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第八百九十八話 彼女の宿命(一)

 暗闇の中、寝室を抜けだしたのは、単純に寝付けなかったからだ。

 泰霊殿の寝台が合わないわけでも、枕の柔らかさが気に入らないわけでもない。かといって、別段、興奮しているわけでもない。枕元にドラゴンが眠っているからでもない。ドラゴンは寝息すら立てずに眠っている。また、わずかに発光する体質も、眠っている間は機能しないようだった。眠れない原因にはならないということだ。

 ただ、眠れないのだ。

 魔晶灯の光さえなくなり、完全な闇と化した世界で、眠れない理由を考えていると余計に眠れなくなることに気づいたときにはもう遅かった。完全に覚醒した意識を睡眠状態に持っていくのは簡単なことではない。

 彼は諦めの嘆息を浮かべて、寝室を出ることにした。

 真夜中。

 日付は変わっていることだろう。

 いや、眠りにつく前には変わっていたはずだ。魔人がやってきて、彼女との会話で時間を食っている。

 五月六日。

 春真っ盛りというには旬を過ぎた感のある時期だった。夜の空気は少しばかり冷ややかだが、寝間着でも十分に過ごせる気温ではあった。上着を用意するまでもない。

 真夜中だが、明かりに困ることはなかった。泰霊殿のみならず、天輪宮の廊下には無数の魔晶灯が設置されている。闇に足を取られて転倒するということはないのだ。しかも、それらは連動式と呼ばれる機構が組み込まれており、近くの魔晶灯に触れるだけで周囲の魔晶灯にも連続的に火が灯り、一瞬にして夜の闇を吹き払った。

(明るすぎる……)

 魔晶灯は冷ややかな光を発するものだ。しかし、これだけの数の魔晶灯が一斉に点灯するとなると、さすがに眩しさを禁じ得ない。

 セツナは、うんざりと、再び魔晶灯に触れた。今度は、一斉に消灯され、闇が訪れる。さっきよりも一層暗く感じるのは、一瞬の光があまりに強烈だったからだろう。

 それでも闇のほうがましだと思ったセツナは、泰霊殿の廊下を壁伝いに歩いていった。

 どこにむかっているわけでもなかった。ただ、睡魔が動き出すまでの暇潰しに歩いているだけなのだ。眠れない時に眠ろうとすることほど無駄なことはないとセツナは信じている。それに長期休暇のまっただ中だ。どれだけ夜更かししても構わなかったし、遊びまわったとしても、誰も文句はいわないだろう。

 休暇は、王命でもある。

 休むこともまた、仕事なのだ。

 心身を休め、英気を養う。

 戦士には必要なことだった。

 特に武装召喚師には、精神的な休息は大事だ。召喚武装の駆使には精神を消耗するものなのだ。連戦につぐ連戦は、消耗の蓄積を促す。回復を怠れば、取り返しの付かないことになるかもしれない。精神を消耗し尽くして死んだ武装召喚師も少なくはないらしいのだ。召喚武装と武装召喚師の契約は、精神力の取引によって成り立っている。召喚武装を使うということは、精神力を捧げるということであり、そのことを忘れて召喚武装を使い続ければ、召喚武装によって精神を奪い尽くされることだってあるということだ。

 だからこそ、武装召喚師は精神鍛錬を怠らない。己の精神を制御できているかどうかが一流の武装召喚師と二流の武装召喚師を分け隔てる壁だという。

(そういう意味じゃ、俺は二流もいいところだな)

 セツナは、自嘲を浮かべた。だからといって自分を卑下するのではない。もっと高みを目指せるということを再確認したまでのことだ。武装召喚師としての高み。生粋の武装召喚師でもなければ、正規の武装召喚術を使っているわけでもない以上、高みもなにもあったものではないとも思えるのだが、この際、そこには目を瞑るべきかもしれない。召喚武装の使い手であることに違いはないし、その召喚武装が魔人さえも瞠目するほどに強力なのは間違いないのだ。その召喚武装を完全に制御できるようになろうとすることは、決して悪いことではないはずだ。


 泰霊殿は、天輪宮の中心に位置する。

 天輪宮とは、泰霊殿、紫龍殿、玄龍殿、双龍殿、飛龍殿の五つの殿舎からなる建物群であり、龍府の中心、ザルワーンの中枢ともいえる存在だった。いわば王宮であり、それだけに広大な敷地面積を誇り、五つの殿舎それぞれがひとつの宮殿としても十分な広さがあった。そもそも龍府自体が巨大な都市だ。古都と呼ばれ、人々の関心を集めるだけのことはあって、その巨大さはガンディオンと比較するまでもなかった。

