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第八十九話 変わるということ

「確かに君は俺と違うな」

 ランカインが嘲笑うでもなく囁いてきた言葉が、セツナの頭の中で幾重にも反響し、記憶の奥底にまで深く刻みつけられていった。その不思議な生き物でも発見したかのような表情とともに。皮肉に笑ってくれた方が余程ましだったのかもしれない。

「俺なら殺していた」

 こんな事態にはならなかった、というのだろう。実際、その通りだ。セツナは、愕然とした面持ちのまま、ランカインの言葉を聞いていた。状況は最悪で、その最悪の事態を引き起こしたのはセツナの考え違いにほかならない。胃が引き攣るように苦しい。この場にラクサスがいないことだけが救いかもしれない。ラクサスは事情を知らなかったし、ほかとの連携のため、セツナたちだけに構ってもいられなかったのだ。

 馬車の外、野営地の慌ただしさは、ログナー軍との戦闘に備えてのものだけではない。本隊半壊の報によって、ガンディア軍は混乱の真っ只中にあった。

「何人死んだだろうな。半壊といっていたが、それなら敗北に等しい損害だ」

 冷静なつぶやきが、セツナの耳朶に突き刺さる。総勢3000人を越す大所帯が、たった一晩で半壊してしまったという。半壊。その言葉の重みを噛み締める。口の中に広がる鉄の味は、いつの間にか唇でも噛んでいたからだろう。

 セツナは足から崩れ落ちたが、力なく項垂れた。己の仕出かしたことの重大さが、胸を押し潰していく。

「俺が……俺のせいで……」

「悔やんでいるのか?」

「だって……俺が馬鹿なことをしたからこんなことに」

「そうだな。君のせいだ。敵を生かすという君の愚かな判断、甘い考えが現状を作った。君が悪い。君が原因だ。君が、本隊に付き従っていた兵士たちを犬死にに追いやった。意味のない、無駄な死だ。この戦闘の勝敗になんの寄与もしない死。彼らは無念だったろうな」

 ランカインはただ事実を羅列しているだけだろう。こちらを責めるような口ぶりではなく、ただ淡々と言葉を並べ立てているように聞こえた。しかし、その一言一言がセツナの胸に突き刺さり、感情を激しく揺さぶるのも事実だった。傷跡に塩を塗りこめられていくようなものだ。ただひたすらに痛く、辛い。が、否定できない事実だ。あのとき、セツナが増長しなければ、過信しなければ、ウェインを殺してさえいれば、このような事態には成り得なかった。

 ウェインが召喚武装を用い、ガンディアの兵士たちを殺戮する様が脳裏に浮かぶ。青の鎧を破壊しただけで、彼の戦意が消え失せるなどと考えていた己の愚かさに叫びたくなる。ランカインとは違う方法を取ろうとした挙句、ガンディアに大きな損害をもたらすなど以ての外だ。

 増長していたのだ。力を過信し、自惚れていた。しかも、それは借り物の力に過ぎない。他人のふんどしで相撲をとっていい気になっていただけなのだ。もちろん、黒き矛はセツナが召喚し、セツナの武器として存在している。だが、その絶対的な力は、セツナ自身のものではない。武器が優れているだけだ。それだけのことなのだ。

 甘い。まったくもって甘い認識だった。そして、その緩い考えに縋った挙句がこの過ちだ。後悔してもしきれない。むざむざ殺された兵士たちの無念さを想うと、胸が引き裂かれそうだった。鈍い痛みが、心の中を蝕んでいくのがわかる。

「俺は……」

「さて、君は生きている。ここ数日で消耗し尽くしたようだが、君はまだ生きている」

「……それがなんだよ」

「君は本当に甘いのだな。敵にも、自分にも」

 セツナは、ふと顔を上げた。ランカインのこちらを見下ろすまなざしはいつになく厳しく、いつになく鋭い。が、その鋭利な視線に曝されているほうが、哀れみや同情を与えられるよりよほどマシだった。そして、彼の言を否定しない。事実その通りだ。自分に甘いから、こんな惨状を引き起こしてしまったのだ。自他に厳しいランカインなら、こんな愚かな過ちは犯すまい。

