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第八百四十九話 五月五日・セツナの場合(六)

(取引……)

 セツナがアズマリアと取引を交わしたのは、クルセルク戦争真っ只中のことだった。

 クオール=イーゼンという犠牲を払って巨鬼を倒したと思ったのも束の間、巨鬼の中から神が出現し、神の創りだした空間に囚われて数日が経過した。神から差し伸べられた手を払い除け、ようやくセツナが現実に回帰したときには、戦いは決戦に向かって動いていた。

 セツナはリネンダールの跡地から、歩いて決戦の地に向かわなければならなかった。向かうだけならばともかく、徒歩では、辿り着いた時には戦いは終わっているに違いない。セツナがいようがいまいが、連合軍が勝つことは疑っていなかった。ナーレスとレオンガンドなら、どのような犠牲を払ってでも勝利を掴もうとするはずだ。

 しかし、決戦の場に自分がいないことは我慢ならなかった。ザルワーン戦争でも、最終決戦である征竜野の戦いにも参加できなかったのだ。クルセルク戦争の決戦にさえ参加できないなど、ガンディアの黒き矛にあるべきことではない。

 とはいえ、ただ歩くしかないセツナには、到底埋められる距離ではなかった。黒き矛の空間転移能力を用いることができれば、あっという間に仲間の元に到達することができるだろう。しかし、そのためには大量の血を必要とした。自分の血だけで転移しようとすれば、辿り着いたときには干からびてしまっているかもしれなかった。

 そんなとき、魔人は現れた。

 そして、セツナにとって望むべくもない取引を持ちかけてきたのだ。それは、セツナを目的地までゲートオブヴァーミリオンで移送する代価として、アズマリアの要求をひとつ飲むというものだった。アズマリアは要求を明言しなかったが、仲間を傷つけるようなものではないだろうな? というセツナの質問には、そういうものではないとだけ答えた。

 セツナは、彼女と取引をするしかなかった。ほかに選択肢などはない。周囲に皇魔や動物の群れでもいるならまだしも、そんなものが都合よく見つかるはずもなく、都合よく出現した――まず間違いなく出現の機会を伺っていたのであろう――アズマリアの提案を受け入れるしかなかったのだ。でなければ、セツナは仲間や味方の犠牲を減らすという大目的が達成できなくなる。

 アズマリアはセツナの選択を褒め称え、その上でゲートオブヴァーミリオンを召喚した。門の先に広がる光景の中にガンディア軍の陣列を発見したことで、セツナは門の中に飛び込む決意をした。もし、門がどこに通じているのかわからないようなのであれば、取引を取りやめることも視野に入れていたのだが、その心配は不要だったようだ。約束は破らない――アズマリアの言葉は、ガンディア軍と合流できたことで確かなものとして記憶に刻まれた。

 つぎは、セツナが彼女との約束を果たす番だった。

「あんたは、この俺になにを望む?」

「なに、あの程度の距離を移動するだけで、おまえの人生を変えるほどのものは求めないさ。ただ、いまのおまえがどの程度強くなったのか、見極めておく必要がある」

 アズマリアが背後に向かって長くしなやかな腕を翳すと、背後の風景がねじ曲がり、虚空に染み出すかのようになにかが出現する。鳥居にも似た巨大な門は、セツナが潜り抜けた門とはまったく形も大きさも異なる代物だった。

 ゲートオブヴァーミリオンのひとつの形だ。おそらく異世界に繋がっているのだろう。ゲートオブヴァーミリオンには無数の形があった。異世界の数と同じだけの門がある、とはアズマリアの弁だが。

「ひとついっておくが、取引を交わしたあのときよりは強くなっているからな」

「ほう。それは楽しみだ」

 アズマリアが本当に嬉しそうに笑った。その笑みが男女を魅了する力を持っていることを知っているから、セツナは警戒し、彼女の表情の変化を見ないようにするのだが、ほとんど意味をなさない。普段の慣れもあって、目を見て喋ろうとしてしまいがちだった。その金色の瞳そのものに不思議なほどの魅力があるのだから、困ったものだ。魅入られそうになる。

 アズマリアには、こちらの心の動きが手に取るようにわかるのか、彼女はほくそ笑むと、門扉に手を触れた。鳥居のような門の扉が、音もなく開く。

「おめでとう、セツナ」

 アズマリアがこちらを見たまま、告げてくる。開かれた門扉の向こうに広がるのは、無窮の闇だ。目を凝らしても、闇の中になにかを見出すことはできなかった。異世界の風景は見えないということなのか、それとも、闇の世界に繋がったということなのか。いずれにせよ、セツナは、いつ攻撃されてもいいように緊張を高めた。

「今日五月五日はおまえの誕生日なのだろう? これは、おまえの生誕を祝う贈り物でもある」

「へえ、魔人も案外気が利くじゃないか」

「無論、わたしの愛しいセツナのためだよ」

「やめろ、気持ち悪い」

「心外だな。では、こうすればいいのかしら?」

 言葉の途中で、魔人の姿形が変容した。身に纏う装束はそのままに、紅い髪が青みがかった髪に変わり、容貌も絶世の美女から歳相応に美しい女性へと変化する。アズマリア=アルテマックスから、ミリア=アスラリアへ。変化は一瞬だ。一瞬で、アズマリアの影も形もなくなってしまった。拘束衣のような装束と闇の翼の如き外套だけが、魔人の空気を残している。

