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第八百四十八話 五月五日・セツナの場合(五)

 人目を振り切るように疾走する。

 天龍塔公園からひたすら遠く離れ、入り組んだ路地のさらに迷路のような道をひたすらに走っていく。殺意に満ちた視線は、セツナを追走し続けていた。

(やはり、俺だけを狙っているな)

 黒獣隊を離れさせたのは、殺意の目的が自分だけなのか、それとも黒獣隊の面々も含まれているのかを確かめるためでもあった。黒獣隊の面々までも殺意の標的であれば、どちらを追うかで多少の逡巡があるはずだ。優先順位があったとしても、目標が二手に別れれば迷いが生じるのは道理。

(つまり、殺意は俺だけを狙っている)

 故に、黒獣隊の面々と別れたのは、正解だったということだ。

 黒き矛の戦いに彼女たちを巻き込まなくてすむ。

(クレイグとの戦い以来か)

 セツナは、人っ子一人いない路地裏を駆け抜けながら、自分の右手を見下ろした。クルセルク戦争が終結してからというもの、黒き矛を召喚したことがなかった。ただの一度もだ。

 戦後、レムの再蘇生に際し、膨大な量の精神力が費やされたことが発覚した。人一人を蘇生し、魂を繋ぎ止めるには、あの暗黒空間に満ちたマスクオブディスペアの力だけでは足りなかったのだ。セツナの精神力も吸い尽くされるほどに消耗した。そのため、しばらくは召喚する気さえ起きなかったし、精神力が回復してからも、召喚を試みようとも想わなかった。

 つまり、黒き矛が、マスクオブディスペアを吸収したことでどのように変化したのか、セツナはまだ知らないのだ。なにも変化などしていないのかもしれない。ただ、力が強くなっただけなのかもしれない。破壊力が向上しただけなのかもしれない。

(だとしても、十分過ぎる!)

 セツナは胸中で告げて、足を止めた。路地が迷路のように入り組んでいるのは、どの都市も似たようなものといってしまえば似たようなものなのだが、龍府のそれは、ほかの都市よりも明らかに格が違った。迷路というよりは迷宮であり、一度道を間違えると、目的地に辿り着くまでにとんでもなく時間がかかるのではないかと心配になるほどだった。

 人気のない路地裏の小さな空間。壁と壁の間に挟まれたわずかな間隙。しかし、人目につかない場所ともなれば、このような狭い空間しか選びようがない。龍府に精通していれば、もっと相応しい場所を選べたのだろうが。

「わざわざふたりきりになるために移動してくれるとはな」

「やはりあんたか」

 頭上から降ってきた艶めかしい声は、聞き慣れたといってもいいものだった。仰ぐと、一般家屋の屋根の上にひとりの女を発見する。燃え盛る炎のように紅く長い髪が風に煽られて逆巻いているようだった。異彩を放つ金色の目も、相変わらず凄まじいまでの色気を帯びている。肉感的な肢体を強調する装束は、拘束衣に近い。漆黒の外套もまた、風に揺れていた。

 アズマリア=アルテマックス。

 彼女は、なにやら嬉しそうな顔をしてきた。

「わかっていたのか。さすがはわたしのセツナだ」

「いつからあんたのものになったんだよ」

 セツナは、アズマリアの思考が読めず、牽制するように聞き返した。距離は遠い。が、魔人に意気を飲まれまいとするには、気構えが大事だった。

「最初からだ。最初から、おまえはわたしのものだよ、セツナ」

 紅き魔人は、セツナさえもはっとするような色気を帯びた笑みを浮かべると、屋根の上から飛び降りてきた。黒い外套が悪魔の翼のように翻り、紅蓮の髪が劫火のように彼女を彩る。まさに魔人と呼ぶに相応しい登場の仕方だった。

 地上一階の家屋。屋上から地面まで数メートルの高さだ。とはいえ、常人ならば怪我をしてもおかしくはない高度ではある。もちろん、武装召喚師の始祖にして元祖竜殺したる彼女には、まったく問題にならない高さなのは疑いようもない。

