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第八百五十三話 五月五日・セツナの場合(七)

 上空から見下ろす龍府の町並みは、壮観とした言い様がなかった。

 何百年もの昔に計画的に作り上げられた都市は、とても整然としていた。地上を走り回る限りでは迷宮同然の家屋の群れも、上空から見下ろせばその意見を返上しなければならなくなるほどに綺麗に並んでいた。区画ごとに整備され、配置された家々。縦横に走る無数の路地、数多の通り。地上から見る限りではわからない美しさが、上空からならばよくわかった。

 きらびやかな建物も、上空から見下ろすことでまた違う発見がある。

 天輪宮などはその最たるものであろう。五つの殿舎を無数の通路で繋ぐ天輪宮の建物群は、まるで巨大な魔方陣のように見えた。龍府の中心に築かれた魔方陣が召喚するのは、きっと、龍府の名に相応しい龍であり、セツナが相手にしているワイバーンのようなものではないに違いない。

 ワイバーン。

 エメラルドグリーンの鱗状の外皮に覆われた巨大な飛龍は、黒い霧を纏い、龍府の遥か上空を飛翔していた。一対の巨大な飛膜を羽ばたかせることによって飛行しているわけではないのは、飛膜を切り裂いても落下しなかったことで知れた。

 セツナが、最初に飛膜を斬りつけたのは、ワイバーンの飛行を阻止するためだった。上空に飛び立たれれば、いかに黒き矛といえど、地上から追いかけ続けるしかなくなる。ワイバーンは、口から熱線を吐き出すことができた。熱線は地面を融解させるだけの熱量を持っており、そんなものを龍府中に撒き散らされれば被害は甚大だ。都市が破壊されるだけならばまだしも、数多の人命が失われるのは想像に難くない。それだけはなんとしても阻止しなければならなかった。龍府の景観も大事だが、なによりも人命のほうが大切であろう。

 もちろん、黒き矛には光線発射能力という遠距離攻撃がある。リョハンの誇る天才児マリク=マジクが使えば、ウェイドリッド砦からリネンダールまで届く超長距離射撃を行うこともできるという強力極まりない能力だ。もっとも、セツナではそこまではいかない。が、その気になれば地上から数百メートル上空くらいなら届くかもしれない。しかも、闇黒の仮面を吸収したことによる影響なのか、セツナの放つ光線も強化されていた。

 が、ワイバーンの纏う暗黒の霧は、黒き矛の光線を受け付けず、本体に届くことさえなかったのだ。上空に飛び上がったワイバーンを狙撃することができたとして、黒い霧で弾かれてしまえば意味がない。もっと力を込めれば貫通するかもしれないが、そのために力を浪費するのは得策ではない。

 そこで、セツナはワイバーンが飛び立った瞬間に空間転移能力を駆使し、ワイバーンの背に乗ったのだ。もちろん、自分を傷つけて、だ。距離が距離だ。自分の太腿を浅く切り裂くことで生じた血だけで十分だった。痛みはあるが、腹を貫かれて長時間持ち堪えたのだ。この程度の痛みに堪えられないはずがなかった。

 ワイバーンが移動する前に飛膜を切り裂いている。出現地点である路地裏に叩き落とせば、別の場所に落下させるよりはましだと判断したのだ。しかし、飛膜を斬りつけたところで、ワイバーンは落下することもなければ、高度を下げるということもなかった。大気の力を用いて飛翔するシルフィードフェザーのように、別の力で浮力を得、飛行しているのだ。

 そうとわかれば速攻でワイバーンの心臓を貫き、絶命させるべきだと判断した。判断したのだが、黒き矛の切っ先がワイバーンの外皮を突き破り、筋組織を貫いて心臓に到達するよりも、飛龍が市街地上空へと移動するほうが早かったのだ。セツナを振り落とさんばかりの勢いで上昇し続ける飛龍に対してセツナのできることといえば、地上に振り落とされないようにしがみつくことくらいだった。

