わらせるために彼女は犠牲になった。シーラのために、アバードのために、死んだのだ。
彼女のために死んだのは、なにもレナ=タウラルだけではない。シーラ自身がいっていたことだが、セレネ=シドールや彼女の侍女団に属した五十人以上がエンドウィッジの戦いに参加し、散っていった。戦場で討ち死にしたものもいれば、レナとともに処刑されたものも少なくない。皆、シーラの無事だけを祈りながら死んでいったのだろう。
もちろん、それ以外にも数多くの将兵がエンドウィッジの戦いで散り、あるいは処刑された。が、それらの将兵についてシーラが言及することはほとんどなかった。シーラ派なる反政府派に所属するものたちなど、厄介な存在に過ぎなかったのだ。シーラの意思とは無関係なところで戦い、勝手に死んだのだ。シーラが彼らの死を哀れみ、嘆く必要性は、セツナにも感じられなかった。シーラが混乱を避けたかったという想いを知ったからかもしれない。
なんにしても、問題は、レナたちの死が無駄になりかねないことだ。
「当然、領伯様はご覚悟なされておりました。王宮が、レナ様扮する王女の処刑だけで終わらせない可能性も考慮されていたのです。その場合は、領伯様御自身の命を捧げて、それで終わらせるつもりでおられたのでございます」
ロズ=メランの声音から、震えが消えていた。ラーンハイルについて語るときの彼の目は力を帯びており、領伯が彼にとって尊敬するべき人物であり、自慢の主であることが伺えた。主の死の覚悟さえも平然と受け入れているような態度、言動は、ラーンハイルという人物を知る上で重要な事かもしれない。
「そんな……こと……!」
「すべてはアバードのためにございます。領伯様のお命ひとつで騒動が収束するのならば、それも致し方なし、と」
ロズ=メランの視線は強い。シーラがたじろぐほどに真っ直ぐで、熱を帯びていた。
「されど、王宮が領伯様のみならず、タウラル家、一族郎党に至るまでの命を所望とあらば話は別でございます。いえ、もちろん、わたくしども命は構いませぬ。領伯様とともに死ねるのならば、それこそ本望。しかし、領伯様の御家族や、此度の騒動とは無縁の親族の命までも奪おうというのは、わたくしには受け入れ難いのでございます」
「……だから、俺を探してここまできたのか」
「はい」
ロズ=メランがうなずくと、シーラが椅子から立ち上がった。
「そんなこと、俺に伝えてどうするんだよ」
広間を歩きながら、彼女はいった。叫び声ではなかったが、絶叫しているように聞こえた。彼女の心が叫んでいる。慟哭にも等しい。苦しいのだ。悲しいのだ。辛くて、どうしようもないのだ。セツナには、彼女の感情が少しだけわかる気がした。
どうすることもできないという意味では、セツナも同じだ。
「俺にどうしろってんだ」
シーラがロズ=メランを睨んだ。その目に浮かぶ怒りの感情は、当然、彼に向けられたものではない。
「俺はただのシーラだぞ。アバードの王女でも、獣姫でもねえ。ただのシーラだ。龍府の領伯様に拾われてなんとか生きているだけのしがない存在にすぎないんだ」
「それでも、伝えておくべきかと思った次第です」
「……っ」
シーラは声にならない声を上げて、振り上げた拳を自分の太腿に叩きつけた。まるで自分の感情を叩き潰すかのように。だが、それでもねじ伏せることはできなかったのだろう。彼女は、顔を俯けた。セツナたちの視界から表情を隠すかのように。
しばらく、沈黙が続いた。
静寂の中で、時計の針が刻む音だけが響いていた。空気が重い。ただひたすらに沈んでいくような状況の中で、だれも口を開こうとはしない。開けるはずもなかった。当事者でもない人間が口を挟んでいい問題でもない。アバードの話だ。他国の話だ。内政干渉などできるはずもない。
シーラたちを助けたのとはわけが違うのだ。
「それと、もうひとつ」
沈黙を破ったのは、当事者のひとりであるロズ=メランだった。彼が言葉を発した瞬間、シーラが顔を上げた。憔悴した顔は、彼女が苦悩の中にあることを示していた。目が潤んでいる。
「なんだよ……!」
「先ほど、王宮がタウラルに軍勢を寄越したといいましたが、王宮が派遣してきたのは、アバードの正規軍ではありませんでした」
「どういうことだ?」
「タウラルには兵力など殆ど残されておりませんし、そもそも、領伯様を始め、タウラル側は争う気配さえ見せていませんでした。エンドウィッジの戦いで疲弊していたとはいえ、アバードの正規軍でも十分に事足りたはずなのに、なぜか、正規軍ではなく、異国の軍勢を派遣してきたのです」
ロズ=メランの証言に、セツナたちも驚きを隠せなかった。
「異国の軍勢?」
「はい。あれは間違いなくベノアガルドの騎士団でした。しかも、十三騎士と呼ばれる騎士団最高幹部が三名もタウラルに現れたのでございます」
広間が騒然となったのは、当然だったのかもしれない。
「なんだと?」
「ベノアガルドの騎士団……」
「つまり、アバード政府はベノアガルドと繋がっている、ということですね」
唐突に、ナーレスが会話に入ってきた。彼としてはアバードにベノアガルドが介入していることは気にせざるを得なかった、ということだろう。それは、セツナたちとて同じだ。ベノアガルドといえば、御前試合を観戦し、仮面舞踏会に興じたアルベイル=ケルナーなる人物がベノアガルドの放った諜者であることは、ジゼルコートの発言から明らかになっている。アルベイル=ケルナーはセツナの実態を探るためにガンディアを訪れたといい、その発言によってレムの怒りを買ったことは記憶に新しい。結局、レムがアルベイル=ケルナーの正体を掴むことはできなかったが、情報を総合すれば、ベノアガルドの動きには注意しなければならないということにはなっている。
