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第八百四十三話 五月五日・ミリュウの場合(五)

 星を見ている。

 そう、夜空に輝くあの星だ。

 数多の星が、闇に包まれた空を彩っていた。巨大な月と膨大な数の星々。あまりに遠く、手を伸ばしても届くはずのない距離に浮かび、地上を遍く照らしている。遍く照らしている、というのは言い過ぎではない。少なくとも、彼女にとってはそう想えた。そう想えるほどに膨大だったのだ。なにもかもが膨大で、手に余る。

 小さな手には、なにも収まりきらない。

 光につられるようにして地上に視線を戻せば、リバイエン邸の広い前庭が視界に入ってくる。

 池を囲む森と、石畳の道と、巨石の祭壇。

 龍が住むという池には、月の影が浮かんでいた。巨大な月の光の反射。水面が揺れるたび、月も揺れる。池の底に眠るという龍なら、月まで飛翔することができるのだろうか。そうすれば、星を掴むのも夢ではないのかもしれない。

 ここのところ、そんなことばかりを考えている。

『星を掴むようなものさ』

 父は、己の夢を語るとき、そんな風にいったのだ。

 星は掴むことなどできない。

 少なくとも、彼女の小さな手では、触れることさえできない。届く気配さえないのだ。どれだけ必死に手を伸ばしても、跳躍しても、セナ=タールトンの背に登っても、巨石の祭壇によじ登ってみたところで、彼女の手が月に届くことはなかった。

 父の手ならば、星に届くだろうか。

 届いて欲しいものだ。

 そのために自分にできることはなにかないか考えるのだが、なにも思いつかなかった。セナに尋ねても、一緒に考えましょう、というだけで、明確な答えが見つかることはなかった。

 父の夢。

 父の願いとは何なのか。

 彼女が考えるのは、そんなことばかりだ。

 それだけが、彼女を彼女たらしめているといっても、過言ではなかったのかもしれない――。


 

 ミリュウは、いつの間にか閉じていたまぶたを開いた。受け入れられない現実が目の前にあるわけでも、目を背けたくなるような事実が横たわっているわけでもない。あるのは、圧倒的な現実だ。立ち向かわなくてはならない存在なのだ。逢いたくて仕方がなかった人物でもある。

 魔晶灯の光が照らす視界の中心には、ひとりの男が立っていた。決して若くは見えないが、だからといって老いているようにも見えない。自分の記憶の奥底を覗けば、彼が昔からいまと同じ姿だということがわかるだろう。以前はまったく気にしなかったことだが、血の秘密を知ったいまならば、その不自然さも理解できたし、納得もできた。リヴァイアの血のなせる業なのだ。

 男には、オリアス=リヴァイアという名がある。かつてはオリアン=リバイエンと名乗り、ザルワーン五竜氏族リバイエン家の当主として権勢を誇った人物だ。そして、彼女の実の父親でもある。

 予期せぬ再会といえた。こんなところで逢えるとも想っていなかったからだ。彼女がこの屋敷に来たのは、自分の過去と対峙するためだ。それ以外のなにものでもない。オリアンと逢えるとは思ってもみなかったし、想像の範疇にすらなかった。

 そもそも、オリアンがこんなところにいるはずがなかった。彼はザルワーンを捨て、クルセルクに行ったのだ。クルセルクではオリアス=リヴァイアと名乗り、魔王軍の指揮官として腕を振るい、ミリュウたちを散々苦しめたものだ。特筆すべきは、彼が皇魔に武装召喚術を教えたことにある。皇魔に武装召喚術を習得するだけの知能があったことは驚き以外の何物でもなかったし、召喚武装を手にした皇魔の絶大な力は、連合軍に絶望を叩きつけるものだった。

 それでもなんとか勝利することができたのは、幸運以外のなにものでもなかったといっても過言ではないだろう。もちろん、セツナの活躍が大きく、運が味方したことも大きいのだが。

 戦後、オリアス=リヴァイアの消息は不明だった。戦いの最中、忽然と姿を消したということだけがクルセルク軍から伝わってきており、クルセルクの人間さえも、彼の動向を把握していなかったことが伺える。

 ザルワーンと同じようにクルセルクも見捨てたのだ――ミリュウはそう考えた。また、どこか別の国に流れたのだろう。親友ミレルバスの国を見捨てたオリアンならば、クルセルクを見捨てることくらい造作もなさそうだった。