 そんな巨大な都市を支配するのに相応しいだけの器を、この天輪宮は持っている。

 泰霊殿は、三重の同心円を描くような構造になっている。一階中心部にはセツナたちが多用する広間があり、三階中心部にには主天の間と呼ばれる部屋がある。その周縁部を走る廊下がひとつ目の円を描き、二番目の円を描く廊下との間に幾つもの部屋が並んでいる。セツナの寝室もそこにある。三番目の円を描く廊下の外周部にも無数の部屋が並んでおり、シーラたち黒獣隊の隊士たちが寝泊まりしているのは、泰霊殿の一階の外周部屋群である。

 複雑な形をしているわけではないものの、部屋数の多さから自分の部屋がどこにあるのか迷うことうけ合いだった。慣れる必要があるということだが、慣れられるほどこの天輪宮に滞在しているものなのかというと、わからない。

 ここへは、長期休暇と、龍府の領伯を拝命したことの挨拶ために訪れたのだ。普段は王都務めになるのは、王立親衛隊長としては当然のことだったし、もはや王都の日々が恋しくなっている自分に気づいている。

 龍府は、確かに素晴らしい都だった。古都龍府。数百年前に建設された都市は、その景観を見て回るだけで満ち足りた時間を過ごすことができるだろう。ガンディアが観光都市として推していくのもわからなくはなかった。龍府ならば、観光目的で訪れても無駄にはならない。

 しかし、セツナには王都のほうが良かった。《獅子の尾》隊舎のほうが気楽に過ごせるというのも大きい。天輪宮は領伯の持ち物だ。が、緊張感を抱かずにはいられないのだ。それは、天輪宮もまた、龍府という観光都市の名所のひとつであり、龍府の住人にとっては心の拠り所のようなものでもあるからだ。

 天輪宮になど寝泊まりするべきではなかったのではないか、と思わないではない。かといって、セツナの一存で、別の場所に宿を取るということもできない。セツナたち一行の寝床が天輪宮になったのは、ガンディア政府の意向でもあったのだ。

 セツナが龍府の支配者だということをしらしめるための処置だった。

 天輪宮は、龍府の中心であり、権力の象徴とでもいうべき建物だ。住民感情に配慮して天輪宮に入らないとなると、セツナを馬鹿にするものが現れるのは自明の理だ。いや、セツナだけならばまだしも、ガンディアの弱腰を軽侮するものも出現するだろう。

 ザルワーンは、半年も前にガンディアのものとなったのだ。そのことを忘れてはならない。

 やがて、泰霊殿を抜けた。

 泰霊殿は、天輪宮という建物群の中心に位置している。玄龍殿は泰霊殿の北にあり、飛龍殿は西、双龍殿は南に位置し、紫龍殿は泰霊殿の東側に聳えている。それぞれ独立した建物なのだが、すべての殿舎は通路によって繋がっており、それによって天輪宮という建物群は完成された美しさを誇っているといっても過言ではなかった。通路そのものが装飾なのだ。

 闇の中、東西南北の見定めも不確かなまま歩いている。泰霊殿から伸びる通路がどの殿舎に繋がっているのかはわからなかったが、問題はなかった。どこに向かっているわけでもない。あてもなければ意味もないただの暇潰しだ。

 眠気が生じるまでの時間潰し。

 ただそれだけのことだが、妙に気分が晴れやかなのは、静寂のおかげなのかもしれなかった。

 今朝からずっと、騒ぎの中にいた。

 二階の通路には欄干がかかっており、一階の中庭を見下ろすことができた。通路と通路の間の空間をうまく利用した中庭は、全部で四つあり、それぞれに趣の異なる景観となっていた。セツナがいま歩いている通路の左右の景色だけでも随分と毛色の異なるものであり、セツナは胸中でうなったりもした。

 ふと、前方に人影を発見して、セツナは足を止めた。欄干にもたれかかって夜空を仰ぐ人物は、まだこちらに気づいてはいない。

 そっと立ち去るべきか、それとも、その目の前を通過するべきか。

 あるいは、話しかけるべきか。

 セツナが迷ったのは、その人物の髪が月明かりの中で紅く輝いていたからだ。


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