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第八百四十七話 五月五日・セツナの場合(四)

「龍府といえば、どこでございましょう?」

 レムが一同を見回しながら質問したのは、天輪宮の前を移動しながらのことだった。セツナたちを遠巻きに見守る人々の数は、レムの発言がきっかけで減少傾向を見せている。とはいえ、減っては増えの繰り返しであり、完全にいなくなることはなさそうだった。

 シーラが天輪宮の外壁を一瞥した。

「まずは天輪宮、だろ?」

「天輪宮は御主人様の住居で御座いますし、皆様が住んでおられる場所でございます。まあ、住人となってしまえば、外観を楽しむ機会もございませんが」

 レムのいうことも一理ある。確かに、天輪宮に住んでいる限りは、天輪宮の美しくもきらびやかな外観を楽しむことはできない。一方で、住んでいるからこそ、内装の繊細さに気づくことができるともいえる。ただ天輪宮の内部を歩き回っているだけでは気づきようのないことが、日々の暮らしの中で見えてくるからだ。

「天輪宮以外の観光名所か」

 セツナには、わからないことだった。龍府がどういう歴史を辿り、どういう都市で、どういう建物があるのかはある程度知っている。領地を選ぶ際、龍府の詳細が記された書類に目を通しているのだ。しかし、観光名所となると見当がつかないのだ。

五龍塔ごりゅうのとうなどはいかがでございましょう?」

「五龍塔?」

 反芻して脳裏に浮かんだのは、五重塔だ。音の響きがよく似ているからだが、内実はまったく別物に違いないということはわかる。

「御主人様はまったくもって無知でございますね。これでは先が思いやられます」

「おまえ、段々口が悪くなってきてるぞ」

「……御主人様は、甘やかされる方がお好きでございますか?」

 レムが意外そうな顔をした。セツナがだれかに甘えている姿を想像したからなのか、どうか。少なくとも、レムの見ているところで誰かに甘えたことはない。というよりは、この世界に来る前から他人に甘えたことなんてなかったかもしれない。甘えられる相手もいなければ、甘えられるほどの精神的余裕がなかったからだろうが。

「いや、そういうことじゃなくてな……」

「五龍塔……五龍っていうからには、五竜氏族と関係があるんだろうな」

「なるほど」

「さすがはシーラ様でございます。どこぞの無責任な領伯様にも見習ってほしいものでございますね」

「さすがに言いすぎだろ」

 レムのあまりの口の悪さに、シーラは苦笑するしかなかったようだった。無責任な領伯という言葉には、セツナ自身、肯定せざるをえないところではあるのだが、少なくとも、従者が吐いていいような言葉ではない。

 もちろん、そんなことでセツナがレムを叱責することはないし、彼女には彼女の思うままに行動させるつもりなのも、変わらないだろう。

 いまのところ、レムの言動でセツナが不利益を被ったことはない。


 五龍塔。

 龍府の五ヶ所に聳える塔の総称だという。

 五ヶ所ということからも想像ができるように、五方防護陣の各砦に対応した場所に建築されているようだった。五方防護陣とは、ライバーン、ヴリディア、リバイエン、ファブルネイア、ビューネルといった五竜氏族の氏名を冠した五つの砦のことであり、それぞれ、龍府から離れた五ヶ所に存在していた。

 ライバーン砦は龍府の北西に位置し、リバイエン砦が北東、ファブルネイア砦は南西、ヴリディア砦は南、ビューネル砦が南東にそれぞれ存在していた。五つの砦は連携することで、龍府への接近を試みる敵を撃退する強固な防壁となるはずであり、ガンディア軍は、その強固な防壁を無力化するために、三つの砦に同時に攻撃するという戦術を立てていた。

