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第八百七十五話 五月五日・セツナの場合(十一)

 龍府天輪宮紫龍殿の食堂には、カインもきていた。

 カイン=ヴィーヴル。軍属の武装召喚師として数多の戦場で活躍してきた仮面の男は、クルセルク戦争後の新人事によって王宮特務という新組織の一員になっている。王宮特務の存在については公的に発表されたものではなく、セツナもレオンガンドから直接教えられたから知っているに過ぎない。

 王宮特務の人員は三名。アーリア、ウル、カイン=ヴィーヴルの三人という顔ぶれからも、組織の特性というものが窺い知れるだろう。要するに、レオンガンドの意思を実行する特殊部隊ということだ。アーリアはいわずとしれたレオンガンドの影であり、ウルは、カインの支配者だ。カインは、凶悪極まりない武装召喚師として、今後もその力を振るい続けるだろう。

「竜殺しが龍の国を支配するとはな」

「いきなりそれかよ」

 相も変わらぬ皮肉な口ぶりこそ、カイン=ヴィーヴルといってもいいのだろうが。

「ああ、もちろん、本筋はこっちだ」

 彼は、仮面の奥の目を細めると、セツナの目の前で跪いた。

「誕生日おめでとうございます、セツナ様」

「……あんたに誕生日を祝われるなんて世も末だな」

 それこそ、本音以外のなにものでもなかった。宴が開かれてからというもの、セツナの元には引っ切り無しにひとが訪れてきた。どこのだれなのか知らない人物のほうが多いほどだ。しかし、見ず知らずの相手であれ、誕生日を祝ってくれるというその心だけで嬉しいものなのだが、相手がカインとなると話は別だった。

 嬉しくもなんともないのだ。

「はっ……祝いもするさ。おまえだけが俺の希望だ」

「希望? ふざけんな」

 つい、睨んでしまうが、カインにはむしろそのほうが喜ばしいことがわかっているから、苛立ちを覚えざるを得ない。

「俺に戦いの果てを見せてくれるであろうおまえを希望と呼ばずして、なんと呼ぶ?」

「知るかよ。それに俺はあんたの希望になった覚えはねえ。希望になるつもりもねえ。戦いの果てが見たきゃ、自分で見ろよ」

「勝手に見るさ。おまえの戦いの中にな」

 彼はそういって笑うと、セツナの前から去っていった。

 カインはセツナをからかうのが心底愉快なのかもしれない。再会したときからそうだった。いや、最初に会ったときからそうだったのかもしれない。炎の中での戦い。思い出すだけで震えが来るのは、死を実感した戦いだったからだ。ファリアがいなければ死んでいたという厳然たる事実が、セツナの心臓を掴む。

「ちっ……」

 舌打ちすると、カインの付き添いのウルが近づいてきた。祝いの場に似つかわしくない黒衣の女性からは、以前見たときよりも随分と柔らかな印象を受けた。初対面のときと比べれば、天と地ほどの差がある。

「領伯様におかれましては、ごきげんうるわしゅう……でもないようですわね?」

「あー、いや、ちょっとね」

「領伯様は、カインがお嫌いのようですね」

 囁かれて、セツナは反応に困った。正直にいっていいものかどうなのか。周囲にだれがいるわけでもない。素直に話しても問題はないのだが、ウルの心情が気にかかった。彼女がカインと談笑しているときの楽しそうな横顔は、彼に気を許していることの現れのように思えたからだ。そして、カインに気を許したことが、いまの彼女の柔らかな表情に繋がっている気がするのだ。

「……んー」

「彼のしたことを考えれば、当然の反応ですわ。しかし、彼はこうして報いを受けているということも、お忘れなきよう」

「報いか」

「はい。滅ぼすべき敵国のために身命を賭すほどの報いは、彼のような人物にはないでしょう。おそらく、死ぬよりもずっと酷い仕打ちでございます」

「……だろうな。それはわかっている。わかっているつもりさ」

 だが、だからといって、カインを受け入れることはできないのも事実だった。民と兵を殺すことに違いがない、という考えもわかる。そして、カインよりも余程多くの人間を殺戮しているのが自分だという認識もある。この手は、カインよりも多くの血を浴びている。手だけではない、全身、血に塗り潰されている。目の前まで真っ赤に染まるほどの大量の血の海で、空気を求めて喘ぎ続けている。そんな感覚にとらわれるような戦いの連続。

 報いを受けるべきは、自分のような人間なのではないか。

 人間?

