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第八百六十三話 五月五日・クオンの場合(三)

 大陸暦五百二年五月五日。

 その日の空は、いつになく高かった。

 どこまでも高く、どこまでも遠い空。滲んだような青の色彩が、ここがイルス・ヴァレであるということを実感させる。雲が流れていく速度がいつになく早い。きっと、風が強いからだ。しかし、山門街が冷気を帯びた風に曝されることは少なかった。

 山門街は、リョフ山の南側麓に位置している。街の北側はリョフ山そのものであり、山門街独特の巨大な城壁は、リョフ山が伸ばした腕のようだった。山門街は、リョフ山の腕に抱かれているということだ。そして、その腕が、山門街を風から守っているのだ。

 山門町の東側の一角が、旅館街といって差し支えのない作りになっている。総勢二百五十人の大所帯となった傭兵集団《白き盾》は、旅館街の一角を占拠するかのように分宿していた。小国家群の各地を流浪していたころから、団長であるクオンの頭を一番悩ませていたのが、宿のことだった。大きな都市ならいざしらず、小さな街となると、全団員が寝泊まりするだけの場所を確保するだけで大変なことだったのだ。場合によっては野営することもあったし、その場合、クオンは率先して野営地の天幕の中で寝た。城壁の外には危険が多い。野生動物や野盗ならばまだしも皇魔に襲われる可能性も少なくはないのだ。そういうとき、クオンがひとりいれば、どうとでもなった。撃退することはできないにしても、被害を完全に抑えることができるのが、シールドオブメサイアの能力なのだ。だから、クオンが野営すると言い出せば、団員がこぞって同意し、彼に付き従うのだから困ったものだ。団員たちには宿でゆっくり休んでもらいたいからこそ、クオンみずから野宿するといっているのだが、それでは本末転倒も甚だしい。とはいえ、そういう団員たちだからこそ、クオンも気を遣うのかもしれないが。

 いまでは、そんな団員ばかりではなくなっている。いや、小国家群の流浪時代をともにしたような古参団員は、確実に少なくなってきている。戦闘であえなく命を落としたものもいれば、クオンの考えについていけなくなったものも少なくはない。最初は、《白き盾》の理念に賛同し、興奮していた者たちも、終わりのない戦いという現実に直面すれば、途方に暮れるのも仕方はなかったし、そういったものたちが《白き盾》を抜けることもまた、現実だった。

 クオンはむしろ、無理をしてついてくることにこそ否定的であり、《白き盾》の活動に疲れたものにはゆっくりと休んでもらいたいというのが本音だった。この世から皇魔を根絶するという目標はあまりに遠い。五百年近く滅ぼせなかったのだ。クオン一代で終わることはないだろうし、クオンの後に続くものが出るとも思えない。

 皇魔の巣をひとつ潰したところで、またどこかに新たな巣が作られているのは疑いようのない事実だ。無限に続くイタチごっこを繰り返しているに過ぎない。それでも、目の前で苦しんでいる人々を放ってはおけないから、彼は手を差し伸べ、皇魔の巣を破壊する。無意味かもしれなくても、そうせずにはいられないのがクオンなのだ。

 この身が例え千々に裂け、消えてなくなろうとも、そればかりはどうすることもできない。

 そんなことを考えてしまうのは、今日という日が、彼にとって特別な一日だったからかもしれない。

「こんなのでいいのか?」

 イリスが怪訝な顔をしたのは、山門街の東陽公園という場所に全団員を集合させてからのことだった。東陽公園は、その名の通り、山門町の東部に位置する公園であり、旅館街の外れに横たわるように存在していた。とくになにがあるわけでもない広場は、おそらく、リョフ山の景観を眺めるためだけの空間であり、山門街の住人にとってはめずらしくもない光景を見るための場所になど、人っ子一人いるわけもなかった。旅人ならば立ち寄るかもしれないが、今日の山門街に訪れている旅人など、クオンたちを除いてだれひとりいなかったのだ。クオンが東陽公園を合同訓練の場に選んだのも、それが理由だった。合同訓練だ。二百人が集まっても問題のない広さがあり、なおかつ、誰の邪魔にもならないような空間が望ましい。もし、山門街の中にないというのならば、城壁の外にでることも考慮していた。町の外ならば、住人の迷惑にさえならない。