 が、五方防護陣がその本来の機能を発揮することはなかった。

 オリアン=リバイエンの擬似召喚魔法によって消滅し、ドラゴンに飲み込まれたからだ。

 ドラゴンが滅び去ったいま、五方防護陣の跡地は、巨大な湖となってしまっている。

「五方防護陣が五龍湖となったいまとなっては、五龍塔も五龍湖に対応することになってしまいましたが」

「名称も変更するとか?」

「いえ、その必要はございませぬ、五龍塔は元々、五龍湖と同じような名称でございます」

「つまり、天龍湖となったライバーン砦に対応する塔は天龍塔で、水龍湖となったリバイエン砦に対応するのは水龍塔だったってことか」

 その例で行くなら、ヴリディア砦に対応する五龍塔は地龍塔、ファブルネイア砦は風龍塔、ビューネル砦は火龍塔ということになるが。

 レムが満面の笑みで、うなずいてくる。

「その通りにございます。さすがは御主人様」

「……けなすのか褒めるのかどっちなんだ、いったい」

「両方でございます」

「言い切りやがった」

 セツナが愕然としていると、シーラが同情を投げかけてくれた。

「セツナも大変なのを従者にしたな」

「ま、大変なのは今に始まったことじゃないけどな」

「そうなのか?」

「ああ。レムが来る前から大変だったよ」

 大変になったのは、ミリュウが来てからだ。来てから、というより、彼女がセツナに特別な感情を抱くようになってから、といったほうが正しいだろう。そしてミリュウが入ったことで《獅子の尾》は極めて賑やかな部隊に様変わりした。ミリュウ=リバイエンというなにものにも代えがたい個性は、やはり強烈であり、凄まじい威力を持っているのだ。

「皆様、あれなるが五龍塔の一、天龍塔にございます」

 レムに促されるまでもなく、それは、セツナの視界に飛び込んできていた。天輪宮の北西にひたすら歩き続けてきたため、多少の疲労を覚えないわけではなかった、その疲れが吹き飛ぶような景観が目に飛び込んできていた。

「かつてザルワーンの支配者として君臨した五竜氏族のうち、ライバーン家の栄華を示すために建てられたというこの塔は、天を司る龍を象っているともいわれているのでございます」

 天を衝くほどに巨大な建造物が、前方に聳えている。塔といわれれば塔なのだが、石塔の類といったほうが近いのかもしれない。巨大な石塔に金色の龍が絡みついている。金色の龍こそ、ライバーン家の象徴であり、天の龍と呼ばれるものなのだろう。よく見ると石塔そのものが螺旋を描いており、天龍は嵐を起こして天に還ろうとしているのかもしれなかった。

「あれが天龍塔か……」

「壮観だな……」

「さすがは五百年の歴史を誇る古都ですね……」

 口々に感想を述べながら、セツナたちは、いまにも快晴の空に昇っていきそうな龍の姿に圧倒され続けた。

「さあ、つぎは水龍塔に行きますよ」

「もうかよ」

「はい。さっきと同じ目に遭いたいというのでございましたら、わたくし的には一向に構いませんが」

「あ?」

 セツナは、レムの口ぶりに疑問を抱いた。天龍塔は、龍府北西の公園の中に聳えている。公園は自由に出入りができ、天龍塔にもかなりの近距離まで近づくことができるようだった。そして天龍塔の周囲には、セツナたちと同じような目的で訪れたのであろう人々が集まっており、それら人々の注目がこちらに集まるのも時間の問題だろう。

 また、大騒ぎになるのは火を見るより明らかだ。そして、そうなればレムがまた言い放つのだろう。

 セツナは、そうんあるのだけは避けたいと思うと、水龍塔のあるという龍府北東部に視線を定めた。天龍塔に圧倒されているシーラの手を引っ張り、駆け出す。

「お、おい、いきなりなんだよ!?」

「レムに騒がれるくらいなら少しくらい疲れたほうがましだってな」

「そ、そりゃそうか、そうだな!」

 シーラが納得したのか、全力で並走を始める。さすがは獣姫として数多の戦場を駆け抜けてきただけあって、素の身体能力は極めて高い。うかうかすると追いぬかれそうなほどであり、彼女と木剣で立ち会えば、あれから成長したはずのいまでも、たやすく負けるのではないかと思うほどだった。ありえないことだが、シーラが御前試合に出ていれば、優勝をかっさらわれていたのではないか、と考えてしまう。それほどまでにシーラの運動力は高い。

「隊長!」

「なんだよ?」

「手を繋いで、まるで恋人同士みたいですよ!」

「はあ!?」

 シーラが素っ頓狂な声を上げたかと思うと、彼女が唐突に足を止めた。手を繋いでいる以上、セツナも足を止めざるを得ない。

「はっ!?」

「ぐげ」

 セツナが彼女を振り返ろうとした瞬間、衝撃がセツナの鳩尾を貫き、一瞬、呼吸ができなくなった。そのまま、視界が流転する。なぜか顔を真っ赤にしたシーラから、雲ひとつ見当たらない青空へ。再びの衝撃。尻もちをついたらしい。痛みがあった。

