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第九百六話 流れ落ちるように(五)

「どういうことだよ!」

 シーラが激昂のあまり、机に拳を叩きつけて叫んだ。

「なんで、そうなるんだよ……! なんで……!」

 シーラの悲痛な叫びが、泰霊殿の広間に反響する。

 広間に集まっただれひとりとして、彼女の叫びに対応することはできなかった。ただ、受け入れてあげることしかできない。彼女の行き場のない怒り、彼女のどうしようもない哀しみ、彼女の、絶望的な感情のすべて。

「なんで、いまさら……!」

 セツナは、シーラが絶句する様を見つめるしかなかった。

 かけるべき言葉も見当たらないとはこのことだ。現状、どんな言葉をかけたとしても、彼女には届かないだろう。彼女の心にはいま、怒りが吹き荒れているのだ。怒りだけではない。様々な感情が、嵐となって吹き荒んでいる。だから、彼女の部下たちも成り行きを見守るしかないのだ。下手な言葉は、彼女の感情を逆撫でるだけであり、怒りを助長し、絶望を増幅させるだけだからだ。

 広間には、皆が集まっていた。

 セツナを筆頭とする《獅子の尾》の面々(ファリア、ミリュウ、ルウファ、エミル、マリア)に、セツナの従者ひとりと一匹、黒獣隊全員に、参謀局の幹部三名である。それに、アバードから情報を携えてやってきたロズ=メランという人物だ。彼は、タウラル領伯の私兵のひとりであり、主に迫った危機をシーラに伝えるために龍府まで駆けつけたのだ。

 シーラが怒り狂ったのは、ロズ=メランのもたらした情報が彼女にとってあまりにも信じがたいものだったからだ。いや、ある程度は想像していたのかもしれないし、覚悟もしていただろう。それでも、実際に耳にすれば、感情の昂ぶりを抑えられないのもまた、当然の道理だ。特に、ラーンハイル・ラーズ=タウラルは、彼女にとって命の恩人であり、それ以前にとても親しい人物だったのだ、

 ラーンハイル・ラーズ=タウラルは、その名の通り、タウラル領伯だ。タウラルとは、アバードの東部(現在はさらに東に領土が広がったため、東部とは言い切れないが)に広がる地域のことであり、その地域に作り上げられた不落の要塞が有名だ。タウラル要塞は、クルセルク戦争においてはシーラ率いるアバード突撃軍の拠点としても利用され、その際も、ラーンハイルはシーラのために尽力したという。

 ラーンハイルは、シーラのことを第一に考える人物だったようだ。シーラがアバードで遭遇した難においても、ラーンハイルと彼の娘だけが、シーラの身の安全を想い、そのために命をかけて行動を取っている。ほかの多くの貴族や武将たちとは異なり、利害を一切考慮していなかったのだ。ただ、シーラが安息を得られるようにと行動し、結果、ラーンハイルの娘レナは、シーラの代わりに戦場に赴き、囚われ、処刑された。

 レナは、シーラとして処刑された。内乱の首謀者シーラ=アバードとして、だ。つまり、そのことが原因でラーンハイルが追求される可能性は低かった。追求されたとして、ラーンハイルほどの人物ならばいくらでも言い逃れできるだろうし、アバード政府としてもタウラル領伯を失うような行動にはでないだろう――シーラの推測は、踏みにじられた。

 ロズ=メランがもたらした報告によって。

 

 話は遡る。

「姫様……!」

 シーラが広間に入るなり、広間に匿われていた男は彼女に駆け寄り、その足元にひざまずいた。彼は、シーラの無事な姿を一目見て、それだけで感極まったようだった。

 若い男だった。服装からはただの旅人にも思えるが、それは旅人を装っていたからだろう。そうでもしなければ、アバードの国境を通過できるはずもない。かといって、旅人に身をやつしたからといって、簡単に突破できるようなものでもないのが、現在のアバードの情勢であり、国境の状態だったはずだ。相当な無理をしたのだろう。彼の体中、傷だらけだった。まさに満身創痍といった有様であり、セツナは、マリアとエミルに手当をさせるべく、レムとラグナを走らせた。休暇中なのだ。軍医と助手を探しだすのは、少しばかり骨が折れるだろう。

