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第八百六十五話 五月五日・マリクの場合(二)

 マリクは、ニュウ=ディーと別れると、ひとり試練の座に降り立った。訓練している武装召喚師はひとりもいない。午前。皆、教室で授業を受けているのかもしれないし、授業を開いているのかもしれない。ある程度の実績と実力を持つ武装召喚師は、教室を開くことが許された。

 呪文を唱え、術式を展開する。

 クオール=イーゼンの側で何度となく聞いた呪文の羅列。一言一句、間違えることなく唱えることができる。召喚するのは、レイヴンズフェザーだ。

「武装召喚」

 呪文の末尾を唱え、術式を完成させる。武装召喚術は、異世界の扉を開き、望み通りの召喚武装をマリクに与える。一対の漆黒の翼が、マリクの背に生えた。それはもはや武器でも防具でもないのだが、召喚武装とは、そのようなものとしかいいようがない。

 彼は、地を蹴って跳ぶと、翼で大気を叩いた。飛翔し、試練の座から断崖へ至る。さらに南へと向かいながら角度を変え、遥か地上に目標を定める。眼下、断崖絶壁の彼方に山門街の風景が見えた。超加速能力を発動する。空間が歪んだかと思うほどの加速が、マリクを襲う。まるで意識だけが置き去りにされるかのような感覚。

 一瞬後、マリクは山門街の役所に辿り着いていた。役所は、リョハンを運営する行政機関とでもいうべき護山会議の末端といってもよく、護山会議の使いとして山門街を訪れるときは、基本的に役所に立ち寄ることになっていた。今回の任務は、護山会議の書簡を届けるというだけのものだが、そのついでに山門街の情報を空中都に持ち帰ることも含まれている。一日に何度も往復することもあれば、山門街を訪れない日もあった。

 とにかく、レイヴンズフェザーは忙しい。

 役所に入ると、いつものように美人の受付がいた。彼女はマリクを見つけるなり、頬を赤く染めるのだが、その理由はマリクと彼女にしかわからない。彼女は、マリクが役所に訪れるたび、血を吸われることを心待ちにしているのだ。

 レイヴンズフェザーの吸血能力は、吸血行為の対象となった人物の血を奪う代わりに、性的快感を与えるのだ。しかも、その快感はやみつきになるほどのものらしく、クオールが“吸血鬼”と呼ばれながら、女性たちに人気があったのもわからなくはなかった。

 受付の女性は、クオールが護山会議の連絡係だったころは、滅多に血を吸ってくれなかったといい、その点マリクは毎回のように吸ってくれるので嬉しい、などともいっていた。

 マリクは、クオールのようにはなれないし、なるつもりもなかった。クオールはクオールであり、自分は自分だという考えがある。彼のように血の渇きを我慢するつもりもない。かといって、嫌がる相手の血を吸うようなことはしないし、不必要にレイヴンズフェザーの能力を多用し、吸血行為の犠牲者を増やすようなこともしない。要するに、必要に応じて使うというだけのことだ。

 そして、それは護山会議にも同じことがいえる。

 マリクは、護山会議に対して、不用意にレイヴンズフェザーの能力を頼ることを禁じたのだ。護山会議はマリクのその発言に対して反発したものの、結局は、彼の言葉に従うよりほかなかった。その要望は、マリクが四大天侍だから通ったといってよく、マリクが四大天侍でなければ、そのような話は聞いてももらえなかっただろう。もっとも、それで仕事が減ったかというと、そうでもないのだが。

 護山会議の仕事は、減った。少なくとも、クオール=イーゼンが使いとして飛び回っていたころよりは大きく減少しただろう。クオールはくだらない連絡にも使役されていた。その点、マリクは本当に必要なときにだけ利用されているようだ。

