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第八百七十二話 五月五日・セツナの場合(八)

「なによ、なんなののよ、なんであたしのいないときにそんな面白そうなことになってたのよ」

 ミリュウが憤懣やるかたなしといった風に叫んだのは、セツナたちが天輪宮に帰り着いた直後のことだった。

 龍府北東の水龍湖から龍府までの移動には、ルウファとシルフィードフェザーの力を借りている。いくら余力が残っているとはいえ、徒歩では、水龍湖から龍府まで半日はかかること請け合いだった。ルウファは、セツナたち四人と一匹を龍府まで運ぶため、再びシルフィードフェザー・オーバードライブを使わなければならず、龍府に到着したときには意識を失いかけるほどに消耗し尽くしていた。

 龍府に到着すると、ガンディア軍ザルワーン方面軍第一軍団と黒獣隊による盛大な出迎えを受けた。龍府に駐屯している第一軍団が出張ってきたのは、黒獣隊の皆が知らせてくれたからだった。場合によっては龍府を巻き込むような騒動になっていたかも知れず、黒獣隊の判断は間違ってはいない。もっとも、あの絶大な力を持ったワイバーンを相手には、只の人間が立ち向かえるはずもなく、交戦すれば一蹴されたに違いないのだが。

 軍団長ミルディ=ハボックには、ワイバーンは無事に退治したと報告した。もちろん、そのワイバーンが小型飛龍に生まれ変わったことは伏せていたし、姿もセツナの服の中に隠させていた。ワイバーンそのものに悪意がなかろうと、余計な混乱を生む必要はない。

『ザルワーンの守護龍に続き、ワイバーン退治ですか……!?』

 ミルディ=ハボックの大げさ過ぎる反応は、しかし、冷静に考えてみると至極当然の反応だったのかもしれなかった。そして、ミルディらザルワーン方面軍第一軍団が騒然となっていた龍府の人々を鎮めるため、竜殺しの二つ名を使ったのも、必然といえるのだろう。

『つい先ごろ、この龍府に出現したワイバーンは、龍府の領伯にして、竜殺しセツナ様が退治なされた! なにも心配することはない。この古都には、偉大なる竜殺し様がおられるのだ!』

 第一軍団の説明は、龍府の人々を安心させると同時に沸き立たせ、セツナを讃える声がそこかしこから聞こえてきたものだ。セツナたちは、そんな声が渦巻く龍府の中を、黒獣隊が用意した馬車に乗って天輪宮に向かった。

 天輪宮に辿り着いたときには、太陽は既に中天に昇っていた。正午。セツナが空腹を感じるのも当然だったが、その最大の要因は、ワイバーンを撃破するために大量の力を消耗したからだ。ワイバーンの圧倒的な回復力を上回る破壊を生み出すには、すべての力を費やす覚悟が必要だった。そして、その覚悟は実行に移され、セツナはほとんどすべての力を使いきってしまった。それでも立っていられたのだから、なにもかもすべてを出し尽くしたわけではないということであり、限界ぎりぎりのところで留めることができたのは、成長の証といってもいいのかもしれない。

 天輪宮では、ミリュウがひとりで待っていた。無論、天輪宮ほど巨大な建物となると、多数の使用人が働いているものだし、マリア=スコールとエミル=リジル、隊犬のニーウェもいないわけではなかった。

 しかし、ミリュウは、ひとりだったのだ。

 ただひとりで、紫龍殿の広間にいた。

 セツナが真っ先に広間に向かったのは、彼らを出迎えたマリアの助言によるところが大きい。

『あの子、あたしらが帰ってきたときからずっとぼーっとしてるわ。なにがあったのか知らないけど、少し心配でね。隊長殿から声をかけてやってほしいんだ』

 ミリュウに声をかけるなど、マリアにいわれるまでもないことだ。しかし、マリアが心配するほどの状態となると、さすがのセツナも心配せざるを得なかった。ミリュウは今朝、セツナが寝ている間に天輪宮を出て、実家に赴いたという話だった。実家でなにかがあったのは想像に難くない。

 彼女の実家は、かつて五竜氏族と呼ばれたザルワーンの特権階級に属したリバイエン家だ。数多の分家を持つリバイエン家の本家であり、その屋敷は天輪宮にほど近い場所にあるということだった。もっとも、その家はリバイエン家本家の本邸ではなく、オリアン=リバイエンが当主となったあとに買い入れた家だという。しかしながら、そのオリアンの家こそ、彼女の実家なのは間違いなく、彼女が戻ったのもそのオリアンの屋敷に違いなかった。

