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第八百四十一話 五月五日・ミリュウの場合(三)

 オリアンの書斎に入ると、真っ先にリュウイ=リバイエンの姿が目に飛び込んできた。十年前からなにひとつ変わっていない屋敷とは打って変わって、彼は、老けて見えた。金髪碧眼は、いまとなってはリバイエンの血が濃いことによるものなのかもしれず、故に歳相応に老けただけなのかもしれなかった。

 レヴィアの呪いを受け継ぐリヴァイアの血は、長命の血だ。長命。つまり、老化が遅いということだ。リュウイとミリュウの年は二歳しか離れていない。にもかかわらず、外見年齢は大きく違った。それがリヴァイアとリバイエンの血の違いなのではないか。

 だから、オリアンは、彼女を選んだのだろうか。

 リュウイは、ミリュウの姿を見るなり、少し驚いたようだった。だが、その驚きが彼の顔中に広がることはない。波紋は一瞬にして消え失せ、満面の笑みに変わる。

 きっと、髪の色に驚いたのだ。

 ミリュウは、髪を真っ赤に染めていた。リュウイの耳にも届いてはいたはずだ。ミリュウ=リバイエンの髪は赤く、青い髪のファリアと対比され、話題になることが多い。ミリュウも、いまやガンディア国内では有名人といってよかった。なにせ、あの英雄セツナの側近といってもいい立ち位置にいるのだ。常にセツナの側にいて、セツナに甘えている姿さえ目撃され、噂になっている。セツナの愛人のひとりだという下世話な噂も、彼女は悪い気はしなかった。それはつまり、ミリュウの一方的な愛情表現と世間が受け取っていないという証明であり、セツナからミリュウへの愛情表現も目撃されているということなのだ。嬉しくないはずがなかった。レムまでも愛人のひとりにされているのは、抗議したいところだが。

「おかえり、ミリュウ」

 リュウイは、開口一番、喜びを表現した。声音は柔らかく、十年以上前と変わらない。外見こそ年齢以上に老けて見える彼だったが、見た目以外は変わっていないのかもしれない。

「お久し振りですね、兄上」

「……随分他人行儀だね」

「そうでございますか? リバイエン家の御当主様には、相応の態度で臨まなければなりませんでしょう」

「……当主、当主などとはいえ、我が家は力を失い、当主もまた、その発言力を失ってしまったよ」

 リュウイは嘆きながら、書斎を見回した。広い室内に所狭しと並べられた書棚には、難解な書物が無数に収められている。ほとんどすべてがオリアンが集めたものであり、それも昔から変わっていない。ミリュウが勝手に置いていたいくつかの絵本もそのまま置かれている。それらの絵本がオリアンによって撤去されることはなかった。子供の頃の彼女は、オリアンの書斎で彼の作業が終わるのを待つとき、自分が持ち込んだ絵本で時間を潰したものだった。つまりオリアンは、そのために絵本置き場を確保してくれていたのだ。

 そんなことを思い出せたのは、書棚も昔のまま保存されていたからだ。その点だけは感謝したものの、言葉には出さなかった。

 リュウイの嘆きを聞く限り、彼にはなんらかの下心がある。

「知っていると思うけれど、分家のユーラが、リバイエン家の代表気取りで権力を握り始めているんだ。分家の分際で、本家の当主を黙殺し、ガンディアの中枢に入り込もうというのだろうね」

 リュウイがなにを言おうとしているのかを察して、ミリュウは顔を彼の視界に入らないようにした。ゆがんでいく表情を見せたくなかった。

 ユーラとは、いうまでもなくユーラ=リバイエンのことだ。クルセルク戦争においてはザルワーン方面軍第二軍団長としてマルウェールに在り、大量の皇魔を引き付ける餌の大任を果たしている。彼はその功績とミルディ=ハボックの辞退を受けて、ザルワーン方面軍の大軍団長に抜擢された。そのことを気にしていたのだろう。数日前、龍府に到着したミリュウを彼が出迎え、話しかけてきたものだった。分家の当主たる彼なりのけじめだったのだ。そのとき、ミリュウはつい素っ気なく対応してしまったが、リュウイに比べれば余程分別のある人物のように思えた。

