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第八百八十六話 五月五日・ニーウェの冒険(六)

 ウォスブレフは、人狼と呼ばれることもある皇魔だ。

 人間のような体型と狼のような頭部、身体的特徴を持つ化け物。帝国領に広く分布する獣人型と呼ばれる皇魔の一種であり、代表格といっていい。その性質は残忍かつ狡猾であり、人間を殺すためならば知恵を使い、罠にかけることさえもあった。人間の死体に釣られてやってきた人間を殺すということもウォスブレフにはありがちな手口だった。

 ニーウェたちをこの“巣”に誘き寄せたのも、ウォスブレフ特有の奸智に違いなかった。他の種族ならば、追跡を感知すると、“巣”への帰還を諦めるものだ。だが、ニーウェたちが追いかけていたウォスブレフはそうはしなかった。むしろ、まっすぐ“巣”に向かっていた。“巣”にいる仲間や王とともに、ニーウェたちに復讐を果たそうとしたのだろう。

 だが、現実はそううまくいくものではない。

 ニーウェたちを巣に招いたウォスブレフを含め、五十以上いた人狼のほとんどが、三臣の活躍によって息絶えていた。生き残ったのは、王とその近衛らしき数体あまりであり、その数体の命も残すところあとわずかといったところだろう。

 ニーウェが、彼らの前に立ち塞がっている。

 ウォスブレフたちの死は、確定事項といってよかった。

「可哀想に」

 ミーティアが、ニーウェの前方に立ち尽くす皇魔たちを見遣りながら、そんなことをいった。決して皇魔を哀れんでいるわけではない。どうでもいいと思っているに違いないのだが、話題を作るためにそんな言葉を発したのだ。ミーティアには、そういうところがあった。

「殿下を襲った報いだ」

「シャルロットさんってば辛辣ぅ」

「どこがだ」

 シャルロットが憤然とするのを気配だけで感じながら、ランスロットは、ニーウェを見ていた。

 ニーウェ・ラアム=アルスール。ザイオン帝国皇帝シウェルハイン・レイグナス=ザイオンの二十番目の子であり、皇位継承権保有者。つまり皇子だ。黒髪に紅い眼は、皇族の証といってもいい。それは、始皇帝ハインから連綿と受け継がれてきた外見的特徴だった。

 彼は、一見すると普通の少年のようだった。もちろん、皇族の証明である外見的特徴を考慮に入れなければ、の話だ。黒髪紅眼さえ考慮しなければ、どこにでもいそうな少年のように見える。しかし、実際はどこにもいるわけではない。

 ニーウェは、武装召喚師の端くれだ。五年、イェルカイム=カーラヴィーアに師事している。イェルカイムが課した厳しい修練の日々は、彼の肉体を鍛え上げ、精神を成長させた。そして、ある程度の武装召喚術を駆使するだけの技量を得た。武装召喚師の先輩であるランスロットからみればまだまだ危なっかしいところもあったし、師からいわせれば半人前もいいところなのだが、武装召喚師としての才能は疑いようもなかった。

 才能の証明が、彼の手にしている二刀一対の召喚武装だ。

 エッジオブサーストと名付けられている。

 刀身の切っ先から柄の先端に至るまで純粋な黒で塗り潰された二本の短刀は、その歪で禍々しい形状からもわかる通り、凶悪な召喚武装だった。帝国最高峰の武装召喚師イェルカイムが驚嘆したほどの召喚武装は、ニーウェという少年をだれよりも特別な存在にしてしまったといっても、過言ではなかった。

 ニーウェが動く。

 ウォスブレフの王の左右にいた三体が、最初に対応した。“巣”の支配者たる王は、容易に動くことはできないという不文律がある。“巣”を構築するのは王の力だ。王が“巣”の維持を怠れば、たちまち瓦解する。つまるところ、それが皇魔の“巣”を破壊する方法に繋がる。

 皇魔の王を殺し、“巣”を維持する力の供給を断つことこそ、皇魔の“巣”を根絶する唯一の方法なのだ。

 もっとも、それは獣人種の皇魔に共通する理であり、すべての皇魔と皇魔の“巣”がそうであるというわけではない。そこが皇魔という存在の複雑なところだ。

 三体の皇魔に対して、ニーウェは即座に反応した。まず右の一体に跳びかかり、右の一太刀で胴を払うと、透かさず左の二体に向かって跳躍した。二体の人狼は、それこそ常人の目では終えないほどの速度でニーウェに殺到したが、ニーウェは、武装召喚師の目でも捉えられない動きで皇魔の背後を取り、二体の首を同時に刎ねた。断末魔を上げることさえできないまま絶命する二体の皇魔を見て、ようやく王が動き出す。隻眼の人狼が吼えた。巣に満ちた瘴気が渦を巻き、空間そのものが激しく揺れた。猛烈な力の奔流が、ウォスブレフに収束していく。