 ワイバーンは、一瞬にして地上数十メートルの高度に達していた。黒き矛は、飛行能力を有していないのだ。振り落とされれば、重力に抗うこともできずに落下し、地面に激突して死ぬだけだ。もっとも、落下死を防ぐ方法はいくつか考えられる。ひとつは、血を媒介とする空間転移能力を用いることだ。地上まで転移すれば、落下の衝撃を極限まで和らげることができるだろう。ひとつは、地上に向かって光線を発射し、落下速度を減衰させるという方法。一年近く前、ガンディオンでアズマリアに遭遇し、皇魔をけしかけられたときにやったはずだ。あのときは成功したものの、結果として市街に甚大な被害をもたらしたという事実がある。龍府の景観を破壊するわけにはいかないし、なにより人的被害を出す可能性も低くはない。となれば、空間転移で落下死を逃れるのが無難だろうが。

 そんなことを考えている間も、ワイバーンは飛行を続けていた。アズマリアによって召喚されたワイバーンが、なにを目的として行動しているのか、セツナには見当もつかない。アズマリアの意思に従っているのか、それとも、ワイバーン独自の意志によって動いているのか、それさえも判別できない。

 ただひとつ明らかなことがあった。

(こいつ……龍府を離れようとしているな)

 ワイバーンは、龍府の遥か上空を悠然と飛行していた。地上に広がる町並みをまるで無視している。行き交う人々も、立ち並ぶ家屋の群れも、巨大な建造物も、なにもかも黙殺しているのだ。ただひたすら、どこかを目指して飛翔していた。

 それは、セツナにとっては好都合だといえた。町中に叩き落とすなどという真似ができない以上、龍府から離れようとするワイバーンの行動を邪魔する必要もない。龍府の市街地に攻撃をしようとする素振りさえ見せないのだ。ワイバーンから振り落とされないよう注意するだけでよかった。

 天龍塔の近辺から、水龍塔の上空へ至ると、地上にレムとシーラの姿を発見する。地上数百メートルの上空からでも、彼女たちの姿をはっきりと認識出来たのだ。それもこれも黒き矛の為せる技だが、必ずしもカオスブリンガーだけの特徴とはいえない。強力な召喚武装なら、この程度の距離を視認できないわけがなかった。

 レムも、セツナを認識し、続いてシーラもこちらの状況を理解したらしく、ワイバーンを追走するように移動を開始した。龍府の東へ向かって、地上をひた走る。

 セツナは、彼女たちに連絡を取る手段がないことをもどかしく思った。飛龍に乗っかっているセツナは、ワイバーンのなすままに任せるしかない。

 やがて、ワイバーンは龍府の外周を囲う分厚い城壁を越えた。まだ、落とさない。都市の近辺に撃ち落とせば、万が一ということが考えられるからだ。龍はさらに東へ向かって飛んで行く。なにもない平原を越え、龍府の周囲一帯を覆う森の上空へと至る。日差しを跳ね返して輝く湖面が見えた。水龍湖だ。かつてリバイエン砦があった場所であり、擬似召喚魔法の触媒となったことで大穴が開けられた地点でもある。そこに雨水などが溜まった結果、巨大な湖となったのだ。水龍湖と呼ばれるようになったのは、リバイエン家の象徴であるという水龍塔に習ったからに違いない。

 飛龍が高度を落とした。水龍湖目掛けて滑空しているようだった。急激な角度の変化と速度の上昇は、セツナに攻撃する機会を与えなかった。セツナは龍の背に突き刺した矛の柄を握りしめることで、なんとか振り落とされないようにした。龍が怒声を発した。飛龍を包み込んでいた黒い霧が発散する。エメラルドグリーンに輝く鱗が白日の下に晒されたかと思うと、飛龍の滑空速度がさらに加速した。地上数百メートルの上空から水龍湖の湖面へ。猛然たる着水は、巨大な水柱が立ち上がるほどだった。水飛沫が飛び散ったかと思うと、セツナの脇腹を衝撃が貫いた。猛烈な痛みによって、一瞬、呼吸ができなくなる。そして、吹き飛ばされる自分を認識する。黒き矛が手を離れていた。視界は、湖上のワイバーンを捉えたままだ。ワイバーンが水飛沫を纏い、飛膜を広げる様を見ている。飛膜は、セツナの攻撃によって傷だらけだったが、セツナが見ている間に急速に再生していった。驚くが、想定の範囲内ではある。相手はドラゴンだ、常識が通用する相手ではないかもしれないということくらい、最初から頭に入れていた。