 リバイエン家は、五竜氏族の一角を担う家柄だ。

 五竜氏族とは、ザルワーンの建国神話以来、ザルワーンの根本を支える五つの家系であり、特権階級、支配階級として君臨し続けた血筋である。歴史が長くなれば、それだけ血を引くものは増大する。本家以外に無数の分家が生まれ、分家からさらに分家が生まれる。そうやって、五竜氏族はザルワーンにあふれた。

 だからこそ、魔龍窟のような地獄が形成されるに至ったわけであり、ミリュウと同世代の五竜氏族の子女が壊滅的に少ないのは、それに起因している。ミリュウの兄弟であるリュウイ、シリュウ、リュウガが今日を生きていられるのは、単純にオリアンに見離されたからに過ぎない。魔龍窟に投げ入れ、死なせるほどの価値もないと判断されたのだ。きっと。

 リバイエン家にも無数の分家があり、ユーラのリバイエン家もそのひとつだった。リバイエンを名乗るということは、本家に近い血筋ということになる。遠ざかると、五竜氏族と同じ家名を名乗ることが許されなくなるのだ。五竜氏族を名乗れない家は、支配階級から被支配階級に落ちざるを得ない。そういう家は無数にあった。

「だが、それも今日までだ」

「本家が頂点に返り咲くのでございますか?」

「他人事のようにいうね、君は」

「はい?」

「ミリュウが帰ってきたんだ。我が家が権力を取り戻す日も遠くはないだろう?」

「……」

 リュウイの言葉に、ミリュウは沈黙を投げ返した。しかし、彼はそれを肯定と受け取ったようだった。彼は饒舌に言葉を続けてくる。ミリュウの肺腑をえぐり、心に嵐を呼ぶような言葉を、平然と紡いでくるのだ。

「ミリュウ。君は、いまや押しも押されぬ存在だ。王立親衛隊《獅子の尾》の隊士であり、王宮召喚師に名を連ねている。それだけじゃない。あのセツナ様のお側に仕えているというじゃないか」

 リュウイは、喜悦満面といった表情だったに違いない。声音には喜びが溢れ、激しい身振り手振りが音だけでわかるほどの興奮状態に彼はあるようだった。

 表情がはっきりとわからないのは、ミリュウが顔を俯けているからに他ならない。見れば、きっと手を出してしまう。暗い感情が、胸の内で吹き荒れていた。口を開けば呪詛が出るに違いない。だから口も閉ざす。拳を握る手に力がこもる。手のひらに食い込んだ爪が表皮を破るまでに時間はかからないだろう。

 それでも、リュウイは言葉を続けてくる。興奮状態のあまり、こちらの反応がわかっていないのかもしれない。聡明な彼が、ミリュウの反応を理解できないはずがないのだが、どうやらそれどころではなくなっているようだった。

 彼の立場になってみれば、興奮するのもわかるというものだ。分家に出し抜かれ、地に落ちた本家の立場が、本家の人間の力によって取り戻せるかもしれない好機を得たのだ。この機会を逃す手はなかった。だが。

「セツナ様は龍府の領伯になられた。これもきっとなにかの縁に違いない。運命といってもいい。運命が、我が家を、リバイエン家を見離さなかったんだよ」

 深い後悔と激しい怒りがのたうつ中、ミリュウは、ゆっくりと後退りした。リュウイとの距離を開かなければならない。できるだけ、間合いを離さなければならない。でなければ、殺してしまいかねない。

 彼は、許されない言葉を吐いている。

 ミリュウを利用するだけならば、まだ笑って許すことができた。なにもしないが、怒りもしない。自分のことだ。どういう利用方法を考えてもらっても構いはしない。しかし、他人のこと、特にセツナのこととなれば話は別だ。セツナは、ミリュウにとって、この世でもっとも大切なひとだった。自分を委ねることのできるたったひとり。最愛の人。

 彼は、不可侵領域を土足で踏み躙ったのだ。

「ミリュウ、君がこの家に戻ってきたということは、帰ってきたということは、そのためなんだろう? 我が家に再び栄光をもたらすため、君の力を貸してくれるんだろう? 君が領伯様にかけあってくれれば、それだけで、我が家は再び本家としての威厳を取り戻すことができるんだよ!」

 不意にミリュウが驚いたのは、いつの間にか詰め寄ってきていたリュウイの両手が、彼女の肩を掴んだからだ。リュウイは自分の考えたリバイエン家再興の秘策が成功するに違いないと興奮しきっているようだった。自分に酔ってもいるのだろう。だから、周りが見えない。ミリュウの様子がわからない。怒りと憎しみと悲しみに震えているということも、理解できていない。

