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第八百九十七話 五月五日・セツナの場合(十六)

「ちっ……しかたねえ。で、どういう意図があって、ラグナに俺の攻撃を命じたんだ?」

「いったはずだよ。おまえの力を測るためだ」

「力を測るためっていうけどさ、危うく殺されるところだったんだけど」

 セツナがつぶやくと、ラグナがこちらを見た。わずかに輝くふたつの目が、なにかを訴えてくるようだったが、神ならぬセツナに彼の心情を把握することは不可能だ。

「おまえがラグナシアに勝てなければ、殺されていただろうな。そしてそれはおまえが非力だったというだけのことだ。おまえが、わたしの望み通り成長しなかったというだけのことだ」

「俺が死んだら、どうしてたんだか」

 セツナは、牙を剥いてアズマリアを睨みつけるというラグナの様子に疑問を感じながらも、魔人の反応を待った。彼女は、セツナに期待し、黒き矛の力を求めている。セツナの死は、望むところではないはずだった。

 女は、艶然と笑った。セツナでさえぞくりとするような笑みは、彼女が絶世の美女であり、半裸に近い格好だということもあって圧倒的な威力を持っていたのだ。半裸に近い――いつもの長衣でもなければ、今朝着込んでいた拘束衣のような格好でもなかった。まるで自身の肢体を見せつけるかのような姿であり、胸も腰も顕になっていた。

「そのときはそのときだ。おまえが黒き矛を召喚したまま死んだのなら、それを拾い、使い手を探すたびに出ただろうし、おまえが黒き矛を送還していたのなら、新たな黒き矛の召喚者を召喚しただろう」

 アズマリアの金色の目が、天蓋の闇の下で光を帯びていた。それは魔人の目がドラゴンの目のように光っているわけではない。魔晶灯の光を反射しているに過ぎない。しかし、その反射光が、アズマリアの冷ややかな言葉をより強烈に印象づけるのだ。

「黒き矛の使い手ならだれでもいいってわけか」

 セツナが皮肉に表情を歪めると、アズマリアは苦笑を浮かべた。冷ややかに告げてくる。

「そもそも、黒き矛の使い手である必要さえない」

「そういえば、力が欲しいだけだったな」

「ああ。この世のためさ」

「信じられねえ」

「信じる必要はない。おまえはおまえの命を精一杯生きるがいい。生きているうちに嫌でも知るさ。この世界に巣食う理不尽な力の存在をな」

 アズマリアはかつて、セツナにいった。理不尽な力を持つ存在からこの世を救うために、黒き矛や白き盾のような力が必要なのだ、と。

 彼女の主張は変わっていない。彼女の言葉が真に迫っているということにも変化はない。そして、セツナは、この世界には、彼女のいうように理不尽な力を持った存在が実在するということを知ってしまった。身を持って、体験してしまった。ザルワーンに出現した守護龍。クルセルクに出現した巨鬼。巨鬼の中から現れた神を名乗るもの。いずれもこの世界由来の存在ではないにせよ、理不尽極まる力を以ってセツナと相対している。守護龍と巨鬼こそ打ち倒せたものの、神を名乗ったものを倒すことは、セツナにすら不可能だった。

 だが、理不尽な存在は、それらだけではない。眼前で妖艶な微笑を湛える魔女もまた、理不尽としか言いようのない存在だった。そのことを指摘すれば、彼女は笑うだけなのだろうが。

 魔人は、静かに続けてくる。静かな声。だが、耳を閉ざしても、意識を別のことに向けたとしても、確実に鼓膜に届き、脳髄に刻みつけられるような、そんな力を持った声音。美しくも研ぎ澄まされた刃のような鋭さを秘めた声。

「世界は震えている。均衡が崩れようとしている。じきに常態は壊れ、停滞していた時が動き出す」

「なんだそれ。予言かなにかか?」

「似たようなものさ。そして、そうなれば、おまえは絶望的な戦いに挑まなければならなくなるだろう。そういう運命だ」

「運命だと?」

「そう、運命だよ。わたしのセツナ」

 セツナは、彼女が顔に触れようと伸ばしてきた手を即座に払い除けた。もっとも、魔女はあでやかに笑うだけで、通用すら感じていないようだったが。

「勝手にひとの運命を決めるな」

「おまえは、圧倒的な力を持っているのだ。黒き矛という、な。力あるものにはある種の責任が伴う。当然の道理だ」

「あんたはどうなんだよ?」

 問う。

 圧倒的な力を持っているのは、アズマリアも同じはずだ。それこそ、いまのセツナでも対等に戦えるのかどうかさえ疑わしいほどの力を持っている。クオールの超加速攻撃に対応してみせたこともそうだし、生身の体で武装召喚師を圧倒した実力は、超人といっても過言ではなかった。

 さらにいえば、アズマリア=アルテマックスには、紅き魔人という異名以外にも、竜殺しという二つ名があった。彼女もまた、ドラゴンを殺したという実績があるはずなのだ。ラグナと同程度の力を持ったドラゴンだったのかは不明だが、少なくとも、並の人間よりも強大な力を持っているのは疑いようがない。

