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第八百四十五話 五月五日・セツナの場合(二)

「ということで、気分転換にでかけるというのは、いかがでございましょう?」

「なにがということなのかまったく理解できないし、納得できないが、まあ、その意見に賛成するのもやぶさかではないな」

 なにやら明後日の方向に向かって笑顔を向けているレムを見遣りながら、セツナは、適当に相槌を打った。朝食を終え、ちょうど、いつも暇を持て余している時間帯だった。気分転換もそうだが、でかけることで暇潰しにもなる。

 娯楽の少ない世界だ。セツナにとって暇潰しといえば自主訓練になるのだが、食事を終えた直後に激しい運動を行うのは自殺行為にほかならない。それならば街に出かけるほうが余程いい。歩くことで軽い運動にもなるだろう。

 場所は、食堂から泰霊殿の一室に移っている。室内にはセツナとレムのほか、シーラ率いる黒獣隊の面々が揃っていた。皆、ゲイン=リジュールの料理でお腹を満たすことができて、幸福そうに弛緩した表情を見せていた。

「いいな、それ」

 シーラが乗り気になったものの、彼女はすぐに表情を曇らせた。シーラは表情がコロコロと変わるので、見ているだけで面白かった。

「けど、領伯様は気楽に出歩けないんじゃないのか?」

「それなんだよなあ。本当、権力者っていうのは辛いぜ」

「聞くものが聞けば、嫌味にしか聞こえないようなことを平然と仰っておられますが、それはそれとして」

 レムは、満面の笑みを浮かべて、室内を見回した。セツナこそ、彼女の天使のような笑顔の裏に潜む企みを用心したものの、シーラたちが警戒するようなことはなかった。むしろ、レムの笑顔に心を動かされているものすらいそうな雰囲気だった。

「おあつらえ向きに護衛の皆様が勢揃いしておられるではございませんか」

「なるほど!」

「あたしたちがセツナ様の護衛を買ってでりゃ、だれも文句はいえないってことか」

「黒獣隊の初任務、ということですね!」

 シーラたちが続々と納得の声を上げる中、セツナは、ひとり憮然とした。

「御主人様の気分転換ができる上、皆様がこの都を公然と観光することができるのでございます。まさに一石二鳥、一挙両得にございます!」

「いいのかよ、それで」

「御主人様が仰ったことでございましょう?」

「うん?」

「黒獣隊は龍府の領伯の私兵であり、護衛である、と」

「確かにそうだが、まだ正式には発足していないんだぜ」

 黒獣隊が正式に発足するには、人数が少なすぎた。もちろん、少数精鋭部隊というのもありえないではない。しかし、シーラたちでは《獅子の尾》のように上手くいくはずもない上、今後の戦争でそれなりの戦果を上げていくには、やはりそれだけの人数がいるはずだった。少なくとも百人は集めたいところだったし、集めた百人を実戦に投入できるくらいには鍛えあげたいものだ。黒勇隊と同じ轍を踏ませるわけにはいかない。

 その百人が集まって初めて黒獣隊は正式に発足されるのだ。もっとも、公式に、大々的に発表する必要はない。なにせ、領伯の私兵部隊でしかないのだ。ガンディアの正規軍とは扱いも異なる。給与は領伯から支払われ、支配権も領伯にあった。ガンディアの戦争には従軍することもあるだろうが、龍府の防衛のために残ることもあるだろう。そこら辺りの扱いは黒勇隊と同じだ。

 シーラがこちらをみて、にやりとした。

「だったら、俺たちが天輪宮を歩き回るのもまずくないか?」

「む……」

 セツナは、正論を叩きつけられて、黙りこんだ。ぐうの音も出ないとはこのことだ。レムがにこやかに告げてくる。

「御主人様の負け、でございます」

「なんでそんなに嬉しそうなんだよ……」

「で、セツナはどうするんだ? 一緒にでかけるか? それとも、ひとりで天輪宮でお留守番か?」

「わかったよ。俺も一緒にいくよ」

 シーラに問われて、即答する。ファリアやミリュウ、ルウファがいるならまだしも、だれひとりいない天輪宮に籠もっているなど、堪えられるはずがなかった。話し相手ならゲインがいるが、彼は毎日の料理の仕込みで忙しそうなのだ。暇潰しで仕事の邪魔はしたくなかった。

「やった」

「やった?」

「い、いや、なんでもない。こっちの話だ」

「ん?」

 シーラが慌てふためき、クロナたちがほくそ笑む――セツナには彼女たちの一連の反応がいまいちよくわからなかった。といって、聞いたところで答えが返ってくる気配もない。 

「それでは皆様、あちらで着替えましょう」

「着替え?」

「はい。黒獣隊の隊服は、意匠も決まっていませんので、わたくしなりの隊服を御用意させていただきました!」

「嫌な予感しかしねえ」

「なにを仰る御主人様! きっと、御主人様もお気に入りになられると想いますよ!」

「それが悪い予感になるんだろうが」

 セツナはいったが、レムには聞き入れられなかった。時々、この従者は主の言葉に耳を貸さないことがあり、それが致命的な欠点といえた。

(時々、か?)