「こんなのというのはどうかと思うが、確かに、これがお祝いというのもどうかと思いますな」

「そうですわ。せっかくの誕生日ですし、一日、ゆっくりなされればよろしいのに」

 イリスに続いて、ウォルドとマナも否定的な見解を示した。

 彼らが言及した通り、五月五日は、クオンの誕生日だった。別世界の五月五日なのだが、便宜上、この世界でも五月五日で通している。別段、問題があるわけでもないのだ。それなら、わざわざ別の日を誕生日にする必要もない。

 クオンは、十八年前の五月五日に生を受けた。まさか異世界で誕生日を祝われるとは思ってもみなかったことだが、悪くはないものだ。イリス、マナ、ウォルド、スウィール、グラハム、ミルレーナの幹部のみならず、《白き盾》の全団員が、クオンの誕生日を祝ってくれたのだ。これほどの人数に祝福されたことなど、かつてあっただろうか。

(あるわけがない)

 クオンは、ただそれだけで幸せを感じることができた。それ以上のなにかは必要ないのだ。

 それに、いまさら合同訓練を取りやめるということはありえない。《白き盾》の団員のうち、戦闘要員の二百二十名は既に勢揃いしている。医療班や雑務係のうちの何人かも、合同訓練という響きに興味を持ったのか、公園に姿を見せていた。ラディアンの姿もあったし、リョハンの関係者らしき人物の姿もあった。クオンたちがなんらかの騒動を起こしたりしないよう、監視しているのだ。もっとも、クオンたちが騒動を起こせば、それこそ、リョハンの武装召喚師が総動員されたとしても、鎮圧することは不可能かもしれない。無敵の盾は、戦女神の攻撃さえ防げるはずだ。

 とはいえ、勝てる見込があるというわけでもない。持久戦に持ち込まれれば、間違いなく負ける。クオンは、シールドオブメサイアの長所も短所も知っている。

「いや、こういう機会でもないと、合同訓練なんて行えないだろうし。団長の誕生日なら、新入りだって喜んで参加するんじゃないかってさ」

 クオンは、イリスたちの気遣いに感謝しながらも、自分の考えを曲げるつもりはなかった。誕生日という特別な一日を利用して合同訓練を行うことで、新入りと古参の融和を図るという大目的がある。《白き盾》は元々一枚岩のように硬い結束で結ばれた組織だった。中には、途中で離脱するものもいたが、そういったものが和を乱すようなこともなく、絆が綻びるということもなかった。

 しかし、ヴァシュタリア共同体の勢力圏に入ってからというもの、《白き盾》の団員の中に変化が現れ始めていた。巡礼教師ラディアンの説教に交じる宣伝の効果もあって、団員が激増したことは触れた。ラディアンの説教に耳を傾けるのは、ほとんどがヴァシュタラ教徒だ。そして、ラディアンの説教に感動し、心を突き動かされるような人間が、敬虔なヴァシュタラ教徒でないわけがなく、新規入団者のほとんどがヴァシュタラ教徒なのは当然といってもよかった。

 対して、古参団員にヴァシュタラ教徒は少ない。いないわけではないのだが、少数派といって差し支えなかった。その少数派が、新入りのヴァシュタラ教徒たちと徒党と組み、非ヴァシュタラ教徒との間に多少の軋轢が生まれ始めているというのだ。そんなことはこれまでなかったことだ。ヴァシュタラ教徒の数が少なかったこともあったし、古参の教徒は皆、《白き盾》設立時の団員ということもあってか、後に入ってきた団員との間に摩擦が生じるような行動にでることはなかった。だが、生粋のヴァシュタラ教徒が大量に入団してきたことで、状況は変わった。触発されたのかもしれないし、これを好機と思ったのかもしれない。ヴァシュタリア教徒たちは結託し、派閥を形成し始めた。これを快く想わない古参団員たちもまた、対抗するための派閥を作った。ヴァシュタラ教派と非ヴァシュタラ教派である。一枚岩であることが強みであったはずの《白き盾》は、内部分裂の危機にあるといっても過言ではない状況に陥っていた。

