第八百八十四話 五月五日・ニーウェの冒険(四)
「やりすぎだ」
中空で告げたが、きっとその言葉は誰にも届かなかっただろう。
熱を帯びた爆風に煽られながら、落下する。自由落下。綺麗に着地することはかなわない。多少の負傷は覚悟したが、その心配も不要だということさえ、認識の中にある。細いながらも強靭な腕が、落下中のニーウェの体を抱きとめることに成功した。つぎに、皇魔の悲鳴が聞こえた。今度こそ間違いなく断末魔の叫び声だ。最初の射撃とは別の攻撃が皇魔を数体、血祭りにあげたのだろう。これも予想の範疇といっていい。
ウォスブレフたちが怒りの声を上げる中で、ニーウェはようやく地に足をつけることができた。抱きとめた人物が、彼を地上に降ろしてくれたのだ。粉塵渦巻く戦場は、皇魔の怒声と殺意で張り詰めている。
「殿下、お怪我はありませんか?」
「あ、ああ……」
ニーウェが少し驚いたのは、彼女の言動が想像以上に激しかったからだ。腰まで届くほどの黒髪が美しい全身武装の女性は、名をシャルロット=モルガーナといった。彼女は、ニーウェの体に怪我がないか心配で仕方がないといった様子であり、体中をくまなく見て回り、傷一つ見当たらないことを確認すると、ようやく安堵したようだった。それから、彼女は背に帯びた長剣を抜き、皇魔たちに相対した。
「無事なのは当たり前でしょー、シャルロットさーん。俺がニーウェ様を害することなんてあるわけないっすよー!」
大声の方向を一瞥すると、想像に違わず、見知った顔の青年が弓状の兵器を構えていた。彼は巨大な岩の上に立っており、そこから皇魔の群れに攻撃を叩き込んでくれたのだろう。ランスロット=ガーランド。風に揺れる黒髪は、帝国人の特徴といってもいい。そして両手で抱えている巨大な弓状兵器は、彼の愛用する召喚武装である。
「なにいってるんだか。君の誤射なんて大いにあり得るから、シャルだって心配するんじゃないか」
などという声は、ニーウェのすぐ背後からだった。見ると、いかにもひ弱そうな小柄な少女が、ウォスブレフの亡骸を踏みつけて立っている。彼女もまた、黒髪だった。いたずらっぽい大きな眼の中で灰色の虹彩が輝いているように見えた。ミーティア・マァル=ラナシエラ。
「え!? そんなに信頼ないの!?」
「貴殿は狙撃を苦手としているからな」
ランスロットが愕然とすると、シャルロットが嘆息してみせた。ウォスブレフはまだ十体以上生存しているというのに、皆、余裕綽々といった態度だった。実際、余裕なのだから、仕方がない。
彼らは、皇子ニーウェの三臣と呼ばれる。出自も立場も異なる三名の家臣。皆、ニーウェに対して絶対的なまでの忠誠を誓っていた。ニーウェにとって、ニーナとイェルカイム以外で心を許すことのできる人物たちであり、彼らがいるだけでニーウェは安堵することができた。
「そうそう。狙撃なら、ぼくのほうが得意中の得意って話だよねー」
ミーティアが笑いながら、踊るように皇魔の集団の中に突っ込んでいった。人狼の群れは、こちらへの警戒心から、攻撃に移ってくることもなかったのだ。それが仇になった。ミーティアの突撃に反応した結果、陣形は崩れに崩れた。そこへランスロットの砲撃が降り注ぎ、シャルロットの追撃が入る。ミーティアが舞い踊るように皇魔の五体をばらばらにすると、ニーウェもニーウェでウォスブレフの二体を同時に斬殺した。
気がついたときにはウォスブレフの数は激減しており、生き残ったわずかばかりは、尻尾を巻いて逃げ出してしまった。
「追いかけますか?」
「当然だ」
否やはなかった。
ニーウェは旅を急ぎたかった。今日中に目処を建てたかったのだが、どうやらそういうわけにはいかないということが判明して、少しばかり落胆した。しかし、皇魔と遭遇し、その一部が逃げ去ったというのであれば、追撃し、撃滅しなければならない。
ニーウェは、ザイオン帝国の皇子である。いまやこの皇位継承権に意味などないといっても過言ではないが、皇族としての責務がある。上に立つものとして、支配階級にあるものとして果たさなければならない努めがある。皇魔の排除は、そのひとつに上げられる。しかも、優先事項といってもいい。皇魔ほど国民の安息を奪い、平和を乱す存在はいないのだ。