ベノアガルド。
大陸小国家群北端の国のひとつであり、騎士の国だといわれている。王家を排した革命以来、騎士団によって統治されているからであり、騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースは北の騎士王と呼ばれて久しい。フェイルリング率いる騎士団は神卓騎士団とも呼称され、彼を含めた十三人の最高幹部は十三騎士と呼ばれることも少なくはないらしい。
ベノアガルドについてセツナが知っていることといえば、その程度だった。ベノアガルドは、長らく謎に包まれていた国でもあるという。騎士団による革命以前のベノアガルドは、きわめて閉鎖的で、諸外国との交流にも消極的だったという。革命以降、騎士団が舵取りをするようになって、ようやく諸外国との繋がりを重視するようになり、極めて開放的な国になったというのだ。
「少なくとも、援軍を要請していたことは間違いないようです」
「シーラ派を潰すための戦力として、か」
シーラが、皮肉に口を歪めた。吐き捨てるように、続ける。
「内乱を収めるために外国の戦力に頼るとは、アバードも堕ちたもんだな」
「自国の戦力に余裕がなければ、致し方無いでしょう」
ナーレスがしれっとした顔でいった。ベレルのことをいっている、ということでもないのだろうが、セツナとしてはそう考えざるをえない。もっとも、ベレルの場合は内乱ではなく、外圧の排除のためにガンディアに協力を要請したのだが。
シーラは、ナーレスを一瞥したが、なにも言い返さなかった。シーラの話を思い出せば、アバードに戦力的余裕がなかったのは、事実のようでもある。アバードの保有する戦力はふたつに割れた。シーラ派と王宮派にだ。とはいえ、王宮派のほうが戦力的には大きかったのだが、万全を期すのならば、異国に援軍を要請するのも無理は無い話だ。
「……それで、おまえは俺にそれを伝えて、なにをしろっていうんだ? さっきもいったが、俺はいまやただのシーラだ。アバードとはなんの関係もねえ」
シーラは断言したが、その表情は苦渋に満ち、声音そのものが苦悩に揺れていた。
「わたくしはただ、姫様に知っておいて欲しかっただけなのです。領伯様のご覚悟と、その結果、領伯様の一族郎党が国によって滅ぼされるということを」
ロズ=メランがそういうと、シーラは彼の目を見たまま、凍りついたように動かなくなった。
セツナは、シーラを見て、それからナーレスに視線を送った。軍師の透徹した目は、なにを視ているのか。シーラの心情を読み取っているのか、それとも、もっと広い視野で物事を考えているのか。セツナには想像もつかないし、想像したところでどうしようもないことではあった。軍師の思考力にはついていけないし、ついていく必要もない。セツナは、自分に与えられた任務をこなすだけでいいのだ。それが国のためになるようにするのが、軍師を筆頭とする参謀局の役目だ。セツナと黒き矛の力を役立てられるかどうかは、セツナ個人の問題ではない。
「領伯様は、最初から死を覚悟なされておりました。自分の死を以って、シーラ派の終わりとするならば、それでいい、と。ですから、我々も領伯様が処刑されるということに関しては納得済みなのでございます」
ロズ=メランはいった。彼の表情にも覚悟がある。尊敬する主の死を認めるということは、生半可な覚悟でできるものではない。少なくとも、セツナには真似のできないことだ。セツナは、主君であるレオンガンドの死の覚悟を受け入れられなかった。魔王に殺されても構わないというレオンガンドの想いを否定した。もっとも、あのときはそれで正しかったのだ。レオンガンドは、セツナがそう行動するであろうことを見越した上で、あのような発言をし、セツナの不安を煽ったのだ。ラーンハイルとは、違う。
「されど、領伯様の御家族や一族郎党も皆殺しにするという王宮のやり方には、どうしても――」
「だから!」
シーラがロズ=メランの言葉を遮るようにして、叫んだ。
「俺にはなにもできないんだっての! 俺は! 国を捨てて逃げたんだよ! アバードとは、もうなんの関係もないんだよ俺は!」
彼女は、もはやロズ=メランを見てもいなかった。葛藤と苦悩に満ちた叫び声は、魂の絶叫であり、慟哭であり、咆哮であり、嗚咽だった。セツナは、苦しみの中でシーラを想ったが、シーラはもっと深いところで苦しんでいるのだと実感して、呆然とする。
「俺は……!」
シーラは、広間を出て行った。
彼女の部下であり、彼女の元侍女たちが席を立ち、シーラの後を追おうとしたが、ウェリス=クイードがそれを制した。自分たちが追いかけたところで、どうなるものでもない、とでもいうのかもしれない。実際、そうだろう。いかに彼女たちがシーラの侍女であったとはいえ、彼女ではない。彼女の心情を真に理解することなどできない。
それは、セツナも同じなのだが。
ウェリスは、セツナの目を見ていた。ウェリスだけではない。ファリアやミリュウ、レムまでもセツナの目を見て、なにかを訴えてきていた。
セツナは立ち上がると、なにもいわず広間を出た。出る間際、ナーレスが目礼してきた。彼の意図が少しだけ理解できた。
きっと、そういうことだ。