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第八百五十二話 五月五日・シーラの場合(二)

「隊長、あれ!」

「ん?」

 不意に空を指差したのは、ミーシャだった。シーラの元侍女団でもっとも活発な彼女は、常に周囲が驚くほどの活力を発散しており、そのときもまた、皆を驚かせるほどの大声を上げた。アンナがミーシャの大声にわざとらしく両耳を塞ぐ傍らで、リザやクロナが空を仰ぐ、

「なんだと想います!?」

 シーラも空を見上げた。相変わらずの青空が視界を埋め尽くすだけかと思いきや、シーラたちが走ってきた方向から、なにかが飛来してくるのが見えた。遥か上空を飛翔する物体。いや、物体といっていいのか、どうか。

「なんだ……あれ」

 黒い雲の塊のように見えた。しかし、だとすれば奇妙なことだといわざるをえない。空は晴れ渡っているのだ。雲ひとつない快晴の空。雨雲にせよ雷雲にせよ、そんなものが発生する予兆さえ見当たらなかった。そして、一塊だけの黒雲が空を泳ぐことなどありうるのだろうか。

 胸騒ぎがした。

「わたしはこの世を恐怖で覆い尽くす魔王かなにかだと思うんですけど!」

「なんであんたの発想はそう飛び抜けてるのよ」

 アンナが肩を落とす一方で、レムが真剣な顔で告げる。

「いえ、案外間違いではないかもしれません」

「はい?」

「ほら!」

「なにがほらなのよ、なにが」

「ふふん! なんとでもいうがいい! 今回は、わたしの勝ちぃ!」

「負けた気がしないわよ」

 ミーシャとアンナのいつものやり取りを聞き流しながら、シーラはレムに視線を向けた。レムは、至って真面目な表情で上空の物体を見つめている。まるで焦がれるかのようなまなざしは、彼女らしいものとは言いがたい。

「で、魔王が間違いじゃないってのはどういう意味だ?」

「御主人様が、あの中にいるようなのです」

「は? セツナが?」

 予想だにしない回答に、シーラは間の抜けた声を発した。そして、同時に納得する。そこに本当にセツナがいるというのなら、レムが恋する乙女のような目をするのもわからなくはない。

「はい。いまの御主人様は魔王と呼ぶに相応しいお方でございますので」

「そういう意味かよ」

「もちろんでございます」

 レムは当然のようにいってくるが、シーラにはなにがもちろんなのかはわからない。

「いや、駄目だろ、それ」

「駄目、でございますか」

「残念がるなよ」

「しかし……魔王セツナというのも悪くはないかと」

「良くもねえよ」

「そんな……」

 なにやら愕然とするレムは放置することにして、シーラは、黒い雲を見上げたまま、右手を後ろに伸ばした。告げる。

「ウェリス」

「はい!」

 手のうちに生じる重量は、疑いようもなくハートオブビーストの重みだった。一瞥すると、布袋に包まれた長柄の武器が彼女の右手の中にあった。ウェリスは、いつなにがあってもいいようにと、シーラの召喚武装を持ち歩いてくれていたのだ。とはいえ、長柄の斧槍だ。いくら布袋に包んでいるからといっても、その長大さは隠しきれるものではない。都市警備隊に見咎められた場合、どうやって切り抜けたのだろうと気になったが、いまはそんなことを聞いている場合ではなかった。

 布袋の中からハートオブビーストを取り出す。シーラの身の丈を優に超える長さの斧槍は、直接手に触れた瞬間、彼女の五感を猛烈に刺激した。視覚、聴覚、嗅覚――あらゆる感覚が肥大し、鋭敏化する。身体機能そのものが底上げされ、視野の拡大が黒い雲の輪郭を明らかにする。

 なにかが黒い霧のようなものを纏って飛翔しているらしいということまでわかる。黒い霧は完全な暗黒ではなく、時折、霧の中で透けて見えた。それにより、緑色に輝く飛膜が確認できたのだ。巨大な飛膜は、ずたずたに切り裂かれていた。それでも落下しないところを見ると、羽ばたくことで空を飛んでいるわけではないのだろう。おそらく、黒い霧がそれの飛翼なのだ。