無論、すべての皇族が彼のように振る舞えるわけではない。一般人と同程度の力しか持たない皇族もいる。いや、むしろニーウェやニーナのように己の力でなにもかもを解決しようとする皇族の方がめずらしいといったほうがいいのかもしれない。通常、皇族はこういった事態の解決には軍を動す。帝国軍という強大な力を動かせるということもまた力であり、一般国民には持ち得ないものだ。そして、軍による皇魔の討滅も、個人的な力による皇魔の討伐も、結果的には同じことだ。国民が得られる利益は当価値であり、であれば、皇族みずからが出向くことに拘る必要はない。
だが、ニーウェは、自分の手で解決することにこだわった。単純に、エンシエルを本拠とする第七方面軍に出動を要請するために時間を浪費したくはなかったというのもあるし、ニーナに大見得をきった手前、エンシエルに戻るという手はなかったのだ。
三人の部下とともに馬車に乗り、皇魔を追跡する。しかし、全力での追跡ではない。数体の人狼の逃走先に巣があるかもしれないのだ。ある程度の距離感を保ちながら、皇魔の行き先を推測する。
コールエンド街道から南西に向かっている。街道から大きく外れており、もしこの先に皇魔の巣があり、討滅に成功したとしても、街道に合流するのは一苦労かもしれない。
それでも皇魔の殲滅を優先するのは、力を持たない一般国民がコールエンド街道を歩いている最中、ウォスブレフの群れに襲われたらどうすることもできないからだ。逃げるまもなく殺されるに違いないし、皇魔の群れに遭遇したという情報が軍に届かなければ、対策のとりようもない。対策が取れないまま被害は拡大し、軍が動き出した頃には取り戻せないほどの損害が出ていることは想像に難くない。
「長旅が皇魔討伐の旅に変更~」
「よくあることさ」
ニーウェは、御者台から後方上部を見上げながらいった。
ランスロットは馬車の荷台、天幕の上に立っていた。天幕を突き破って落ちないか少しばかり心配だったが、そのような心配は不要だということもわかりきってはいる。信頼もしている。彼の実力を疑うのは、彼の忠誠を疑うのと同じことだ。
「それはそうですけどね」
ランスロットが苦笑を浮かべた。彼は、巨大な弓状召喚武装を抱えている。敵もいないのに召喚武装を抱えているのは、召喚武装の恩恵は、その特異かつ凶悪な能力だけではないからだ。召喚武装には、手にしている人間の身体能力、動体視力、五感といったものを通常の数倍以上に引き上げるという副作用がある。それこそ武装召喚師そのものが強力な兵器として運用される最大の理由であり、常人と武装召喚師を隔絶するものだ。そして、その五感の拡大によって得られる広大な感知範囲が、逃走する皇魔を追いかけるのに非常に役に立っていた。御者は、ランスロットの指示によって馬車の走る方向を定めていたのだ。
しかし、勘違いしてはならないのは、それは召喚武装の副次的な効果にすぎないということだ。
ランスロットの召喚武装ライトメアは、先の戦闘からもわかる通り破壊的な遠距離攻撃を得意とする兵器であり、その破壊光線こそがライトメアの本分なのだ。
「ウォスブレフの逃走先に巣があります。しかし、規模は小さい。つい最近作られたんでしょう」
「だからか」
ニーウェは納得した。だから、平和極まるコールエンド街道で皇魔などに襲撃されたのだ。
巣の在処は、どうやらコールエンド街道から大きく離れているのだが、ウォスブレフにとってはその程度の距離を遠征するのは、なんの問題もないことなのかもしれない。息も切らさず走り続けているところを見る限り、ウォスブレフの体力というのは、尋常ではない。ニーウェたちに比べても異常といっていいほどのものだった。
やはり、皇魔は怪物だとしかいいようがない。
「追跡して正解だったってわけだね」
「そうらしい」