 セツナは、これまでの無視行動を思い出して、頭を抱えたくなった。これから何年、何十年も彼女を従者にして上手くやっていけるのだろうか。

(やっていくしかないんだけどな)

 彼女を再組成したのはセツナ自身だ。責任を取らなければならないし、責任を放棄するつもりもない。

 広間を出て行く女性陣を見送りながら、セツナも腰を上げた。彼自身、着替えなければならない。いまは、寝間着同然の格好だったからだ。

(いくら自宅とはいえ、楽な格好すぎたな……)

 天輪宮はセツナの住居である。どのような格好をしていても構わないはずなのだが、天輪宮の荘厳な空間にそぐわない衣服だということは認識せざるを得なかったし、領伯なのだということを自覚すれば、普段の格好を改めるのも致し方のないことなのかもしれない。


「えーと……なんていったらいいのかな」

「な、なにもいうな、いわなくて、いい。恥ずかしい、から」

 セツナが言葉に窮していると、シーラが気恥ずかしそうに視線を逸らした。顔だけでなく、全身が紅潮しているように見えるのは、気のせいではあるまい。格好が格好だった。彼女が恥ずかしがるのも当然だった。

(これじゃまるで……)

 セツナは、半眼になってレムを一瞥し、それからシーラたちをひとりひとり順番に見回した。シーラも、ウェリスも、クロナも、ミーシャも、アンナも、リザも――皆、レムと同じ装束を身につけていたのだ。

 黒と白を基調とした可愛らしい衣服は、俗にいうメイド服そのものといっても過言ではない。が、レムのそれは死神らしさを意識した意匠を取り入れており、陽の戦士ともいえるシーラたちには似合わない代物だった。もちろん、似合わないというのは感覚的なものだ。メイド服を着せられたシーラが可愛くないはずもなかった。

「どうです? 御主人様、お気に召しましたでございましょう?」

 レムが妙に自信満々にいってきたのが、セツナには不可解でたまらなかった。彼女にはいったい自分がどのように見えているというのだろうか。

「セツナが気にいるっていうのなら……うん」

「セツナ様ってこういう服装をさせるのがご趣味だったんですね」

「レムさんの格好が領伯様の趣味だったとは!」

「まあ、いいんじゃないの」

「うん、かわいいかも……」

 シーラとその侍女たちがそれぞれに納得したようなしていないような発言をする中で、セツナは、嫌な感覚に囚われざるを得なかった。話に割って入る。

「待て待て待て待て」

「ん?」

「なんです?」

「いや、いつからレムの格好が俺の趣味になったんだよ?」

「違うのか?」

 セツナが疑問を投げかけると、シーラが愕然とした声を上げてきた。彼女たちはきっと、レムにいいように騙されているに違いないという予測は、彼女の反応で確信に変わる。が、間髪を入れずにレムが口を挟んでくるのだ。

「違いません」

「ちげえ」

「どっちが正しいんだ?」

 セツナは、自分とレムの間で混乱するシーラの肩を掴んで、はっとする彼女の目を見つめた。湖面のように澄んだ碧い目に、セツナの顔が映りこむ。

「俺の目を見ろよ、これが嘘をついてる男の目か?」

 セツナは、彼女の誤解を解くためにこそ、真摯なまなざしを向けたつもりだったのだが、シーラはなぜか頬を赤らめ、視線をそらし、顔を俯けた。

「そ、そんな真剣なまなざしで見ないでくれ……恥ずかしい」

「まあ、そんなにシーラ様が素敵なんでございますね?」

「素敵だなんて、そんな……」

 シーラが、レムの発言でますます顔を赤らめていく。

「くっ……こいつ……」

 セツナは、シーラの肩から手を離し、従者を睨んだが、使い魔の死神は、涼しい顔でこちらを見ていた。

「御主人様、どうかなされました?」

「レム、おまえ、いまに見ていろよ」

「はい、いつも御主人様だけを見ておりますわ」

「そういうことじゃねえ……!」

 セツナは、なにをいっても動じないレムの様子に頭を抱えたくなった。いや、実際、頭を抱えて嘆息した。そんなことをしたところで現実は何ひとつ変わらないし、変えようがないのだが。

 いや、だからこそ、嘆くしかないのだろう。

 セツナは、ガンディア国内に置ける自分の立場と、この場における自分の立場の落差を認識して、苦笑するしかなかった。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの英雄も、女達の前ではただの子供でしかないということなのかもしれない。

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