 そこで、なにかがあったのだ。だから彼女はマリアやエミルの言葉にも、反応らしい反応を示さなかたのだろうが。

 セツナは紫龍殿の広間に入るなり、マリアがいった通りの様子のミリュウを発見した。彼女は、豪華な長椅子に腰掛け、なにをするでもなく、ぼんやりと虚空を眺めていたのだ。彼女は、セツナが声をかけて、はじめて、反応を示した。それまではセツナが視界に入ろうと、ファリアやレムが広間に入ってこようと、広間に賑わいが生まれようと、まったくの無反応であり、セツナはつい心配になって声をかけたのだ。

『あ……』

 セツナの声に反応した彼女の第一声が、それだ。なにをどうすればいいのかわからないといったような、ただの声。その表情も微妙なものだった。セツナに対して笑顔を見せようとしているのに、悲しさのあまり崩れてしまうような、そんな表情。見ているだけで胸が締め付けられる想いがして、セツナもどういう言葉をかけるべきかを迷った。

 そんなとき、セツナの衣服の首元からワイバーンが顔を覗かせ、そのままセツナの頭の上までよじ登っていった。ミリュウのみならず、マリア、エミルも驚愕し、ニーウェもびっくりして吠え立てた。ニーウェが吠えるのはめずらしいことだったが、吠えるのも当然といえるような状況かもしれなかった。

 手に乗るほど小さく丸みを帯びているとはいえ、飛龍であることに変わりはない。一見するとトカゲのようなのだが、一対の飛膜や頭部に生えた小さな角を見る限り、決してトカゲではない別の生き物だということがわかる。ドラゴン。ワイバーン。大陸各地の伝説に登場するらしいそれが現実に存在し、実際に目の当たりにすることなど、通常、ありえない。

『ふいー……さすがに息苦しいぞ』

 しかも、セツナの頭の上に乗ったそれが人間の言葉を発したものだから、ミリュウたちの驚きは頂点に達した。セツナは、ミリュウたちに求められるまま、この手乗りワイバーンが一体何者で、どうしてこうなったのかを説明した。

 当然ではあるが、アズマリア=アルテマックスのことは話さなかった。隠し事をするのは気が引けたが、アズマリアの話をすればいてもたってもいられなくなる人物がいる以上、迂闊にその名を出すわけにもいかない。たとえなにもできないとしても、彼女はアズマリアを探すために天輪宮を飛び出すだろう。

 そして、そういう彼女の前に姿を見せるのが、あの紅き魔人の質の悪いところだ。挑発し、なにもできないことを嘲笑い、彼女の心に傷だけを埋め込んで、消え失せる。アズマリアのしそうなことだ。だから、セツナはアズマリアと接触したことは話さなかったし、それでいいと考えていた。いつか、話せるときが来るはずだ。そのときまで、今日のことは胸の奥に封じておくつもりだった。

 ミリュウは、セツナたちの説明を聞いている間、ワイバーンのラグナを手の上に乗せ、面白い生き物でも見るような顔で観察していた。ワイバーンのラグナは、ミリュウが差し出した手についつい飛び乗ってしまったことを後悔するかのような表情を見せたものだ。小ドラゴンの表情というのはわかりにくいものなのだが、なぜかセツナには、ラグナがどう考えているのかがわかる気がした。

「別に面白くはなかったぞ。こっちは命がけだったんだからな」

 シーラがため息とともに肩を竦めた。命がけの戦いだったのは、セツナも同じだ。気を抜けば殺されるのはどんな戦いでも同じではあるのだが、このワイバーンは特に強烈だった。並大抵の攻撃を寄せ付けない防壁を構築する能力に、凄まじいまでの再生力、水矛による爆撃はセツナと黒き矛だからこそ避けきれたといっても過言ではなかった。

 難なく倒した、というわけではないのだ。

 ちなみに、ではあるが、ワイバーンと戦った連中は、セツナを除いて着替えていた。ルウファ、ファリア、シーラは水龍湖に落ちて水浸しになっていたし、レムの衣服に至っては、直視するのも憚れるくらいぼろぼろの状態になっていたのだ。水に濡れた衣服は、天輪宮に至るまでにかなり乾いていたとはいうものの、さすがにそのままではいられなかったに違いない。シーラは、単純に普通の格好に戻りたかったようだが。