「あ――」

 シーラがやってしまった、という声を発したのがわかった。セツナは、地面に座り込んだまま、腹を撫でた。鈍い痛みが波紋のように広がり、セツナの顔を苦痛に歪めた。

「ってえ……なにすんだよ」

「す、すまねえ……つい」

「ついってどういうこと……」

「そ、それはだな……説明すると長くなるんだが」

 シーラが困ったような顔をしたとき、レムがセツナと彼女の間を颯爽と通過していった。水龍塔へ急がんとでもいうかの勢いであり、実際、その通りなのだろうが、彼女が余計な言葉を残していかないはずもなかった。

「イチャイチャするのなら、後にしてくださいませ。ここでは目立ち過ぎますし、泰霊殿でなら邪魔されることもありませんよ?」

「イチャイチャ――?」

 シーラが一瞬にして凍りついたかと思うと、つぎの瞬間には氷解し、歩き去っていったレムに向かって飛びかかるような勢いでかけ出した。

「レム、てめえ!」

「ああん、猛獣が追いかけてきますぅっ!」

「だれが猛獣だ!」

「猛獣は猛獣にございます!」

「待てこいつ!」

「待てなんていわれて待つわけがないのでございますですわ!」

 なにやら喚きながら、それこそ周囲の注目を大いに浴びながら古都を激走していくふたりに、セツナは取り残されたと思うよりほかはなかった。ふたりは、あっという間にセツナの視界から消え失せてしまった。

「なーんか、楽しそうな姫様だこと」

「久し振りですね、シーラ様があのように振る舞われるのは」

「やっと、姫様らしくなったって感じですね!」

「ええ、ようやく」

「本当によかった……」

 元侍女たちのシーラを思いやる言葉の数々が、セツナの耳に染み入るように聞こえた。彼女たちがいかにシーラを大切に想い、タウラルから龍府に至るまでの心労を案じていたのかがわかるというものだ。そして、そんな彼女たちに想われるシーラの人徳や信望といってものが垣間見れた気がして、セツナは、無意識に笑みを浮かべていた。

 もはや影も形も消えてなくなってしまったが、レムとシーラの走っていった方向を見やりながら、彼はゆっくりと立ち上がると、痛みも忘れて歩き出した。

 歩き出した途端、視線を感じた。視線は、後方の頭上から感じる。おそらく、建物の屋上からこちらを見下ろしている。普通の視線ではない。少なくとも、セツナたちを遠巻きに見守っているような人々の視線とは、まったく趣を異にするものだった。

 殺意がある。

「悪い、皆は先に行っててくれ」

「セツナ様?」

「どうしたんです?」

 侍女たちは当然のように聞いてきたが、セツナは説明しなかった。説明すれば、どうしたところで、彼女たちはこの場に残ろうとするだろう。彼女たちは黒獣隊の隊士なのだ。ウェリスは戦闘要員ではないが、ほかの四人は普通の軍人以上に戦える。その戦えるという認識が、誤りになりかねない。相手が相手だった。

「シーラ様に殴られたお腹が痛いんですか?」

「まあ、そういうところだ」

「でしたら、わたくしたちも一緒にいますよ。護衛は必要でしょうし」

「いや、俺はひとりで大丈夫だ。それよりもシーラの心配をしたほうがいいんじゃないか?」

「そりゃまあ、黒き矛のセツナ様よりは、隊長のほうが危なっかしくはありますがね」

 なおも食い下がる彼女たちに対して、セツナは仕方なく強権を発動した。

「……領伯命令だ。シーラと合流し、レムの指示に従って行動しろ」

 セツナが冷ややかに告げると、彼女たちは顔を見合わせて、肩を竦めた。

「命令とあれば仕方がありませんね」

「わかりましたよ。そのかわり、説明はあとでしていただきますからね」

「……ああ」

 うなずいてから、それが安請け合いにすぎないのだと気づいたが、いまさら否定するのも馬鹿馬鹿しく想えて、彼はそのままにした。

「では、御命令通り、黒獣隊はシーラ隊長に合流、従者レム様の指示に従います」

「ああ、頼む」

「はい」

 五人は、セツナの態度に不穏なものを感じたようだったが、さすがに領伯命令に逆らうことはできなかったようだ。逆らえば、自分たちのみならず、シーラの立場まで危うくなる。渋々と言った様子で、この場を離れていく。

 セツナは、彼女たちが視界から消えるのを待ってから移動を開始した。

 どこか、人目につかないところに場所を移さなければならない。

(あっちか)

 セツナは、入り組んだ路地の奥へと進んでいった。

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