 自嘲する。

 本当に自分は人間なのか、と疑わざるをえない。

 人間が、これほどまでに数多くの人間を殺戮できるものなのか。

『俺も報いを受ける時が来るかな』

 セツナがそういったのは、ウルの返答が気になったからだ。返答次第によっては、彼女がどういった人物なのかが少しはわかるかもしれない。と、思ったりもしたのだが、彼女は臆面もなく肯定してみせた。

「当然にございます。無論、わたくしめも」

「領伯相手によくいえたものだ」

 などと言い返したものの、本心でそう思っているわけではない。むしろ、期待通りの返事が聞けたことに満足さえ覚えていた。

「領伯様の不興を買ったときには、その御心を支配いたしませば」

「そうしてもらえれば、少しは気も楽なのかな」

「どうでしょう?」

「やってみて欲しいもんだ」

「お戯れを。それこそ、領伯様相手にできることではございませんわ」

 ウルは微笑し、会釈した後、カインを追いかけていった。カインのひとつしかない腕に自分の腕を絡ませると、そのまま別室に向かっていった。食堂は人が多い。ふたりだけの世界に入るには、雑音が多すぎるに違いない。

 それから、ゴードン=フェネックがいつもの気の弱そうな、ひとの良さそうな顔を見せてくれて、セツナは安堵したものだった。

 ゴードン=フェネックは、セツナのもうひとつの領地エンジュールの司政官である。司政官とは国から派遣される代理人、代行者のようなものと考えていい。ガンディアのそれぞれの都市には、都市の属する方面軍の各軍団が駐屯しているのだが、それら駐屯軍団が都市の軍事面を司れば、司政官率いる役人集団が都市の行政や運営を司っている。セツナが領伯という身分にありながらも、エンジュールや龍府の運営に意識を取られずに済むのは、国から派遣されている司政官が代行してくれているからにほかならない。もし、司政官のような役職がなく、領伯としての役目を全うしなければならなければ、セツナは戦いにばかり集中していられなかっただろう。

 エンジュールにおけるセツナの領伯としての評判が上々なのも、すべて、ゴードンという気遣いの達人ともいえるような人物のおかげだった。

 そんなゴードンが、遥々エンジュールからこの龍府までやってきたのは、セツナの誕生日を祝うためだけだというのだから、セツナも感動するしかない。ゴードンは、国から派遣された司政官であって、セツナの直接の部下ではないのだ。そのことを重々承知した上で、彼はセツナのためにできることをしてくれているのだ。

 また彼は、彼自身が主導となって組織したセツナ配下の私兵集団・黒勇隊の幹部たちも引き連れてきていた。クルセルク戦争では出番のなかった彼らだが、帰国後は、戦闘に出してもらえなかった悔しさを厳しい訓練にぶつけているという。実際、隊長クライブ=ノックストンも、クルセルクの地であったときよりも幾分か目つきが鋭くなっているように見受けられた。そのことを告げると、彼は恐縮のあまり、凍りついてしまったようだが。

 同じくセツナの私兵集団である黒獣隊との初顔合わせにもなり、黒獣隊長シーラと黒勇隊長ノクライブは固く握手を交わした。黒勇隊の隊長たちも黒獣隊の面々も、互いに値踏みするような目線をぶつけあったりしたものの、敵愾心を抱き合うようなことはなさそうに思えた。

 ちなみに会場におけるシーラは、いつもの男装ではなく、女性らしい衣服を身に着けさせられていた。やや露出の目立つ服装を選んだのはミリュウであり、シーラはそんな格好をさせたミリュウを心底恨むと囁いていたりした。ファリア曰く三人目の犠牲者だ。もちろん、シーラに女らしい格好をさせたのには、ちゃんとした理由がある。男装といえば、つい最近アバードにおいて処刑されたシーラ・レーウェ=アバードの代名詞である。しかも、シーラの白髪はあまりに知れ渡っており、白髪の男装女性となれば、シーラ以外のなにものでもないということになってしまうのだ。

 そこで、普通に女性らしい服装を着せた上で、派手な帽子の中に髪を隠すことで、シーラ・レーウェ=アバードとは別人であるという風に装っていた。もちろん、言葉遣いも注意しているようだ。彼女も、セツナたち以外に正体を明かす訳にはいかないと必死だった。

