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第八百七十八話 五月五日・騎士団(二)

 ルヴェリス・ザン=フィンライトは、不思議な人物だ。

 ベノアガルドでも有数の名家であるフィンライト家の次男として生まれた彼は、家のことは兄に任せると、芸術の道を極めんとしたらしい。血筋なのだろう。ベノアガルドの歴史上、フィンライト家出身の芸術家は多い。

 しかし、ルヴェリスは、芸術家の道を断念しなければならなくなった。

 革命が起きたからだ。

 王家を打ち倒し、ベノアガルドを国民の手に取り戻すという革命運動は、騎士団の一派閥が主導となって行われている。それこそ、現在の騎士団の根幹をなすフェイルリング・ザン=クリュースの一派であり、騎士団全体が革命に賛同し、王家打倒に動いたわけではなかった。

 当然のように王家の側につき、革命派と対立した騎士も、数多くいた。

 王家とは、国の根本であり、ベノアガルドという天地を支える柱そのものだ。どのような事情があれ、王家を打ち倒すなど、考えることさえあってはならない――それが、ベノアガルドの“当然”だった。

 フィンライト家は、王家の庇護下に繁栄してきた家だ。王家の庇護がなければ、いかに次男三男とはいえ、貴族の子女が芸術に現を抜かすのは難しい。

 当時のフィンライト家の当主も、家督を継ぐべき長男も、騎士団に属していた。当主は幹部であり、若い長男は正騎士に上がったばかりだったという。ふたりは、“当然”、革命に反発した。騎士団の道理を否定し、王家による統治こそがベノアガルドのすべただとでもいうように。

 騎士団による革命は、血を伴うものだった。

 ベノアの王城が紅く染まり、王都そのものが血を流したといわれるほどに苛烈な戦いが、革命派と王家派の間で起きた。フィンライト家の当主も長男も、その戦いの中で落命した。

 ルヴェリスは、革命後、フィンライト家の家督を継ぎ、当主となった。騎士団の革命によって父と兄を失った彼は、しかし、即座に騎士団に入ると、何事もなかったかのように騎士団の仕事に従事した。家族が革命に巻き込まれたことについて、彼がなんらかの発言をしたことはないという。彼が内心なにを想って騎士団に入ったのかは、彼以外のだれもわからないのかもしれない。

 騎士団長フェイルリングに見込まれたルヴェリスは、すぐさま正騎士に昇格した。正騎士となった彼が幹部になるまで時間はかからなかった。芸術家の道を志していたとはいえ、さすがは名門フィンライト家の人間というだけのことはあって、生まれ持って騎士としての素養を鍛え続けていたということらしい。

 そして、皮肉なことに、彼は芸術家としての才能よりも、剣術家としての才能に恵まれていたようだった。

 ルヴェリス・ザン=フィンライトは、現在の騎士団において一大派閥を形成するほど、剣術の弟子を抱えていた。

(奇妙なかただ)

 だが、悪いひとではない。

 そもそも、悪人が騎士になれるはずもないが、彼が考えているのは、そういうことではない。

 ルヴェリスは、性格的に、テリウスにとって心地の良い人間だった。

 だから、こうして彼の屋敷に赴くことも決して悪いものだとは思っていないのだ。もちろん、自分のような立場の人間がおいそれと足を踏み入れていい場所だとは思っていなし、彼と対等な立場にあるとも考えてはいない。ルヴェリス本人に呼ばれるようなことがなければ、死ぬまで訪れることもないような領域だった。

 下層街出身であるテリウスには、上層街の人々は、雲上人という他ない。

 テリウスを乗せた馬車は、ベノアの上層街を進んでいる。ベノアは、王城を中心とした大都市だ。そして、ベノアガルドは、巨大な山そのものを城塞化した都市でもある。山の上層に王城を抱き、その周囲を上層街が覆っている。上層街の下方には中層街があり、最下層である平地に下層街がある。平地の下層街出身者からしてみれば、山の頂に位置する王城ほど眩いものはなく、それこそ神の領域に等しいものだった。