 これには、さすがのクオンも頭を抱えざるを得なかった。だからといって、新入団員たちを排除するわけにはいかないし、古参団員の心情を黙殺することもできない。また、ラディアンを責めるのはお門違いだ。入団希望者が増えたのがラディアンの宣伝によるところが大きいものの、受け入れたのは、クオンたちなのだ。不要ならば、受け入れなければよかっただけのことだ。受け入れる以上、なんらかの問題が起きることも予想しなければならない。

 そして、それもまた、わかってはいた。

 大所帯になるということは、問題を抱えるのと同義だ。これまでなんの問題も起きなかったことのほうが奇跡といっていい。

 人間と派閥争いは切っても切れぬものであり、どんな組織にも起こりうるのだ。いま起きなかったとしても、いずれ起きた問題であり、対処できるかもしれない時期に発生したことは、むしろ喜ばしいことだといえた。もちろん、合同訓練程度で全てが解消するとは思えないし、むしろ深刻化する可能性もはらんで入るのだが。

 なにもせず、指をくわえてみているだけよりは余程いいだろう。

 クオンはそんなふうに考えている。

「クオンの誕生日であろうとなかろうと、あのものどもなら、喜んで参加するものと思うがのう」

 ミルレーナが広間に集まった団員たちの表情を見遣りながら、いった。《白き盾》の団員たちは皆、訓練用の格好になっていた。訓練着も、《白き盾》の制服と同じ意匠である。黒地の服の背に白い翼が描かれているのだ。

「なにごとにもきっかけが必要ということだよ」

「ふむ。わらわにはよくわからぬが、クオンがそういうのであらば、口を挟むようなことはすまい。それで、わらわも参加すればよいのじゃな?」

「そうしてくれると嬉しい」

「ほほほ。よいよい。わらわも合同訓練に参加しようぞ。のう、イリス殿にウォルド殿。そなたらもそのような怖い顔をせず、ゆるゆるやろうぞ」

 朗らかに微笑むミルレーナには、独特の空気感があった。まるで彼女にだけ別の時間軸にいるかのような、そんな空気。王女として生まれ育ったゆえの優雅さや気品とは別のなにかが、ミルレーナの人的魅力となっている。

 そんなミルレーナに対して、イリスは毒気を抜かれたような顔をしていた。

「なんで姫様はこんなに暢気なのだ?」

「姫さんだからだろ」

「まあ、いいじゃないですか。ミルレーナさんも乗り気ですし。わたくしたちも、張り切りますよ!」

「こっちはこっちでどうしたんだ?」

 マナ=エリクシアの発奮ぶりには、彼女を慕うイリスも驚きを隠せないようだ。クオンも彼女に同意だが、マナのような幹部が張り切ってくれるのはありがたくもあった。久々の合同訓練。腕がなるのかもしれない。

「ここで気を張らないと、姫さんにクオン様が取られるかもしれないからな」

「む……」

 不意に、ウォルドがにやりとした。クオンは嫌な予感を覚えたが、どうすることもできなかった。

「ちなみに、合同訓練の最優秀者には、今夜、クオン様を独り占めできる権利が与えられます」

「なに……」

「それは本当かの?」

「負けませんよ」

 イリス、ミルレーナ、マナの三人の目に炎が灯ったのを幻視する。幻視とはいうものの、その表情、その言動から、三人の闘争心に火がついたのは疑いようのない事実だ。

「ウォルド……なにを勝手な――」

 クオンはウォルドに詰め寄ると、ウォルドの分厚い腕が彼の首に絡みつき、大きな手が口をふさいだ。耳打ちしてくる。

(イリスを乗り気にさせるには、クオン様をだしに使うのが一番ですから)

(いや、イリスだけじゃないんだけど……)

(まあ、マナはともかく、姫さんまで乗り気になるのは以外でしたが)

(楽しんでるな?)

(はい) 

 即答したウォルドは、爽やかな笑顔を浮かべ、あまつさえ歯を輝かせていた。

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