「わたしも戦うさ。戦わなければならない。そのために生きてきた。何度となく肉体を乗り継ぎ、乗り換えながら」

「……あんたも、本当にいったいなにものなんだよ」

 セツナは、うんざりとしながら、ラグナに対してした問いと同じ問いを発した。これまで、何度か問いかけた言葉でもある。

「わたしはアズマリア=アルテマックス。それ以上でもそれ以下でもないよ」

「その、アズマリア=アルテマックスの本質を知りたいんだがな」

「ならば、わたしに触れてみろ。わたしの心に。わたしの魂に。そうすれば、少しはなにかわかるかもしれんぞ?」

「ちっ……」

 セツナは、アズマリアの妖艶な微笑を見据えながら、小さく舌打ちした。彼女は自分の優位性を理解している。セツナが彼女に触れられるはずがないということを精確に把握しているのだ。その上で、セツナの心をなぶり、反応を見て、楽しんでいる。

(触れてみろ、だって?)

 胸中で吐き捨てる。

 できるわけがなかった。

 もちろん、肌に触れる、とか物理的なことでは当然ない。ないのだが、それでもできることではない。そもそも、アズマリアの心に触れようにも、彼女の心の在り処がわからない。なにを考えているのかもわからなければ、なにを想い、なにを望んでいるのかもわからないのだ。

 理不尽な力への対抗。抵抗。それはわかる。だが、それがいったいなにを示し、そのために彼女がなにをしようとしているのかさえわからない以上、アズマリアの心に近づくことなど出来るはずもない。いや、わかったとして、近づこうとしたのかどうか。

 セツナは、アズマリアとの距離を詰めようとは思わなかった。ファリアやミリュウたちとは違う。彼女には心を許してはならない。隙を見せれば途端につけ入れられ、なにもかも奪い尽くされてしまうのではないか。

 そういう警戒心を抱くようになったのは、エンジュールでの一件からだった。アズマリアが他人の体を乗り継いで生きてきた存在でさえなければ、これほどまでに強く警戒することはなかったかもしれない。もっとも、だからといって心を許せるような相手ではないことは、召喚直後に突き放されたときからわかっていたことではあったが。

「なんだ。なにもできんのか。臆病者め」

「なにがしたいんだよ、あんたは」

 セツナが嘆息すると、アズマリアは軽く肩を竦めた。セツナにとっては面白くもなんともないのだが、魔人にとっては最上級の冗談だったのかもしれない。彼女の反応からは、そういった意図が読み取れた。

「なんにせよ……だ。いずれ来たるそのときまで、おまえにはなんとしても生き延びて貰わなければならん」

「殺そうとしたくせに、よくいうよ」

 セツナが吐き捨てると、ラグナがびくりと反応した。別に彼に対する言葉でもなんでもないのだが、ラグナにはきっと負い目があるのだろう。セツナはそんなラグナに対して好意を抱いたりもした。

「そのためのラグナシアだ」

「ラグナが?」

「誕生日の贈り物だ。わたしからの、な」

 魔人は告げて、顔を近づけてきた、燃えるような髪がセツナの視界を覆っていく。セツナは、そんな状況をも無視して、ラグナに視線を送った。ラグナは依然、セツナの両手に包まれたままだ。別にセツナが力を込めているわけではない。ラグナがその気になればすぐにでも解けるようなか弱い力で、彼の小さな体を包み込んでいた。

「おまえが、贈り物?」

「どうやらそうらしいの」

「知ってたのか?」

「当たり前じゃ。そもそも、わしらドラゴンが敗れたものに付き従うなどという道理はないぞ?」

 ワイバーンは、セツナの手の内で踏ん反り返るかのようなしぐさをした。セツナは、自然、半眼になった。

「じゃああのときの説明は嘘かよ」

「うむ」

「うむじゃねえ」

 セツナは、ラグナが負い目など微塵も感じてもいないのではと思い至り、先ほど感じた愛おしさを返上した。

「それに、人間に従う道理がないっていうなら、なんでアズマリアの命令に従ってんだよ」

「古の契約に従ったまでじゃ」

「古の契約?」

「五百年近く前のことだ。わたしは、力を求めていた。いずれ来たる決戦のための力を、探し求めていた。おまえと黒き矛のような力をな」

(五百年……)

 セツナは、魔人の言葉を胸中で反芻して、愕然とした。アズマリアが数百年に渡って生きてきた存在だということは、これまでの情報でわかっていたことだ。彼女が言明したことでもある。しかし、改めて明言されると、驚かざるをえない。五百年、ひとつの目的のためだけに生き続けるというのは、すさまじい執念があって初めてなせることではないのか。

「そんな折、ラグナシアと出会ったのだ。五百年前だ。ラグナシアは、本来の力の大部分を喪失し、現在の姿と変わらぬほどか弱い存在と成り果てていた。わたしと契約したのは、わたしから力を吸うためだったのだろう」

