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第八百八十二話 五月五日・ニーウェの冒険(二)

 ザイオン帝国は、始皇帝没後から数百年に渡って内政に力を注いできた。

 その内政の充実具合は、帝国領土内の何十、何百という都市、街を繋ぐ街道の多さを見ればわかるというものかもしれない。それこそ、数え切れない量の街道が無数に行き交っているのが帝国領であり、その街道のほとんどすべてが綺麗に舗装され、整備されている。長い街道には中継地点としての宿場町が帝国政府によって用意され、都市間移動用の馬車も帝国政府が手配していた。

 帝国の国民が政府に対して不満を上げた試しがないのは、やはり、国土拡大の野心を抱かず、内政のみにその強大な力を注いできたことは一員として上げられるのだろう。内政に力を注ぐということは、国民にとって恩恵の大きいところでもある。もちろん、愚者が内政に携われば、国民も嘆かざるをえないような結果に終わっただろうが、幸いにも、帝国の歴史上、そういった過ちが繰り返されたことはない。一度や二度はあっても、即座に是正された。

 エンシエルからコールドールまでの街道が綺麗に整備されているのも、帝国の長い歴史がそのまま内政に力を注いできたことの証明だった。エンシエルもコールドールも帝国領内における“辺境”と呼ばれる地域にある都市だ。しかし、エンシエルもコールドールも、はたまたウェールシェイル、サンディオンといった第七方面軍の管轄する都市のほとんどがそうであるように、中央に存在する絢爛な都市群となんら遜色のないといっても過言ではなかった。

 それもこれも、ザイオン帝国が数百年に渡る長いときを国内の充実に専心してきたからだ。数百年。中央のみを充実させるだけでは満ち足りないだけの時間がある。帝国領内を無数の街道で繋ぎ合わせることも、繋ぎ合わせた都市を帝国に見合ったものに作り変えていくのも、何百年もの時間を内政に費やすことで実現できたのだろう。

 そんなことばかり脳裏を過るのは、これから始皇帝の遺言を破ろうとしているからなのかもしれない。

(違うな)

 ニーウェは、馬車の荷台に寝転がったまま、胸中で頭を振った。別に始皇帝ハインの遺言を破るつもりはない。これは外征ではない。少なくとも、国土拡大に繋がるものでもなければ、野心によるものでもなんでもない。

 自分の運命との対峙にほかならなかった。

(運命……か)

 ニーウェは、馬車の荷台の揺れを心地よいものとして感じながら、視線の先の天幕を睨んだ。彼が天幕つきの荷台に隠れているのは、彼の立場を考えれば当然の判断だった。

 ニーウェ・ラアム=アルスール。アルスールを領地とする闘爵ニーウェという意味の名を持つ彼は、現在の皇帝シウェルハイン・レイグナス=ザイオンの実子である。二十人の皇子、皇女の中で一番年下の彼は、次期皇帝候補から外れ、辺境に飛ばされたものの、皇子であることに変わりはなかった。その立場は帝国領内では絶対的なものであり、故にどこにいても監視の目が光っていた。帝国政府が、皇子から目を離すことなどありえないのだ。

 そしてそれはニーナにもいえることだった。

 ふたりは、後継者争いから外され、もう二度と中央という華々しい世界に返り咲くことはないだろうことは明白だ。だが、それでも皇子、皇女という特別な立場にいることに違いはない。皇位継承権が失われたわけでもない。もし、なんらかの理由でほかの皇位継承者がいなくなった場合、ニーナが皇帝となるのだ。その可能性が(ありえないことではあるのだが)皆無ではない以上、ニーナとニーウェの動向に常に注意を払うのは、帝国政府としては当然のことだった。

 それは、ニーウェとニーナも承知の上だった。

 承知の上で、自由気ままに振舞っていた。

 監視の目を気にせず、自由気ままに振る舞うことで、自分たちは中央になど興味がないということを主張し続けていた。そうでもしなければ、中央から刺客が差し向けられることだってありうる。一時期皇帝の寵愛を受けていたニーウェは、ただでさえ、兄や姉からの反感を買いやすい。反感を買えば、なにをされるのかわかったものではなかった。

 中央へ返り咲く可能性をみずから完全に閉ざすこと。

 それがニーナとニーウェが平穏を得るために必要なことだった。

 それでも中央が辺境への監視を止めないのもまた、当然のことだ。どれだけニーウェたちが中央への関心をなくそうとも、中央はそうは思わないからだ。また、ニーウェたちの周囲の人間の中にも、中央への帰還を望むものがいないとは言い切れない。そういったひとびとの活動が中央に届けば、中央もまた警戒を強め、監視の目を強くするものだ。

 そんな監視の目を潜り抜ける方法は、いくつか考えてある。が、実行性があるかどうかは疑わしい物がほとんどであり、彼は自分の頭の悪さに嘆きたくなったりもした。かといって、だれかに相談できるような話でもない。