 しかし、彼は、彼女の目の前にいた。昔からほとんどなにも変わらない姿で、立っていた。どこか皮肉げなまなざしも、痩せぎすな容貌も、子供の頃からほとんど変わらない。それこそ、リヴァイアの血の証であり、彼が呪いを受け継いだものの証明なのだろう。

 不老不死。

 その血は、ミリュウの体にも流れている。もっとも、その血が真価を発揮するには、ある条件を満たさなければならないようではあるが。

「父上……」

 ミリュウは、もう一度言葉を発して、相手の反応を待った。

 そして、考える。

 オリアンは、クルセルク戦争後、ずっとここで待っていたというのだろうか。リュウイになにもいわず、籠もり続けていたというのだろうか。いつか、ミリュウがここに来るということを予想して、待ち続けていたとでもいうのだろうか。リュウイや屋敷の人間の目から逃れ続けることは不可能ではない。

 セナは、いまでもオリアンだけを主と仰いでいるといった。彼は口が固いのだ。彼にさえ接触することができれば、この地下室に潜り込むことも容易だっただろう。食事も彼に運ばせればよい。セナさえいれば、なんの問題もなくこの地下空間で日々を送ることができるのだ。

 もっとも、そんなことをして、オリアンになんの意味があるのかは、皆目見当もつかないのだが。

 ただ、胸が高鳴る。父との再会。待っていたことだ。ずっと、会いたかった。会って、今度こそ話し合いたかったのだ。憎悪をぶつけるにも、殺意を叩きつけるにも、まずは再会が必要だった。もう一度会うこと。なにもかもそれからだと彼女は想っていた。

 憎んでも憎みきれない相手には、どういう態度で接すればいいのか――それさえも、もう一度逢ったときにこそ考えようと想っていた。

 そして、実際に再会すると、混乱するのだ。本当にどうすればいいのかわからない。叫べばいいのだろうか。泣けばいいのだろうか。怒ればいいのだろうか。魔龍窟で醸成され尽くした殺意を叩きこめばいいのだろうか。

(無駄よ……)

 彼女は、胸中で頭を振った。できるわけがないことをやろうとしたところで、なんの意味もない。徒労に終わるだけだ。そんなことはわかりきっている。

 一度失敗したことだ。

 もう一度やろうとしたところで、また、空を切るだけのことだ。そして再び彼を失望させるのだ。オリアンの失意のまなざしは、ミリュウの網膜に焼き付いていた。希望を失ったものの目。自嘲と嘆息。落胆と侮蔑。後悔も混じっていたかもしれない。もちろん、ミリュウに期待していた己への後悔だ。

 ミリュウは、そんなオリアンの表情の変化を忘れようがなかったのだ。だから、どうすればいいのかわからず、混乱していた。

 混乱しながらも、オリアンがなにもいってこないことを不思議に思った。いくらミリュウに失望し、期待はずれの烙印を押した彼であっても、彼女を目の前にして沈黙しているのは不自然だった。父のことを口にしたとき、彼女は、彼が皮肉や嘲罵の一つでも飛ばしてくるものだと覚悟したのだが、それさえもなかった。

 ただ、闇の中に突っ立っている。

 微動だにしていなかった。まったく、完全に動いていないのだ。呼吸をしている様子さえも見受けられない。

(どういうこと?)

 オリアンは常識人ではないし、世間一般の常識で計り知れるような人間ではない。だからといって、呼吸ひとつせずに立ち続けることなどできるわけがなかった。いや、リヴァイアの血の継承者である彼には、呼吸さえも不要なのかもしれない。とも考えるのだが、それは普通に考えてあり得なさそうだった。少なくとも、彼女の記憶の中のオリアンは、常に呼吸をし、他の人間と同じように生きていた。

 不老不死という以外、ほかの人間との違いなど、ほとんどないのではないか。

 それはミリュウの願望に等しかったが。

 彼女は、意を決してオリアンに向かって歩き出した。一歩、また一歩と近づくうちに、彼女の目は、地下空間に現れたオリアンの正体を明らかにしていく。それは、オリアン本人などではなかった。少なくとも実体を伴ったものではない。空中に投影された幻像とでもいうべきものだろうか。

 だとしても、とてつもなく精巧に作られたものといえるだろう。少し離れて見るだけで本人と見分けがつかなくなるほどなのだ。実の娘であり、長年、憧れと憎しみの目でもって見続けてきたミリュウが惑わされるのだから、酷似しているにもほどがある。

