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第八百四十四話 五月五日・ミリュウの場合(六)

『ミリュウというのは、どうだろう』

 聞こえたのは、耳慣れた男の声だった。こそばゆいのは、男の声があまりにも柔らかく、穏やかだからに違いない。彼のそのような声を聞くのは、十年来のことだ。父。オリアン。オリアン=リバイエン。オリアス=リヴァイア。

『ミリュウ? 素敵な名前だと思うわ』

 応えたのは、女の声。こちらもよく知っている。思い出せるのが奇跡的だと考えてしまうのは、十一年近く前に別れて以来、再び会うこともないままに他界してしまっていたからだ。母。リュウナ。リュウナ=リバイエン。

 なぜ、両親の声が聞こえるのか、不思議でならなかった。しかも、記憶にはない会話だ。ふたりが彼女の名前について話し合っている風景など想像したことさえなかった。記憶にもなければ、妄想ですらない。

 では、なんだというのだろう。

『でも、どうしてかしら?』

『なにがだ?』

『どうして、ミリュウなの?』

 まばゆい光の奔流の中、彼女は、疑問さえも忘れて、ふたりの会話に聞き入っていた。脳裏に浮かぶ光景は、あまりに幸福で、満ち足りたものだった。

 そして、リバイエン家には、そんな時代が確かにあったのだ。幸せに満ちた、だれもが羨むような家庭が確かに存在していた。

『君の名の一部を使いたかったのだが、他にいい名前が思い浮かばなかったんだ』

『リュウイにも、わたしの名を入れたのに?』

『わたしの名を入れるよりは、君の名を入れたかったんだ』

『あなたの名前も、素敵ですよ』

『そういってくれるのは君だけさ』

 そういって、オリアンは、リュウナに聞こえないような小さな声で、続けた。

『わたしの名を入れるのは、呪いを刻むのと同じことなんだよ』

 だから、彼はオリアンの名の一部を子供につけようとはしなかった。


 彼には、自分の血を分けた子供までもが宿命を背負い、運命と対峙しなければならないなど、耐え難いことだったのだ。

 だが、結局、彼女は呪われた。

 リヴァイアという血の宿命から逃れることはできなかったのだ。


 血の宿命。

 いつから続き、どこまで続くのか。

 彼は、そればかりを考えている。

 無限に長く続くのか。

 永久に近く受け継がれていくのか。

 それとも、いつかどこかで消え去るのか。

 なんらかの方法で終わらせることができるのか。

 そんなことばかりを、考える。

 血。

 レヴィアの血。

 リヴァイアの血。

 不老不滅の血。

 だが、血の継承によって受け継がれるのは、なにも不老不滅の呪いだけではなかった。

 血の継承は、知の継承でもある。

 知とは記憶。

 知の継承とは、記憶の継承。

 彼は、選択を迫られた。いや、選択などというものではない。ひとつしかない選択肢など、選択肢ではないのだ。彼は、親を殺すしかなかった。殺さなければならなかった。彼が手をくださなければ、彼の親は狂ったまま永遠を生き続けなければならなかっただろう。継承者である彼以外のなにものにも殺せないのだから、彼が手を下すよりほかはない。

 彼は親を愛していた。親もまた、彼を愛していた。親は彼に惜しみない愛情を注ぎ、彼もまた、その愛に応えた。

 愛の形は様々だ。

 だが、だからといって、殺すことだけが愛情の証明だというのは、あまりにも哀しく、虚しいものだ。もっとも、生きてこそ、という彼の想いは、継承した瞬間、無意味なものだったのだということを思い知った。そして、浅はかな己の考えを嘲笑い、呪った。