 ミリュウの手のひらのうえで、妙に丸い飛龍が踏ん反り返る。一対の飛膜を腕のように動かし、胸の前で腕組みのようにした。実際、翼は腕も同然なのだろうが。

「うむ。わしも一度死んだしな」

「偉そうにいうなよ」

「わしはドラゴンじゃぞ? 偉そうなのではない。偉いのじゃ」

 ラグナのその一言で、彼がドラゴンという種であることに強い誇りを持っていることが伺える。彼が人間を見下しているのは、水龍湖での会話からもわかっていたことではある。そして、ドラゴンが人間をか弱く儚い生き物だと認識するのも無理はないということも、理解できる。あれだけの力を誇る生物に、人間如きが敵うはずもない。セツナがラグナを倒せたのは、黒き矛のおかげという以外にはなかった。

「あーはいはい。偉いドラゴンを下僕にできて俺は至極光栄でございますよ」

「わかればよいのじゃ。わかればの」

 なにやら満足気にしているワイバーンを見ていると、シーラがレムに耳打ちした。

「わかってたことだが、あいつ、ちょろいな」

「そのようでございますね」

「なんじゃ? なにかいったか?」

 ラグナが長い首を捻ってシーラたちを一瞥した。光沢を帯びた緑の鱗は、魔晶灯の光を受けて緑柱玉のように輝いている。

「別に、ラグナはさすがだっていってただけさ」

「なんじゃなんじゃ、わしを褒めてもわしが喜ぶだけじゃぞ。それでもよいならもっと褒め讃えてもかまわぬぞ?」

「……こんな面白そうな生き物と遭遇したときにいないなんて、一生の不覚だわ」

 ミリュウがワイバーンを見つめながらつぶやいた一言に、セツナは苦笑した。確かに彼女の言うとおりではあるかもしれない。

「面白そうな生き物なのは否定しないけどさ」

「否定せぬのか!?」

 目が飛び出るほどに愕然とするラグナの様子は、面白いとしかいいようがなかった。トカゲのような外見に角と翼を生やした怪物、という姿でありながら、どこか愛くるしさを感じずにはいられないところがある。それは、彼の言葉や態度による印象なのかもしれず、彼が人間の言葉を発することができなければ、印象はまた違ったものになっていたのかもしれない。

「いや、だって、なあ?」

「まあ、確かに、面白い生き物ではあるわね」

 五人の中ではもっとも真面目そうなファリアにまで同意されたことが堪えたのか、ラグナが嘆息した。

「おぬしらは、わしの恐ろしさを身に沁みて実感したのではなかったのか……?」

「それも否定しないさ。ラグナは強かったよ。少なくとも、俺がいままで戦ってきた相手の中で五本の指に入るくらいにはさ」

「む……? 五指に入る……とな?」

 セツナは、小ワイバーンの足元に人差し指を差し出した。ラグナは、無意識なのか、ミリュウの手の上からセツナの人差し指に飛び移ると、手の甲に移動し、そのまま腕を伝って肩へ行き、項に至ると器用に髪を掴んで頭の上に昇った。

「ラグナ以上の強敵と戦ってきたんだよ、俺は」

 とはいったものの、ラグナ以上の強敵となると、本当に数えるほどしかいなかった。

 ザルワーンの守護龍とリネンダールの鬼神はまず間違いなくラグナよりも凶悪だった。つぎに漆黒の槍ランスオブデザイアとウェイン・ベルセイン=テウロスが脳裏に浮かぶが、彼がラグナに並ぶほどに強敵だったかというと疑問の残るところではある。クレイグ・ゼム=ミドナスは論外だ。致命傷を負わされたとはいえ、それだけで強敵といえるのならば、エレニア=ディフォンが一番の強敵だったということになる。

(実際、そうだったのかもな……)

 セツナが一番死を意識したのは、エレニアに刺されたときだった。あのまま殺されたとしても不思議ではなかったし、あのときは、死んでもいいとさえ思っていた。

 因果は廻る。

 数多の命を奪ってきたセツナに数多の憎悪を向けられるのは、当然の帰結だった。


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