 そして、至近距離に辿り着けば、その幻像の正体までもが判明する。

 幻像の正体とは、古代文字の集合体だった。古代文字とは、大陸各地の地名や武装召喚術の呪文などに使われる古代言語を文字としたもののことであり、大陸共通文字の元になったといわれているもののことでもある。それら大小無数の古代文字が空中に浮かび上がり、発する光の強さや大きさなどを微妙に変化させることで、オリアンの姿を再現していたのだ。オリアンの彫りの深い顔立ちも、痩せすぎていると言っても過言ではない体型も、あますところなく再現されている。

「なによ、これ……」

 悪い冗談だと、彼女は思った。思い、胸中で吐き捨てようとして、やめた。きっと、オリアンがここで行っていた研究の途中で生まれた産物であり、そのまま放置しているのは悪い冗談そのものなのだ。いつかだれかがこの地下室に侵入してきたとき、腰を抜かすだろうとでも考えたに違いない。あるいは、単純にこの魔方陣を消し去るのがためらわれたのかもしれない。

 おそらく、この地下室に描かれた魔方陣の意味するものが、このオリアンの幻像なのだ。自身の姿を完全に再現し、投影する魔方陣。そんなものを残しておくのは悪趣味としか言いようが無いのだが、ここまで完成度の高いものを消し去るのを惜しむのは、わからないではない。

 ミリュウにも、同じような経験があった。

 完成度の高い武装召喚術の術式は、いくら使いようがなかったとしても、捨てづらいものだ。ミリュウは、磁力刀以外にも様々な術式を試している。多種多様な召喚武装を使ってみて、一番自分に合っていたのがあの磁力刀だった。ほかの召喚武装の術式は、契約を破棄した後に捨てた。記憶から完全に消し去るというのは難しいことだが、いずれ忘れるだろう。

 召喚武装はひとつに絞るのが好ましい。

 魔龍窟でのオリアンの教えだった。

 複数の召喚武装を使い分けることができるのは、武装召喚師の中でもほんの一握りの人間だけが行える特権であり、ミリュウたちのような武装召喚術を学び始めた人間には、手を出すべきものではない、と彼は何度もいった。そして、彼の教えに従わないものは、例外なく生き延びることができなかった。複数の召喚武装を使い分けようとした結果、召喚武装の能力に技量が追いつかなくなって死んだのだ。

 ミリュウは、オリアンの教えに従った。悔しいが、彼が当代最高峰の武装召喚師であることは認めざるを得なかったのだ。彼は、五種の召喚武装を同時に駆使し、魔龍窟の武装召喚師見習いたちにその力の差を見せつけている。

 彼の教えに従うことこそ、復讐への最短距離だと、ミリュウは認識した。憎悪に心を灼かれながら。

 もうひとつ、オリアンから教わりながら、魔龍窟では実行に移せなかったことがある。

 召喚武装には、召喚者本人が命名するべし。

 召喚武装は、異世界の兵器だ。本来の世界では固有の名称があるはずだが、召喚者がそれを知ることは極めて難しい。だから、このイルス・ヴァレにおける名をつけるのだ。名は命となり、命は絆となる。召喚武装と召喚者の絆は、武装召喚師の力となる。

 オリアンから与えられた召喚武装を使うことしか許されなかった魔龍窟では、命名の機会などあるはずもなかった、ということだ。

 オリアンは、魔龍窟で教え子たちの勝手を許さなかった。すべてを掌握し、支配し、制御しようとし、実際、ほとんど成功していた。彼は、魔龍窟総帥という名に相応しい存在だったのだ。 

 そんな男が残した悪い冗談を睨みつけているのにも疲れて、彼女は、ゆっくりと息を吐いた。埃臭い地下室の闇の中、オリアンの幻像が妙に明るく輝いている。

 皮肉げな表情が、忌々しいほどに父そのものだった。

 だから、彼女は手を伸ばしたのだ。

 手を伸ばして、子供の頃のように、オリアンの頬に触れた。意味もない行為だ。幻像に甘えたところで、幻像が答えてくれるはずもない。子供の頃のように顔をしかめてくれるはずもないのだ。

 そう想った瞬間、幻像を構築していた古代文字が弾け、ミリュウの頭の中に膨大な量の情報が流れ込んできた。

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