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第八百八十九話 五月五日・ルシオン(一)

 ときが迫っている。

 刻一刻と、終焉のときが近づいてきている。

 終焉とは、人生の、だ。

 死。

 人生の幕が降り、すべてが終わる。

 なにもかも、水の泡と消えて失せる。

 ハルワール・レイ=ルシオンが決して晴れることのない闇の中で考えるのは、そんなことばかりだった。

 闇。薄い暗闇。視界を覆う暗雲は、いつごろからか、夜であろうと昼であろうと関係なく、彼の視野を狭めていた。時間が迫っているのだと悟ったときには、事態は深刻なものになっていたらしい。立ち上がることさえままならなくなり、寝ても覚めても、寝台の上から離れられなくなった。時折、夢を見ているのか、起きているのかどうかさえ定かでないことがあった。

 ずっと、夢を見ていたのかもしれない。

 長い夢。

 あまりに長すぎて、覚めることも忘れてしまうほどの夢。

 夢は、必ずしも優しいものではない。悪い夢もある。苦しく、辛い夢もある。甘美な夢もないではないが、いずれ悪夢に取って代わられるのがおちだ。そんな夢ばかり見ていた気がする。

 ハルワールは、ぼんやりと闇を見ている。視界を狭める闇の向こう側に星空が広がっている。ハルワールの寝台には天蓋がついていて、天蓋の内側には星空が浮かべられていた。闇夜にたゆたう無数の星々。

 かつて、大陸には綺羅星の如く英雄豪傑がいたという。

 何百年もの昔。統一国家が一夜の夢のように潰え、数多の国々が勃興し、領土争いを繰り広げたころのことだ。ルシオン王家の始祖も、そんな英雄豪傑のひとりだった。“大分断”によってばらばらになった地域をひとつに纏め上げ、ルシオンという国の基礎を築いたのだ。英雄と呼ぶに相応しい。しかし、そんな英雄がいまのルシオンを見ればどう思うのか。

 ルシオンに比べれば新興国に過ぎないガンディアの属国同然に成り果てた現状を快くは思わないだろう。嘆かわしく思うだろうし、これが自分が基礎を作り上げた国だとは思いたくもないかもしれない。

 ルシオンが道を見誤ったとすれば、その責はハルワールにある。

 ガンディア、ミオンとの三国同盟に奔走したのは、若き日のハルワールなのだ。それもこれも、若き日、シウスクラウドに英雄の片鱗を見たことが原因だった。シウスクラウド・レウス=ガンディアには、ハルワール・レウス=ルシオンにはない光があった。だれよりも眩しく輝く太陽であった彼は、周囲の人々を照らすだけでなく、その照らした人々さえも小さな太陽にしてしまうだけの影響力があった。それこそ英雄の資質にほかならない。

 若いハルワールは、隣国に将来の英雄が出現したことに興奮を覚えたものだ。そして、彼が活躍する舞台を整えることに奔走した。だれに頼まれたわけでもない。他国の王子のために、他国の利益となることを率先して行うなど、正気の沙汰ではなかった。

 実際、狂気を帯びていたのだろう。

 英雄には、周囲の人間を魅了する不思議な力があり、魅了された人間は、狂気のうちに死ぬか、狂気のままに行動するしかなくなるものらしい。

 ハルワールは、後者だった。

 いまにして思い返せば、あの頃の自分はなんだったのだろうと不思議に思うしかない、

 熱に浮かされた子供のように、ただひたすらにシウスクラウドが英雄であることを信じ、彼が活躍するための舞台を整えることに熱中した。無論、シウスクラウドはただ英雄の風格を持って生まれたわけではない。実際に優秀な人物だった。戦士としても強力無比であったし、戦闘指揮官としても有能だった。小部隊を率いて大部隊を撃破することも簡単にやってのけた彼が将来ガンディアを率いたとき、ガンディアのかねてよりの夢であった北進を果たすのは間違いないと、ハルワールは確信し、故にこそルシオンはガンディアに全力で協力するべきだと想い、行動した。ガンディアと協力関係を結ばなければ、隣国であるルシオンもまた、シウスクラウドによって滅ぼされるだろう。英雄性の確信は、ときに恐怖となってハルワールの心を震わせたものだった。

 故にこそ、ハルワールは、自分の構想に熱中した。将来、シウスクラウドがガンディアの王となった暁には、彼は必ず大舞台に躍り出るだろう。そのとき、ルシオンは彼に助力を惜しんではならない。シウスクラウドの活躍こそ、ルシオンの躍進にも繋がるのだと彼は信じた。

 実際、ガンディアの躍進がルシオンにとって好影響を与えるのだが、それがシウスクラウドによってなされなかったのは、痛恨の極みでしかない。

 シウスクラウドは、出逢った人間のほとんどすべてを感化した。彼と接触した人間は多かれ少なかれ、何らかの影響を受けざるを得なかったのだ。ハルワールのように魅了されるものもいれば、ザルワーンの当時の国主マーシアス=ヴリディアのように峻烈なまでの敵愾心を抱くものもいた。