 もっとも、彼は別の過ちによって多くの人々の未来を奪ったが、それはまた別の話だ。

「後悔している暇があるのなら。生きているのなら、できることがあるだろう。幸い、相手の居場所はわかっている。その場に留まっているとも限らないが、そう遠くまでは離れまい」

「え……」

 ランカインの言葉の意味を理解した時、セツナは、単純に驚いて間の抜けた声を上げた。彼はつまり、自分の手で決着をつけろといっているのだ。いますぐウェインの居場所に向かい、早急に倒せと。今度こそ殺してこい、と。

 セツナは、ランカインの配慮に感激さえ覚えた。打ちひしがれ、奈落の底に沈みかけていた心が、わずかに浮揚した。ほんの少しだけ、だが。

「ランカイン……」

「さっさと行け。騎士殿には俺から言っておく」

 軽く手を挙げてこちらに背を向けたランカインに礼を言いかけて、セツナは口を塞いだ。ランカインが求めているのは行動だ。感謝やお礼の言葉ではない。敵を倒し、己の不始末に蹴りをつけるという行動なのだ。

 セツナは立ち上がると、静かに呼吸を整えた。状況は依然変わっていない。本体が大打撃を受け、結果、その戦力を当てにしていた先遣部隊にしわ寄せが来ている。レオンガンド王をはじめとする首脳陣は、迫りくるログナーとの戦いをどうするかでもめていることだろう。それらはすべてセツナの判断ミスによるものだ。が、いまセツナにできることといえば、ひとつしかない。ランカインが示唆したように。

「武装召喚」

 詠唱を必要としない武装召喚術。ファリア曰くインチキであり、卑怯。そういわれても困るものの、その一言で異世界から現れる武器がこれまた卑怯なほどに強力だから仕方がない。その力に酔っていたのかもしれない。自戒し、自嘲する。

 セツナの全身が光を発し、複雑な紋様が浮かび上がったかと思うと、光の紋様を通過してなにかが出現する。彼の身の丈を越す長大な矛。禍々しくも破壊的な形状をした漆黒の矛。便宜上、セツナはそれを黒き矛と呼んでいる。

 召喚の光が消えたとき、彼は、周囲の視線が自分に集中していることに気づいた。当然だろう。陣中で突然武装召喚術を行使するなど、ありえない話だ。しかし、セツナは視線のことなど気にしている暇もなかった。矛を手にした瞬間爆発的に湧き上がった力を信じ、脇目も振らず飛び出していたのだ。

 地を蹴り、飛翔するように走る。

 南東、ログナーとガンディアの国境付近へ。

 そこで野営していたところを襲われたのだとして、ウェインがまだそこにとどまっているとは到底考えられなかったし、いまそこにいたとしてもたどり着いた時には移動していたということだって十分に考えられた。最悪なのは、入れ違いになるということだ。セツナが襲撃地点に到着したとき、ウェインがレオンガンドたちの背後を急襲していたら目も当てられない。ランカインがいるとはいえ、相手は、三〇〇〇人の軍勢を半壊に追い込んだほどの武装を召喚しているのだ。

 ランカインも強い。それはわかっている。しかし、嫌な予感がするのだ。胸騒ぎがする。ざわめいている。

(なにが?)

