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第八百九十四話 五月五日・セツナの場合(十三)

 セツナの誕生日を祝う宴が盛況の中で幕を閉じたのは、五月五日の夜も更けた午後十時のことだった。

 セツナの誕生日を祝うためだけにガンディア各地からこの龍府を訪れた人々の多くは、龍府のいずれかに宿を取るか、天輪宮各所に用意された部屋で一夜を過ごす手筈となっていた。天輪宮は、五つの殿舎からなる巨大な建造物群だ。収容可能な人数は限りなく多く、何十人、何百人が寝泊まりしたところでなんの問題もないくらいだった。つまり、来客全員を天輪宮に泊めても問題はなかったのだが、外に宿を取っているものも少なくはなかったのだ。まさか、天輪宮で宿泊できるとは考えてもいないひとのほうが多かったということだ。

「まあ、俺は宿には帰らず、ここに泊まるんですけどね」

 エイン=ラジャールがそういったのは、セツナたちが何百人もの客人を送り出した直後のことだ。天輪宮に集まった数百人のうちの九割以上が、龍府各所の宿に去っていった。ガンディア軍人の場合は、宿ではなく、軍の施設に宿泊するのが普通のようだが、ドルカ=フォームなどは、せっかく龍府に来たのだからということで旅館を取っているらしかった。が、ドルカは、口惜しがった。

『天輪宮に泊まれるってわかってたら、わざわざ予約なんてしなかったんですが!』

 なぜもっと早くいってくれなかったのか、とでもいいたげなドルカの様子に、ニナ=セントールはあきれたようだった。ドルカが悔しがっている理由はすぐに分かった。

『美女の楽園……羨ましいなあ、実に羨ましい』

 ドルカにいわれて、セツナははっとしたものだ。美女の楽園といわれれば、確かにそのとおりかもしれない。ファリア、ミリュウ、マリア、エミルといった《獅子の尾》の女性陣に、セツナの従者であるレム、シーラ率いる黒獣隊の隊士は女性ばかりだった。セツナが望んでそうしたわけではないし、偶然の産物というほかないのだが。それに天輪宮の使用人には男もいる。エンジュールからきた黒勇隊は男性の割合のほうが多い。結果的には、男女の割合は半々といっていいのだが、ドルカの目にはそういった部外者は映らないものなのだろう。

『軍団長……』

 例によって例の如く仏頂面のニナだったが、そんな彼女を放っておくドルカでもなかった。

『別にいいんですけどね……俺は、ニナちゃんを独占するので!』

『ぐ、軍団長?』

『ということで、おさらばでございます、領伯様』

『あ、ぐ、軍団長! 待ってください! あ、セツナ様、これにて失礼致します!』

 いつも通りのふたりのやり取りには、セツナは笑顔にならざるを得なかった。ドルカ以外にも天輪宮に泊まりたがっていたものは少なくない。天輪宮は、龍府の象徴的な建物だ。外観も素晴らしければ、内装もまた、見て回っているだけで時間を潰せるほどに完成度が高い。さすがに古都の代表的な建築物群というだけのことはあり、セツナの誕生日会に訪れた人々から感嘆の声を漏れさせたものだった。

 客人の大半が天輪宮を去ったことで、ついさっきまでセツナの誕生日会とは名ばかりのどんちゃん騒ぎが繰り広げられていたとは思えないほどの静寂が、天輪宮全体を包み込んでいた。

「邪魔しないならいいけど、邪魔するなら帰ってよね」

「帰るって、どこへですか」

「あんた、参謀局の人間でしょ。参謀局本部といえば、王都じゃない」

「それはまあそうなんですけど、俺、しばらくここにいるんで」

 エインが当然のようにいった一言には、ミリュウのみならず、セツナも疑問の声を上げた。

「はあ?」

「どういうことだ?」

「ですから、最初にいったじゃないですか……誕生日の贈り物だって」

 エインがどこか気恥ずかしそうにいってきた。もじもじと、あまつさえ頬を紅潮させる美少年の姿に、彼の三人の部下が目を釘付けにしている。

 彼の三人の部下がエイン=ラジャールのことが好きなのは、だれの目にも明らかだ。方面軍団の部隊長として戦功を重ねている最中にも関わらず、エインがひと声かけただけで参謀局へ転属してしまうという時点で普通ではない。もちろん、前線に出なければならない部隊長と、情報の精査や作戦の立案など後方での任務が多い参謀局勤めを比べて、参謀局に入ったという可能性も少なくはないのだが、彼女たちの言動から察するに、エインの側にいたい一心で転属を決めたに違いなかった。

 部下に慕われるということは、エインが上官として、上司として優れている証でもあるのだろう。

「あれは冗談だろ? 質の悪い」

「質の悪い……って、傷つくなあ」

「この程度で傷つくようなたまかよ」

「まあそうなんですけど」

 けろりとしている。そして、けろりとした表情のまま、続けてくる。

「それはそれとして、本当にそうなんですよ」

「なにがそうなんだよ」

「俺が、セツナ様の誕生日を祝うための贈り物だってこと」

「……送り返そ?」

「おまえなあ」

 セツナは、真剣な目でこちらを見てきたミリュウに呆れるよりほかなかった。エインの発言は冗談としか思えない。それに、彼を送り返すにも、どこに送り返すというのか。そう問えば、もちろん王都へ、とでも返してくるのがミリュウであり、それもまた間違いではないのかもしれないが。