「わたしの可愛いセツナちゃん」

 ミリアの笑顔がむしろ棘のように突き刺さる。ファリアの慟哭、ファリアの絶叫、ファリアの絶望が、セツナの頭の中を席巻した。激しい怒りを感じるのだが、セツナにはどうすることもできない。ミリアに怒りをぶるけるわけにもいかない。悪いのはミリアではないのだ。彼女の肉体に巣食う魔人の魂だ。

「やめろっていってんだろ」

「そう邪険にするものでもあるまい。おまえの好きな女の母親だぞ?」

 ミリアからアズマリアに変身しながら、彼女はいってきた。

「だからだろ」

「ふふふ。やはりおまえはわたしの思った通りの男だ。だからこそ、愛おしい」

「くそ……なんなんだよ、あんたは」

「気になるか?」

「気にならないといえば嘘になるがな」

 だからといって、アズマリアのすべてを知りたいと思っているわけではない。気にはなるが、探ろうとは思わない。ただそれだけのことだ。それだけのことだが、アズマリアには効果があったらしい。彼女は、嬉しそうに微笑むと、門の中の闇に手を翳した。闇に反応があった。彼女の召喚に応じて、なにかが出現しようとしている。

「ならば、まずはわたしの贈り物をなんとかしてみることだ。なんとかしなければ、せっかく自分のものになったこの街を失うことになるぞ」

「てめえ!」

「おまえの仲間は傷つけるつもりはないさ。結果として龍府が滅びたとすれば、それはおまえの弱さが原因だ」

 アズマリアは嘲笑うと、闇の前から自分の手を退かせた。闇がこちらに向かって噴出してきたかと思うと、路地裏の狭い空間が、黒い霧で埋め尽くされていく。奇妙な咆哮が轟き、大気が震えた時には、セツナは後ろに飛び退いている。闇の中、熱を感じた。敵がなにかをしたようだった。攻撃。まず間違いなくセツナを狙った攻撃だ。

「ちっ、武装召喚!」

 セツナは、アズマリアを信じた己の愚かさを呪いながら、右腕を頭上に掲げた。爆発的な光が、一時に闇を吹き払い、門の向こうから出現したものをセツナの視界に映し出す。門の大きさに匹敵するほどの巨体が確認できた。光沢を帯びた緑色の鱗状の外皮に覆われた巨躯。長い首と、一対の翼、それに長い尾が、その怪物の特徴だった。

 カオスブリンガーが具現し、セツナの手の内に収まる。柄を握った瞬間に感じる冷ややかさが、セツナの五感を一瞬にして膨張させた。全能力の拡張は、召喚武装の副作用にすぎない。過ぎないのだが、その副作用こそ、武装召喚師が常人よりも遥かに強いという現実に繋がった。身体機能はいうに及ばず、五感も大きく引き上げてくれるのだ。たとえ召喚武装の能力を用いずとも、それだけのことで武装召喚師は有利に戦えた。

 五感が拡張されるということは、通常よりも遥かに広い視野を得るということだ。視覚だけではない。嗅覚や聴覚も駆使することにより、広大な範囲の動体を感知することができた。さらに感覚の精度を上げることができれば、敵味方を色分けすることさえ不可能ではない。

 黒き矛ならば、それができる。

 アズマリアの召喚した怪物が黒い霧の中を動くだけで、周囲の建物が音を立てて倒壊する。このままでは、護るべき古都の景観さえも破壊され尽くしてしまうのではないか。危機感とともに、セツナは黒き矛を構えた。そして、怪物の全容を認識する。

 黒い霧を纏う怪物の正体。それは、緑色に輝く鱗に覆われたドラゴンといってよかった。突き出た顎に宝石のような目、側頭部から後方に向かって伸びる角があり、太く長い首は強靭な胴体に繋がっている。腕はなく、代わりに一対の飛膜がある。そして鋭い爪を備えた一対の足と長い尾が、全長四メートルほどの巨躯から伸びている。

 飛龍だった。

「ドラゴンかよ!」

 セツナが叫ぶと、アズマリアの笑い声が闇の中に響き渡った。

「龍府の真の支配者を決定するに相応しい相手だろ?」

「冗談じゃねえ!」

 セツナの叫び声に呼応するかのように、飛龍の目がこちらを見た。口を開く。つぎの瞬間には、熱線が、セツナの立っていた地面を貫いていた。最初に感じた熱の正体を把握して、彼は冷や汗をかいた。飛び退かなければ、熱線に焼かれていたのは間違いない。

「ちなみに、彼はヴァシュタリア産のワイバーンだ。チョビと名づけておいた。手懐けるのには苦労したがな」

 アズマリアはいったが、つぎの瞬間、ワイバーンの熱線が魔人の立っていた場所を焼き払った。アズマリアは当然のように避けていたが。

「手懐けていねえじゃねえか!」

「戯れているんだろう」

「一生戯れてろ!」

 セツナは叫び、ワイバーンに向かって飛びかかろうとしたが、ワイバーンの熱線攻撃による牽制で動くに動けなかった。ワイバーンが翼を広げた。闇が、ワイバーンの巨躯を包み込む。セツナはカオスブリンガーを掲げると、意識を集中した。

 禍々しい矛の黒い穂先が純白に燃え上がったかのように見えた次の瞬間、光が爆発した。いや、爆発的な光が拡散し、ワイバーンの纏う闇の中へ収束する。カオスブリンガーの能力のひとつ、光線発射能力だ。

 セツナがいままでに発射したこともない威力の光は、しかし、ワイバーンに到達することはなかった。闇が壁となって立ち塞がり、光を遮断したのだ。

 飛龍の咆哮が龍府に轟く。

 闇の塊が、天に昇った。

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