 シウスクラウドという英傑が持つ強烈な個性は、彼と触れ合った人間を味方と敵に二極化してしまうのかもしれなかった。

 故に、彼は死んだ。

 英雄になれぬまま。

 英雄の風貌を人々の脳裏に焼き付けたまま、逝った。

 ハルワールは、シウスクラウドの無念を想うと、心が震えてたまらなかった。彼の無念は、ハルワールの無念でもある。彼が躍進するために整えた舞台は、彼の子レオンガンドが獅子王として君臨するための舞台となった。レオンガンドこそ時代の英雄であり、ガンディアの獅子王だと褒めそやされ始めている。それもまた、ひとつの事実として認めるほかない。実際、レオンガンドの成し遂げてきたことは、彼の英雄性を認めさせるものなのだ。

 バルサー要塞の奪還から始まるガンディアの連戦連勝は、それこそ、レオンガンドの輝かしい栄光の歴史でもあった。ログナー、ザルワーン、ベレル、そしてクルセルク。四つの国を一年足らずで制圧して見せたレオンガンドを英雄と呼ばずして、だれを英雄と呼ぶのか。

 ハルワールは、考える。

『あの子が大きくなる頃には、この国も少しはましになっているだろうさ』

 シウスクラウドがそういったのは、レオンガンドが物心付く前のことだったか。ハルワールの子であり、ルシオンの王子ハルベルクが生まれるより少し前、ハルワールがルシオンとガンディアの同盟をより強固なものにするため、ガンディオンを訪れたときの会話だったはずだ。

 レオンガンドは、ゆりかごの中にいた。

『ましだなどと、小さいことをいうものではないよ』

『ならば、言い直そう。あの子が俺の後を継ぐ頃には、ガンディアは何倍にも大きくなっている、と』

 彼はいって、獰猛に笑った。獅子のように雄々しい笑顔は、それだけでハルワールの心を魅了した。ハルワールは、シウスクラウドこそ、小国家群を統一する器だと想い、彼のために生涯を捧げようとさえ考えていた。

 だが、シウスクラウドの言葉が実現されることはなかった。

 数年後、彼は病を得て、倒れたからだ。

 謎の病は、彼がザルワーン首都・龍府に赴き、国主マーシアス=ヴリディアと会食を行ってからのことであり、ハルワールは、マーシアスが彼に毒を盛ったのだと確信した。マーシアスには悪い噂が堪えない。外法と呼ばれる術に精通し、その人の道を外れたる術によってザルワーンを支配しているというもっぱらの噂だった。いや、根も葉もない噂話というわけではない。

 情報は、小国家群を生き抜くための生命線といってもいい。どんな国であれ、近隣諸国の情報を常に仕入れておかなければ生きてはいけないし、生きていく資格がない。国境近辺を巡る小競り合いばかり繰り返しているとはいえ、いつ本腰を入れて攻め込んでくるのかわからないというのが実情なのだ。常に隣国の動向に注目し、新鮮な情報を入手するのは、大陸小国家群に属する国には当然のことだった。

 ルシオンもまた、自前の諜報機関を有していて、近隣諸国の動向を常に伺っていた。

 ザルワーンは、ガンディア、ログナーというふたつの国を間に挟んではいたが、ルシオンにとっては昔から仮想敵国であった。いや、ルシオンだけではない。ザルワーンの周辺諸国にとって、ザルワーンほどその動向を注目せざるを得ない国はなかった。ザルワーンは、歴史の長い国だ。その長い歴史の中で他国への侵略と併呑を繰り返して巨大化していったのが、ザルワーンという国であり、長らく沈黙を保っているものの、その巨大龍がいつ眠りから覚め、牙を剥くのかはだれにもわからなかった。ザルワーンの内情に目を光らせるのは、ルシオンのような国にとっては当然のことであり、マーシアス=ヴリディアの悪評がただの噂ではないということまで突き止めることができたのも、ザルワーンに注目していたからに他ならない。

『行かないほうがいい』

 故に、ハルワールは、レオンガンドのザルワーン行きを引き止めたのだ。

『ザルワーンの国主様直々のお誘いだ。断るわけにはいかんよ』

『ザルワーンがいかに強国とはいえ、その意向に従う道理はないといっているんだ』

『別に、ザルワーンが強国だから従うのではない。恐ろしいから、いわれるまま行動するというわけではないのさ』

『ではなぜ、行く?』

 罠が待ち構えているのは、火を見るより明らかだ。

 マーシアス=ヴリディアは、奸智に長けた人物だ。シウスクラウドを謀殺する方法などいくらでも考えつくだろう。外法を用いるかどうかは関係ない。問題は、マーシアスがシウスクラウドに対して憎悪に近い感情を抱いているということなのだ。

『いずれ越えねばならん壁だ。その壁がどの程度の高さでどれほどの厚さなのか、実際にこの目で見ておく必要がある。実物を知らなければ、必要な力もわからんからな』

『そのために命を危険に晒すというのか?』

『そうだ』

 彼は、獰猛な笑みを浮かべて、ハルワールの肩に手を置いた。

『俺はこれまでずっとそうやってきたのだ。いまさらやりかたを変えるなど、性に合わん。その結果、命を落としたとすれば、それは俺に運がなかったというだけの話だ』

 そういって、シウスクラウドはまだ幼かったレオンガンドとともにガンディアを離れた。

 それが、ハルワールの見たシウスクラウドの英雄としての姿の最後だった。

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