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第八百九十九話 彼女の宿命(二)

「眠れないのか?」

「え……?」

 逡巡の末に声をかけると、彼女は、想像していたよりも強く驚いて、こちらを見た。特殊な染料で紅く染め上げられた髪が、月明かりの中で揺れる。炎のように紅く、あざやかな色彩は、彼女自身への呪いなのだという。戒めなのだという。魔龍窟で過ごした十年あまり。彼女はあまりに多くの同胞、親族を手にかけてきた。殺さなければ生き残れなかった。生き残らなければ、念願を果たすこともできない。だから、彼女は鬼となり、地獄のような十年を生き抜いた。そして、その想いを忘れないために、髪を赤く染めた。

 父への意趣返しでもあった、というが。

「う、うん……ちょっとね……眠れない、かな」

 ミリュウは、こちらの問いかけに対する返答に少しばかり困ったようだった。考えあぐねた結果、曖昧な返事になっている。

 吹き抜ける夜風の穏やかさに安堵しながら、セツナは彼女に歩み寄った。泰霊殿と別の殿舎を繋ぐ通路。真夜中ということもあって他に人気はない。現在、都市警備隊から派遣されている警備の人員も、泰霊殿側には配置されていなかった。おそらく、向こう側にはひとりふたり配置されていて、泰霊殿への侵入を図ろうとするものがいないか監視しているはずだ。

 ミリュウが通路を渡りきり、泰霊殿のすぐ近くで夜風に当たることができていたのは、彼女が泰霊殿に出入りする資格を持っているからだ。無論、ミリュウだけではない。《獅子の尾》の面々は皆、泰霊殿の入出資格を持っている。黒獣隊の隊士たちもだ。

 そもそも、天輪宮に一般の人間や部外者が入れるわけではない以上、天輪宮内部の警備を厳重にする必要はなかった。天輪宮と外部の監視に注力することこそ警備隊が行うべきことであり、セツナがそう訴えたこともあって、泰霊殿の警備は手薄になった。

 おかげで、こうやってミリュウとふたりきりで話す機会を得られたということになる。

 彼女は、動かなかった。欄干に体を預けたまま、セツナが歩み寄るのを見ていた。止めもしなかったということは、拒んでもいないということだ。それだけで、セツナは少し安心した。ミリュウに拒まれたらしばらく立ち直れないかもしれない。

 そんなことを考えてしまったのは、彼女がいつもと違う表情を浮かべているからだった。

 セツナを見つければどんな状況であっても飛びついてくるのが、ミリュウだった。彼女の中のなにがそうさせるのかはわからないが、とにかく、セツナに飛びついたり抱きつくことになんら抵抗がなく、むしろそうしていなければ呼吸をすることさえ困難であるかのように振る舞う。それが彼女だと、セツナは認識している。セツナだけではない。ミリュウを知る多くのひとが、彼女をそう見ているだろう。そしてそれは大方間違いではなかった。

 しかし、いまの彼女は、そんな素振りひとつ見せなかった。セツナと自分の間に横たわる距離感をわざわざ埋めようとはしないところに、彼女らしさはなかった。だからといって寂しさを覚えるようなこともないのだが、違和感は覚えた。

 セツナは彼女の隣に辿り着くと、彼女とは逆に欄干に背を預けるようにした。視線を感じる。ミリュウは、じっとセツナのことを見ていた。

「セツナこそ、眠れないの?」

「今朝から続いていた騒々しさが一気に遠のいたからな。なんか、変な感じでさ」

「落ち着かないんだ?」

 ミリュウが小さく笑った。めずらしいこともあるものだとでも思ったのかもしれない。セツナが眠れない夜を過ごすなどということは、基本的にはなかった。厳しい鍛錬の結果、精も根も尽き果てて寝入ることがほとんどだったとはいえ、死神の監視下にあっても眠れない、ということはなかった。どんなときでも、一応は眠れたし、こんな風に夜中に歩きまわるということなど稀といってよかった。

「多分、そんな感じ」

 肯定すると、ミリュウがしばらくして反芻するようにいってきた。

「あたしも、そんな感じかな」

「落ち着かない?」

「落ち着かない……落ち着けないの」

「……なにか、あったんだな?」

「……うん」

 ミリュウは、逡巡した挙句、小さくうなずいた。そのまま中庭に視線を落とす。彼女が見下ろした中庭には、小川があり、小さな橋がかけられている。また、龍を模した石像や多種多様な石細工が配置されており、見て回るだけでも面白そうではあった。

 セツナは、ミリュウの横顔に視線を移して、言葉を探した。彼女もまた、言葉を探しているのがその表情から見て取れたからだ。躊躇いと迷いが、彼女の瞳の中に揺れている。碧い瞳。見つめていると、言葉をかけることさえ忘れてしまうほどに綺麗だった。彼女の目をこれほどじっくりと眺めたことは、これまでなかったかもしれない。