 彼は、親を殺したことで、リヴァイアの血の継承者となり、知の継承者となったのだ。

 血と知を継承した彼の戦いは、そのときから始まった。数十年に渡る戦い。いや、数百年に及ぶ戦いの続きといってもいい。

 それは、聖皇の呪いとの戦いだった。呪いを克服し、ただの人間に戻ることこそ、レヴィアの願いであり、レヴィアから連綿と受け継がれてきた継承者の望みでもあった。

 想いは記憶に刻まれ、記憶は血と知となって受け継がれる。

 代々の継承者の苦しみ、嘆き、哀しみを一身に受け継いだ彼は、呪縛を克服するために手段を選ばなかった。紅き魔人アズマリア=アルテマックスの弟子となり、彼女から武装召喚術を学んだのも、その手段のひとつだった。

 召喚武装の力を用いることで、なんらかの解決策が見つかるのではないか、という彼の思惑は徒労に終わったものの、アズマリアとの邂逅は、彼にひとつの希望を与えた。アズマリアもまた、ある種の呪いを受けた存在であり、彼女もまた、数百年のときを生きている存在だったからだ。

 彼女が数百年に渡って蓄積してきた膨大な知識と、リヴァイアの血に蓄えられてきた知識を合わせれば、なんらかの解決策が見つかるかもしれない。

 だが、彼の思いも虚しく、アズマリアの知識をもってしても、呪いを克服する手段を見出すことはできなかった。

 時は流れ、彼も流れる。

 生まれ育った北の大地を離れ、流浪すること数年。彼は大陸小国家群を流れる中で、ある噂を耳にする。それは、外法と呼ばれる技術の存在である。外法は元々、神秘に包まれている生命の真実を探求するための学問であり、学術であったというのだが、あるときから生命の神秘を暴くに飽きたらず、生命の法そのものに介入するものへと目的が変化していったという。故に、人の道を外れたる法――外法と呼ばれるようになったらしい。

 彼が興味を抱いたのも無理はなかった。彼もまた、生命の真実を探求するものに違いはなかったし、探求ではなく、生命の法への介入こそが目的だったからだ。

 それから彼がザルワーンを目指したのは、当時の国主マーシアス=ヴリディアがその外法に精通しているという噂話を耳にしたからに他ならない。それが真実であるなら良し、たとえ根も葉もない噂であってもなんの問題もなかった。

 リヴァイアの継承者である彼には、永久に近い時間があった。

 マーシアスは、確かに外法に精通していた。一国の支配者にあるまじき人格破綻者は、その破綻した自我の欠落部を埋め合わせるかのように外法に耽溺し、外法を用いていたのだ。彼は、マーシアスに近づき、マーシアスは彼の目論見に気づきながらも、彼を歓迎した。マーシアスには、才能を認めるという唯一の美徳があったのだ。

 マーシアスの下で外法を学び、外法を研究するうちに、彼はザルワーンの人間になっていった。リバイエン家に入り、リュウナを妻に迎えた。そのころには、ミレルバス=ライバーンとの間に奇妙な友情が芽生え始めており、彼は、人間らしい生き方というものを初めて体験しているといっても過言ではない状況にあった。

 やがて、彼と妻の間にひとりの子供が生まれる。妻の名を取ってリュウイと名付けた男児の誕生は、彼の生活に新たな変化をもたらす。そして、彼に自分の血の宿命を思いださせるのだ。


 血の継承者が死を迎えるには、継承者の資格を持つ自分の子に殺される以外にはない。


 リヴァイアの血の宿命を再認識した彼は、外法の研究に没頭するようになる。外法、武装召喚術のみならず、大陸各地から伝わる様々な術、技法を研究することで、不老不滅の呪いを解く方法を見出そうとした。

 この絶望そのものたる呪いを、我が子に受け継がせたくはない。

 だが、彼の想いも虚しく、時は流れ、子供は成長していく。さらに、第二子が生まれた。ミリュウと名付けたその子供は、女児であり、長ずるに連れてリヴァイアの血族であるということを証明していった。

 白金の頭髪に碧玉のような目は、レヴィアから受け継がれてきたものであり、リュウイには発現しなかったものだった。

 彼は、この娘だ、と想った。

 この娘が、リヴァイアの血の継承者なのだ、と理解した。

 オリアン、オリアスの名を忌避したところで、血の宿命を避けることはできなかったのだ――。

 

