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第八百八十七話 五月五日・ニーウェの冒険(七)

「さすがぼくのニーウェだね!」

 ミーティアが歓声を上げたと思うと、ニーウェに抱きついてきた。彼女のニーウェに対する態度は、ほかのふたりとは一線を画するものであり、その無邪気さは二年前からなにひとつ変わっていない。帝国貴族の生まれでもなければ、軍人の家系に生まれたわけでもない彼女には、皇子を敬うということの意味がわからないのだ。

 だから彼女は、まるで親しい友達のように振る舞うのだし、ニーウェも相応の態度で応えた。つまり、同年代の友人のように、だ。そしてニーウェにとって同年代の友人と呼べるのは、ミーティアくらいのものだった。故にニーウェは彼女を大切にしたし、彼女もその想いに応えてくれている。

「まあね」

「だれがあなたのものなのだ?」

 ミーティアの発言に釘を差すのは、いつだってシャルロットの役回りだった。帝国貴族モルガーナ家の令嬢にして、メビアス剣帝教団随一の剣士である彼女にとって、皇子であるニーウェとは尊崇の対象であり、対等の関係であるかのように振る舞うミーティアは、本来、許せるようなものではないのだ。これがミーティア以外の人間ならば、彼女は容赦なくその長剣で斬りつけただろう。不敬罪による処断など、ありふれたものだ。

 シャルロットがミーティアのニーウェに対する言動を許容しているのは、ニーウェが彼女のことを受け入れているからであり、ミーティアがニーウェに対して絶対の忠誠を誓っているからでもある。もちろん、ミーティアの言動も度が過ぎれば、シャルロットの怒りを買うことは明白であり、ミーティアもそのことは重々承知している。

「俺かな?」

「はあ?」

「それはない」

 ランスロットが場を和ませるために吐いた一言は、無残にもミーティアとシャルロットによって一刀両断され、彼はその場でこけかけた。ランスロットもまた、帝国貴族の名門ガーランド家の出身ということもあり、ニーウェへの態度というのは、主君のそれと同じだ。イェルカイム門下の兄弟子ということもあり、一時期はニーウェを見下していたこともあったようだが、長年の付き合いがそういった複雑な感情を解消していったらしい。

 そして、ランスロットにせよ、シャルロットにせよ、ミーティアにせよ、現皇帝よりもニーウェを選んだという点では同じだ。

「はあ……なんで俺ばっかりこんな目に」

 ニーウェはひとり肩を落とすランスロットを宥めようとしたが、彼に歩み寄ることもかなわなかった。シャルロットの長身が間に入ったからだ。切れ長の目が、ニーウェを見つめている。

「それはそれとして、説明してくださいませんか? 殿下」

「説明?」

 反芻し、小首を傾げてみせたものの、彼女がなにについて説明を求めてきたのかは理解していた。理解した上で、彼女の感情を動かすためにあざとい態度を取ったのだ。そして、ニーウェの思惑通り、シャルロットの表情が緩んだ。その横からミーティアが飛び込んでくるのもまた、予測の範囲内だ。

「そうそう。ぼくたちを置いてエンシエルから出ていこうだなんて、いい度胸じゃないか」

「本当ですよ。怒り狂うふたりを宥めなければならなかった俺の苦労、わかってくれますよね?」

 怒り顔のミーティアの後ろで、ランスロットが疲れたような顔をしていた。彼の言葉ひとつで、ニーウェの消失を知ったミーティアとシャルロットがどのような行動に出たのか想像ができる。ふたりはきっと彼がいったように怒り狂い、暴れ回ったのだ。人的被害が出ていたとしてもおかしくはないくらいに、ふたりはニーウェに執着している。

