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第八百七十三話 五月五日・セツナの場合(九)

「なんじゃと!? そのようなものがこの世界に存在するはずがなかろう!? 嘘じゃな! 嘘じゃ!」

 ラグナがセツナの頭の上で憤然と唸る。誇り高いドラゴンにしてみれば、自分以上の強敵が存在したという事実が許せないし、認められるものではないということだろう。彼のいいたいことも分からないではない。数百年かけて蓄積した力によって強大化したのがラグナというワイバーンであり、その圧倒的な力は、黒き矛のセツナさえも一時は押されるほどのものだった。それだけの力を持った存在がこの世界に生きていたという事実は、驚愕に値した。

 少なくとも、セツナがラグナ以上の強敵と認識する存在は、この世界の生物ではなかった。ザルワーンの守護龍にせよ、リネンダールの鬼神にせよ、オリアン=リバイエン(オリアス=リヴァイア)の擬似召喚魔法によって呼びだされた異世界の生物なのだ。しかもただの生物ではない。かたや異世界のドラゴンであり、かたや異世界の神であった。ラグナ以上の強敵となると、それくらいの存在でなければならないということだ。

 ラグナ以上といっていいかは微妙なところであるウェインもまた、異世界の力を用いたからこそ、セツナと黒き矛に苦戦を強いることができたのだ。

 異世界の力ほど強力なものはない、ということなのかもしれない。

「おまえに嘘ついてどうなるんだよ」

 セツナは、ラグナの剣幕に呆れた。呆れているのはセツナだけではない。ファリアたちもどう反応すればいいのかわからないといった表情で、セツナの頭に鎮座するワイバーンを見ていた。

「わしを騙して恥をかかせようとでもいうのじゃろう。浅い考えじゃ」

「いや、だからさ、おまえを騙しても俺になんの得もないだろうが」

「わしを出し抜けば、支配権も強まるというものじゃからの」

「へえ」

「嘘じゃがな」

「てめえ」

 セツナは拳を握ったものの、頭上の小ドラゴンを殴れるはずもない。それにラグナがいくら小さいとはいえ、ドラゴンであることに違いはない。セツナが殴りつけたところで、なんの意味もないに違いなかった。むしろ、セツナが手を痛めるだけかもしれない。

「ふふふ……これでお相子よな?」

「だから、俺のは嘘じゃねえっての」

「ふむ……まあよい、そういうことにしておいてやろうではないか。これも年長者の風格というものじゃな」

「てめえ生まれたばかりじゃねえか」

「しかも、御主人様から生まれたのでございましたね?」

「いや、それだと俺が生んだみたいだろうが」

 セツナがレムを一瞥すると、彼女は楽しそうに笑っていた。なにがそこまで楽しいのかはセツナにはわからないが、彼女が楽しんでいるのならそれでいいとも思えた。おそらく、セツナとラグナのやり取りの馬鹿馬鹿しさが気に入ったのだろうが。

 ともかく、ラグナのお披露目は、そのような賑やかなもので終始した。

 セツナは、これから行く先々で同じような説明をしなければならないのではないか、と考えると頭が痛くなったものの、ミリュウの表情が和らいだという事実だけで十分だとも想ったのだった。たとえこの場限りの変化であったとしても、ずっと苦しんでいるよりはいいだろう。セツナはそう考える。

 彼女になにがあったのかは、ここではなく、別の機会に聞くべきだとも、考えている。

 この場は、あまりに騒がしい。

 そして、さらに騒がしくなるという予感がある。

 今日は五月五日。

 セツナの誕生日だった。


「誕生日……か」

 ラグナが唐突につぶやいたのは、セツナが自分の部屋に戻ってからのことだった。

 広間でのラグナのお披露目を終えたセツナは、空腹を満たすために食堂に向かおうとしたのだが、食堂への移動はレムたちに阻止されてしまった。セツナが疑問に首を捻ると、彼女たちは、用意があるから、という一言だけでセツナを泰霊殿に追いやってしまった。

 泰霊殿に追いやられれば、自室に入るしかない。泰霊殿の広間にだれがいるわけでもなかったし、ミリュウやファリアがついてきているわけもないのだ。たったひとりで広間にいてもつまらないことこの上ない。訓練でも行おうかとも考えたが、空きっ腹に運動は堪えるし、なにより、ついさっき猛烈に体力を消耗したばかりだった。訓練に費やせるほどの体力が残っているとも思えない。