「まあまあ、怒らないでくださいよ。贈り物、というは半分は冗談ですから」

「半分は本気なんですね?」

 レムがセツナの背後から顔を出してきた。彼女はさっきまで紫龍殿の食堂で片付けの手伝いをしていたはずだった。ここ、天輪宮泰霊殿の広間にいるということは、片付けが終わったのか、ある程度片付いたのであとのことは天輪宮の使用人に任せた、ということなのかもしれない。

「ええ。もちろん、俺からの贈り物じゃなくて、陛下と局長からの、ですけど」

「陛下と軍師様からの?」

 セツナは、エインの言葉を反芻するようにつぶやきながら、驚きを禁じ得なかった。

 この日、ガンディアの軍人や貴族から数多の贈り物を受け取っており、贈り主の名は名簿にして記録している。いずれ返礼をしなければならないからだ。いくらなにもしない領伯とはいっても、その程度のことは自分でしなければならないと考えていた。もちろん、数が膨大である以上、セツナひとりでは対処しきれないのは目に見えているが。

 大将軍アルガザード・バロル=バルガザール、右眼将軍アスタル=ラナディース、左眼将軍デイオン=ホークロウ、二名の副将に各大軍団長たち、太后グレイシア・レイア=ガンディア、王妃ナージュ・レア=ガンディア、領伯ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブールなど、有名所だけでそれだ。名を挙げればきりがなかった。その中には当然、レオンガンド・レイ=ガンディアとナーレス=ラグナホルンの名もある。

 そこにさらにエイン=ラジャールという有能な人物を贈り物として加えるのか。

 そんなことを考えていると、エインが椅子から立ち上がって、セツナに向き直った。彼の部下たちも、エインの背後に並ぶ。エインをはじめ、皆、緊張した面持ちになっていた。セツナには、彼らがこれからなにをしようというのかわからなかった。

「ガンディア参謀局第一作戦室長エイン=ラジャールは本日五月五日を持ちまして、王立親衛隊《獅子の尾》勤務となりました」

「はあ!? 冗談でしょ!?」

 ミリュウがセツナの隣で悲鳴を上げた。彼女が椅子からと飛び上がると、エインが懐から一枚の紙を取り出す。

「いえ、こっちは本当ですよ。見ます? 辞令」

「うあ……本当だ……」

 エインから手渡された紙に目を通したミリュウは、なにやら天にも見離されたかのようにその場に崩れ落ちた。辞令が書かれていたのは間違いなさそうだった。つまり、エインが《獅子の尾》の軍師的な立ち位置になった、ということだ。

 セツナには、レオンガンドとナーレスの意図がいまいち読めない。どういう意図で、彼らを《獅子の尾》専属にしたのだろうか。ただの誕生日プレゼントなどではないことは明白だ。軍師の行動には、常になんらかの意図がある。ナーレス=ラグナホルンとはそのような人物だった。

 セツナに意図が読み取れるようでは、軍師など務まらないのは間違いないというのも事実だが、もう少しわかりやすくてもいいのではないか、と思わないではなかった。

「なんでそこまで絶望的な顔をするんですか! 俺がいることのなにが不満なんですか!」

「なにもかもよ!」

「酷い、ひどすぎる!」

「酷いのはあんたでしょ!」

「なにがですか!」

「なにもかもよ!」

「そればっかりじゃないですか!」

 エインとミリュウが同程度の言葉をぶつけあって口喧嘩をしているのを見遣りながら、セツナは少しばかり安堵を覚えた。ミリュウの調子が戻ってきているのが見て取れるからだ。天輪宮に戻ってきた直後のミリュウは、どこか虚ろで、心ここにあらずといった様子だったのだ。それが、ドラゴン騒ぎと誕生日会のどんちゃん騒ぎで消し飛んでしまったかのような印象が、いまの彼女からは感じ取れる。

 取っ組み合いの喧嘩を始めるふたりを、エインの三人の部下とエミルが力を合わせて止めに入る。

「ミリュウ様、元気そうですね」

「ああ、良かったよ」

 セツナは、後ろを振り返った。椅子の後ろに佇むレムは相も変わらずメイド姿だ。しかし、その格好も板についてきている。半年近くメイド服ばかり身に着けているのだ。見慣れもするだろう。

「それにしても、第一作戦室長様が《獅子の尾》勤務だなんて、陛下も軍師様も面白いことを考えられるものでございますね」

「面白いか?」

「はい、とても」

 彼女は、笑みを絶やさない。まるで、笑顔を浮かべることこそがメイドの使命だとでもいうかのように、自分の役割だとでもいわんばかりに。彼女の笑顔に救われることがないとは、言い切れない。疲れたとき、ふと彼女の笑顔を見れば、心が落ち着く自分がいるのもまた、事実だった。

 しかし、いま、この瞬間の笑顔は、いつもの笑顔と違って見えた。同じような笑顔でも状況によって微妙に違うのだ。セツナには、なんとなくわかる。

 命が同期しているからかもしれない。

「それ、ミリュウとエインの関係が面白いってことだろ」

「はい」

「はいじゃねえよ」

 セツナは、間髪をいれずに突っ込むと、頭の上からずり落ちてきたワイバーンを両手で受け止めて、嘆息した。

 大騒ぎを巻き起こした小飛龍は、しばらく前から眠りこけている。緑柱玉のような外皮に覆われた小さなワイバーン。本当に小さく、宝石のように美しく輝いている。

 このワイバーンは、本当にいったいなにものなのか。

 問題は、まだまだ山積みのように思えてならなかった。

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