 そして、飛膜を切り刻んでいるのは、レムのいう魔王に相応しい人物に違いない。黒い霧に中、漆黒の矛が旋回しているのが見えた。

「レム、おまえにも見えるんだな?」

「はい。もちろんでございます」

「じゃあ、やることはひとつだ。セツナを援護する」

「ですが、どうやってあの高度まで行くのでございます?」

 レムが疑問を浮かべるのは当然のことだった。黒い霧は、水龍塔の頂点よりも遥か上空を飛行している。水龍塔をよじ登ることができたとしても、そこから跳躍してたどり着けるはずもない。そもそも、よじ登っている間に水龍塔の上空を通過するのが落ちだ。どうあがいても、シーラたちでは辿りつけない。が、なにも飛びかかる必要はないのだ。

「セツナが叩き落とすさ」

「ここに、でございますか?」

「いや、さすがにここじゃあねえだろ……」

 水龍塔は、落下地点の目安にはちょうど良さそうだったが、龍府の領伯たるものが観光名所をみずから破壊することなどありえない。セツナは龍府の景観を護ると断言したことで龍府住人の心を掴み取ってもいた。そんな状況にあって、みずからの領伯生命を窮地に追い込むようなことはしないだろう。問題は、景観が損なわれることだけではない。水龍塔には、観光客や住人が多数集まっているのだ。そんな場所にあんな物体が落ちてくれば、どれほどの犠牲者がでるのかわかったものではない。

 セツナが黒い霧の中で大立ち回りを演じながらも致命的な一撃を加えたりしていないのは、落下によって龍府そのものや龍府住人に被害が出ることを恐れているからに違いなかった。かといって、なにもしなければ、それの攻撃が地上に向くかもしれない。だから彼は黒い霧の中で格闘しているのではないか。

 シーラの予測は、おおよそ間違いではあるまい。

「龍府の外れか、龍府の外か」

「だとすれば、龍府の外でございましょうね」

「だろうな」

 シーラは、レムの提案にうなずくと、ウェリスに目線を送ったのち、東に向かって駈け出した。ウェリスは、なにもいわずとも、自分の役割を演じてくれるはずだ。戦闘要員ではない彼女には、伝令を務めてもらう以外にはないのだ。

 一方、シーラとともに移動を開始したクロナたちは、生粋の戦士だ。シーラの元侍女というのは、ただの肩書でしかない。もちろん、王宮で生活するためには必要最低限以上の礼儀作法は叩きこまれ、クロナでさえ、王宮主催の晩餐会に出してもなんら問題がないほどに洗練されている、ミーシャやアンナなど、貴族の子女にも引けを取らなかった。

 しかし、彼女たち本質は、戦闘にこそあるといっていい。

 アバードのための戦いこそが生きがいになったシーラの侍女を務めるには、並大抵の戦士では不可能だったということだ。

 その彼女たちは、レムと同じような格好をしており、武器を携えていないように見えて、実は短剣や短刀の類を隠し持っていたようだった。いつなにがあってもいいように備えておくのは、シーラの元侍女である彼女たちにしてみれば当然のことなのだ。

「たぎるねえ」

「久々に燃えてきた!」

「これよ、これ」

「まあ、なんでもいいんですけど……」

 四者四様の反応に、シーラは笑みをこぼした。皆、戦いに飢えている。クルセルク戦争ゼノキス要塞の戦い以来、戦いらしい戦いもないまま、日数を過ごしてきた。タウラルを脱出してからというもの、日常的な訓練もまともに行えない日々が続いた。訓練を再開できたのも、龍府に辿り着いてからのことだ。鈍りに鈍った体を一から鍛え直すつもりでの訓練は、楽しくはあったが、身が入らないのも事実だった。

 そんな日々にやっと終止符が打てるのかもしれない。

 ようやく、自分たちらしく振る舞えるのかもしれない。

 シーラは、強敵に違いない敵を目前に控えた部下たちの反応に、我知らずわくわくした。

 龍府の東門は、もうすぐそこだった。

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