第八百六十二話 五月五日・クオンの場合(二)
クオンたち《白き盾》と巡礼教師ラディアン=オールドスマイルがリョハンの地を踏んだのは、五月四日のことだ。
ヴァシュタリア勢力圏中央部に広がるリョフ高地の中心部に、空中都市リョハンは位置している。リョハンとは、空中都市の異名からも想像できる通り、地上にある都市ではない。厳密にいえば地上にあるのだが、地上は地上でも、峻険極まるリョフ山の頂きにリョハンの都市部があるのだ。
もっとも、リョフ山そのものがリョハンといっていいらしく、リョフ山の麓に作られた山門街に入ることは、リョハンの勢力圏に足を踏み入れるのも同じだった。
山門街。
まさに門というに相応しい街だった。人工物にしては巨大すぎる城壁に周囲を囲われ、人力で動かすのが困難だと思われるほど大きな門が特徴的な街は、数十年前に起きたヴァシュタリアとの戦争においては、ヴァシュタリア軍の侵攻を阻む上で大いに役立ったといわれている。リョハンの武装召喚師たちが技術の粋を集めて作り出した防壁や、防御機構の数々は、ヴァシュタリの侵入を阻むだけでなく、山への進入を果たしたヴァシュタリア兵を迎撃し、追い落とすことにも効力を発揮し、ヴァシュタリア側の頭を大いに悩ませたという。
さらに直接の戦闘になれば、ヴァシュタリア側は圧倒的に不利となった。数の上では、ヴァシュタリアが優勢を保ち続けていたが、数だけでは埋めることのできない戦力差が、ヴァシュタリアとリョハンの間に横たわっていたのだ。そこでヴァシュタリアは長期攻囲策に打って出たものの、どれだけ時間をかけても立ち枯れる気配のないリョハンの様子には、絶望するしかなかったようだ。とんでもない量の兵量を備蓄していたのか、それとも、どこかに抜け道があって、そこから兵量を補給していたのか。いずれにせよ、リョハンは最初から勝機があって、ヴァシュタリアとの戦いに望んだのは想像に難くない。
だが、いくら勝機があったとはいえ、相手はヴァシュタリアだ。大陸の四分の一を支配下に置く巨大戦力を相手によくも戦う気になったものだというしかない。
しかし、リョハンの決断はほめられるべきかもしれない。リョハンがヴァシュタリアの支配下に落ちていた場合、大陸の情勢は大いに変わっていただろう。ヴァシュタリアがリョハンの力を利用しないはずがなかった。
武装召喚術の原点にして、《大陸召喚師教会》の総本山なのだ。保有線力は、三大勢力に匹敵するか、それ以上のものがあるといっても、言い過ぎではあるまい。
「故に独立不羈を貫いたのでしょウ。リョハンの決意と覚悟は褒められるべきものですネ」
ラディアンは、またしても教会の人間らしくない言葉をつぶやいて、クオンたちを驚かせた。ラディアンは、教会の中でも高位の教師であり、教会を肯定する側の人間であるはずなのだが、言動の端々に教会批判とも取れるようなものがあり、クオンは内心ひやひやすることが多々あった。ラディアンの発言のせいで《白き盾》が糾弾されるようなことがあっては、笑い話にもならない。
ラディアンは、巡礼教師だ。旅装からして、教会の人間だということが一目瞭然であり、リョハンの山門街に入るさいには門番との間で一悶着があった。山門街はリョハンと外界の境界であり、いわばヴァシュタリアとリョハンの国境といってもいい。ヴァシュタラ教徒でさえ立ち入るのは困難を極めるという山門街に、ヴァシュタラ教会の巡礼教師が入るのは至難の業だったのだ。しかし、ラディアンは、焦らず、騒がず、門番たちとじっくりと話しあい、理解を得た末に山門街への立ち入りを許された。強引な手を使わないことに好感を抱く。
「まあ、各地を回っていれば、こういうこともありますヨ」
彼は屈託なくいった。ラディアンは、以前、巡礼教師として大陸小国家群を渡り歩いていたのだ。リョハンのようにヴァシュタラ教会を受け入れない国のひとつやふたつはあったのかもしれないし、山門街の門番以上に厳しい反応をされたこともあったのかもしれない。ラディアンの涼やかな態度は、そういった経験からくるものなのだろう。
ラディアンが山門街への立ち入りが許されると、クオンたちはようやく宿に入った。ラディアンは勝手についてきているのであり、無視しても構わないはずなのだが、クオンの良心はそんなことを許しはしなかった。そんなクオンの行動に対してラディアンが感動するのだが、クオンにしてみれば、感動されるいわれはなく、ただ反応に困っただけだった。
リョハンは、リョフ山そのものを巨大な都市としたものだ、ということには触れた。
リョハンと外界の間に位置し、関所とでもいうべき役割を果たしているのがこの山門街である、山門街は巨大な城壁と山々に囲われているという以外は、どこにでもあるような普通の街だった。街というよりは都市に近い。整備され、舗装された道路の数々は、とても山の麓の小さな町とは思えない。無数の家屋があり、さまざまな施設があり、リョハンを目指す旅人のための宿もいくつもあった。