 そんな王城に平然と出入りできるわけもないのが、テリウスという人間だった。自分が騎士団の一員であり、正騎士にして十三騎士のひとりだということも認識している。誇りもあれば、自負もある。だれにも負けない忠誠心も持っている。だが、それでも、どうしようもないものもある。

 生まれたときの立場や境遇が、自分の根幹をなしているのだ。王城や上層街を歩くだけで緊張し、自分を見失いかけるのは、仕方のない事だといえた。いずれ慣れるものだとしても、いますぐには無理だろう。

 馬車は、上層街の中でも上流貴族ばかりが住む区画に向かっていた。馬車には、フィンライト家の紋章が輝いている。ルヴェリスが王城にいるであろうテリウスを迎えるため、わざわざ寄越したものだった。テリウスに拒否権はなかったということだが、むしろ、そのほうが覚悟を決めることができてよかったというべきかもしれない。

 やがて、馬車は貴族街の一角に停車する。御者が客車の扉を開くのを待ってから、外に出る。風に煽られて頭上を仰ぐと、風が強いらしく、快晴の空を猛烈な勢いで雲が流れていくのが見えた。

 フィンライト家は、ベノアガルド有数の名門ということもあって、その屋敷は豪華絢爛といってよかった。広大な敷地内に無数の建物が存在しており、まるで小さな城塞のような風格さえ漂っていた。だが、一目見て、ここがルヴェリス・ザン=フィンライトの屋敷だということはわかる。妙な安堵を覚えるのは、ルヴェリスの存在感が騎士団の内外でなんら変わらないからかもしれない。

“極彩”のルヴェリスとひとは呼ぶ。

 フィンライト家本邸の極彩色に彩られた建物の数々を目の当たりにすれば、彼がなぜそう呼ばれるのか、一瞬にして理解できるはずだ。

 そして、極彩色の衣服を纏うルヴェリス・ザン=フィンライトを目撃すれば、確信に至るのだ。彼の色彩感覚は、独特というよりは独走状態といったほうが正しく、だれもが彼の色彩感覚、美的感覚についていけなかった。彼の部下もそうだったし、彼の剣術の弟子たちも、ルヴェリスの独走的な感性には目を瞑っているらしい。

 そう、ルヴェリスが、目に痛いばかりの色彩の中に立っていたのだ。まるでテリウスが敷地内に入ってくるのをずっと待っていたかのように。

 色鮮やかな衣服を纏う美丈夫の姿は、それだけで絵になるといっても過言ではないのだが、その衣服に用いられた数多の色彩がなにもかもをぶち壊しにしていた。ルヴェリス本人の容姿も、その色彩感覚によって台無しにされている。騎士団の制服を身に着けているときが一番まともだというのが、ルヴェリスらしいといえばらしいのかもしれないが。

「お帰りなさい、ケイルーン卿」

 ルヴェリスは、テリウスを見つけるなり、そんな風に話しかけてきた。ルヴェリスが浮かべる微笑は、彼が上流貴族の人間とは思えないほどに柔らかく、穏やかだ。いや、上流貴族だからこそ、精神的に余裕が有るものなのかもしれない。ふと、そんなことを考える。下層街の人間ほど、余裕のない生き物はいない。そして、そんな下層街出身者であるテリウスにも、余裕が生まれることは少ない。

「はっ、テリウス・ザン=ケイルーン、本日ベノアガルドに帰任致しました」

「……あなたって本当面白い子ね」

 ため息混じりの一言に、テリウスは首を傾げた。

「はい?」

「わたしはあなたの上司じゃないし、ここは騎士団本部でもないわ」

「はあ……」

「もっと楽にしていいのよ。それに、その格好なに?」

 問われて、テリウスは自分の着ている衣服がまずいのかと思い、慌てて見なおした。しかし、見る限り、どこにも不審な点は見当たらなかった。どこをどう見ても、騎士団の制服であり、十三騎士を表す金糸の装飾と波紋の紋章が、彼の立場を明確なものにしている。なにひとつ問題はないはずだった。どこにでても恥ずかしくない格好だ。ベノアガルドのどのような公式行事にも、この制服だけで乗り切ることができる。