 だが、マリクは四大天侍である。

 四大天侍には四大天侍の仕事があるのだ。

 連絡任務を終えれば、すぐにでも四大天侍の任務に戻らなければならない。


「ああ、マリク様、よいときに来てくださいました」

 役所の奥に行くと、山門街の街長がいた。ひとの良さそうな老人は、マリクのことを孫のように可愛がってくれている。

「なにかあったの?」

「いや、特に問題があるわけではないのですが……」

 街長は、少し困ったような顔をした。

 彼によれば、昨日、巷で噂の傭兵集団がこの山門街を訪れ、役所にリョフ山への入山許可を取りにきたというのだ。

 その傭兵集団は、入山許可が降りるまで山門街を離れないといっているらしく、昨日から旅館街を占拠しているらしい。もっとも、旅館街で問題を起こしているわけでも、騒ぎを起こしているわけではないといい、特になにもなければ、入山許可も数日以内に降りる見込みだという。

「《白き盾》……ね」

 それが、旅館街を占拠した傭兵集団の名であるらしい。

 聞いたことのない名前ではない。有名な傭兵集団だ。特に大陸小国家群では知らぬものなどいないほどに高名であり、無敵の傭兵団、不敗の軍団などと呼ばれているという話を小耳に挟んでいる。そして、《白き盾》の団長クオン=カミヤが、マリクもよく知るセツナ・ラーズ=エンジュールの知り合いであり、深い仲であることは、マリクの知るところでもある。

 ザルワーン戦争では《白き盾》はガンディア軍に属しており、ザルワーンに出現したドラゴンを撃破できたのは、クオンとセツナが力を合わせたからだった。

 セツナは、ザルワーン戦争を通してクオンへのわだかまりを解消し、ふたりは真に友と呼べる間柄になったということも、マリクは実感として知っている。

 黒き矛を手にし、能力を行使した際に起こった逆流現象によって、マリクの頭の中にはセツナの記憶が大量に流れこんできていた。その記憶を自分のものと思い込むことこそ、逆流現象のもっとも恐るべきものであり、記憶の混線の結果、自分を見失い、自我を崩壊させることもありうるのだ。

 マリクは、セツナの記憶はセツナの記憶として隔離することができたため、なんということもなかったのだが、ミリュウ=リバイエンはそういうわけにはいかなかったのだろう。セツナの記憶の中の彼女を見る限り、逆流現象の悪影響によって、彼女はセツナと自分の距離感を見失っている。

 その点、マリクは違う。マリクは、必要に応じて、自分の中に流れ込んできたセツナの記憶を見ることができた。もちろん、セツナの記憶が必要な場面などそうあるはずもなく、今回のようなことがない限り、二度と彼の記憶を見るようなことはないだろう。他人の記憶を覗き見るなどという悪趣味なことで時間を費やすつもりはない。

 ともかく、クオン率いる傭兵団がリョハンに入ることは、問題視するようなことではなかった。セツナの記憶の中のクオン=カミヤは、本当に十代の少年かと疑いたくなるほどの人格者であり、マリクでさえ、目を細めるほどの光を放っていた。セツナがクオンに対して引け目や負い目を感じるのも当然のように思えてならなかったが、それはそれとして、彼のような人物が率いる集団が、リョハンの秩序を乱すとは考えにくい。

 セツナの記憶の中でも、《白き盾》は模範的といってもいいほどの集団であり、傭兵という言葉から想像する荒々しいものたちの集まりには到底思えなかった。

「まあ、旅館街を占拠するくらいならいいんじゃない? どうせ、ここにくるひとなんていないんだし」

「ええ、まあ、それだけなら構わないのですが……」

 街長が声を潜めた。彼の困惑は、どうやら《白き盾》のせいではないらしかった。少し考えればわかることだ。たかが傭兵集団が入山許可を願うことのどこに問題があるというのか。

 マリクは、街長の声に耳を傾けた。

「《白き盾》に巡礼教師が同行しているようなのです」

「へえ。これまためずらしい」

 巡礼教師とは、ヴァシュタラ教会が各地に派遣する高位の僧官のことだ。大陸各地を移動しながら説教を行い、信徒を増やしたり、信徒の悩みを聞き、解決に導いたりもしているらしい。移動教会などと呼ばれるだけのことはある、ということだ。