 ワイバーンの背に刺さったままの黒き矛を一度送還し、再度召喚するために術式の結語を唱える。

「武装召喚!」

 ただそれだけで、セツナの武装召喚術は発動する。全身から爆発的な光が生じたかと思うと、右手の内に収束し、黒き矛の召喚がなされるのだ。握りしめた瞬間、感覚の肥大が起こる。ワイバーンの飛膜が水飛沫を吸収することで復元しているようだった。水場に飛んできたのは、再生能力を強化するためか、そもそも、肉体の再生に水分が必要だったからか。いずれにせよ、ワイバーンにはワイバーンなりの目的があったということだ。

(だったらなんでこっちに?)

 天龍塔近辺からなた北西の天龍湖のほうが近かいはずなのだが。

(ワイバーンの考えることなんてわからねえな)

 胸中で言い捨てた直後、セツナの右足が湖面に触れた。水龍湖は巨大な湖だ。湖の真ん中に着水したワイバーンから吹き飛ばされたということは、湖岸に投げ出されるなどという都合のいいことは起きようがない。仕方なしに黒き矛の切っ先で左太腿を割く。痛みとともに血が見えた。赤い液体の中に浮かぶ光景が転移先を示す。空間が歪んだ。転移が起きる。

 気が付くと、ワイバーンの姿を遠方に捉える位置にいた。わずかな落下。衝撃。これで両足を切り裂いたことになる。痛みは無視出来るとはいえ、やり過ぎるとまともに戦うことすらできなくなるのではないかという不安はある。それもあって、あまり自傷による転移には頼りたくはなかった。此度の二回とも使う以外に選択肢はなかったが。

 ワイバーンが、長い首をもたげてこちらを睨んできていた。緑柱玉のように美しく輝く鱗に覆われた飛龍。こちらを睨む双眸もまた、宝石のようだった。この世のものとは思えないような姿形は、まるで神話の中から抜け出してきたかのような印象を与える。

 ドラゴン。

 あるいは、ワイバーン。

 ある種の興奮を禁じ得ないのは、そういったものへの憧れがあるからだろう。子供の頃から慣れ親しんだ存在でもある。漫画で、アニメで、ゲームで――ドラゴンは様々な媒体で凶悪な存在として描かれた。そして、セツナの実感としても、ドラゴンは凶悪極まりない存在だった。

 ザルワーン戦争の末期に出現した守護龍は、黒き矛と白き盾が力を合わせてやっと倒せるようなものであり、ドラゴンの凶悪さを身に沁みて理解したものだった。

 湖上のワイバーンは、ザルワーンの守護龍に比べれば百分の一ほどではあるが、それでも十分な巨躯を誇る。その巨躯が湖中に沈まないのは、なんらかの方法で揚力を得ているからにほかならない。飛膜の再生に利用した水飛沫は、そのまま、飛龍の周囲を漂い、水の鎧となっていた。

 セツナは、その場に立つと、黒き矛を掲げた。禍々しいばかりの穂先をワイバーンに向ける。いつまでも睨み合っている場合ではない。意識を集中し、力を解き放つ。漆黒の穂先が純白に膨張したかのような錯覚。柄を握る手から吸い上げたセツナの精神力を光に変換し、破壊力を持った光線として撃ち出すのが黒き矛の光線発射能力であり、いままさに光の奔流がセツナの視界を白く塗り潰した。光は、大気を破壊しながら突き進み、ワイバーンに殺到する。だが、ワイバーンの鱗に直撃することすらなかった。水の鎧が矛の光線を防ぎ、拡散させたのだ。

 光芒が乱反射し、湖面に突き刺さって無数の水柱を生み出す。幻想的な光景だったが、見とれている場合でもない。水柱は崩れ落ちる途中で無数の水飛沫となり、ワイバーンの元へ引き寄せられていった。水の鎧がより分厚くなったのだ。

「遠距離攻撃はだめよ、ってか」

 セツナは、黒き矛を構え直すと、口の端に笑みを浮かべた。

 久々に戦闘を楽しめそうな相手だった。

 そのとき、天地を引き裂くような轟音とともに雷光の帯が降り注ぎ、ワイバーンを水の鎧ごと包み込んだ。

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