 巣をみずから破壊しようというのだろ。

(維持のための力を無駄と判断したか。だが、少し遅かったな)

 ランスロットは、ウォスブレフの王のために哀れんだ。

 隻眼の人狼がその圧倒的な力を以ってニーウェに相対しようとしたときには、彼の姿は王の目の前から掻き消えていた。皇魔の反応が遅いわけではない。ライトメアの補助を得たランスロットでさえ、ニーウェの動きを捉えることはできない。

「鈍いぞ」

 ニーウェの声が、彼の居場所を知らせてくれた。彼は、王の頭の上にいた。王の隻眼がニーウェを捉えたときには、深黒の刃がその目を抉っている。血が噴出した。皇魔が咆哮した。が、雄叫びによる衝撃波がニーウェの体を吹き飛ばすことはなかった。既に彼の姿はそこにはない。

(いや、あなたとエッジオブサーストがイカれてるんだよ)

 ランスロットは胸中で苦笑するしかない。

 ニーウェの攻撃によってもうひとつの目まで失った王は、怒り狂って地団駄を踏んだ。大地が揺れ、粉塵が立ち込める。

「目が見えなきゃ捉えられないか?」

 ニーウェの冷酷な言葉は、ウォスブレフの王への最後通牒となった。なにが起こったのかわからないまま、人狼の巨躯が音を立てて崩れ落ちる。

「見えても同じことだよねえ?」

「まったくその通りだな」

 ミーティアとシャルロットが肩を竦めた。

 そんなふたりを横目に見て、ランスロットもまた肩を竦めて、主の姿を視界に収める。

 立ち込める粉塵の中、巨狼の亡骸の上にニーウェの姿はあった。

 彼は、返り血ひとつ浴びていなかった。



 エッジオブサースト。

 二刀一対の黒き短刀は、召喚武装としても破格の性能を秘めている。通常、武装召喚師でさえ苦戦を強いられるような人狼の王など相手にならないほどのものであり、ニーウェは、深黒の双刀の能力の凶悪さを再確認して、しばし茫然とした。

 足元にはウォスブレフの王の巨躯が倒れている。

 圧倒的な力を誇るはずの化け物も、エッジオブサーストを手にしたニーウェの前では赤子同然といってもよかった。赤子の手をひねるほどの力しか出していないというのは言い過ぎにしても、ウォスブレフの王をこれほどまで呆気無く打ち倒せる武装召喚師は、そういるものではあるまい。

 もはやただの肉の塊と成り果てた怪物の巨体から飛び降りると、少しばかり呆気に取られているランスロットの顔が視界に入ってきた。イェルカイムの高弟にしてニーウェの兄弟子に当たる武装召喚師から見ても、ニーウェとエッジオブサーストの力は馬鹿馬鹿しいくらいに強力なのだろう。それについてはずい分昔に言及されたことがある。師であるイェルカイムにもだ。

 あまりに強力過ぎる召喚武装は身を滅ぼす、とも忠告された。実際、身の丈に合わない召喚武装を呼びだしたがために命を吸われた武装召喚師がいたのは事実であり、ニーウェは自分がそういう目に遭うことのないよう、厳しい修練を積み上げている。それでも、身の丈に合っているかというと、合っていないというべきほどの代物なのは疑いようがない。

 血を吸って赤黒く染まった二本の短刀は、ニーウェのような半人前の武装召喚師には過ぎたるものといわざるをえない。しかし、ニーウェはエッジオブサーストの召喚を控えるつもりはなかったし、むしろこれからも積極的に呼び出し、振り回すつもりでいた。

(段々馴染んできているんだ)

 ニーウェは、二本の短刀を異世界に送還すると、周囲を見やった。瘴気は消え失せ、歪んでいた空間も元に戻っている。皇魔の巣と呼ばれる空間は、巣を維持する存在を失ったことで完全に崩壊したのだ。残るのは数多の皇魔の死体だ。獣人種、人狼などと呼ばれる皇魔の亡骸が五十ほど。そのほとんどが、彼の三人の家臣によって作り上げられた。

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