 夜の静寂が、それを可能にしている。

 ミリュウが口を開いたのは、夜の風がふたりの間を吹き抜けて、柔らかく頬を撫で付けていってからのことだった。

「色々あったの。本当に、色々」

「色々、か」

「うん……色々。色んな事が起こりすぎて、さ。自分でもなにがなんだかわからなくて」

「それで、不安そうな顔をしてたのか?」

「不安そう?」

 ミリュウは、きょとんとしたような顔で、セツナを見返してきた。セツナは、そんな彼女の反応を愛おしく想いながら、返答した。

「帰ってきたときだよ」

 帰ってきた時とは、無論、水龍湖の森でのラグナとの戦いを終え、やっとの思いで天輪宮に帰り着いた直後のことだ。昨夜以来に顔を合わせたミリュウは、どことなく不安そうな顔をしていた。いまにも消え入りそうな、そんな表情。すぐにでも声をかけて話を聞きたかったが、状況がそれを許さなかった。ラグナの騒ぎがさらにそれを助長し、誕生日会がふたりの距離を遠ざけた。物理的な距離ではなく、精神的な距離が、遠ざかったのだ。

 距離を詰め直すには、状況が落ち着くのを待つよりほかなかった。つまり、宴の最中に話を聞く機会は生まれ得なかった、ということだ。明日以降になっても仕方がないと思っていた矢先、彼女とふたりきりになる機会を得た。それがいまだ。

「……そう見えたんだ?」

「うん」

 即答すると、彼女はしばらく茫然とした後、笑った。

「ふふ」

「なんだよ?」

 笑い声が不服だったわけではないが、なぜ笑ったのかは知りたかった。見当違いのことをいって、失笑されたのだとすれば、それによって生じた彼女の不快感を拭わなければならない。だが、それこそ、見当違いの考えだったことは、彼女の表情を見れば明らかだった。

 こちらを見るミリュウは、満面の笑顔だったからだ。

「セツナって、あたしのこと、ちゃんと見てくれてるんだね」

「……なにいってんだ?」

「だって、あたしが不安そうな顔をしてるなんて、よく見てるから気づけたんだと思うし」

「違うよ。そういうことをいってるんじゃない」

「え?」

「見てるに決まってるだろ」

 セツナは当然のことをいったまでだが、ミリュウにはその言葉が衝撃的だったらしい。彼女は、愕然としたまま表情を硬直させたのだ。ミリュウが言葉を発したのは数秒の後のことだった。

「……あ、はは、ははは。そう……だよね。見てくれてるよね。ずっと、見てくれていたよね。あたしのことも、しっかり、さ」

「うん。見ていたよ」

 セツナは頭上を仰いだ。晴れ渡る夜空に数多の星が瞬いている。月もまた、膨大な光を地上に向けて投射しており、その青白い光の柔らかさ、優しさが、いまは心に響くようだった。

「嬉しいな」

 ミリュウの頬が紅潮しているのは、月光の中で明らかだった。青白い光の中、健康的に白い肌が紅く染まっている。セツナは、彼女が喜んでくれていることがなにより嬉しかった。それでも、尋ねてしまうのは、悪い癖なのだろう。

「そう?」

「うん。これからも、見ていてくれるかな?」

 彼女は、どこか気恥ずかしそうな顔をしていた。時折、少女のような表情を見せるのが、ミリュウの魅力のひとつだった。魅惑的な大人の女性としての顔と、恋に恋する乙女の顔が矛盾せず内在しているのだ。その不均衡こそ、ミリュウ=リバイエンという女性をより一層魅力的な存在へと昇華していることは、ファリアも認めるところだった。

「当然だろ」

「ふふ……じゃあ、だいじょうぶ、だよね?」

「ん?」

 セツナは、ミリュウの言葉に引っ掛かりを覚えた。嬉しそうな表情の奥に潜む不安や恐怖が、声音ににじみ出ていた。なにに恐れを抱く必要があるというのか。セツナにはわからないからこそ、引っかかるのだ。

 彼女は欄干から離れると、通路の影に入っていった。影が、彼女の表情を隠してしまう。表情から感情を読み取ることができなくなったということだ。

「たとえばあたしが自分を見失ったとしても、そのときには、しっかり、対処してくれるよね?」

「見失う? 対処?」

 セツナは、ミリュウの言葉を反芻して、怪訝な顔になった。意味がわからない。言葉の意味は理解できても、ミリュウがなぜそんなことを口走っているのかがわからない。自分を見失うとは、どういうことなのか。それに対処するとは、いったい、なにを意味しているのか。

「なにいってんだよ」

「必要なことよ」

「なにがだよ」

「いつか、あたしは自分を見失うかもしれない。そのときには、セツナ、あなたの手にかかって死にたいのよ」

「……意味わかんねえよ」

 セツナも欄干から離れた。だれもいない通路で、彼女と向き合う。まだ、表情はわからない。闇に目がなれるには、時間がかかる。距離もあった。彼女は、通路の真ん中に立っていた。

「わかんないよね。あたしも、漠然としか理解できてないんだけど、でもきっと、そうなると想う」

 彼女は、悲しそうに、しかし決然とした声音で告げてきた。

「それがあたし、ミリュウ=リヴァイアの宿命なのよ」

 リヴァイアと彼女は名乗った。

 リバイエンではなく、リヴァイア。

 その名に不吉なものを感じずにはいられなかったのは、オリアス=リヴァイアのことが脳裏を過ぎったからだ。オリアス=リヴァイアとは、二度の戦争に渡ってガンディア軍――ひいてはセツナを苦しめた武装召喚師であり、擬似召喚魔法の使い手、そしてミリュウの実の父親だった。


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