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第八十四話 獅子、動く

 レオンガンドは行軍の最中にあった。

 ガンディア王国が誇る精兵二千と、傭兵集団《蒼き風》百名足らずという少数でログナー国境を目指している。いや。目的地はそのさらに先である。ログナーの王都マイラムへと一気呵成に攻め寄せようというのだが、距離を考えれば二、三日はかかるだろう。それまでに敵軍に発見され、迎え撃たれるのは間違いないのだが、ログナーの内情が内情だ。迎撃も碌にできまい。

 情報が入ったのだ。

 ラクサスたちによって救出されたヒース=レルガからもたらされたのは、いまからログナーを攻撃しようというガンディア側にとっては吉報というべきものだった。

 アスタル=ラナディースの謀反による混乱と、アーレス王子擁するザルワーン軍の介入。

 ログナー国内の混乱こそ将軍の名声により微々たるもので収まっているらしいが、それも表面的なものに過ぎないだろう。ガンディアの軍勢が国境を突破したという情報が駆け巡れば、どうなるものか。

 そして、ザルワーンの介入は、ログナーの主力をそちらに向けざるを得ない状況を作り出している。ザルワーンの兵力は三千程度ということらしいが、だからといってログナーが兵力を割いてこちらに回す余裕等はないだろう。ログナーが先の戦いで失った兵力はあまりに多く、しかも相手は猛将グレイ=バルゼルグだというのだ。いくら飛翔将軍といえど、迂闊な真似は出来まい。

 レオンガンドは、膠着状態がしばらく続くというラクサスの予測は正しいと見ていた。その間にログナー国内を突き進み、セツナたちと合流するのだ。彼は戦力の筆頭である。主力の一端を担っているといってもいい。いや、彼という存在がなければ、このように大胆な戦術――ともいえないようなもの――を実行したりはしなかっただろう。

 風が吹いている。

 それも、レオンガンドにとって都合の良い方へ良い方へと向かって吹いているようだった。

 この風に乗って、進むのだ。

 もちろん、準備を怠ってなどいない。レオンガンド率いる約二一〇〇名は先遣隊であり、デイオン=ホークロウ将軍が三千名を越す本隊を率いてくる予定なのだ。合流地点はログナー領土内であり、本隊との合流まではこの二千百名で戦わなければならない。

 が、合流地点までは大きな戦闘は起きないだろうというのが大方の予想であった。《蒼き風》の副長ジン=クレールも同意見であり、傭兵たちから不満の声が上がるようなこともなかった。

 全速前進。

 風を切るように突き進む。無論、騎馬と徒歩の歩調を合わせなければならないため、文字通り全速力で進軍できるはずもなかったが。

 レオンガンドたち先遣隊がバルサー要塞を進発したのが一五日の午前中のことだ。そのときにはまだヒース=レルガが救出されたという報告もなく、ログナーの内情もわかっていなかった。だが、それでも彼は軍を纏め上げ、進発させることにしたのだ。

 ログナーが国境の守りを必要以上に固めているのは、以前から分かっていたのだ。それはガンディアの侵攻に対抗するためにしては凶悪なまでに厳重であり、ログナー側がなんらかの情報が流出するのを恐れているのではないかという憶測がガンディア陣営に流れていた。

 ログナーの内部で何かが起きたのではないか。付け入る隙が生まれたのではないか。長年に渡って目の上のたんこぶであったログナーを出し抜く時が訪れたのではないのか。

 それは、数年に渡る内部工作がようやく実を結んだのかもしれないという実感でもあった。

 一五日の早朝、親衛隊とともにバルサー要塞に辿り着いたレオンガンドは、早急に部隊を整え、二一〇〇名からなる先遣隊を組織させた。先頭を行くのは無論、ガンディアの精兵たちであったが、その練度たるやログナー軍に遠く及ばないのは周知の事実であり、主力となるのはその後方を行く傭兵たちだった。“剣鬼”ルクス=ヴェインを筆頭に一癖も二癖もある傭兵たちの実力は折り紙つきであり、遠めに見ているだけでも頼もしかった。

 傭兵団長シグルド=フォリアーは、突然のログナー侵攻に対して大袈裟なほど驚いていたものの、本気で吃驚したわけではなかったのだろう。配下の傭兵たちを手早く手配し、驚くほどの早さで部隊を組織してみせた。さすがは数多の戦場を放浪してきただけのことはある。無理難題にも嫌な顔ひとつせず二つ返事で応えて見せるのは、さすがというべきだろう。