 彼は自問する。が、答えは見出せない。心の中の不協和音は、自分の仕出かしたことに対する後悔と罪悪感、失われた命への懺悔などが綯交ぜになったものかもしれず、だとすれば簡単に振り払えるものでもなかった。すべてを抱き留めて、前進する。

 肉体は、黒き矛を手にしたことで疲労など忘れたかのように動いていた。いつも以上に俊敏に駆け抜け、いつも以上に強引に突破する。頭に叩き込んだ地図を脳裏に描き出し、周囲の地形から現在地を割り出す。いつもなら困難な作業も、いまなら容易い。進行方向を定め、加速する。馬を飛ばしても半日は掛かりそうな距離だったが、構ってはいられない。

 とにかく早く。

 なにより速く。

 ただ、疾く。

 セツナは、目的地に向かってひたすらに走った。黒き矛の力が許す限りの全力で、肉体を酷使する。後はどうなってもいい。いまは己の不始末に決着をつけることだけに集中するのだ。意識を変えていく。強引にでも捻じ曲げ、一点に集中させる。敵を倒すのだ。あの男を。ウェイン・ベルセイン=テウロス。ログナーの青騎士!

 もう、甘いことは言わない。馬鹿げた考えは、思い違いや自惚れとともに捨て去る。そしてそれは、ランカインと同じになるということではない。彼のように戦闘を賛美し、殺戮を肯定するのではない。戦いの中に存在意義を見出すのではない。目の前の戦いに全身全霊で挑む、ただそれだけだ。

 その意志が、まるで黒き矛の力を引き出すかのように、セツナの速度は上がっていく。

 一陣の風と化して、ログナーの大地を駆け抜けていく。

 やがて、前方に目的地が見えてきた。ガンディアとの国境付近。マルスール南方の平原である。見渡す限りの平原で遮蔽物も少なく、なぜこんなところで夜営したのだろうかとセツナですら思うほどだったが、恐らく理由はあるのだろう。近づくうち、風に乗って運ばれてきたのは吐き気を催すほどの死臭だった。

 セツナは、目を細めた。日は頭上に近い。燦々と降り注ぐ太陽光線が、だだっ広い平原を埋め尽くす死を照らしている。地面も草花も赤黒く塗り潰され、肉片や骨片がそこら中に散乱している。晴れ渡った空の下に描き出された地獄のような光景に、彼は思わず足を止めた。本隊が半壊したというのが紛れもない事実だということがわかる。数え切れないほどの人間が殺され、しかし、そのほとんどが原型すら残してはいなかった。

 それは、召喚武装の圧倒的な威力による一方的な虐殺が行われたことの証明であろう。

 セツナは、己の意識が冷えていくのを認めた。こんな惨状を見せつけられれば、激昂するか冷静になるかのふたつにひとつだろう。取り乱しようがない。今までに何度となく見た情景に近いが、そのどれよりも凄惨で無惨な景色。

 視界の隅に人影を発見した。

 むせ返るような死の臭いの中で、人影は立ったまま意識を失っているかのように動かなかった。見ている間にふらつき、槍を地面に突き立てて支えとした。目を凝らすと、その人物がこの地獄を作り出したのだと知れる。全身返り血を浴び、赤黒く染め上げられていた。まさに地獄の悪鬼のようだとセツナは思ったが、それはいつかの自分そのものだと気づいてもいた。

 悪鬼が、こちらを向く。青い瞳が輝いたように見えた。

「早かったじゃないか」

 ウェイン・ベルセイン=テウロスの声が、遠く離れたセツナの耳に突き刺さるように聞こえた。様々な感情が入り混じり、どす黒く変色してしまったかのような声音。深い憎悪と激しい怒りを感じる。しかし、セツナには、相手の怒りの理由がわからなかった。どうしてそこまでこちらを憎んでいるのかも。いや、憎まれているのは理解している。一〇〇〇人以上のログナー兵を殺しているのだ。しかし、ウェインの憤怒は、仲間や部下を殺されたことに対してのものとは違うように感じられた。

「セツナ=カミヤ」

 彼は、肩で息をしながら、ウェインを見据えていた。昨夜のうちにガンディア軍本隊を半壊させた男もまた、肩で息をしている。が、それだけだ。大きな負傷は見当たらず、体力的にも衰弱してはいない。目の輝きからも、精神力が失われていないことがわかる。そして、彼が手にした槍の形状にセツナは愕然とした。

「あれは……」

 穂先が螺旋を描く漆黒の槍。金切り声を上げながら回転し、嵐を巻き起こしたルウファ=バルガザールの召喚武装!