 仕方なしに部屋に入ってから、レムたちがセツナを食堂にいかせてくれなかった理由に思い当たった。それが、誕生日という言葉に集約されている。

 そして、セツナの一言を反芻するようにつぶやかれた言葉によって、彼は自分の頭の上に小さなドラゴンが乗っていることを思い出したのだ。

「そういえば、人の子は己が生まれた日を祝うという風変わりな生き物じゃったな」

「風変わりってなんだよ」

「わしらドラゴンを含め、多くの生物は自分が生まれた日を毎年のように祝ったりはせぬ。まあ、わしらのように何千年も生きるものが誕生日を祝うとなると、それこそ馬鹿馬鹿しいことになりかねぬがな」

「確かに……」

 セツナは、ラグナの感想にひとりうなった。数千歳もの誕生日には、どのような贈り物をすればいいのか想像もつかなかった。そもそも、ドラゴンはどのような贈り物を喜ぶのだろうか。伝説や神話にあるように宝石などを好んだりするものなのだろうか。そんなことを考えながら、セツナは寝台の上に腰を下ろした。

 広い部屋だ。セツナひとりでは埋めようのない空間があり、その空間の広さを感じるたびに、人間という存在の小ささ、孤独さを認識せざるを得ない。もっとも、いまは孤独ではない。頭の上には常にドラゴンが乗っかっていて、思い出したように口を開いてはセツナの耳を孤独から救ってくれた。

「のう、セツナよ」

「なんだよ」

「今日は、ひとの暦ではいったい何日なのじゃ?」

「大陸暦五百二年五月五日」

 ラグナの質問に、セツナはすぐさま回答した。記憶しているのは、自分の誕生日だから、ではない。ファリアを始め、周りの人々が毎日のようにつぶやいているのを耳にしてきたからだ。自分の誕生日というだけなら、とくになにも考えずに一日を過ごしたかもしれない。忙しい日々。誕生日のことなど、考えている余裕もない事のほうが多い。

「それがおぬしの誕生日か」

「ああ」

「そして、わしの新たな誕生日でもある」

 ドラゴンは、セツナの頭の上で胸を張ったようだった。転生した日を誕生日と呼ぶことが誇らしいのか、転生したということそのものが誇らしいのかはわからない。

「……ああ、そういえば、そうなるのかもな」

「とはいえ、新たな肉体を得るたびに誕生日を変えるのも面倒じゃぞ」

 ラグナはそういって、肩を竦めたようだった。気配と音だけでそれとわかるほど、セツナの部屋は静寂に包まれている。

 ラグナの正式名称は、ラグナシア=エルム・ドラースといういかにも荘厳なものである。彼が何千年もの昔からこの世界に君臨したドラゴンだというのはあながち嘘でもないだろうということは、その名前の仰々しさからも想像できる。何千年、何万年もの間、何度となく生と死を繰り返してきた転生竜。その転生の場に立ち会っただけでなく、転生の一助となり、あまつさえその転生竜の主になってしまうなど、普通では考えられないような出来事だろう。ミリュウ、マリア、エミルが驚愕し、セツナをラグナを何度となく交互に見たのも、当然の反応だったのかもしれない。

 このイルス・ヴァレと呼ばれる世界のワーグラーン大陸という名の大地にドラゴンが生息しているという話は、だれもが知っている。しかし、それは神話や伝説であり、実在を確認したものはほとんどいない。アズマリア=アルテマックスの竜殺しの二つ名さえ、伝説に等しいものであり、真実かどうかは疑わしいものだったのだ。

 しかし、ラグナシア=エルム・ドラースと名乗るドラゴンの存在は、この世界にドラゴンが実在することの証明となり、アズマリア=アルテマックスの二つ名も、ただの噂話や風聞からつけられたものではないということになるのかもしれない。

「じゃあ変えなきゃいいだろ」

「一理あるがな」

「理しかねえよ」

「むむう……!」

「なんだよ」

 セツナは頭の上でうなるドラゴンの様子を見たいと思ったものの、彼が頭の上を気に入っている以上、どうすることもできないと諦めた。そもそも彼を頭の上に置いたのはセツナだ。視界の邪魔にならないという理由だったが、こういうときには目の届く場所に置いておきたいと思うのは、あまりに身勝手ではあった。頭頂部に軽い痛みが走る。飛龍がなにかをしたらしい。と思う間もなく、エメラルドグリーンの飛龍が視界に飛び込んでくる。どうやら、頭の上で跳躍したことで痛みが生じたらしい。

「おぬしにはわからぬのか。主と同じ誕生日を喜ぶ下僕の気持ちが!」

「喜んでたのかよ」

「うむ!」

 胸を張り、腕組みして鷹揚にうなずくラグナの様子に、セツナはなんともいえぬ敗北感を覚えた。別になにかを張り合っていたわけではないし、ただの言い合いに勝ちも負けもないのだが、意味もなく勝ち誇る小ドラゴンの姿には、敗北を認めざるをえない。