「誰が怒り狂った?」

 シャルロットが半眼になってランスロットを横目に見ると、その隣の少女が素知らぬ顔で告げた。 

「シャル」

 シャルロットの表情筋がぴくりと動く。ランスロットが追い打ちをかけるように告げてくる。

「シャルロットさん。ミーティアもね」

 またしてもシャルロットの端正な顔立ちに亀裂が入ったが、そんなことなど無視するかのようにミーティアが反論する。

「えー、ぼくは別に怒り狂ってなんかないけどなー」

「殺されかけたんだけど!」

「え? そんなことあったっけなー」

「ああ、確かに危うくランスロットの首が飛ぶところだったな」

「ほんと、危なかったんですよ」

「あはは……」

 ニーウェは、またしても想像できる惨憺たる状況に乾いた笑いを浮かべるしかなかった。シャルロットのいったとおりであり、ランスロットが嘆いたとおりのことが起きたのだろう。

 ミーティアのニーウェへの依存度は凄まじいものがある。彼女は、ニーウェがいなければ生きていけないと公言していたし、実際、ニーウェがいなければ、彼女は処刑されていたのだ。ミーティアがニーウェの傘下に入った最初の理由が、それだ。彼女はニーウェが命の恩人だということで、その恩に報いるためにニーウェの配下となったのだ。

「笑い事じゃないです! 殿下!」

「そうです。笑って済ませられるようなことだとは思わないことです」

「きっちり、説明してもらうからね!」

 ランスロット、シャルロット、ミーティアの三家臣に詰め寄られて、ニーウェは、どうすればいいものかと思ったものの、三人がいなければ苦戦していたことも間違いなく――。

 ニーウェは、馬車を一瞥した。

「コールドールに向かいながら、話そう」

 コールエンド街道に戻るまで時間がある。その時間で説明しきれる程度の内容にほかならない。

 もっとも、三臣が納得するかどうかはわかない。いや、三人は納得しないだろうし、猛反対するだろう。そんなことはわかりきっている。だからこそ、ニーウェは三人をエンシエルに置いて出てきたのだ。

 ニーウェは、たったひとりで、黒き矛と戦うつもりだった。



『親愛なる閣下へ。

 御存知の通り、わたくし、ニーウェ・ラアム=アルスールは、今日を持ちまして十八歳となります。

 十八歳。

 帝国では、ハイン帝の例に倣い、十六歳で成人とされます。

 成人して二年。

 わたくしはようやく、自分の成すべきことを見つけることができました。

 わたくしにしかできない、わたくしがやらなければならないことがあったのです。

 わたくしは、全存在をかけてそれを成し遂げる所存です。

 閣下、どうかわたくしの勝手をお許し下さい。

 そしてどうか、わたくしのことを信じ、待ってください。

 わたくしは、必ずや全てを成し遂げ、あなたを迎えに参ります。

 偉大なる総督閣下へ。

 親愛なる姉上へ。

 愛しいニーナへ』

 ニーナ・ラアス=エンシエルは、実の弟にして最愛の人物が送り届けてきた手紙に目を通すたびに、こみ上げてくる感情の激しさに震えた。その手紙に記された文章が示すのは、弟の覚悟の程であり、彼の彼女への想いであった。

 愛し合っている。

 その事実を確認することができたのだ。

 喜ぶべきだろう。歓喜し、飛び跳ねたって構わない。いまのいままで、彼の想いを疑ったことなど一度だってないが、彼が示すのは実の姉に対する好意であり、異性への愛情ではなかったのだ。しかし、手紙に記されている文字は、彼女への全霊の愛そのものだった。

 しかし、その事実への感動よりも、別のことに注目せざるをえないのもまた、現実だ。そしてその現実こそが、彼女の心を震わせるのだ。

「全存在をかけて……か」

 その言葉がなにを意味するのか、彼女にはわからなかった。彼が見つけたという成すべきこととはいったいなんなのか、彼がいったいなにを成すつもりなのか、見当もつかない。

 ただ、漠然とした不安がニーナの心の中に広がり、癒えない病のように侵蝕していった。


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