 帝国領を抜け出す算段など、だれと話し合えるというのか。

 武装召喚術の師であるイェルカイム=カーラヴィーアならば、中央からの監視の目を欺く手段などお手のものだろう。だが、彼に話したことは、すべてニーナに筒抜けだと考えたほうがいい。イェルカイムは、ニーウェにも主君に対するような態度を取るのだが、彼が真に忠誠を誓っているのはニーナだけであり、ニーナのためならば皇帝の意思にさえも逆らうのがイェルカイムという男だった。彼がラディウス魔導院の長老の座を蹴ったのも、ニーナが第七方面軍総督に任命されたからにほかならない。

 そんなイェルカイムに今回のことを話せば、ニーウェが行動に移す前にニーナに知れ渡り、ニーウェが大陸小国家群に赴くことはできなくなっていただろう。ニーナに止められれば、いかにニーウェといえども我を通せなくなるのは必然といえた。

 ニーウェは、ニーナを姉としてではなく、ひとりの女性として愛している。

 不意に背中から伝わってきていた振動が止んだ。馬が街道を歩く足音も、馬車の車輪が立てる物音も、聞こえなくなった。

「殿下」

 シグナーの言葉はいつだって簡潔だ。しかし、その言い方ひとつで、彼がなにを伝えてきたのかがわかるほど、彼とニーウェの信頼は厚い。

 今回の場合、シグナーの声は鋭かった。警告だ。忠告ではなく、警告。敵襲だろう。皇魔かもしれない。帝国は何百年に渡って内政に力を尽くしてきたが、帝国領内から皇魔の巣を一掃することだけはかなわなかった。故に帝国領内のすべての都市、すべての街も、分厚い城壁で囲わなければならなかったのだ。もし、領土内から皇魔を一掃することができていたとすれば、城壁はもう少し薄くなっていたかもしれない。

 残念ながら、城壁がなくなることはない。皇魔の脅威がなくなったとしても、人間がいる。特に帝国領には争いの火種となる人種がいた。皇族と呼ばれる人種は、ときに、後継者争いのためだけに戦火を引き起こすのだ。

 始皇帝ハインは外征を行ってはならない遺言こそ残したものの、次期皇帝候補を巡る争いを行ってはならないということは一言も発さなかった。結果、彼の子孫は、長い歴史の中で数多の血を流し、帝国領土を赤黒く染めた。

 ひとの世から争いがなくならない限り、都市の防壁を撤去することなどありえないのだ。

 ニーウェは跳ね起きると、荷駄の中に隠していた二本の剣を取り出し、腰に帯びた。彼は武装召喚師だが、他の武装召喚師がそうであるように通常兵器が使えないわけではない。むしろ、通常兵器を扱えもしないものが召喚武装を扱えるはずもなかった。召喚武装とは、通常兵器の延長にあるといっても過言ではない。むしろ、通常兵器を達人級に扱えなければ、召喚武装を使いこなすのは難しいといってよかった。

 もちろん、召喚武装には召喚武装の扱い方があり、その扱い方も召喚武装ごとに異なる。召喚武装はそれぞれに特異な能力を有しているからだ。そういう能力の使い方を知らないものが召喚武装を用いるのは、通常兵器を用いるのと大差はない。

 故に武装召喚師の道は、長く険しいのだ。

 そういうニーウェも、武装召喚師としての道を歩み始めたばかりといっても、過言ではなかった。

 五年。

 彼が武装召喚術を学び始めて、五年が経過した。

 十年でやっと一人前と呼ばれるのが武装召喚師の世界だ。つまり彼はまだ半人前といったところであり、武装召喚師としてようやく歩き始めることができたといっても言い過ぎなどではなかった。それでも、現状、第七方面軍で彼に敵う武装召喚師は数えるほどしかいない。

 イェルカイム=カーラヴィーアは帝国最高峰の武装召喚師だ。彼は二十七歳という若さにして武装召喚術に新たな可能性を見出した天才であり、同時に多数の弟子を育て上げることに成功している。ニーウェもその弟子のひとりであり、年数こそ短いものの、実力的には数多の弟子の中でも上位に入るというお墨付きをもらっている。もっとも、その実力というのは、実戦において発揮できる能力のことであり、武装召喚師としての技量や能力に関しては下位も下位だと罵られているのだが。

 荷台を飛び出すと、青空が視界を染めた。どこまでも続くような乾いた大地の中、整備された一本の道が通っている。エンシエルからコールドールに至る街道は、コールエンド街道と呼ばれている。エンシエルからコールドールまでは馬で一日半の距離があるのだが、街道はほとんどまっすぐふたつの都市を繋いでいた。つまり、直線で一日半かかるということだ。

 つぎの都市に向かうまでにそれだけの時間を要する。長旅になるのは当然だったし、帝国領に戻ってくるまで一年二年かかるのは覚悟の上だった。そもそも、事を成し遂げてるまでは戻ってくるつもりもない。

 馬の嘶きが聞こえた。

 ニーウェは、視線を巡らせ、状況を理解した。やはり、皇魔だった。多数の皇魔が彼と彼の従者だけを乗せた馬車の前方に現れたのだ。

 彼は、目を細めた。

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