そういった宿のいくつかを貸し切らなければならなかったのは、《白き盾》が大所帯だからだ。戦闘要員とそれ以外の人員を含めて総勢二百五十人もいた。二百五十人だ。とてもクオンひとりでは把握しきれる人数ではないが、そのための幹部たちでもある。スウィール=ラナガウディやグラハムがクオンの補佐をしてくれていたし、ウォルドやマナも手伝ってくれている。イリスは人事には携わる気はないし、ミルレーナに至っては加入したばかりといってもよく、そういったことに関わらせる訳にはいかない。
クオンには、《白き盾》という傭兵集団を増強するつもりはなかった。ミルレーナの加入さえ、想定の範囲外のできごとであり、彼女と彼女の兵が加入したことによる戦力の強化を喜ぶよりも、《白き盾》の集団としての統率が取れなくなるのではないかということを懸念したものだった。
これ以上、団員を増やす必要はない。と思ったのも束の間、ヴァシュタリアに入ってからも、入団希望者が激増した。それもこれも、ラディアン=オールドスマイルの宣伝によるところが大きい。ラディアンは、《白き盾》の理念に感動し、なんの見返りも求めず、皇魔の巣を破壊するクオンたちの実際の行動も褒め称えた。そして、クオンたちが頼んでもいないのに、《白き盾》の宣伝を始めたのだ。するとどうだろう。《白き盾》への入団希望者が爆発的に増えた。クオンは頭を抱えた。団員の総数が二百人を越えた辺りで、もう十分だと思い始めていたのだ。
二百五十人にまで膨れ上がったとき、ようやくラディアンの宣伝活動を知り、彼に頼んで宣伝活動を止めてもらった。彼は《白き盾》の活動内容を知らしめられないことを残念そうにしていたものの、これ以上の《白き盾》の膨張は、クオンたちの活動を妨げるだけだという発言には納得してくれたようだった。
そんなわけで、《白き盾》は、この大陸に数多ある傭兵集団の中でも十分な組織力を持ち始めているといってもよかった。もちろん、クオンはそんなものを欲しているわけではない。《白き盾》の目的は、傭兵団として上り詰めることではないのだ。
山門街からリョフ山に登り、空中都市リョハンに入るには、入山許可を得る必要があった。入山許可を得るには、山門街で数日ほど滞在する必要があるという。それはどんな立場の人間であれ同じであり、ヴァシュタリア教会の教主であったとしても、特別扱いはしないとのことだった。
入山許可が降りれば、すぐさまリョハンに辿り着けるかというとそうではない。リョフ山は峻険な山だ。頂に位置する空中都市に至るには、長い長い山道を通っていかなればならない。山登りに数日かかるようなことはないということだったが、半日は覚悟しなければならないのは事実らしい。
入山許可が降りるのを待つ間、クオンたちは山登りの準備に勤しんだ。といっても、山門街の住人にいわせれば、通常経路ならば十分な防寒対策を行うだけでいいらしかった。なんでも、通常経路の通り道は常人でも通行できるよう整備されており、登山装備などは不要だということだった。
「山登りの覚悟は不要であったようじゃのう」
ミルレーナがどこか残念そうにいったのが、印象的だった。イリスが半眼を向ける。イリスは、ジュワインで最初に会ったときからクオンに馴れ馴れしかった彼女が気に食わないのだ。マナは、ミルレーナとも上手くやっているようだが、そのことがイリスとの間に多少の不協和音を生んだ。もっとも、その不和も深刻なものになる前に解決している。イリスとマナは、相変わらず姉妹のように仲がよかった。
「覚悟が必要なのか?」
「わらわはそなたらのように鍛えあげてはおらぬからのう。それなりに覚悟と決意を要するのじゃ」
「姫さんも十分戦えるじゃないですか」
ウォルドのいうとおりだった。ミルレーナは、ジュワイン王家の嗜みとして、幼少の頃から武術を嗜んでおり、槍の扱いに関しては一家言持っていた。戦場における彼女の勇猛果敢さは、普段のおっとりとした独特の空気感とは別物であり、別人なのではないかと疑いたくなるほどだ。
「そなたらにはかなわぬ」
ミルレーナが肩をすくめると、マナがくすりと笑った。ウォルドやイリスに敵わないのは当然のことだ。イリスの怪力は人智を超えたものであったし、ウォルドの身体能力もまた、図抜けている。鍛え上げられた肉体でなければ強力な召喚武装を扱うことはできないという不文律が、彼に肉体の鍛錬を怠らせないのだ。
クオンも彼に習って、日々、体を鍛えている。身体能力の強化こそ、シールドオブメサイアの強化に直結すると言っても過言ではない。そして、《白き盾》の生命線はシールドオブメサイアである。シールドオブメサイアがあればこそ、無茶な戦いもできるというものなのだ。
そんなわけで、防寒対策に厚手の衣服を買い込んだ翌日、クオンは《白き盾》の戦闘要員を総動員しての合同訓練を行った。
五月五日。
今日は、特別な日といっても過言ではなかった。