 アズマリアが着地し、黒い翼と紅い炎が魔人の体に絡みつく。紅き魔人の二つ名は、彼女のそんな有様からつけられたものに違いない。

「あんたのものになった覚えはねえよ」

「なら、いますぐわたしのものにしてしまっても構わないが」

「どうやって?」

「おまえのような子供を虜にするのは、難しいことではないよ」

「はっ」

 セツナは、後ろに飛ぶと、半身になって拳を構えた。体術を得意とするわけではない以上、拳を構えることに意味はないが、意識することに意義はある。無意識の反射に期待するよりも、意識的に、体が反応できる状態に移行させておくことは大事だとルクスから学んだ。反射神経が鈍いわけではないにせよ、そんなものだけに期待していれば、いずれ痛い目に遭うということだ。

 アズマリアがこちらの反応を面白がるのが気に食わなかった。

「そう恐れるものではないさ。なに、痛いことはしないよ。とても気持ちのいいことさ」

「あんた、自分が信用に値される人物だと思ってるわけないよな?」

「心外だな。わたしはわたしのことを一番良くわかっているつもりだよ。世間のわたしに対する評価も、知ってはいるさ。気にしていないだけでね」

「気にしろよ」

 セツナが睨むと、アズマリアは不思議そうな顔をした。完璧な美貌を誇る魔人の些細な表情の変化は、ただそれだけで抗いがたい魅力を感じざるを得ない。どれだけ警戒し、どれだけ敵意を抱いていても、アズマリアが絶世の美女であり、性別を無視した魅力の持ち主であることは認めるしかないのだ。彼女が蠱惑的な表情をするだけで、多くの人間は無力化されるだろう。魔人の容貌には、それほどの威力がある。

「なぜ?」

「気にしないから、敵だらけになるんだろう?」

「敵だらけ、か。確かに、わたしの敵は多いな。むしろ、わたし自身を除くすべてが敵といっていいのかもしれない。が、そんなことはどうでもいいのだ。だれが敵であれ、味方であれ、わたしの邪魔ができるわけではない」

「……そうかもな」

 憮然と、認める。確かに彼女のいうとおりかもしれない。世界中どこにでも移動できる召喚武装の持ち主であるアズマリアを止めることなど、なにものにもできないのだ。その上、彼女は強い。クオール=イーゼンの超加速攻撃にも対応できるほどの実力者であり、ゲートオブヴァーミリオンの能力を使わずとも、ある程度の窮地ならば切り抜けられるだろう。そもそも、切り抜けられるようなものを窮地とは呼ばないのだが。

「おまえにもだよ、セツナ。おまえも、わたしの邪魔はできない」

「……どうかな」

「取引をしたことを忘れたわけではあるまい?」

「それとこれとは別の話だろ?」

 セツナは即答したが、取引について忘れたというわけではない。もちろん、覚えているし、取引を一方的に破り捨てるつもりもなかった。取引は取引だ。相手がファリアの仇敵であり、許しがたい悪人であったとしても、一度交わした取引を無視することはできない。そんなことをすれば、自分を許せなくなるだろう。

「ふむ……」

「あんたの目的が俺の周囲の人々を傷つけるようなものなら、容赦なく叩き潰す。いったはずだ」

 いまのセツナが黒き矛の力を使ったところで、この圧倒的な力を誇る魔人を倒せるのかは疑問の残るところではあったが。

 アズマリアは、強い。ただひたすらに強く、そして美しい。

 美貌に笑みが刻まれている。子供をあやすような笑顔は、そのまま、彼女の発言に繋がる。

「ああ。やはり可愛いな、おまえは」

「そんなことをいっても、俺は動揺なんてしねえぞ」

「ふふ。そうやって強がるのがおまえの可愛いところだよ。しかしまあ、たしかに、このような問答で時間をとられる訳にはいかないか。本題に入るとしよう」

 セツナは、彼女の艶美な笑みの中に背筋が凍るような殺気を感じた。

「取引の続きだ」

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