「……げてる」

「え?」

「馬鹿げてるっていってるのよ」

「なにを……いっているんだい?」

「あたしは、そんな馬鹿げた言葉を聞くためにここに来たんじゃない。あたしは、あたしよ。自分のためだけに、ここにきたのよ。帰ってきたわけでも、戻ってきたわけでもない。ここに『来た』のよ」

 ミリュウはリュウイの手を振り払うと、呆然とする兄の顔に呪詛を投げかけたくなったが、やめた。それをすれば、彼と同じか、それ以下に落ちてしまう。同じになってはならないし、それ以下になるなど以ての外だ。自分で自分を愛せなくなるし、なにより、セツナに合わせる顔がなくなる。それだけはなんとしても割けなければならない。

「リバイエン家に再び栄光? どうぞ勝手にやってよ。でも、あたしの名前を出したら、あたしの名とセツナの名を利用しようとでもしたら、容赦なく潰すわ」

「ミリュウ……」

「そのためなら、セツナだって利用してやる」

 セツナの立場や権力を利用するのは、禁じて以外の何物でもないと想っている。そもそも、セツナ自身が権力を自分のために利用することを嫌っている節がある。もっとも、他人のためならば容赦なく利用するのがセツナだ。ミリュウが望めば、リバイエン家くらい簡単に潰してくれるだろう。頼んだだけで駄目なら、あらゆる手練手管を用いて、セツナを動かすだけだ。それほどの憎悪が一瞬にして膨れ上がってしまった。

(そうよ、潰れればいいのよ)

 分家が権力を握っているのだ。本家が潰れたところで、問題は起きない。むしろ、ユーラのリバイエン家が本家に成り代わればいいだけのことだ。彼は、リュウイより余程人間ができているし、リュウイの愚かさを経験したいまとなっては、ユーラとは普通に話せるかもしれない。

 ミリュウは、凍りついたリュウイを書斎に置き去りにして、部屋を出た。セナ=タールトンの痛ましい表情は、彼の心情そのものだろうが、どういう意図なのかはわからない。リュウイとミリュウの交渉が決裂したことを痛ましく思っているのか、それとも。

「父上の研究室に行くわ」

 ミリュウは行き先だけを告げて、セナと別れるつもりだった。しかし、老執事は、彼女の先に立った。老齢に至ってもまっすぐな背筋を見ていると、ただそれだけで心が安らぐ気がした。リュウイとの会話で怒り狂った心が、少しずつ落ち着きを取り戻してく。

「では、案内いたします」

「あなた、兄上に従わなくていいの?」

「わたくしの主は、オリアン様に御座います故」

「……人望もないのね」

 も、というのは、人望以外の多くのものも持ち得ていないように感じたからにほかならない。リュウイに人望がなかったとしても、人望以外のすべてが備わっていたとすれば、ミリュウに対してあのような方法で交渉してくるようなことはなかったはずだ。こちらの心情をまったく意に介さず。どそくで心の中に踏み込んでくるなど、悪手以外のなにものでもない。

「いえ、そういうわけではございませぬ。わたくしのみが、過去を引きずっているのでございます」

「あたしと同じか」

「はい?」

「あたしも、過去を引きずってる。この家を憎んでいるのも、そのせいよね」

 その過去と向き合うためにこの家に来たのだ。そして、来てよかったと思っている。当主となったリュウイの本音を知ることができたのだ。警告することもできた。ここにこなければ、ミリュウの知らぬところで、彼女の名やセツナの名が利用されていたかもしれない。そして、セツナに悪評が立っていたかもしれないのだ。それを後で知った場合、きっとリュウイだけでなく、自分を許せなくなっていただろう。セツナの前にいられなくなっていたかもしれない。

 そうなれば、この世から消えてなくなるしかない。

「お嬢様がそう思われるのは、当然の権利にございます。あのとき、お嬢様をお護りできなかったのは、我々の不徳の致すところにあります故」

「あなたのせいじゃないわよ」

 ミリュウはいったが、セナは納得出来ないといった反応だった。やはり、セナと母だけが、この家の良心だったのだ、と彼女は想った。

 そして、セナと再会できたことだけは、喜ぶべきなのだとも想ったのだった。

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