「騎士団の制服ですが」

「私服で良かったのに」

「私服……ですか」

 反芻するが、釈然としない。

「仕方ないわ。ついていらっしゃい、わたしの新作を着せてあげる。喜びなさい。名誉なことよ」

 ルヴェリスは一方的に告げてくると、テリウスに背を向けて歩き出した。テリウスは慌てて彼の後を追いながら、極彩色の上、奇抜な意匠の衣服を着せられるのかと思ったりもした。緊張故、不満もなにも感じ得ないのだが。

 庭園そのものが奇抜で色彩感覚の豊かな空間だった。独創的で独走的な世界が広がっている。見回すだけで目眩がするような空間であり、そんな世界をたったひとりで作り上げたルヴェリスというのは、ある意味で天才といえるのかもしれない。

「そうそう。シヴュラさんとハル坊やも来てるわよ」

 屋敷への道すがら、ルヴェリスが思い出したようにいってきた言葉にテリウスは面食らうしかなかった。

「スノール卿とベノアガルド卿が?」

 シヴュラといえば、シヴュラ・ザン=スノールであろう。ほかには考えられないくらい個性的な名前だった。また、ルヴェリスがハル坊やと呼ぶ人物もひとりしか思いつかない。ハルベルト・ザン=ベノアガルドだ。

 シヴュラ・ザン=スノールは騎士団の古参のひとりであり、騎士団幹部の中でも特別な立ち位置にいる人物だ。十三騎士の御意見番といってもいいような立場は、騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースが彼に一目置いているという事実によって形になったといってもいい。

 そして、そんな彼を慕い、常について回っているのがハルベルトという青年だった。ベノアガルド王家の血筋である彼は、騎士団に対して複雑な感情を抱いているはずなのだが、そういった感情をお首にも出さず、騎士団の一員としての責務を全うしようとしている。そういう点が、ルヴェリスのお気に入りとなったのかもしれない。ルヴェリスも、騎士団に対して同じような感情を抱いているはずなのだ。

 そんなふたりとテリウスは、必ずしも相性が良いとはいえない。まず、ハルベルトが王家の出身というその一点で、下層民である彼の緊張は極致に達しかねない。ベノアガルド王家は、かつて、神のように崇めていた。革命が成ったいまでも、ベノアガルド王家に対して特別な感情を抱くひとびとは少なくない。

 騎士団の任務で同行するのならばまだしも、騎士団とはまったく関係のないところで接点を持つとなると、緊張もするというものだ。

「十三騎士の居残り組で御茶会でも開こうと思ってね」

「居残り組……」

「ルーファウス卿はいつものふたりとアバードに出向いてるし、クローナ卿はひとりでアルマドール。アームフォート卿とエーテリア卿は、ローディス卿に連れられてマルディアへ行っちゃったし。ベノアに残っているのは、わたしたちだけってわけ」

 ルヴェリスの説明によって、テリウスは自分がいない間の騎士団の動きを多少理解した。そして、ルヴェリスが私邸に呼び集めたのが仲のいい同僚だということも把握できた。シヴュラとハルベルトは名前で呼んでいるが、ほかの十三騎士については家名で呼んでいたからだ。

 もっとも、任地に赴いている騎士と非番の騎士を呼び分けているだけかもしれないが。

 また、騎士団長フェイルシング・ザン=クリュースと副団長オズフェルト・ザン=ウォードも、このベノアにいるのだが、ふたりを居残り組に加えるのは憚られたことは、彼の発言からも窺える。

 騎士団長が騎士団本部を空けることはほとんどない。同様に、副団長が騎士団本部を離れることも、皆無といってよかった。


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