 ドルカ=フォームは感づいたようだが、セツナに目線を送ってきただけでなにもいってはこなかった。無論、エインが気づいていないわけがなかったし、それはアレグリアも同じだ。名軍師の有能な部下たちは、揃ってシーラの正体を見抜き、その上で素知らぬ顔をしているのだ。

 セツナは、そんな風にして、彼の誕生日会(というには規模の大きすぎるもののように思えるが)に訪れた数多くのひとと顔を合わせ、さまざまな言葉を投げかけられたりした。贈り物も数多に受け取っている。それこそ数えきれないほどだ。衣服や装身具が多い。天輪宮の一室が倉庫になってしまうのではないかという贈り物の数には、セツナも唖然としたものだ。


「まったく、なんなんだよ……」

 セツナが呆然とつぶやいたのは、自分のためだけにこれだけの人々が集まったという事実に対してだ。

「それだけ、セツナ様が人気者だっていうことですよ」

「本気かよ」

「え?」

「本気でそんなこといってんのか?」

「ええ、もちろんです」

 エインは、セツナの目を見つめながら、微笑んだ。この少年の綺麗な顔は、ひとを騙すのに最適かもしれないと想わなくもない。特に異性には効果抜群の笑顔に思える。そして、そんなひとを惹きつけてやまない笑顔を浮かべながら、凄まじい戦術を立案し、実行に移すのだから、人間というものはよくわからない。

 エインは、ひとを見た目で判断してはいけないという好例だろう。

 彼は、その綺麗な外見からは想像もつかないほどの思考力、想像力を持ち、そして、実行力も内包している。勇気というよりは、無謀すぎるほどの精神性もあり、そういう感性が彼の戦術立案能力を無二のものにしているのかもしれない。

 彼は、いう。

「セツナ様。セツナ様が御自分のことをどう想われておられるのかは想像するしかありませんが、皆、セツナ様の戦いぶりはよく知っていますよ。セツナ様がだれよりも辛く苦しい戦いを強いられているということも、セツナ様が、この国にとって必要不可欠な存在だということも。そして、まだ十七歳の子供だったということも」

 エインが会場内を見回す。紫龍殿の食堂とその周囲の部屋に集まった人々が、それぞれに時間を過ごしている様子が視界に飛び込んでくる。そのほとんどすべてが、セツナの誕生日を祝うためだけにこの龍府を訪れているという事実が、セツナの胸に突き刺さってくるようだった。ログナー方面軍のドルカしかり、ガンディア方面軍のマーシェスしかり、彼らが任務以外で任地を離れることは本来有り得ないことだ。もちろん、休暇中ならばどこにでかけても構わないのだろうが、だとしても龍府を訪れる理由にはならない。

 セツナの誕生日を祝うというただそれだけのためにここにいる。

 そういう人々の気遣い、思い遣りが、セツナの心を震わせ、目頭を熱くするのだ。

「皆、なにもかもすべてをセツナ様おひとりに背負わせてきたことを苦く想っているのです。だからこそ、セツナ様がこうして褒めそやされることに対して不満の声も出ない。むしろ、褒め称えなければならないと考えている。皆、セツナ様のことをよく見ているから。大丈夫です。セツナ様、あなたはひとりじゃない」

「エイン、おまえ……」

「最悪、皆がいなくなったとしても、俺はずっと側にいますよ」

「やっぱりそれか」

「はい」

「はい、じゃねえよ」

 セツナは口汚くいいながらも、エインに対して笑顔を向けざるを得なかった。彼の発した言葉のひとつひとつが、いまも胸に響いている。エインがいかに自分のことを見ていて、気遣ってくれているのかがわかる。エインだからこそ、といえるような視点からの助言だった。

 彼は、不思議な少年だった。

 元はログナーのアスタル=ラナディース将軍付きの親衛隊に属していたはずだ。ガンディアとログナーの戦争の最終盤、セツナがログナー軍本陣に切り込んだとき、彼はセツナの戦いぶりを見て、惚れたという。殺されることさえも本望だと言い切った彼には狂気が宿っていた。実際、狂気の中にいるのかもしれない。

 そんな彼とは、ザルワーン戦争からの付き合いとなる。

 ザルワーン戦争は、セツナが本格的にガンディア軍の一部として活動を始めた戦いだ。戦争中に知り合い、言葉を交わすようになった人物は決して少なくはない。

 その中でもエインは別格ではあった。

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