 セツナは、黒き矛を握り締めると、即座に跳躍した。前方へ。ログナーの青騎士は、じっとこちらを見ている。漆黒の槍が、回転を始めた。唸りが聞こえる。同時に、黒き矛から強烈な怒りを感じた。凶悪で獰猛な殺意。黒き矛は、槍を破壊したがっている。

 あのときのように。

「なんであんたがそんなものを!」

「俺はこいつに呼ばれただけさ」

「呼ばれた?」

「はっ、どうだっていいことだ。おまえはここで死ぬのだから」

「俺は死なない。あんたを倒す!」

「おまえにはできないさ」

 間合いは遠い。しかし、セツナが飛んだことで一気に縮んだ。凡そ五メートル。黒き矛の使い手にしてみれば、無いに等しい距離。セツナは左前方に飛ぶ。ウェインが槍を頭上で旋回させた。轟音を発しながら回転する穂先が、大気を掻き混ぜるかのようだ。青騎士の視線から外れた。セツナは好機と見た。左足で土を蹴る。

「召喚武装に使われているだけのおまえには!」

 ウェインの槍が物凄い勢いでこちらに向かってくる。相手にはこちらの動きが見えていたのだ。槍の穂先は、ドリルのように回転している。セツナは矛の石突きで地面を叩いた。反動を利用して右へ流れるように飛ぶ。さらに距離を取り、追撃も間一髪でかわす。風圧が背を叩いた。まともに食らっては一溜りもない。

 着地とともにさらに右へ。反転し対峙する。甲高い回転音のおかげで相手との距離こそ掴めるが、その爆音を頼りにもできない。息を吐き出し、矛を握る手に力を込める。ウェインは漆黒の槍を悠然と構えている。

 黒き矛が憎悪にも似た意思をセツナに伝えてくるが、彼はそれを拒絶した。あの時のようになってはならない。見境をなくし、ルウファを殺しかけたあの時のようには。

 それでは意味がない。

「あんたも同じだろう」

「同じ? 違うな。俺は支配されてはいない」

 言動こそ冷静なように感じられたが――ウェインが雄叫びとともに飛びかかってきた。足のバネだけでの跳躍だったが、恐るべき速度は矢のようだった。セツナは後ろに飛ぶ。一度跳躍した以上、飛距離を伸ばすことはできない。いや。

「俺は俺だ!」

 ウェインの双眸が見開かれたかと思うと、漆黒の槍が爆発した。

「なっ――」

 爆発による閃光がセツナの視界を塞いだと思った瞬間、右肩に衝撃と激痛が走った。幸い、槍で貫かれたわけではない。が、槍の回転音は近い。視覚の回復を待っている暇はなかった。相手が距離を取ってくれることを願って、右手だけで矛を振り回す。しかし、横薙ぎの一閃は、なにかによって阻まれる。視界が正常に戻った。ウェインが凶暴な笑みを見せている。憎悪と憤怒に駆り立てられた人間の顔は、セツナにある種の恐怖を植え付けようとするが、それよりも注目すべきは彼の掲げる槍だった。槍そのものは、爆発してなどいない。槍の能力と考えるべきか。そして、槍の力はそれだけではない。石突きから伸びた悪魔の尾のような飾りが、セツナの矛に絡みついていた。こちらの行動が封じられた。逃げることも、反撃にでることもかなわない。

 それから肩の痛撃の正体を理解する。ウェインの足刀だ。長い脚が、セツナの左肩に突き刺さったのだ。鎧越しに伝わった衝撃の重さが、尋常な打撃ではないことを示していた。召喚武装による身体機能の強化。

 そしてウェインは槍を掲げたのだ。至近距離。もはや避けきれない。槍がうなりを上げ、回転の摩擦だけで火花を散らした。けたたましい回転音の中で、

「死ね」

 ウェインが告げてきた声だけは、なぜかはっきりと聞こえた。


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