ニーウェは、ミーティアの言葉にうなずくと、静かに呪文の詠唱を始めた。戦場となるのは、皇魔の巣だ。小さいなりとはいえ、相当数のウォスブレフがいることはわかっている。二十どころではないだろうし、強力な個体がいることも明らかだ。
皇魔の“巣”と呼ばれるているのは、皇魔の支配地域のことだ。支配地域には、支配者が君臨する。ブリークのような小型皇魔であれ、シフのような飛行型皇魔であれ、ウォスブレフのような獣人型皇魔であれ、皇魔と総称される異世界の存在は皆、そうだった。
皇魔の巣は、その支配者によって作り上げられる。支配者は、みずからが作り上げた巣の中で種を増やすのだ。繁殖方法は様々で、雌雄が存在する皇魔ならば、交わり、子を成すといい、雄のみ、雌のみの皇魔ならばなんらかの方法で増殖するといわれている。
ウォスブレフは、雌雄の存在する種であり、放っておけば、“巣”に君臨する王とその后たちが数多の子を生し、凶悪で強力な軍団を作り上げるに違いなかった。
そして、皇魔の“巣”を作り上げるほどの個体となると、その力は、他の個体と比べるべくもないほどに凶悪であり、武装召喚師でさえ苦戦を強いられることもままあるといわれている。皇魔の“巣”を破壊するのは、簡単なことではないということだ。通常戦力ならば多大な出血を覚悟しなければならないし、皇魔の巣を破壊するための犠牲を考えるならば、巣を放置したほうがましだという意見もある。城壁に囲まれた都市に隠れている限り、皇魔の被害に遭うことはない。わざわざ皇魔の巣を滅ぼすために多大な犠牲を払うなど馬鹿げている――そんな声が出るのも、ある意味では当然だった。
そんな怪物の巣窟に、ニーウェたちは向かっている。
甲冑を着込んだシャルロットはともかく、旅装のニーウェ、軽装のランスロット、私服といってもおかしくはないような格好のミーティアは、どう見ても、これから死地に赴くものがするような格好ではなかった。だが、だれひとりとしてその事実を問題視することはない。慣れたことだ。四人のうちふたりが武装召喚師であり、そのふたりを含めた三人が召喚武装の使い手なのだ。そして、召喚武装の使い手ですらないひとりがもっとも凶悪な殺戮者であるということを鑑みれば、物々しい格好をしているかどうかなど、問題にさえならない。
ニーウェは、そんなことを考えながら、呪文の詠唱を続けた。馬車の中、シャルロットとミーティアの視線に熱量を感じるものの、問題はなにひとつない。じっくりと呪文を唱えることに集中することができた。武装召喚師として半人前のニーウェには、詠唱に集中できるかどうかが肝要だった。だからこそ、皇魔の襲撃には通常兵器で対応したのだ。
「武装召喚」
呪文の結語を口にした瞬間、術式は完成した。ニーウェの体の中を流れる精神的な力が異世界の扉を開き、望んだものをこの世界に召喚する。無意識に掲げた両手のうちに生じる冷ややかな重みが、召喚の成功を確認させる。柄を握りしめた瞬間、ニーウェは五感が開放されるような感覚を抱いた。
目が開く。耳が聞こえる。鼻が利く――通常時の数倍にまで拡大された感覚は、ある種の万能感を武装召喚師にもたらす。しかし、この万能感に身を委ねてはならない。力に酔ってはならないのだ。それこそ、武装召喚師の初心者が陥りやすい症状であり、逆流現象を招くことなのだ。
「いつ見ても綺麗だな、エッジオブサースト」
ミーティアが感嘆の声を上げた。
エッジオブサースト。切っ先から柄頭に至るまで黒く塗り潰された二刀一対の短刀。複数の武器で構成された召喚武装は、必ずしもめずらしくはない。全身鎧の召喚武装など、その最たるものだろう。二刀一対の召喚武装自体、特別なものではない。が、エッジオブサーストが特別だというのは、周知の事実だった。
ニーウェのような半人前の武装召喚師には決して扱いきれるような代物ではないのだ。
『しかし、召喚に応じたということは、この召喚武装が殿下を主と見定めた証拠。いずれ、完全に支配することも不可能ではありますまい』
イェルカイム=カーラヴィーアの言葉だけが、ニーウェの支えとなっていた。