「はあ……」

「どうしたのじゃ? ため息なぞつきおって」

「おまえがいったいなにものなのか、俺にはそれがよくわからなくてな」

「ドラゴンじゃ。ワイバーン種のな」

「それは聞いたよ」

 ドラゴンには、ワイバーン以外にも様々な種があるという話も、龍府への道中で聞いている。翼を持つドラゴンにも種類があり、特にワイバーンと呼ばれる類のドラゴンが、ラグナなのだ。ワイバーンそのものが珍しいドラゴンらしいのだが、ワイバーンの転生竜ともなると、ラグナくらいしかいないという話だった。転生竜とは、生と死を超越したドラゴンであり、ドラゴンの中でも特別な位置づけにあるらしい。

 らしいとしかいえないのは、ほとんどがラグナの自己申告による情報だからであり、信用していいものかどうかわからないからにほかならない。もちろん、彼が転生竜と呼ばれるドラゴンだということは、認めるしかない。実際に彼はセツナの目の前で死んだにも関わらず、こうして生きているのだ。それはつまるところ、転生竜であることの証明であろう。

「問題はそこじゃねえっての」

「問題なぞ、あるか?」

「あるだろ。おおありだ」

 嘆息とともに告げる。前足の代わりに翼を持った小さなトカゲのような怪物が、宝石のような目でこちらを見ている。しかもその怪物は人語を解し、流暢に会話をこなすのだ。そんな状況に疑問を感じない人間がこの世にいるとは思いがたい。ファリアやレムたちがラグナの存在を受け入れたという事実にさえ驚きを禁じ得ない。

「わしにはなんの問題もないがのう」

「人間に敗れ、人間に付き従うことになっても、なんの問題もないと言い切れるおまえの神経、やっぱり人間とはできが違うんだな」

「当たり前じゃ。わしはドラゴンぞ。万物の霊長にして、天上の法皇。人間なぞと比較するのもおこがましいと思え」

「その人間に敗れたことについて、一言」

「うむ。そうじゃな……まあ、そういうこともあるじゃろ」

「ねえだろ、普通」

「普通は、ない」

 ワイバーンが小さく認めた。

「じゃが、おぬしが普通の人間ではないことは、わしを倒したことで明らかじゃ。おぬしと戦ったものどものも悪くはなかったが、斯様な攻撃ではわしを滅ぼすことはできぬ。やはり、おぬしだけがわしを滅ぼすことができたのじゃ」

「それで納得できるのならなにもいわねえけど……」

「おぬしはまだ納得できぬようじゃな」

「ああ」

「なにが不満なのじゃ?」

「不満とか、そういうんじゃねえよ」

 そういって、セツナは寝台の上に仰向けに寝転がった。天蓋付きの寝台は、やはりセツナの感覚には合わない。しかし、龍府の主たるもの、豪華な暮らしに慣れていかなければならないのかもしれないという想いもある。しばらくすると、飛龍が視界に入ってきた。飛膜を羽ばたかせ、悠然と飛んできたのだ。セツナが腕を掲げ、手を広げると、彼は手のひらの上に着地した。そのまま手を目の前まで持ってくると、彼はこちらの顔を覗き込むようにして、小首を傾げた。宝石のような目に、セツナの顔が写り込んでいる。

「ただ、よくわかんねえだけさ」

「いますぐにわからなくともよかろう。それともなんじゃ? おぬしは、側にいるものどものすべてを理解しているとでも言い張るのか?」

「まさか」

 セツナは鼻で笑った。笑って、飛龍を胸の上に落とす。ラグナは飛膜を上手く広げて綺麗に着地すると、抗議してくるでもなく、首をもたげてこちらの表情を覗き込んできた。そんなドラゴンの行動のひとつひとつが大袈裟に見える。体が小さいからだろう。人間に対応するには、いちいち大きな動作になってしまうのかもしれない。

 そんなことを考えながら、ラグナの発した言葉の意味を想う。

「そうだな。おまえのいうとおりだよ、ラグナ。最初からなにもかも理解しようだなんて思うことが大間違いだな。おまえが俺の下僕になったというのなら、いまはそれでいいさ。おまえのことは、これから知っていけばいい」

「うむ」

「なんだよ」

「素直でよいのじゃ」

 なにか子供扱いされているような気がしたが、それも当然なのかもしれないと思えば、腹の立ちようもなかった。

 そんな風にして、セツナはラグナを受け入れ、ラグナはセツナの下僕二号となった。


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