「ご無事だった……! ご無事でよかった……! 本当に……!」

 言葉に言い表せられないほどの感動を、彼の反応が伝えていた。

「ロズ=メランだったな……覚えているぞ」

「ああ、わたくし如き一兵士の名前まで覚えていてくださるとは、感激の至りにございます……!」

「当然のことだ。ラーンハイルは俺にとって家族に等しい。その家族の身辺を護るおまえたちのことを知らない訳にはいかないだろう」

 シーラは、そういって、ロズ=メランの苦労を労った。それだけで、彼の労苦は報われたのかもしれない。シーラは既に姫ではない。アバードの王女シーラ・レーウェ=アバードは、反逆者として処刑され、アバードの歴史から消え去っている。しかし、ロズ=メランにとっては主が敬愛してやまなかったシーラそのひとであることに違いはないのだ。そして、シーラがシーラである以上、彼女自身からあふれる気品や尊貴さを隠すことはできない。生まれ持った威光は、あまりに眩しく、穏やかにロズ=メランを照らすのだ。

「うう……姫様……!」

 ロズ=メランは、感動のあまり、泣き出してしまった。

 彼が泣き止むまで、しばらく時間が必要になるほどだったが、その間にマリアとエミルが駆けつけ、彼の手当の準備が始められたのは良かったともいえるのかもしれない。

 話は、彼の応急手当が終わってから、ということになった。


「それで、ラーンハイルからの報告とはなんだ?」

 シーラが問い質したのは、ロズ=メランの手当も終わり、広間に人数が揃ってからのことだった。ロズ=メランはタウラル領伯の私兵だ。そんな人物がもたらす情報などアバードの内情に関することに違いないため、あまりひとを集めたくないというシーラの想いを汲みたかったものの、ナーレスたち参謀局幹部の同席を拒むわけにもいかなかった。ここ龍府はガンディアの支配地であり、シーラ自身、ガンディアの庇護下にあるといっても過言ではない。彼女の立場は、セツナの私兵だが、そのセツナはガンディアの領伯なのだ。

 結局、泰霊殿の広間は、ガンディアの関係者ばかりが集まってしまった。

 とはいえ、見知った顔ばかりであったし、口の固い人間ばかりでもある。そして、シーラの正体を知っている人物ばかりでもあった。

「それが……領伯様からの報告ではないのです」

「ん? おまえはラーンハイルの兵なんじゃなかったか?」

「そうなのですが、領伯様は、なにがあったとしても姫様には伝えるべきではないと仰られておりまして……」

「つまり、独断ということか?」

「はい……」

「なにがあった?」

 シーラは、ロズ=メランの様子になにかを感じ取ったのか、ただそれだけを聞いた。

 ロズ=メランは、沈黙した。告げるべきかどうか迷ったようだった。ラーンハイルから口止めされていることもあるだろうし、シーラに衝撃を与えることになるからでもあったのだろう。だが、ここまできた以上、話さないわけにはいかない。でなければ、彼がなんのためにここにきたのか、わからなくなる。

 ロズ=メランが、おずおずと口を開く。

「……領伯様及び一族郎党に公開処刑の裁可が下されたのでございます」

 彼のその言葉は、衝撃をもってセツナたちの耳に届いた。

 シーラが、愕然とつぶやく。

「なんだと?」

「一族郎党の公開処刑?」

「どういうこと?」

 口々に問うと、ロズ=メランが顔を上げた。包帯まみれの痛々しい顔には、苦渋に満ちた決断の痕跡が残っている。

「ですから、アバード王宮は、ラーンハイル・ラーズ=タウラル及びタウラル領伯家の一族郎党を公開処刑することを決定し、公布されたのでございます」

「気でも狂ったのかよ!」

 シーラは叫び、机に拳を打ち下ろした。衝撃が机を揺らしたが、その威力の凄まじさが、彼女が受けた衝撃の強さ、怒りの強さを示していた。


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