 その傭兵集団の後に続くのは、当然ガンディアの精兵たちである。中でもバルサー要塞に駐留していた兵士たちが中心となっており、彼らは、マルダールやガンディオンから集まった兵士たちに比べて、どこか気合が入っているように見えた。意気軒昂というべきか。最前線たるバルサー要塞に駐留していたことが原因なのだろうか。

 そして、レオンガンドは先遣隊の中核を成す親衛隊とともに行軍していた。ほかの兵士たちに比べて一層きらびやかな甲冑を身に纏う親衛隊士たちは、やはり、他の兵士たちに比べれば一段も二段も飛び抜けた実力者の集まりではある。しかしそれでも、ログナーの兵士たちと渡り合えるかどうか、といったところなのだ。

 ガンディアの兵士は弱いというのが通説である。ログナーやベレルといった周辺諸国の兵士たちに比べると、数談劣ると言われている。それは事実だったし、否定するつもりもない。しかし、ただ弱兵が、周辺諸国の魔の手からガンディアの国土を守り続けることなどできるだろうか。

 ガンディアの兵士たちは、守りに入ると滅法強いというのもまた、ガンディア軍の実情を示す評価の一つだった。バルサー要塞が陥落したのは、《白き盾》のクオン=カミヤがログナー側に組みしたからに過ぎない。もっとも、要塞が落とされてから奪還するまでに半年もの期間を要したのは、攻めに転ずれば、途端に弱兵に早変わりするからにほかならないのだが。

 では、今回はどうなるのか。

「神のみぞ知る、というところかな」

「それはあまりに無責任な発言でございますな」

 レオンガンドのつぶやきが聞こえたのだろう――叱責するようにいってきたのは、アルガザード=バルガザールだった。前を行く老将軍の白髪が、陽光を跳ね返して眩しいくらいだ。兜を身につけていないのは、未だ国境を越えていないからというのもあるだろうが、白翁将軍の象徴たる白髪を誇示することで、兵士たちの心に揺れる不安を少しでも取り除こうという配慮もあるのかもしれない。

「わたしは打てる限りの手は打ったつもりだよ」

 長らく敵国であったアザークと休戦協定を結んだのも、すべては戦力を一点へと集中させるためだ。かつて、父シウスクラウドがそうしたように、だ。北への進出はガンディアの悲願といってもよかった。シウスクラウドはその道半ばで病に倒れ、夢の果てを見ぬままに没した。父の最期を看取ったレオンガンドにとっては、どうしても叶えなければならない目標の一つが、北への進出であった。

 そしてそれは、ガンディア王国の存続という彼の目的にも繋がっているのだ。

 南の守りも万全である、ミオン、ルシオンという同盟国が大いなる防壁となって、南方からの脅威に対して立ちはだかってくれている。北東のベレルへは使いを出した。同盟の打診である。ベレルは《白き盾》を雇っているということもあり、敵に回したくはない相手だった。たとえ同盟に応じずとも、数日の時間稼ぎくらいはできるだろう。彼の真意はそこにある。

 ログナーとの戦争中、ベレルからの横槍を入れられることだけが恐ろしいのだ。

 ベレルは、兵力的にはガンディアと同等か、それ以下といってもいいくらいだ。兵士の錬度こそ天と地ほどの差があったとしても、兵力差では負けまい。しかし、ベレルには《白き盾》がついている。難攻不落の要塞を陥落させるに一役買ったあのクオン=カミヤがいるのだ。ここはなんとしても、ベレル国内に引き篭っていてもらわねばなるまい。

「戦は勝つ見込みがなければ起こすものではない――父上からそう教わった通りさ。わたしとて、勝敗のわからない戦を起こすつもりもなければ、負け戦をするつもりもない。勝つべくして勝つ……それだけのことだ」

 しかし、兵士の働き振り如何では、積み上げた勝利への架け橋が崩れ落ちないということもないのだ。そうなればもはやどうすることもできないだろう。兵士の活躍を信じるしかなく、つまるところそれは、一種の賭けであった。