「力を吸う? そんなことができるのか」

「うむ、でなければ、人の子と契約する道理などあるまい」

「それから最初の肉体を乗り捨てるまでは一緒にいたよ。なかなかに面白い日々だったぞ」

「確かに、悪くはなかったの」

「最初の肉体を乗り捨てるまで、か」

「それから数百年、ラグナシアは北の大地で力を蓄え続けた。わたしとの契約に従い、な」

「契約した以上、従うしかないのじゃ」

「それで、なんでまた俺の下僕に? あんたが使えばいいんじゃないのか?」

「転生竜は強大な力を持つ。力を蓄えれば、その力は無尽蔵に増えていく。そういう生き物だ。いずれ来たる決戦には必要不可欠な戦力ともいえる。しかし、その決戦の主力は、セツナ、おまえなのだ。おまえを失うことこそ、恐れなくてはならない」

「だからさ」

 殺そうとしたものの言う言葉ではない――と、いおうとして、やめた。いっても、彼女の耳には届かないのだ。諦めが、セツナから言葉を奪った。魔女の艶然たる姿に見とれたわけではない。見とれていてもいいのかもしれないが、そんな気分になれるはずもなかった。自分の人生に関する重要事項が、目の前で展開している。それを無視して、彼女の裸体を注視するなど、ありえない。

「ラグナシアがおまえを守る。おまえは、苛烈な生を存分に戦い抜くがいい」

 アズマリアは、そういうと、その場で立ち上がった。布団が腰から剥がれるようにずり落ち、彼女の肉感的な肢体があらわになる。なぜ半裸なのかはわからない。もっとも、意味不明で支離滅裂ともいえるのは、なにもその格好に始まったことではない。アズマリアという存在そのものが、どこか支離滅裂に思えてならなかった。

 矛盾しているのではないか。

 彼女は白く長い腕を虚空に向かって伸ばした。豊かな胸が、ただそれだけの動作で揺れた。指先の虚空に波紋が生まれる。光の波紋はやがて確かな輪郭を帯び、明瞭な形を浮かび上がらせていく。門が出現した。綺羅びやかに飾り立てられた門は、セツナがこれまでに見た門とは大きく形状の異なるものだったが、間違いなく百万世界の門ゲートオブヴァーミリオンだろう。ゲートオブヴァーミリオンは、無数の形態を持つらしく、彼女が召喚するたびにその姿形を変えていた。

 アズマリアは、ゲートオブヴァーミリオンの門扉に触れると、こちらを一瞥した。

「能く生きよ、セツナ」

 いつか聞いた言葉とともに、アズマリアの美貌は門の中に吸い込まれていった。そして、ゲートオブヴァーミリオンもまた、虚空に溶けて消える。

 セツナは、しばし茫然とゲートオブヴァーミリオンの消え去った虚空を見ていた。

「わしがおぬしを守る。安心せよ」

 セツナの手の中の小龍が、なぜか偉そうにいってきた。一蹴する。

「できねえ」

「なぜじゃ!」

 火を噴くほどの勢いで怒鳴りつけてきたドラゴンに対し、セツナはため息を浮かべた。

「アズマリアと繋がってるってんなら、信用できるわけねえだろ」

「なんじゃ、そのようなことを心配しておったのか?」

「なんじゃとはなんだよ。当然だろ」

 セツナは、両手を胸元まで持ってくると、ドラゴンを手の中から解放した。単純に腕が疲れたのだ。アズマリアと話している最中もずっと掲げ続けていた。疲れもするだろう。それから、反転して寝台の上を移動する。ドラゴンが胸から落下して悲鳴を上げたが、黙殺した。そして枕に顔を埋める。すると、ワイバーンがセツナの視界に舞い降りてきた。丸みを帯びた体型には、威厳もなにもあったものではないが、彼は自分の姿がどうのようなものなのかわからないのか、偉そうに踏ん反り返っている。

「ふふふ……安心せよ、主を変えるという命令を聞いたのじゃ、あのものとの契約は失効されておる」

「本当かよ」

「まだ疑うのか? どうすれば信用してくれるのじゃ」

「信用してほしかったら、これからの態度で示すんだな」

「むむむむ……一筋縄ではいかんのう」

「当たり前だ」

 セツナは、そういいながらも、ラグナのことを微塵も疑っていない自分に気づいていた。これまでの態度、言動を総合する限り、彼は信用に値するドラゴンのように思えたからだ。少なくとも、アズマリアになんらかの命令を受けているようには見受けられない。このドラゴンには隠し事はできなさそうにも見えた。無論、それこそ思い違いの勘違いかもしれない。実はラグナシアは奸智に長けたドラゴンで、セツナの考えなどお見通しで、出し抜かれているのかもしれない。ありえないことではない。

 が。

(ねえな)

 セツナは枕の横で頭を抱えて考えこむ小龍の様子に、すべて杞憂だと判断したのだった。

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