 マリクがめずらしがったのは、巡礼教師が《白き盾》について回っているという事実よりも、教会の人間がリョハンの門をくぐったことに対してだ。リョハンと教会は、長らく没交渉の状態にある。リョハンがヴァシュタリアから自由を勝ち取ってからというもの、どんなことがあっても互いに干渉しあわず、無視しあうというのが、暗黙の了解になっているのだ。つまり、リョハンが危機的状況に陥ってもヴァシュタリアは手を差し伸べないし、逆もまた然りだ。手を差し伸べて欲しければ支配下には入れ、というのがヴァシュタリアの考えである以上、それを拒絶したリョハンがヴァシュタリアの助けを得られるはずもない。

 なにかを得るということは、同時になにかを失うということだ。

 リョハンは、独立自治を勝ち取って以来、ヴァシュタリアという広大な大地に浮かぶ孤島と化したのだ。

 そんな情勢が何十年も続いている。教会の人間が訪れることは極めてまれであり、訪れたとしても、観光目的がほとんどであった。リョフ山の景観は、北という幻想の大地の中でも特に美しく、教会の人々ですらため息を浮かべるほどのものだった。

「しかも、門番の話によれば、どうも、ラディアン=オールドスマイルのようでして」

「ラディアン=オールドスマイル……」

 反芻して、思い当たる。四大天侍ならば知っておかなければならない人名のひとつであり、教会の中でも特に注意するべき人間の名前だった。

「アレウテラス事変のラディアン?」

「はい」

 街長が厳しい表情でうなずいた。

 アレウテラスとは、大陸小国家群最北の国アルマドールの主要都市のひとつである。いくつもの闘技場を抱えた大都市は、闘都とも呼ばれ、常に闘技目当ての人々でごった返しているという。そんな大都市を異変が襲ったのは十年ほど前のことだ。アレウテラス最大の闘技場が壊滅的な被害を受けた異変には、巡礼教師ラディアン=オールドスマイルが関わっている。異変を生き延びた闘技戦士のひとりが、このリョハンにまでやってきたのだから、間違いない。

 その闘技戦士がリョハンにやってきたのは、リョハンが反教会の総本山のように認識されていたからであり、リョハンに教会と戦う意思がないと知ると、その闘技戦士は、リョハンを罵倒して去っていった。数カ月後、レイディオンで事件が起き、件の闘技戦士が犯人として捕まったという話が伝わっている。

 そういうことから、ラディアン=オールドスマイルは要注意人物となり、リョハンでは彼の動向に注目していたのだ。

 そして、そういった一連の情報は、マリクが四大天侍の拝命を受けたあとに聞いている。四大天侍はリョハンの守護天使である。リョハンの歴史を知っておくことも重要な役割であり、歴史を語り継いでいくこともまた、四大天侍の使命であるといえた。

「わかった。ぼくがいって様子を見てこよう。巡礼教師の行動に不審な点があれば、ぼくの権限で退去してもらうことにする」

「四大天侍様みずから動いていただけると、本当に助かります」

「気にしなくていいよ。リョハンの守護こそ、ぼくらの本分だからね」

 マリクは、街長の律儀な反応に笑みを浮かべながら、役所を出た。役所を出るとき、受付の女性が残念そうな顔をしたことが印象に残った。彼女は、血を吸われる際の快感が病みつきになってしまっているのだろう。レイヴンズフェザーの能力の被害者といってもいい。が、いまは彼女に構っている場合ではない。レイヴンズフェザーの能力であるところの吸血行為は、多少の時間を要した。

 いまは、《白き盾》とラディアン=オールドスマイルの動向を監視するために動くことのほうが先決だった。彼女のことは、あとで構わない。

 喉が血を欲して渇いているが、この程度の渇きならば、堪えられる。

 マリクも、(クオールほどではないにせよ)精神力はあるほうだ。

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