「なによ……これ……なんなのよ、いったい」

 ミリュウは、茫然とつぶやいた。

 目の前には漠たる闇が横たわっている。発光する古代文字の集合体は消えてなくなっており、なにもないただの虚空に埃っぽい闇があるだけだった。広い地下室。研究室だったという痕跡すら見当たらず、まるで奇妙な儀式跡のような魔方陣だけが、床や壁一面に描かれている。もはや役目を終え、リヴァイアの血にも反応しなくなったそれらを見回して、放心する。

 血。

 リヴァイアの血。

 この体に流れるリヴァイアの血にのみ反応する特別製の魔方陣が、この地下室に刻みつけられていたのだ。魔方陣の元となったのも、リヴァイアの血だ。

 オリアス=リヴァイアが、己の血を用いて描き出したのがこの魔方陣だったということだ。

 なにもかも理解できる。

 オリアス=リヴァイアがなにを考え、なにを思い、なにを求め、なにを願ったのか。

 ここでなにをし、なんのためにこんな魔方陣を作り上げたのか。

 なにもかもが、ミリュウの頭の中にあった。

 立ち上がる。いつの間にか、魔方陣の上に座り込んでいたのだ。おそらく、流れ込んでくる膨大な量の情報を処理している間に、立っていられなくなったのだろう。あまりにも莫大過ぎる情報量は、いまのミリュウでは把握しきれないものだった。そしてそれは、彼女が血の継承者ではないことの証なのだろう。血の継承者ならばなんの矛盾もなく受け入れることができたのだろうし、なんの問題もなく順応し、なんの齟齬もなく引き出すことができたに違いない。

 それは、理解できる。

 血ではなく、知を引き継いだのだという事実も、認識できる。

 納得はできないが、納得するしかないということも、わかる。

 ミリュウは、頭の中の混乱が収まりつつあるのを認識すると、ゆっくりと視線を巡らせ、室内に描かれた魔方陣をひとつずつ読み解いていった。古代文字と記号の羅列は、オリアスの偉大なる研究成果のひとつであり、彼が聖皇の呪いの克服に一歩でも近づいたことの証明でもあった。

 このオリアスの幻像を発生させた魔方陣は、オリアスの悪趣味が残させたものでもなんでもなかったのだ。

(リヴァイアの知。血ではなく、知……)

 オリアスは、呪いとともに継承される膨大な量の知識の大部分を、この魔方陣に封印することに成功したのだ。そうすることで継承者の脳への負担を軽くするだけでなく、自分が発狂するまでの時間をわずかでも稼ごうとしたらしい。

 リヴァイアの血の継承者は、受け継いだ記憶の膨大さに耐え切れず、狂い、死を求めるようになるという。

 しかし、ミリュウがそういった結果になることはなさそうだった。流れ込んできた大量の知識のほとんどが、彼女の記憶の奥底に沈んでいってしまったからだ。そして、記憶の奥底から引きずり出そうにも、彼女の意思ではどうすることもできないように、なんらかの処理が施されているらしい。触れても問題のない知識だけが、ミリュウの頭の中に浮かんでは消えた。その多くがオリアス=リヴァイアの人生に関係するものであり、オリアス以外のリヴァイアの継承者に関しては、まったくといっていいほど謎に包まれていた。

(知の継承者……)

 ミリュウは、胸中でつぶやいて、それが自分にかせられた使命なのだと想った。図らずもオリアスの記憶の封印を解いてしまったのだ。リヴァイアの血によってのみ解放される記憶を解き放ち、引き受けてしまったのだ。

 叫びたかった。わけもなく罵り、心の中に渦巻く感情のすべてを吐き出したかった。けれど、できなかった。できるわけがなかったのだ。

 すべてを理解してしまった以上、そんなことができるわけがない。

 オリアス=リヴァイアの死によってのみ作動する封印魔方陣が彼女の血に反応したのだ。

 それがどういうことなのかを理解したとき、彼女は、その場に崩れ落ちるしかなかった。


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