 弱兵が強兵を打ち破れるのか、どうか。

 風は吹いている。風に乗り、戦争を仕掛けようとしている。

 バルサー要塞を奪い、国土を侵害したことへの報復という大義もある。兵士諸君もそのことはわかっているだろう。愛国心の強い人間ならば、義憤に燃え滾っているはずだ。それにログナーを併呑することで国力を高めようというのは、先王時代からの既定路線でもある。動揺は少ないはずだ。実際、要塞出発当初から隊列は乱れておらず、私語も極めて少なかった。粛々淡々とした足取りで、ログナー国境を目指している。賑やかなのは傭兵集団くらいのものだ。

「今回ばかりは勝たなければなりません。なんとしてでも」

 アルガザードの言葉が、レオンガンドの心に重く響く。今回の戦争は、先の戦いとは意味が違うのだ。

 此度の戦いは、ガンディアの将来のみならず、レオンガンドの王としての資質が試されていると言っても過言ではなかった。これに失敗すれば、彼の王位継承に不服を抱く連中が、水を得た魚のように騒ぎ出すに違いないのだ。レオンガンドからすれば雑魚のような存在ではあるのだが、それらが一斉に動き出せば、ガンディア王家に亀裂が入らないとも限らない。

 ガンディアは、一枚岩ではないのだ。

 絶対的な統率力と指導力を誇った先王時代は、それこそ蟻の入り込む隙間さえ見当たらないくらい強固な結束を見せていたものの、先王シウスクラウドが病床に伏し、王位継承問題が取り沙汰されるようになってからはそれも破綻してしまった。有力貴族がいくつかの派閥にわかれ、暗闘を始めたのだ。

 レオンガンド派、リノンクレア派、そして王妃グレイシア派である。

 リノンクレア派は、彼女がルシオンの王子ハルベルクの元に嫁いだ事で担ぐ神輿がなくなったものの、だからといってレオンガンド派に鞍替えする連中はそう多くはなかった。元王女派の大多数が王妃派に合流し、王子派以上の勢力となったのには笑うしかなかったが。

 結果的にレオンガンドが王位を継ぎ、ガンディアの実権こそ握ったものの、王妃派の存在を軽視できるほど、彼の立場は磐石ではなかった。

 わずかな失策が立場を危うくする。かといって、慎重に事を運びすぎると、ガンディア拡大の好機を逃しかねない。

 慎重かつ大胆に。

 謀略こそ緻密かつ慎重にやらなければならないが、打って出るときは不敵なくらい大胆に行かなければならないのだ。正義を振りかざし、勢いに乗って攻め込めば、自然、兵士たちの弱気も吹き飛ぶのではないか。

 多少の楽観が、彼の意識を軽くした。

 もっとも、本隊と合流するまでに潰乱しなければよいのだ。その点、気楽なものではある。本隊こそが重要だ。本隊には、今までのガンディアにはなかった破壊力が期待できた。

 そして、ログナーではセツナとランカインが待っている。彼らこそが最大の戦力であることは言うまでもなく、彼らを諜報員の救出に向かわせたのも戦術上重要な役割を担ってもらうためでもあった。もし、彼らがヒース=レルガを救出できなかったとしても、ラクサス=バルガザールがついている。ガンディアとログナーの戦闘が始まれば、自分たちの役割を導き出したに違いない。

 ラクサスは、“白翁”アルガザード=バルガザールの長男である。物心つく前から、ガンディアの将来を背負う人材となるべく育て上げられてきたのだ。彼に任せておけば間違いはあるまい。それに、その程度の状況にも対応できないようでは、将来、ガンディア軍を任せることもできまい。

 もっとも、彼の能力を試すのは次の機会に持ち越されたが。

 ヒース=レルガがランカインらの手によって救出されたのだ。それにより、レオンガンド側と情報の共有が可能となった。

 こちらには、キース=レルガが随行している。

 ヒースとキースは双子であり、先王の忌まわしき遺産とでもいうべき存在であった。

 英雄も所詮、人間である。死の影に心を蝕まれれば、闇の誘惑に身を委ね、堕落していくものだ。先王シウスクラウドは、病床にあって、あらゆる手段を講じた。死に至る病を払いのけ、栄光に満ちた王道へと返り咲くために。みずからの蘇生によって、ガンディアを強国へと生まれ変わらせるために――。

 レオンガンドたちが気づき、先王の狂気を止めるために手を打たなければ、ガンディアは冥府魔道へと堕ちていたかもしれない。正気を取り戻したシウスクラウドに英雄の面影が在ったということだけが、救いだった。

 おかげで、このような状況を作り出せている。

 ログナーを落とすにまたとない好機が訪れた。


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